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瓶詰め(1)

 昼休み前の講義は数学だった。


 幾分か難易度の上がった講義内容をしっかりと書き取り、筆記用具を片付ける。


「あの、すみません……」


 何人かの生徒が教壇に立つ講師のもとに向かう。手にした教科書と手帳からすると、講義内容の質問だろう。リシアも未だ飲み込めていない部分がある。講師の授業は少し駆け足な気がする。


「もう昼休みだ」


 しかし講師はにべもない。出席簿を手に教室を去る。


「また普通科棟に行ったよ」

「なんかさあ、こっちの講義に興味ない感じするよね」

「態度も違くない?向こうとさ」


 後に残された生徒達の文句には、リシアにも思い当たる節があった。最もそれは、数学講師に限った話ではない。普通科と迷宮科には明らかな隔たりがある。迷宮科の設立と理念自体は現王の肝いりでも、講師陣にとっては碩学院を目指すわけでもない「不真面目な」生徒の集まりでしかないのだろう。


 質問をする機会を無くしたまま教科書を仕舞う。


「リシア」


 教室の入口から、誰かが名を呼んだ。リシアを含めた数名が、声の主を振り向く。


「呼びに来た」


 片手を挙げて快活に微笑む大柄な女生徒に、反射的に頭を下げる。既視感のある周囲の視線を潜り、デーナの元へ向かう。


「こんにちは……もしかして、皆様中庭で待っていますか」

「多分。アタシも今から向かうとこ」


 そう告げて、デーナは促す様に入口から身を引いた。廊下に出たリシアの前で普通科棟を指し示す。


「アキラも拾っていこう」


 提案に頷き、普通科棟へと向かう。背後の視線と静かな会話が、何故だか後ろ髪を引いた。


 階段を降りて渡り廊下を覗く。対岸の普通科は、どことなく人気が無いように思えた。


「体育か」


 デーナの指摘通り、苑庭から普通科の体育着やジャージを来た一団が戻ってきた。


 その中に見覚えのある顔を見つけて、思わず手を振る。


「アキラ」


 貴族の子女に囲まれた赤いジャージが立ち止まる。途端、周囲の視線がリシアに向かった。


「スフェーン家のリシアだ」


 誰かが囁く。かつて舞台や紅榴宮で見たことのある顔が、そこには何人もいた。彼等は互いに顔を見合わせ、訝しげに眉を潜める。


「確か、歌の……」


 足が竦んだ。その言葉が伝搬する前に、アキラが集団から離れる。


「友達」


 普通科の生徒達を振り返り、短くアキラは告げた。真っ直ぐに向かってくる少女の後から、もう一人女生徒がついて来る。


「ちょっと待ってアキラ」


 肩で息をつく体育着の令嬢を見て、副班長が目を見開いた。

「殿下、か」


 そう告げて、恭しく礼をする。その反応がまったく「貴族の子女」そのもので、普段のデーナとはどこか違って見えた。


「ご機嫌よう、デーナ先輩」


 人懐こく微笑むセレスに、デーナは面食らったように見えた。いつもの猛獣のような雰囲気も形を潜め、困り顔で令嬢に囁いた。


「後輩、ってのもなんだか落ち着きませんね」

「ふふ。私もアキラやリシアと同じように、扱ってください」

「ははあ」


 頬を掻くデーナを他所に、セレスの好奇心に輝く瞳がリシアを見つめた。


「アキラと待ち合わせ?」

「そ、そんな感じです」

「そうなんだ。もしかして、私の依頼のこと、とか?」


 手にした胴乱を隠してしまいそうになる。第六班との用件はまさにその通りだ。


 胴乱を抱え、リシアはデーナに視線を送る。


「その通り」


 にっかりとデーナは笑う。途端、令嬢は一層目を輝かせた。


「あら!楽しみ」


 そうして少し考え込むように視線を泳がせる。


 その口が開く前に、なんとなく言葉は想像出来た。


「ご一緒しても?」


 副班長が腕を組んで考え込むのが視界の端に見えた。うーん、と小さく唸った後、回答する。


「経過報告、ということで。あと、相談したいことも」

「ええ!是非とも聞かせて」


 令嬢は頬を紅く染める。


 その姿を見て、リシアは今更ながら湧き上がってきた不安を悟られまいと唇を噛んだ。


「それじゃあ、一緒に」


 そこまで告げて令嬢は自身の胸元に視線を落とす。


「ごめんなさい、着替えてからでもいいかしら。お話はどこで?」

「中庭です」

「わかったわ。すぐに向かうようにしますね」


 そうして踵を返し、普通科棟へと走り去った。風のような令嬢の後ろ姿を見送り、リシアは再びデーナを向く。


「なんだかんだ似たもの兄妹だな」


 苦笑いをしつつ副班長は渡り廊下を外れる。


「経過報告、ってのは間違っちゃいないな。うん」


 ひとりごちながら歩く副班長の後ろで、リシアは令嬢に告げる言葉を考える。ゆくゆくは伝えなければならないことだ。しかし、こんなに早くその日が来るとは。せめてシラーとの相談の後で、今リシアの頭の中にある案が固まってから伝えたかった。


 抱えた胴乱に目を落としつつ、中庭に足を踏み入れる。


「待ってたか?」


 デーナの声を聞いて、反射的に顔を上げる。


 中庭の長椅子に貴公子が腰掛けていた。使い込まれて皮が飴色に光っている手帳を閉じ、第六班班長はこちらを向く。


「一頁も読み返せていないよ」

「今来たってことだな」


 デーナの言葉を聞いてか、シラーは柔和に微笑んだ。


 その表情や佇まいには、昨日の騒動の影は一切伺えなかった。

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