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理由(2)

「迷宮で鉢合わせた時からずっと、腹を立てているんだ。何故だかわかるか」


 葉巻を持った手を組み替える。その仕草には苛立ちが如実に現れていた。


 不機嫌な伯母を前にして、アキラは暫し考え込む。そうしてどこか苦し紛れに答えを述べた。


「……何も言わずに迷宮へ行ったから」

「違う。お前には何の覚悟も無いからだ」


 熱の篭った声だった。


 じりじりと首筋が焼けつくような感触を覚えて、リシアは固唾を飲む。


「覚悟」


 無感動な言葉がこぼれ落ちた。ただただ理解が追いついていないような、そんな表情でアキラは伯母を見つめる。


「君は何のために迷宮に行くんだ」


 夜色の双眸が二組、リシアに向いた。心臓を掴まれるような脈拍を感じて、掠れた息が出る。


「……私と家の、未来のためです」


 既視感を覚えた。こんなやり取りを、幾度となく繰り返してきたはずだ。


 父親と。執事と。歌の師と。講師と。マイカと。


 手の内に滑りが出た。慌てて佇まいを直す。


 リシアの赤く滲んだ掌を一瞥して、シノブは自身の胸に手を当てる。


「私が迷宮に行くのは、研究のためだ。碩学院の名を背負って、解明と恩恵をもたらすために彼処に行くんだ」


 荒っぽく指が胸を叩いた。


「アキラ。お前にはそんな目的が、一つでもあるのか。何かを背負って彼処に行くのか」


 二度目に会った時、彼女は何と言っていたか。ただ迷宮に興味があって、それにリシアが乗じた。


 興味。


 アキラを突き動かす原動力は、詰まるところそれだけだ。


 ただその原動力が時折目に滲み出るほどに昏く、強く、彼女を迷宮に引きつけるだけで。


「私は、ただ……」


 か細くアキラは呟く。しかしその言葉の続きは出て来なかった。


 狼狽る姪に、なおも伯母は告げる。


「ただ、行きたい。それだけだろう」


 紫煙が立ち上る。


「お前には迷宮に行く確固とした目的が無い。そんな浮ついた無責任な心持ちでは同行者の、彼女の足を引っ張るだけだと、私は思う」


 無責任。


 今までずっとリシアを苛んできた言葉がアキラに言い渡されたことに、暫し茫然とする。


 無責任なのは自分だけだと信じていた。


 しかしシノブからすれば。いや、他の者からすれば、リシアもアキラも同じような幼い少女だったのだ。


「何より、そんな心持ちで迷宮に入って……帰って来なくなることが、怖い。ただ好奇心のためだけに他人を振り回して、どことも知れない場所で死にでもしたら。なんて言えばいいんだ。あいつに」


 続いた言葉は、これまでのどの言葉よりもシノブの本心に近づいたものだった。夜色の瞳が一瞬、怒りではなく哀しさを秘める。


 込み上がってきたものを押し込めるように、シノブは目を伏せる。


「君はどう思う」


 矛先がリシアに向いた。現実に引き戻されて、再び両手を握り込む。


「姪は君の覚悟に乗じて、全ての責任を押し付けようとしているんだ。自分がどうなるかなんて考えてはいない」


 アキラが足を捻った時の光景が脳裏を過ぎる。


 あの時の彼女は、きっとシノブの言う通りの人間だった。


「そんな人間に背中を任せられないだろう」


 シノブの口調が窘めるようなものに変わる。


「別の同行者を探すべきだ」


 視線が交わったまま黙する。


 粘つくような時間を経て、リシアは言葉を決めた。


「シノブ教授。貴女の不安は、私の不安でもあります」


 教授の目が訝しげに細まる。それでもなお、リシアは言葉を続ける。


「けど、今日は承諾を貰いに来ました。彼女と共に迷宮に行くことを、許してください」


 シノブの目が丸くなる。葉巻を片手に腕を組み直し、溜息をついた。


「話を聞いていたか」

「はい」

「なら、どうしてそうなる」

「アキラにも覚悟があるからです」


 大きく響く鼓動を落ち着かせるために、浅く呼吸をする。


「互いに無責任で、何の覚悟も無かったら、今此処にはいられなかった。そう思います」


 小迷宮でリシアがアキラを追ったように、アキラもリシアを助けに向かった。そこには確かに、等しい覚悟があるはずだ。


 アキラは無責任な人間ではない。


「アキラの目的以上に、彼女の覚悟を信頼しています」


 最初は利害関係だった。それでも今となっては、覚悟と責任を持って共に迷宮へと向かえる「同行者」は、彼女以外あり得ない。


「アキラだけなんです」


 班長として、冒険者として。たった一人の同行者へのけじめを見せる。


「絶対に、彼女を……迷宮に取り残したりはしません。私がアキラの、迷宮での冒険全てに、責任を持ちます」


 頭を下げる。


「お願いします。アキラの同行を、許してください」


 灰が崩れた。


 ほろりと足元に落ちた灰を、シノブの革靴がそっと踏みつける。


「無茶苦茶だな」


 呆れた声で教授は素っ気なく告げた。


「私がどんなに危険性や道理を訴えても、君らは頭が痛くなりそうな屁理屈と転嫁で押し通すんだろうな」


 そうして僅かに、身を屈めた。


「今日の言葉、忘れないぞ」


 後退りはしなかった。しっかりと踏みとどまり、夜色の瞳を見つめる。


 外鰓が微かにそよいだ。


「お前も忘れるな」


 その一言に、アキラは力強く頷いた。


 薄れた紫煙が、斜陽の合間に溶けていった。

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