屋号
書類を携え、受付嬢は事務所の奥へと立ち去った。
手続きには時間がかかるのだろう。一先ず教授と助手は、役所の隅で待つことにした。
「随分と様変わりしたな」
役所の高い天井を見上げ、教授はぼやく。
「何に金をかけてるんだか」
「迷宮で潤ってるのよ、きっと」
「役所を派手にする必要は無いだろう」
「窓口って、大事でしょう?」
近場の長椅子に腰かけた教授は懐を探る。その様子を見咎める。
「火気厳禁」
「そんなことどこにも書いてないぞ 」
「普通はそうでしょ。ましてや役所なんだから」
殊更不機嫌そうな表情でシノブは腕を組んだ。一画の壁に貼り付けられた依頼書に気付いたのか、単眼鏡の奥の瞳が細まる。
「学生の行方不明者もいるのか」
「そうみたいねえ」
教授は沈黙した。年端もいかない少年少女が暗い迷宮の中で命を落とす。同年代の姪を持つ伯母として、思うところがあるのだろう。それはアガタも同様だ。
だからこそ、少年少女を冒険者として迷宮に送り込む事業を国を挙げて行なっているエラキスには、不信感が拭えない。
しかし碩学院がその恩恵を少なからず受けているのも、無視出来ない事実だ。
「なあ」
壮麗な装飾が施された柱を見つめ、シノブは問う。
「アキラのこと、どう思う」
「どうって……教授に似ず素直で良い子よ」
「迷宮科の生徒や冒険者と連んでたことだ」
特にアガタの軽口に目くじらをたてることもなく、教授は溜息をついた。
「私がジオードにいる間に、知らないところで野垂れ死んだりしないだろうな」
「やだちょっと、そんなこと言うのやめてよ」
「そうでなくとも、あの目は不安だ」
張りのある背もたれに身を預け、教授の目が再び天井に向く。その顔はいつもの碩学の顔ではない、親族を案じる伯母の顔だった。
そうして唐突に、話し始めた。
「昔、調査で大陸の迷宮に潜ったことがある……『劇場』の外周付近だ」
「えっ、そんなところ行ったことあるの?」
「当時は多少緩かったんだ。とにかく事例が欲しくてな、冒険者を雇って調査に入った」
先達の話に好奇心が疼く。
一般的に、迷宮は大きく地下と地上に区分される。エラキスの迷宮は前者、シノブの話に出てきた「劇場」は後者だ。
地上迷宮は規模の割に踏破済みであることは少ない。「劇場」もまた、先史遺物の巣食う不落の迷宮だ。今現在は立ち入ることも難しい。
「三日間の調査で、寝泊まりは入り口近くの簡易休憩所だったんだが、その最終日で道案内の冒険者が遺物にやられて前後不覚に陥ってな。一同立ち往生してしまったんだ」
「やられてって……」
「まあ全員生きて戻れたよ。結論としては」
そうして、シノブは不意に声を潜めた。
「……迷宮の奥から、ドレイクが一人やって来たんだ。随分と軽装で、身綺麗にした女性だった。彼女は私達を休憩所まで送って、また深部へと戻っていった」
「運良く冒険者に会えたのね」
教授は首を横に降る。
「私達は三日間休憩所で寝泊りをして、一度も彼女を見たことが無かった。彼女は深部で三日間、下手するともっと長く、一人で過ごしていたんだ。普通の人間は、日の出入りもわからない、食事が手に入るかもわからない、身の安全が確保出来るかもわからない……背中を任せる相手もいない状態で野宿は出来ない。あれが、冒険者なものか」
強い言葉だった。
アガタは迷宮付近の街並みを思い出す。宿屋は中々繁盛しているようだった。
それは、迷宮に日をまたいで篭る冒険者が少ないことを表す。あくまで冒険者達が帰る場所、「本拠地」は迷宮の外なのだ。
「驚いたことに、他の迷宮でも時々そういう人間に会った。深部からやってきて、深部へ帰っていく人間。何なんだろう、彼等は」
シノブは目を閉ざす。そうして、話の趣旨を思い出したように付け加えた。
「気になるんだ。アキラの目が、彼等に似ている。色や形じゃない。どんな人種も同じ目をしているんだ。どこか遠いところを見ているような」
靴音が響いた。
「シノブ・カルセドニー様」
受付嬢が窓口に戻ってくる。名を呼ばれ、教授は席を立つ。続いて助手も、我にかえって立ち上がった。
窓口の銀盆に札が二枚並んでいる。
「入洞許可証です。迷宮中では肌身離さずお持ちください」
「ああ」
「それから、同行する組合はお決まりでしょうか?学苑の生徒なら、練度も人員も十分ですよ」
「……いいや、本職に頼もう。ここに登録している組合の一覧を見せて欲しい」
にべもない依頼者にも笑顔を崩さず、受付嬢は一覧表を差し出す。
「こちらになります」
「アガタ、なんて言ったか。あの組合は」
「あら、ヤカンシャさんのこと?」
「そうだそうだ」
暇か見てやる、とシノブは書面を眺める。何だかんだ頭の隅に留めてはいたらしい。
アガタも隣で表を覗き見る。
そこで、不思議な点に気がついた。
「あら?」
「気付いたか」
眉間にシワを寄せ、教授は助手を見上げた。
「どっちだと思う」
指差す表の一点には、「夜干舎」の名が二つ並んでいた。
「如何しましたか」
受付嬢が小首を傾げる。訝しげな表情のまま、シノブは質問した。
「名前被りがあるようだが」
「ええ。基本的に申請のあった屋号はそのまま登録しております」
「……セリアンスロープが代表で、ハルピュイアとフェアリーが在籍している夜干舎はどちらだ」
受付嬢は困り顔を隠すように愛想笑いを浮かべた。その目が何かを捉え、これ幸いとばかりに手を伸ばした。
「ああ。後ろにいらっしゃるのが、夜干舎の代表の方ですよ」
教授と助手は振り向く。
依頼を探しに来たのだろうか。異国の装束を身に纏ったセリアンスロープが、書類を片手に立っていた。その背後、先程まで二人が腰かけていた長椅子の側では、同じ組合らしい異種族が談笑している。時折見せる鋭い目つきが、それが談笑のフリでしかないことを示していた。
「碩学とお見受けしますが、何かご依頼でも」
セリアンスロープが尋ねる。見下ろすと、足元で太い尻尾が怪しげに動いていた。
「差し出がましいことを申し上げますが、組合をお探しでしたら是非とも我々にご相談を。護衛や調査手伝いなら、大陸にいた頃から経験があります」
慇懃無礼だが自信に満ちた言葉だった。それとなく、助手は教授に目配せをする。
「随分と顔触れが違うな」
一切表情を動かすことなく、教授は呟く。助手の目配せを知ってか知らずか、右手を差し出した。
「ここに登録されているということは、おかしな組合ではないのだろう。早速相談させてくれ」
師の言葉にアガタは狼狽える。
「教授、いいの」
「急を要しているからな。調査同行の経験もあると言っているし、構わんだろう」
嘯いた様子から一転、教授は低く言い放った。
「もう一つの夜干舎とはどう違うのかも、気になるところだ」
夜色の瞳が、目の前の異種族を見つめる。
面白がるような含み笑いが、どこからか聞こえた。
「ありがとうございます。『此方』をお選びになったことを、後悔はさせません」
そう告げて、セリアンスロープの「男」は覆面の縁を整えた。
劇場
大陸北部に位置する地上迷宮。エラキスの「世界の根」のような地下迷宮と比べると小規模だが、死傷者数ははるかに多い。
劇場の存在は古くから禁足地として周辺で知られていた。伝承によれば、立ち入ったものは劇場に棲まう踊り子と、擦り切れるまで踊り続ける羽目になるのだという。
その実態は、踊り子とは似ても似つかない自律型遺物が哨戒する難攻不落の迷宮。多くの死傷者を出してきたため、近年は入場に規制がかかっている。
かつて最深部「付近」まで迫った地図描き曰く、舞台のようなものがあるのは事実らしい。




