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贈りもの

 静かに瓶を酒精で満たす。


 栓を詰めて温めた樹脂で口を覆うと、内部で揺蕩う花は外気から絶たれた。今はまだ白さを保っているが、じきに色素は溶け出し、美しく色褪せていくのだろう。


 机の上に置いた瓶を、令嬢は繁々と眺める。人もまばらな放課後の斜陽が硝子に差した。


「うん、やっぱり綺麗」


 そう言って満面の笑みを浮かべる。


「棚や机に置いても、割らない限りは汚すことも無いでしょうし……息抜きに眺めることも出来る。きっと喜んでくれるわ」


 上機嫌な令嬢の言葉に、リシアは安堵する。まだ最終的な報告は終えていないが、標本作成をもってひと段落したと言えるだろう。


 その一方で、依頼人の嬉しそうな様子を見て少しこそばゆい気分にもなった。彼女が喜んでくれたのなら、何よりだ。


「手紙も書かなきゃね」


 思索を巡らすように目を伏せる。麗しい横顔は、何時もよりも柔和に見えた。


 公の場に出ることの多い令嬢の身の上は、リシアも少なからず知っている。しかし、この贈り物は決して公務の一環で行っているわけでは無いのだろう。


 令嬢はエラキスには既に「居ない」事になっている人間だ。それでもこうやって学苑で共に学び、青春を謳歌することが出来ているのは、標本を贈る相手の計らいによるものだ。そこには単なる政治上の理由で結ばれた関係ではない、相手への尊重があるのだろう。


 少なくとも令嬢は、普段の言葉とは裏腹に相手のことを相当に気に入っているように思えた。こうして、まめに手紙と個人的な贈り物をする程度には。


 樹脂が冷めたのを確認して、令嬢は絹布を結える。包装も手ずから行うようだ。


「あの人の目に留まる前に贈りましょう」

「贈れなくなったりするの?」

「逆。余計なものまで贈るはめになっちゃうの。そういう縁だとはわかっているけど」


 一連のアキラとセレスのやり取りを、冷や冷やとしながら見守る。セレスはまだ学友としての同意を得ているから、多少は砕けた物言いになっても大丈夫だろう。しかしその親族、特に「兄」に関しては滅多なことは言えない。


「私じゃなくて、あの人と文通をしているみたいじゃない。そんなの嫌でしょ」


 令嬢は頬杖をつく。


 その目がじっとリシアを見据えた。同意を求められているわけではない。それでもほんの少し肝が冷えた。


「改めてお礼を。ありがとう、リシア」

「へ」


 不意打ちのような言葉にリシアは背筋を伸ばす。その様を見て、令嬢は朗らかに笑った。


「お礼の品は役所に届けているのだけれど……直接渡した方が良かったかしら」

「あ、窓口経由でも問題はありません」

「なら良かった。私のお小遣いからだけど、良いものを用意したの」


 そうして少し目線を泳がせる。考えるようなそぶりを見せて呟いた。


「また、何かあったら依頼を出してみようかな」

「その時は、別名義で出した方がいいかも」


 いつぞやのハルピュイアの言葉を思い出し、リシアは進言する。一瞬令嬢はきょとんとした顔をして、再び口元を緩ませる。


「じゃあ、アクスクラックスの名を使おうかしら」


 それはそれで、ジオードから来た冒険者には色々と勘ぐられてしまいそうだった。


 しかし照れたように包装を弄る令嬢を見ていると、これ以上口を挟むのは野暮な気がした。


「ところで、リシアのそれは?」


 閑話休題とばかりに令嬢はもう一つの硝子瓶を指し示す。薄荷の香る瓶に栓を詰めながら、リシアは口ごもる。


「あ、これは……」


 作業を行いながら、隣で手元を注視するアキラを見つめる。


 どこか不可思議げにアキラが見つめ返した。


「おば様に渡そうと思って」

「おばちゃんに?」

「その、ものすごくご迷惑をおかけしたと思うし……」


 まごつくリシアの手元に再びアキラは視線を落とす。


 本職の、それも専門も違う碩学にとっては置物にもならないかもしれない。何より、彼女が求めているものは物品ではないのだ。


 それでも、誓約の印にはなるのだろうか。


 絹布を結える手を止める。


 途端、アキラが席を立った。


「なら、早く行かなきゃ」

「へ?」


 唐突な女学生の言葉にリシアは目を丸くする。


「おばちゃん、夕方の馬車でジオードに発つから」

「えっ」


 アキラの言葉に一瞬思考が止まりかける。しかし即座に、シノブに炉を渡しに行ったときの会話を思い出した。指折り数えて確認する暇もなく、席を立つ。


 時計を探すよりも先に、窓の外の風景に目を向ける。


 茜色に染まりつつある街並みが、門の彼方に見えた。


「あら。じゃあ急がなきゃね」


 そう呟きながら、令嬢はリシアの手元の瓶を取る。絹布を綺麗に整え、再び迷宮科の少女に差し出した。反射的に受け取ろうとして、先程の不安を思い返す。


 その手を令嬢が取り、そっと贈り物を乗せた。


「渡さない方が、後悔する。そうでしょう?」


 悪戯っぽく微笑む片隅に、どこか大人びた翳りがあった。令嬢の言葉に頷くリシアの肩をジャージを羽織ったアキラが叩く。


「いこう」

「うん」


 瓶を片手に鞄の持ち手を掴む。居住まいを整えて、令嬢に一礼をする。


「また明日」


 リシアが声をかける前に、令嬢が囁いた。リシアもまた、同じ言葉を返す。


 上気した頬を隠すように踵を返す。夕日に焼けた廊下を、アキラの後を追って駆け抜けた。

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