鉢合わせ(2)
一連のやり取りを見届けて、セリアンスロープは容態を窺うハルピュイアに歩み寄る。
「どうだ、先生」
「綺麗に手当てされていましたよ。ただ、丸一日以上飲まず食わずだったのか、衰弱しているねえ。血もだいぶ無くなっているようだし」
抉れた足首に新しい茸綿を当てがい、包帯を巻きつける。淀みのない動作に、リシアは蓄積された経験の差を感じた。
「地上に帰ったら点滴だね」
「あの、命に別状は無いのでしょうか」
沈んだ声でシラーは問う。ハルピュイアは小さく首を振り、流暢だがどこか間延びした標準語で答えた。
「今すぐ安静にさせるべきだけど、此処じゃあ設備も整っていないからね。急いで運ぼうね」
そうしてシラーに抱え方の指示を出す。途中ハルピュイアはセリアンスロープの方を向き、何か判断を促した。
おそらくこのセリアンスロープが一行の代表なのだろう。セリアンスロープは頷き、すぐさまハルピュイアに指示を出す。
「助手殿と一緒に、彼らを地上まで連れて行ってくれ」
「うん、わかったよ」
革で作られた仮面に嵌め込まれた眼鏡が此方を向く。反射で中身の見えない硝子が一人一人の顔を確認をしたような気がして、リシアはたじろいだ。
「それじゃあ、急ぎましょうかね。助手殿もご同行お願いね」
手当て道具を片付け、ハルピュイアは歩き出す。その後に女学生を抱えたシラーが着いた。
同行を頼まれたアガタも、運んでいた資材を幾つかその場に残す。出来るだけ身軽に、またシノブが主体と思われる調査に支障を出さないためだろう。
「それじゃあ教授、私一走り行ってくるから」
「頼むぞ。この辺りの地質は私が調べておく。戻ってきたら、予定通り次の地上口まで踏査だ」
助手の背嚢を受け取り、シノブは呟く。静かな言葉と言動だったが、その根底には未だに激しい感情の揺らぎがあるようだった。
助手もそんな教授の心を察してか、余計な言葉はかけずに、淡々と準備をする。
「まっすぐ地上口に向かう。みんな離れるなよ」
副班長の言葉でアキラ以外の生徒も地上口へと向かう。ただ一人、アキラは伯母の傍で何か言いたげに佇んでいた。
しかし、伯母は姪には一瞥もくれない。
罪悪感が胸を締め付ける。リシアはアキラに声をかけようとして、戸惑い、言葉を飲んだ。
「アキラ、行きましょ」
代わりに赤いジャージの肩を叩いたのは、シノブの助手だった。小さく頷いて、アキラは地上口へと向かう。その隣をとぼとぼとリシアは随伴する。
「ねえ、怪我は無い?」
静かな通路に、アガタの特徴的な声が響く。前を行く第六班の面子が振り向き、形容し難い表情をした。
「私は、何も怪我は無い」
淡々と告げるアキラの腰で、帯びた剣が一際大きく音を立てた。アガタの目が腰を見下ろし、僅かに細まる。
「……それ、借り物かしら」
珍しく、アキラは返事をしなかった。アガタもそれ以上追求する気は無いのか、ため息をついて口を閉ざす。
先に歩いていた一行に追いつき、隊列も組まないまませかせかと進む。
ハルピュイアが振り向き、アガタに声をかけた。
「助手殿、追いつけてるかね」
「だ、大丈夫」
既に肩で息をしている助手は手を振り、何でも無いように答えた。
「あともう少しだよ……君も、そろそろ代わったほうがいいんじゃないかね」
革の嘴がシラーに向く。荒く息を吐きながら、シラーは返答がわりに微笑んだ。
「デーナ、頼めるかい」
副班長の名を呼ぶ。無言で頷き、副班長は女生徒を抱えた。
「あまり揺らさないようにね。足を上に、そうそう」
デーナが立ち上がり、再び一行は進む。道中女生徒が微かに呻き、リシアは安堵した。
瓦斯灯の光が落ちる階段を駆け上がり、澄んでいく空気を吸い込む。
明かり取りの窓からは夜空が見える。既に駅を往来する人々は学生から「本職」に移り変わっていた。慌ただしく地上に帰ってきた学生一行を見て、周囲の冒険者達は怪訝な顔をする。その視線は刺すように鋭い。
「怪我人だよ。学苑の生徒さんみたいだね」
独特の抑揚で、ハルピュイアは受付に腰掛ける事務員の青年に告げる。硝子窓の向こうで青年が立ち上がり、担架を持って裏口から出て来た。
「こちらに」
「医務室ってある?点滴だけ打とうね」
担架の上に女生徒が横たわる。灯に晒された姿を見て、リシアは思わず制服の裾を握り込んだ。
生きながら、喰われていたんだ。
「医務室はこちらです」
事務員が、受付裏の扉を開く。シラーとデーナが息の合った動きで担架を持ち上げた。
「何処だったっけなあ」
ハルピュイアは外套の懐や身頃をまさぐり、金属製の薄い缶を探し当てた。続いて薄革の手袋、瓶などを片手に持ち、担架の後に続いて医務室に入っていく。
「あ、助手殿。もう少し待っててね」
そう告げて、医務室の扉を閉めた。
「……学苑に連絡をお願いします」
それまで沈黙を保っていたゾーイが事務員に話しかける。まだ日が浅いのか、事務員は受付の中で、説明書を睨みながら慌ただしく電鍵を打つ。
微かな振動を感じて、リシアは足元を見下ろす。
膝が笑っていた。




