奢り(2)
リシアの猫っ毛とは似ても似つかない、暗い色の直毛をセリアンスロープは繁々と眺める。楽しげでもなく、寧ろ無感情な目がどこか不気味だった。
「……同族かな」
不意に呟いた言葉が、迷宮内での出来事を思い起こさせる。一人、毛の主に心当たりがあった。
「あ」
小さく声を漏らすと、ケインの目が奇妙な光を帯びた。ドレイクのそれよりも幾分か細い瞳孔に気圧され、息を飲む。そんなリシアに、優しく代表は声をかけた。
「妙なのに絡まれたりしたのかい」
「絡まれてはいないし寧ろお世話になったけど、今日、迷宮でセリアンスロープにあった」
「どんな姿だったかは、覚えているかな。服装とか形質とか」
「えっと、尻尾がすごく……ふかふか」
それまで静かに隅の卓で食事を取っていたハロが、突如吹き出した。
リシアの「感想」に耳を傾けていたのだろうか。思わず頬が上気してしまう。
「そこぉ?ていうか、触らせてくれたんだ」
「顔に当たっただけ!こう、振り向いたらたまたま」
「デカい尻尾だったな。顔は覆面で見えなかったがガタイも良かったし、多分男か。ちょっとこの辺りでは見かけない服装だったんじゃないか」
けらけらと笑いながら、デーナはリシアに代わって更に詳しくセリアンスロープの風貌を告げる。異国の冒険者の特徴が挙げられるたび、ケインの眉尻が下がっていった。
「そうか」
ただ事ではない雰囲気を感じ取り、リシアは一旦口を閉ざす。暫し毛を見つめていたケインは、静かに溜息をついた。
「狸だ」
「タヌキ?」
「その、女学生達が出会ったセリアンスロープだよ。フェアリーと同じで、セリアンスロープにも何種族かいるんだ。大体、四種類ぐらいかな」
赤銅色の耳がせわしなく動く。
「各種各国各集団で色んな呼び方があるが、私のような形質はキツネと呼ばれる事が多い。で、件の尻尾がふかふかしているセリアンスロープはおそらくタヌキだ。多分、この二種がセリアンスロープ内でも大きな集団なんじゃないかな。冒険者界隈でも殆どこのどちらかだ」
ふらりと椅子の下で揺れた尻尾に思わず目を落とす。迷宮で出会ったセリアンスロープのものよりも細身だ。ただ、その視点はケインの話を聞いて生じたものだ。以前のリシアなら、尻尾の太さが個人差なのか種族差なのか判別がつかなかったはずだ。
「私は一目で見分けがつくが、他種族にとっては尻尾や耳の違いなんて些細なものなんだろうな」
ぽつりとケインが溢す。多分その言葉はセリアンスロープだけに当てはまったことではないのだろう。
「まあ、身体的な特徴も色々あるが、一番違うのはまやかしの系統かな」
「まやかしにも違いがあるの?」
「集団や種族の文化によって、どんなまやかしを重視しているか差異がある。それで不思議と、得意不得意が出てくるんだ。修行したら多少は他所のまやかしも使えるようになるけどね」
そうしておもむろに、指輪を何個も重ね付けした人差し指で杯の縁を小突いた。硬質な音が響き、リシアは杯に注目する。
別段、杯に変わったところは無い。再びリシアがケインの方を向くと、そこにはリシアの姿があった。
目を瞬かせる。
「あ、あれ?」
「私はこういうまやかしが得意だ。キツネはヒトに化けるのが上手い、と、言われてる」
そうして服の具合でも見るかのように、軽く膝を叩いた。隣に腰掛けるデーナも「リシア」の姿が見えているのか、「おお」と声を上げて身動ぎする。
「こんなのも、出来るのか」
「お、効いてるみたいだね」
悪戯っぽくリシアは笑った。普段のリシアなら、おそらく浮かべることはない笑みだ。自身の違う一面を目の当たりにして、リシアは妙な気まずさを覚える。
そんな心中を察したのか、再び「リシア」は杯の縁を爪弾く。一瞬逸れた気が向き直った時には、既に「リシア」はケインに戻っていた。
「対してタヌキは、物とか場に化けるのが上手い」
「場?」
「怖いぞー、ひたすら酒場の入り口で足踏みをさせられるんだ。本人は宿に帰ってるつもりなのに」
もしや、そんな目に遭ったのだろうか。
具体的な話に耳を傾けるリシアの前で、簾が巻き上がった。
「おまちどう」
現れた皿には、美味しそうな焦げ目のついた四角い点心が並んでいた。次いでタレの入った小皿が簾の隙間から出てくる。
「こっちも」
大小それぞれの日替わり定食も供される。アキラの前の皿を、副班長が二度見したのをリシアは見逃さなかった。
「イタダキマス」
早速食事を始めるアキラにつられて、リシアもダイコンモチを突き匙で切り取る。
「……」
カブカンランに似た風味が、一瞬口の中に広がった。続いて干し海老、焦げ目の香ばしい風味が渾然一体となる。少し弾力のある感触も面白い。
「で、なんで突然セリアンスロープの話なんてしだしたの?」
今度はタレをつけて頬張るリシアの背後で、ハロが胡乱げに呟いた。
苦笑いを浮かべながら、代表は答える。
「いや何、毛がついてたから何かちょっかいでもかけられたかと思ったんだ」
何やら心配をかけてしまったらしい。
水を煽り、ケインは一息付く。
「それにタヌキだったら……ちょっと」
「えー、差別ってやつ?」
「違うぞ。あまり顔を合わせたくないタヌキの同業が居るってだけだ」
飄々とした彼女にも苦手とする人間はいるらしい。冒険者同士、衝突も多少は起こり得るのだろう。
「まさか、エラキスに来ているとも思えないが」
そう溢して、ケインは更に残った最後のつまみを口に放り込んだ。




