巣(1)
獣臭の漂う小通路を進む。
朽ちた灯具を踏み割り、デーナが呟いた。
「荒れてるな」
「随分入ってないみたいだね。本職にとっても、この辺りは実入りが少ないのかな」
受け答えの間も、シラーはくまなく周囲に神経を張り巡らせている。前回のクズリの爪痕は、体には残らずともアキラやリシア、第六班の面々の胸の内に影響を及ぼしているはずだ。
ウィンドミルの微かな灯りの下、リシアは通路の隅に目を凝らす。危険感知はゾーイやシラーに任せて、問題の花を見つける事に徹した方が得策のような気がしたからだ。
暗がりにツルギイの株を見つけ、慌てて声を上げる。
「す、すみません。少し調べたいものが」
シラーが号令をかけ、一同は立ち止まる。その間にリシアはしゃがみ込んで株元をかき分けた。
透き通るような淡い色合いの花弁が、細い葉の合間に隠れていた。推測が当たりリシアは安堵する。
「前見た花だ」
傍にしゃがんだアキラが呟く。一方のリシアも、ローム湖の小迷宮での出来事を思い返していた。
「へー、これそんな綺麗な花が咲くのか」
副班長が覗き込む。
「ツルギイ、だろ?」
「あ、この花はツルギイとは別の植物なんです」
イネ科に寄生するユウレイランだ。葉もなく花のみを咲かせる寄生植物の花軸を折り、胴乱に入れる。
同時に、葉や茎を不自然に切り取られているツルギイがある事に気付いた。ツルギイには特筆するような用途はない。首を傾げつつ立ち上がる。
「もしかして、通路で見かけた白い花ってこれですか?」
「うーん。僕が見たのはもっと、眼が覚めるような白色だったな」
どちらかというと紫がかった花を眺め、シラーは考え込む。
「この花も綺麗だ。でも、もっと種類が必要だね」
籠手の人差し指が奥を指し示す。
「進もう」
再び、一行は深部へと歩を進める。一歩進むたび湿度と獣臭がまとわりつくような気がして、リシアは気休めに水筒の水を呷った。
「淀んでる」
先頭から声が響いた。
「前回もそうだったけど、動物が活発な気がする。繁殖期かもしれない」
「なるほど」
ゾーイとシラーの会話を流しつつ、辺りを見渡す。再びツルギイの株を見つけ、注視した。
やはり一部が刈り取られている。
巣作りか。
そう思いついた途端、前方のマイカが歩みを止めた。
「なんでしょうか、あれ」
指差すや否や、ゾーイが何やら班長に目配せをした。シラーが頷くと同時に、マイカが指差した「何か」を調べに向かう。
遠目には、鳥の巣のように見えた。ツルギイや木本の枝、獣毛、羽毛を織り込んだ巣の側で、ゾーイは足元の小石を軽く蹴る。
反応は無い。巣の主は不在のようだ。
上級生が巣の中を覗き込む。その横顔が歪んだ。
「……凄い臭いだ」
「何かいるかい?」
「いえ、今は何も。ただ」
近付く班長の邪魔にならぬよう、ゾーイは身を引く。シラーもまた巣の中を覗き込み、顔をしかめた。
「クズリだ」
思わず周囲を見渡し、耳を澄ませる。獰猛な肉食獣の気配は、臭いと巣以外からは伺えない。
「死骸、だけど」
そう続けて、シラーは巣から離れる。
「どうしますか」
ゾーイが判断を仰ぐ。シラーは暫し沈黙し、灯具を掲げた。
「みんなも、こちらに」
集合の合図だ。小走りで巣に近寄るマイカの後を追い、リシアは臭気のこもった巣のそばに立つ。
好奇心に押され、鄙びた細工のような趣がある小動物の住まいを覗き込む。
噛み砕かれた骨片と、僅かに肉と毛のこびり付いた頭骨が転がっていた。
思わず身を引いたリシアの肩が隣のアキラに触れる。
「あ、ごめん」
「変なの、いた?」
謝るリシアの頭上から巣を覗いたアキラの目が、訝しげに細まる。
「くせぇな」
ぽつりと溢し、デーナが挙手する。
「で、何を決めたいんだ」
「迎え撃つか、別の通路に向かうか」
二つの選択肢を班長は挙げる。その選択肢を聞いて、やっとリシアは状況を理解した。
クズリを食い殺すことが出来る動物が、どこかにいる。
前回よりも殊更悪い状況ではないか。
「……クズリより大きな動物の報告は、蟲を除けば今のところ無いはずだ」
「なるほど、何かしら証拠が欲しいのか。でもよ。それなら巣の報告だけでもいいんじゃないか?」
「僕は、今の面子なら良い勝負が出来ると思う」
洞内が静まり返る。
提案の体をとった言葉に何か不穏なものを感じ、リシアは目をそらした。
「……僕は反対だ」
ゾーイが挙手する。
「いつもなら出来るかもしれない。でも今日は、下級生が三人もいる」
「どうかな。彼女は優秀だ」
柔和な笑みを浮かべて、シラーは同輩の言葉を一蹴した。
そうして下級生三名に向き直る。
「君達の意見も聞こうか」
背中を冷や汗が伝う。咄嗟にゾーイとデーナを見ると、成り行きを見守るように口を閉ざし、待機していた。
決定権はシラーにある。
その意味を考え、リシアは何と答えるべきか考えた。
無論、一つしかない。
挙手する。
「他の通路に行くべきだと思います」
そう告げたリシアの隣で、アキラも手を挙げる。
「私もそう思います」
「……前回の出来事を、まだ引きずっているのかな」
どこか憂いを帯びた表情でシラーは問う。
「得体の知れない動物を退治することが、依頼より重要だとは思いません」
アキラは即答する。虚を突かれたように、班長は目を丸くする。そうしてすぐに微笑みを浮かべて、もう一人の下級生の名を呼んだ。
「それじゃあ、マイカはどうかな」
鳴き声がした。
シラーが振り向きざまに剣を抜く。構えを取り、微動だにしない班長の背後でリシアも抜剣した。
「向こうから、出向いてくれたね」
感情の一切が消えた冷たい声が溢れる。
それに被さるように、再び聞き覚えのある鳴き声が響いた。




