回収屋
どこか薬局を思わせる清涼な香りが漂ってきた頃、簾が巻き上がった。
蓋付の磁器とレンゲなる匙、白い液体で満たされた小皿。いつもの事ながら、店主の提供する見たこともない食事にリシアは心躍らせる。
「ありがとう」
「熱いから気をつけてくれ」
綺麗に折り畳まれた布巾が、次いで差し出される。濡れた布巾を蓋にかぶせて摘み上げた。
磁器の中は黒いもので満たされていた。店主の言葉とはかけ離れているようにも思える姿を目にして、リシアは詳細を聞く。
「これは……?」
「亀苓膏だ。たまたま材料が手に入って、つい作ってしまった。ちゃんと甘いから安心して食べてくれ」
店主の言葉に頷きながらも、まずは添えられた小皿の中身を匙の先に浸し、舐める。
練乳だ。
これだけをもうひと舐めしかけて、一息ついて磁器に匙を向ける。
弾力のち、黒い物体が匙を飲み込んだ。半透明の煮凝りを掬い取る。店内の微かな灯の下で、きらきらと輝いた。
意を決して、一口。
「……」
難しい顔をする。なかなか癖が強い。薬の風味にほのかな甘み。しかし、もう一口。
「不思議な味」
「お気に召さなかったか」
「ううん、初めて食べたから……嫌いじゃない」
「練乳をかけると、少し食べやすくなるかもしれないな」
店主の勧めに従い、小皿の練乳を垂らす。薄く練乳を纏った黒い物体をもうひと掬いして頬張る。
まろやかな甘さが、薬臭さとほんの少しの苦みを覆い隠した。格段に食べやすくなった亀苓膏なる点心を、リシアは食べ進める。
「うん、おいしい」
「体に良い甘味として、『波間の花』でよく食べられていたんだ。きっと喉にも良い」
ぴくりと、ハロが組んだ脚先の鉤爪を動かす。
「そこの出身なの?」
「居着いていた時もあっただけさ」
店主の言葉に、ハルピュイアは考え込むように頬杖をつく。
遠方から来ているとは思っていたが、大陸の東端からとは。内心リシアも驚く。巨大な港町である「波間の花」から来た人々は、各地の小浪花と呼ばれる地域に集まることが多い。最寄りの小浪花はジオードに所在するが、そこではなくエラキスを選んだのも不思議な話だった。
点心を食べるリシアから一つ離れた席に、店主は水の杯を置く。察して、リシアはウィンドミルを帯から外して足元に立てかけた。
案の定、扉が開いた。
「夜干舎はいるか?」
入店するなり組合名を呼んだのは、禿頭のドレイクだった。迷宮内で何度か見かけた姿に、リシアは小さく会釈する。
「こんばんは」
「おお、蟲退治の」
確か、バサルトという名だったはずだ。回収屋の男は杯の置かれた席に座る。そうして、赤子の眠る籠に気付いたのか目を丸くした。
「半年足らずってとこだな」
幾分か小さな声で、バサルトは尋ねる。
「お嬢ちゃんの子か」
その声音が冗談とも取れず、リシアは首を振る。
「ち、違います」
「はは、すまん」
杯を手に席を立ち、静かに回収屋は籠の中を覗き込む。そっと赤子の二の腕を掴み、満面の笑みを浮かべた。
「健康優良」
リシアもつい微笑む。子供好きなのだろう。
そのまま籠の卓に着き、バサルトは注文をする。
「麦酒と日替わり」
「ああ」
「託児所も始めたのか?」
「いいや、依頼だ」
「今回限りだよ」
何度目とも知れない溜息をついて、ハロは口を挟む。
「寝付いたのもついさっき。もーやだ」
「泣き虫だったんだな」
麦酒が出て来る。リシアが杯を渡すと、バサルトは礼を告げた。
「ありがとさん……ところで」
杯を呷る。上半身を大きく捻り、回収屋はハルピュイアに向き直る。
「代表は、いないか」
「用があったの?今日はもう来ないと思うよ」
「ちょっと聞いてみたいことがあってな。そっちの代表からは、もう一つの夜干舎については聞いているか?」
訝しげにハロの眦が動く。同様に、リシアも首を傾げた。
「もう一つ?」
「何人か夜干舎と仕事をしたって奴と話をしたんだが、どうも噛み合わなくてな……同じ名前の組合がもう一つ登録されているとしか思えん」
どうもきな臭い話に、簾の向こうから掠れた声が問う。
「成りすましか?」
「名を騙る利益なんて無いでしょ」
ハロは鼻で笑う。その言葉に回収屋はごく真面目な表情で答えた。
「聞いたところ、同等の手練れだ。なおのこと成りすましをする意味が無い。何か、炙り出そうとしているのかも」
点心を食べつつ、リシアはバサルトの言葉の意味を考える。わざと、同じ屋号を付けたというのだろうか。この街の「夜干舎」に何かを伝えるために。
ちらりと組合員の様子を伺う。先程の様子とは打って変わって、どこか険のある顔をしていた。
「たまたま同じ名前って可能性は」
慎重な声音でハルピュイアは問う。禿頭のドレイクも身を屈め、囁く。
「無きにしも非ず」
「……なぁにそれ」
ハロは足を大きく投げ出した。
「真面目に聞いて損した」
ついリシアも溜息をつく。
珍しく、ハルピュイアと意見が合った。
「名前被りも決して珍しい事じゃあないからな。まあでも、知らないでどこかで鉢合うよりは良いだろう」
一頻り笑って、バサルトは麦酒を呷る。
「案外、そっちの代表は気にするかもしれないからな。伝えておいてくれ」
回収屋の言にハロは生返事をする。
折よく簾が巻き上がり、日替わりの皿が現れた。
「お、来たか」
麦酒と同様に、離れた席に掛けるバサルトに渡すためリシアは熱された皿を持ち掲げる。
その縁から飛び出た突き匙が、ぐらりと揺れた。
あ、と声を上げる間もなく突き匙は卓に落ちる。狭い店内に金属音が異様に響いた。
赤子が身動ぐ。
一同が息を呑む中、赤子は手袋に包まれた手で鰓を擦り、大きな欠伸をした。




