表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
190/422

理由(1)

 どこか騒がしい職員室を覗く。


 放課後に職員会議が行われることは珍しいことでは無い。ただ、今日のそれは急に議題が決まったようだ。殺気立ちながらで右往左往する学苑主任は、声をかけるのも憚られる姿だった。


 一先ず見渡してみても、まだ迷宮学の講師の姿は無い。微かな不安を覚えつつ、リシアは静かに身を引いた。


 講師に全てを説明するのは明日になる。一つ行動の順番が入れ替わっただけだ。不安を押し殺して、足早に中庭へ向かう。


 途中、学生の一団とすれ違った。何やら神妙な顔で語らう彼らに耳をそば立てても、詳しい事情はわからなかった。


 そんな囁き声がそこかしこで交わされる中、リシアは待ち人の姿を見つける。


「アキラ」


 赤いジャージの少女の名を呼ぶと、ひらりと片手が挙がった。もう片方の手には焼き菓子の包紙が収まっていた。赤いジャージのいつもの姿に戻っても、彼女への贈り物は別段数を減らしたわけではないらしい。


「ごめん、待たせた」

「大丈夫」


 包紙の中に残った菓子を一口で飲み込む。くしゃりと紙を握り込み、行こう、とアキラは声をかけた。リシアがそれに答えると、彼女もまた頷いた。


 二人並んで制服通りを歩く。隣のアキラの様子を伺う余裕も無く、リシアはひたすらシノブへの言葉を脳内で復唱していた。嫌な汗が滲む喉を拭う。


 まず確実に、シノブはアキラを迷宮へ連れて行くことに難色を示すだろう。


 正直なところ、シノブの言葉に「反論」を出来るとは思えなかった。論議で彼女には勝てない。なら、彼女の心を動かすにはどうすれば良いのだろうか。


「おばちゃんは」


 唐突にアキラが口を開いた。思わず女生徒の顔を見上げる。


「簡潔な方が好き」

「や、やっぱり?」

「でも、話はちゃんと最後まで聞く」


 夜色の瞳が背の低い少女の顔を映した。


「リシアの言葉でいい。それが一番届くはずだから」


 そう告げて、ふいと目を逸らした。


 リシアの言葉はいつだって辿々しい。それでも、伝えなければならないことがある。


 知らず知らずのうちに、溜息が一つ溢れた。


「……昔はもっと、色んなことを素直に伝えられたのに」


 弱音だ。


 自分の溢した言葉の意味を今更ながら悟って、リシアは口を噤む。


 しかしアキラは聞き逃してはいなかった。


「むかし?」


 何でもない、と突き放そうとして、「何か」が宥めるように言葉を飲み込ませた。


 再び口を開く。


「迷宮科に入る前は、声楽をしていたの」


 こんなことを告げるのは初めてかもしれない。


 アキラだけに聞こえるように密やかに話す。


 幼い万能感があった、ほんの少し昔の話。


「その時の方が今よりももっと、度胸もあって、自分の思いも簡単に表現出来ていた。そんな風に思うの」


 職員室もシノブの眼前も、壇上よりずっと恐ろしい場所だ。身が竦んで声が上擦ってしまう。


 あの大晶洞でも、そんなことは無かったのに。


「そう、かな」


 僅かな間黙したのち、アキラは呟く。


「ナグルファルさんを庇ったときのリシアはすごく、堂々として見えたよ」


 赤ジャージは立ち止まる。つられてリシアも足を止めた。


「あ、あの時は……衛兵が言ってること、絶対におかしいと思ってたし」

「私が怪我した時も、すぐに帰ろうって言ってくれた」

「それもアキラが心配で、怖くて」

「ちゃんと、言えるんだよ。自信を持ってほしい」


 その言葉が、令嬢のものと重なった。


 立ち止まったまま、リシアは長い時間をかけて頷く。その姿を見届けてアキラは再び歩き出した。


「ありがとう」


 先程の応酬で、僅かながら張り詰めた神経が解けた。感謝の言葉を告げると、アキラはどこか不可思議げな顔をした。


 二人は水鳥通りに入る。


 水路沿いの集合住宅の一画で紫煙が微かに立ち上っていた。


 紅い外鰓をそよがせ、細身の葉巻を手にしたドレイクが此方を向く。


 炉を携えて訪れた時と、ほぼ同じ光景だった。外にいる理由もその時と同じなのだろう。


「また会ったな」


 そう告げて、シノブは軽く会釈をした。慌ててリシアも頭を下げる。僅かに足を早めて教授の前に立つと、自然と口が開いた。


「あの、急に申し訳ありません。どうしても話したいことがあって」


 息をつく。早口が途切れて、妙な間が生まれた。


 紫煙を燻らせたまま、シノブはリシアを見つめている。その口元がゆっくりと開いた。


「察しはついている」


 唇が葉巻を咥えた。


「迷宮の話だろう」

「は、はい」


 溜息混じりの煙が漂った。暫し目を伏せ、シノブは静かに告げる。


「私が言えたことではないかもしれないが……いや、それでも言わなきゃならないことだな」


 姪と同じ夜色の瞳がリシアを映した。


「大手を振って迷宮に送り出すことは出来ない」


 当然だろう。


 もう一度、シノブは葉巻を咥える。


 想像通りの言葉だった。だからこそ、黙したままシノブの言葉に耳を傾ける。


「君と姪は違う。何もかもが違う。立場も、目的も」


 夜色の瞳に、もう一人の女学生の姿が映った。


「お前にも言っているんだぞ。アキラ」


 アキラの顔を見上げる。


 隣の少女は微かに表情を変えた。そして表情以上に、指先に彼女の感情が発露した。


 震えた指先を静かに少女は握り込む。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ