第十九班
廃棄物の詰まった大量の麻袋の前で、迷宮科生徒は整列する。疲れ切っているのか、思うところがあるのか、清掃を開始した時のように私語を話す者はいない。張り詰めるような静寂の中、講師はホラネズミの死骸を地に置く。
「先程罠で捕らえたネズミだ」
打撃で致命傷を与えたのか、ネズミは鼻や口から血を垂らしていた。生徒にとっては見慣れた姿だが、意外にも眉を顰める衛兵が多かった。講師の隣に立つ衛兵長などは露骨に口元を歪めている。
「怪物」を捕らえるなどと豪語していた一団とは思えなかった。
「何か、気づいた点がある者は」
講師は問う。
誰かが挙手したのだろう。隻眼が一点を見つめる。
「通常見かける個体よりも、大きいと思います」
「何故か。仮説でいい」
「ゴミや残飯を食べていたから、でしょうか」
意気消沈するように小さくなっていく生徒の声を、講師は微動だにせず聞く。発言がすっかり消え失せた後、屈み込んでネズミの腹に小刀を当てた。
正中線を切先が撫でる。突如腑分けを始めた講師は、黙々と慣れた手つきで小動物を暴いた。摘み上げた内臓からぞろりと毛の塊が溢れる。
「これは、クズリの毛だ」
装飾品としても用いられる豊かな毛も、今は血と汚物で汚れていた。
以前探索でライサンダーが仕留めた傷だらけのクズリや、廃棄場へ向かう道中の骨が脳裏を過ぎる。
「何らかのきっかけで迷宮の許容を超えて増えたネズミは、普段は食べない動物性の餌を求めるようになる。それしか食べられる物がないからだ。クズリや同族、もっと大きな獲物にも食らいつく」
例えば、人間。
そうやって肉の味を覚えたのなら、植物には見向きもしなくなるのかもしれない。あるいは元の食性に戻ろうとしても、廃棄場と化した小通路では増えすぎた集団を賄えるほどの植生は無くなっていたのだろう。
「きっかけは沢山あったはずだ。そしてこのゴミも、一助になった」
小刀を納め、講師は立ち上がる。
「冒険者である以上、私達は迷宮に干渉している。一挙一動の果てに何があるのか、事が起こってからでは取り返しがつかない。何のために最低限の取り決めがあるのか、今一度考えてほしい」
そうだ。もう取り返しはつかない。
リシアは俯く。それでも彼女を助けることが出来たのは、それだけは幸いだった。
静まりかえった一団。彼らにも思うところはあるのだろう。
「最後に」
血を拭い、講師は隣の衛兵長を示す。
「小通路内の環境悪化を踏まえて、引率と回収を行ってくれた衛兵団に感謝を」
一拍遅れて生徒は例を一斉に告げる。目を細めた衛兵長から応えは無かった。
解散、と一言告げて講師はネズミを拾い上げる。小動物は換金しても大した金額にはならない。しかし、講師は死体を麻袋では無く、別の革袋に納めた。
地上口に向かう生徒達の中、立ち止まってリシアはその様子を眺めていた。そんな彼女の側に、複数人が歩み寄る。
「リシア」
先程行動を共にしていた女生徒が名を呼んだ。彼女と共にやって来た生徒達の姿を見て、リシアは少したじろぐ。昼休みや清掃のはじめに取り囲んできた女生徒達のことを思い出したからだ。
「一緒に地上口まで行きましょう」
「う、うん。ありがとう……彼らは?」
「私が所属している、第十九班の皆。紹介したくて」
フォリエの言葉と共に会釈をする第十九班の中に、先程麻袋を持ってくれた男子生徒がいた。リシアも会釈を返す。
「同じ迷宮科だけど、初めて話すかも。よろしく」
男子生徒が握手を求める。タコだらけの手に親近感を覚え、手を握った。
「入学した後に色々あったみたいだけど、難しい依頼を何件もこなしてるって聞いた。凄いね」
「それは……一人だけじゃ、ないから」
少しはにかみながら答える。首を傾げる男子生徒の隣で、女生徒が声を上げた。
「いいなあ、シラー先輩と探索」
二つに分けて結えた髪を靡かせ、女生徒は悪戯っぽい表情でリシアを見つめる。その姿にほんの少しだけ浮蓮亭のハルピュイアと似たものを感じて、リシアは返事に詰まった。その様子を悟られないように、愛想笑いを浮かべる。
「でもそれって、認められたってことだよね?実はめちゃくちゃ剣が出来るとか?」
正直なところ、思い当たるところは無い。迷宮で役立つ技能については、剣も探索もリシアには平凡な素質しかないと自他共に認めている。何か胸を張って挙げられるものがあるとすれば、家宝のウィンドミルと多少の植物の知識と……先日改めて胸に刻んだアキラへの責任感ぐらいだ。
だから、シラーの声がかかったのはリシアには理解出来ない思惑があったからなのだろう。
僅かな間考え込んでいたリシアの肩に手を置き、フォリエが微笑む。
「歩きながらでも、色々お話を聞かせてほしいな」
そう告げたフォリエの顔は、妙に青白い。違和感を覚えて立ち止まったままのリシアの肩に、体重がかかる。
「わっ」
慌てて体を支える。班員の異変に気づいたのか、男子生徒も肩を抱いた。
「どうした」
あ、と血の気のない唇からかすれた声が出る。
「ごめんなさい。少し立ちくらみが」
ゆらりと背筋を伸ばし、フォリエは照れ隠しのように左手で口元を覆った。
「もう、大丈夫」
狼狽るリシアの隣で、班員の少女が飴を取り出す。
「糖分。取り敢えず、さっさと出ちゃおっか。人もだいぶ減っちゃったし」
「ええ」
頷く女生徒に、第十九班の班員は様子を伺うように寄り添う。その姿を見て、リシアの胸に何か酸い感情が浮上した。
ハロに似た女生徒が振り返る。
「リシアも、いこ」
その声に我にかえって、足を動かそうとする。
ふと、視界の隅によく見知った聖女の姿が入った。浮いた右足が再び地に着く。思わず目で追うと、聖女は僅かに此方を一瞥して背を向けた。
その姿に、それ以上に足を止めてしまった自分自身に、リシアは憤る。
何を期待しているんだ。
目を背け、リシアは第十九班の後を追った。




