瓶詰め(2)
「昨日の事をもう一度整理しようか」
よく通る声でシラーは確認するように告げる。
「植物の採集、投棄場の発見、ホラネズミ大量発生の確認、怪我をしていた生徒の救出……随分と忙しい日だったね」
シラーのように薄く微笑みを浮かべられるような気分にはなれなかった。今思い返しても神経が擦り切れてしまうような出来事が立て続けに起きた、恐ろしい課外だった。
「あの後、どうなったんですか。生徒は」
恐る恐るリシアは尋ねる。シラーは表情を微動もせずに返した。
「引き取られる頃には容態は安定していたよ。事の顛末も衛士達や講師にはもう報告してあるから、安心してくれ」
シラーの言葉を受け取ってもなお、安堵は出来なかった。彼女の無残な姿が脳裏を過ぎる。
「リシア、昨日の花はどうなったかな」
鎮痛な面持ちのリシアにシラーは微笑む。我にかえって胴乱から先日の白い花を取り出した。応急処置の甲斐なく、花は項垂れる。シラーの微笑みに困ったような影が滲んだのに気付いて、リシアは「提案」を口走る。
「あの、この植物についてですが」
「君はよくやったよ。元々萎れかけていたし」
表情を崩すことなくシラーは告げた。リシアの言葉を先回りしたつもりなのだろうか。一瞬口吃った隙にシラーは淡々と予定を立てていく。
「あまり長引くようだったら、情報を集めて他の通路に向かう必要があるね。そうだ、この間行った小迷宮はどうかな」
班長の蒼い目がアキラを映した。
途端、赤いジャージの少女は眉を顰める。常日頃からシラーに対して向けている訝しげな目が殊更に引き立った。
黙してはいられない。
「生花ではなくとも、花を贈ることは出来ます」
些か上擦ったが、予想以上に大きな声が出た。シラーが僅かに目を丸くする。
「……何か提案が?」
優しい声音の裏に、探るようなものを感じた。持ち出してきた薬品と瓶を手提げ袋から取り出す。
「標本にするのはどうでしょうか」
そうして、一晩中考えて纏めた長所と短所を告げる。リシアが話すうちに、シラーはゆっくりと腕を組み真剣な表情に変わっていく。是か非か、はっきりとした手応えはわからないままリシアは説明を終えた。
「……こんな案も、あります」
そう締め括ると、シラーは暫く無言のまま考え込んだ。ただただ鼓動だけが耳の奥で大きく響く。
「まず、提案ありがとう」
班長が口を開く。
「ただ、この案は最良ではないね。君自身いくつか欠点もあると言っていた」
そうして唇を歪めた。
「第六班としては、最良の成果を残したいんだ。だから君の案は……次点として置いてもらっても良いかな」
大概昨日の副班長の言葉と同じような返答だった。しかし、彼女とは違ってシラーはこの提案を高く買ってはいないようだった。
最良。
リシア自身わかりきっていたことだが、その言葉が重く胸の内に沈んだ。
助け舟を出すつもりなのだろうか、デーナがシラーの肩を叩き何事か告げる。
低い声が、誰かの発言に掻き消された。
「成果」
何気なく呟いたのだろう。アキラは周囲の視線に気がついて、薄く開いた口を引き結ぶ。
決まりの悪いような笑い声が響く。
「すまない。成果というのは……違ったかな」
シラーはそう言うなり、素早く視線を遠くに投げた。姿勢を正し、会釈をする。つられてリシアも視線の先に目を向けた。
髪を短く切りそろえた令嬢が、煉瓦敷きの路から中庭へ足を踏み入れた。
「お待たせしました」
楚々とした会釈を返して、令嬢は輪に加わる。妙な緊張感が走った。
「アキラと何か、お約束でも?」
シラーの問いに、未だ令嬢のことを誰も話していなかったことに気付く。ちらりとデーナを見ると、なんとも澄ました顔をしていた。
「いいえ、ついさっきデーナ先輩とリシアに会って……依頼のことが、気になったんです」
冴え冴えとした瞳がシラーを見つめる。シラーはほんの少し申し訳なさそうな顔をして、リシアを示した。
「そのことなんですが、もう少し時間がかかりそうなんです」
「あら」
令嬢もまた、焦りのようなものを瞳に滲ませた。リシアの手に収まったままの花を一瞥し、手提げ袋に目を向ける。
「それは?」
手提げ袋を覗き込むようにセレスは首を傾げた。少々慌ただしくリシアは手提げ袋から標本瓶を取り出す。
見本用に持ってきたバイモの液浸標本を差し出すと、令嬢は目を見開いた。
「標本?別の依頼かしら」
「いえ、その……」
令嬢は標本を受け取り、興味深げにバイモとリシアを見比べる。その好奇心に満ちた瞳に気圧され、リシアは観念した。
「生花ではなく、標本のように加工するのはどうかと、提案したんです」
「最良」ではない提案をリシアは口にする。変わらずリシアを見つめる空色の瞳から、目を逸らしてしまった。沈黙に耐えかねて何事か口走る。
「で、でもやっぱり、花束の方が……」
令嬢は瓶を掲げた。
木漏れ日が硝子に落ち、バイモの網目模様を透かした影が令嬢の顔に揺らぐ。どこか静謐な光景を目の当たりにして、リシアは言葉を飲んだ。
雲が陽を覆い隠す。令嬢は瓶を抱き、リシアに詰め寄った。
「それ、いい!」
令嬢の言葉に、その場にいた全員が目を見開いた。瓶を眺めながらセレスは告げる。
「こういう瓶詰めの標本なら、生花とは違って長持ちするし、押し花よりも存在感があって印象に残るわ。それにとても」
再び令嬢は瓶を陽に透かす。
「……そのお花も、こんな風に涼やかな姿になるのかしら」
「は、はい。色が抜けて薄絹みたいになります」
リシアの答えに令嬢は満足げに頷いた。翻って、シラーを向く。
「彼女の案、是非とも使わせてもらうわ」
班長は虚を突かれたような顔をして瓶を見つめた。しかしすぐに笑顔を浮かべる。
「では、仰せのままに」
シラーの言葉を聞いて何か答える間もなく、リシアは令嬢に問われる。
「出来上がるのはいつかしら」
「明日にでもお渡し出来ますけど、その、まだ集められた本数も少なくて」
「大丈夫。あんまり詰め込むよりは、少し瓶の中で泳ぐ方が綺麗だと思うし……すぐに作れるのなら、返事は遅れずにすみそうね」
そうして満面の笑みで、セレスは告げた。
「楽しみにしているわ。よろしくね、リシア」
慌てて頭を下げる。途端、不意に思いついた。
「あの、セレス」
「どうしたの?」
「もし良ければ、作ってみますか。一緒に」
白い花を掲げる。セレスの頬が紅潮し、より一層破顔した。
「是非とも」
胸を撫で下ろしたのも束の間、リシアに令嬢は囁く。
「……とても良い案を出してくれるのだから、もっと自信を持てばいいのに」
息をのむ。
目の前の令嬢は変わらぬ笑顔のまま、勇気付けるような眼差しをリシアに向けていた。
その眼差しの下、リシアははにかみながらも礼を告げた。




