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巣(3)

 小さく鳴き声を上げて、小通路の奥からホラネズミが飛びかかって来た。


「うわっ」


 最後に出入り口を抜けたデーナが身を捩り、錘を叩きつける。二、三転したのちネズミは起き上がり、暗闇の中を弱々しく走り去っていった。


 出入り口の前にシラーが立ち塞がる。蠢く気配と爪音ばかりが、遠くから聞こえる。


 遠巻きにこちらを伺っている。


 気味の悪い妄想が脳裏を過り、リシアは俯くように振り払った。


「あいつら、結構速いぞ」

「今のが斥候だろう。もっと押し寄せてくるはずだ」


 いつもの飄々とした体は形を潜め、乱れた前髪が額に張り付いている。第六班班長のそんな姿を、リシアはただ見つめる。


「逃げ切れるか」


 自問自答するように、班長は呟いた。ホラネズミの追跡を断つには、どうすれば良いのか。リシアもまた必死に考える。今すぐ走り去るべきか、それとも。


「火」


 誰の囁きだったのか。


 リシアは辺りを見回す。蒼い双眸と目が合い、思わず体が竦む。触れたウィンドミルの柄が熱を帯びた。


「リシア」

「無茶言うな」


 シラーの言葉をデーナが遮る。何を告げようとしたのかは、リシアにも察しがついた。


「大丈夫か?ネズミに齧られて気が立ってんじゃないのか」

「いや、至って冷静だよ。あの数を駆除するには魔法でも使うしかない。今それが出来るのは、彼女だけだ」

「出来るって、見たことあるのかよ」

「出来るさ。ウィンドミルなら」


 当のリシアの側で、二人の上級生の言い争いは白熱する。リシアとしてはデーナに加勢したい。ウィンドミルとて一介の遺物だ。碩学シノブの言う通り、何かの手違いで誤作動を起こすことも有り得ない話ではない。


 それでも、肩にかかった「期待」に応えたいという願望を振り切ることが出来ない。


「リシア」


 再び班長が名を呼ぶ。小通路の暗闇を背に、貴公子は微笑んだ。


 その背後から、獣が飛びかかる。


「危ない!」


 リシアの叫び声と共に、シラーの口元が引き結ばれる。碧眼が肩越しを向くように動いた。その肩にネズミが喰いつく。小さく舌打ちをして、シラーは籠手に包まれた右手でネズミを振り払った。


 毛羽立った制服の肩口に、薄く血が滲む。


 考えるより先に、一歩足を踏み出す。シラーの足元で体勢を整えるネズミに向かって、リシアは剣を振り下ろした。


 力任せの一振りで、ネズミの胴が分断する。眩暈がするような鮮血が広がり、刀身を赤く染めた。


 慣れているはずの生々しい感触が、手にこびりつく。


 顔を上げると、小通路の暗闇に無数の瞬きが浮かんでいた。


 追いつかれた。


 そう気付いた瞬間、押し殺していた恐怖が暴発した。


 柄を両の手で握り、横に薙ぐ。付着した血液が頬に温かく飛び散った。


 白銀の軌跡を追うように、光が疾る。


 背後で誰かが小さく叫び声を上げた。


 顔に熱風が当たる。左腕で目を覆い、暫し暗闇の中に留まる。


 悶え苦しむようなネズミの声と、波のように退く物音。自身の荒い息遣いだけが、耳に響く。


 丸まった背中に、誰かが手を添えた。


「リシア」


 は、と息を吐いて顔を上げる。体が熱い。周囲の温度が上昇しているようだ。


 足元に視線を落とす。


 黒い消炭が転がっていた。


 ぼんやりと脳裏に浮かんだ言葉が口をつく。


「ネズミは」

「逃げた、みたい」


 差し出された手を取り、立ち上がる。赤いジャージの裾に、黒い汚れが付いていた。


 それが自身の掌に付いていた焦げ付きである事に気が付いて、リシアは謝る。


「ごめん、汚した」

「いいよ」


 ウィンドミルを収め、顔を上げる。


 厭な臭いがした。


 肉と毛皮の焦げた臭い。けして食欲をそそるわけではない、ただただ不快な臭い。


「あれが魔法ってやつか」


 副班長が呟く。


「やっぱり、火は覿面だな」


 努めて明るく振る舞おうとするかのような声音だった。


 肩に大きな手が触れる。振り向くと、シラーが真顔でこちらを見下ろしていた。その目に何か軽薄なものを感じて、リシアは竦む。


「リシア、よくやった」


 貴公子が労いの言葉をかける。そうしてようやく、いつもの笑みを浮かべた。


「予想以上だ」


 褒められた、とは思えなかった。


 リシアの横を通り過ぎ、シラーは通路に足を踏み入れる。


 ネズミだった塊が、革靴の下で脆く崩れた。


「燃え広がってはいないようだね。本当に局所的に、燃焼したんだ」


 くしゃり、と班長が歩む度に耳障りな音が響く。奥へ進むほど通路が暗く黒く沈んでいくのは、煤のせいなのだろうか。


「今ので、向こうも学習したんじゃないかな。こちらに襲いかかるのは、危険だと」


 進もう。


 シラーが囁く。


 その声にいち早く反応したのはゾーイだった。班内での役割を思い出したかのように、彼はシラーより一歩先へ進み出る。


 続いてデーナが、溜息とともにリシアの隣を通り過ぎる。


「まあ、ソレがあれば何が出てもどうにかなりそうだな」


 芯が冷えるような言葉だった。期待に応えたいと思っていたはずなのに、今は無責任なほどに不安が優っている。


「デーナ」


 嗜めるように、シラーは副班長の名を呼んだ。


 リシアに向き直り、目を細める。


「次は、君一人に任せたりはしない。約束だ」


 そんな言葉が、煤の中で反響した。

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