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装い(2)

憤りも冷めやらぬまま、制服通りを歩く。往来を一歩進むたび、講師とのやり取りが木霊した。


何故アキラの好意を知りたがったのか。知ってどうするつもりだったのか。比較でもするつもりだったのか。好意の程度を。


憤慨する一方で、怒りの正体を見つめる。大元はアキラ自身の自尊心によるもののように思えた。


否定されたと、取ったのだ。


ふと、視界の隅をよぎった人影が気になって足を止めた。集会所の硝子張りの窓に、他でもない自分自身の姿が映り込んでいる。


暗い頭髪に赤いジャージ。


周囲の反応が次々と思い出される。昨日の自分も確かに「アキラ」で、今目の前にいる自分も当然「アキラ」だ。


なのに、まるで現実感が無い。


どんな姿でも自分は自分のはずなのに。


硝子の中の女学生が見ていられなくて、目をそらす。


講師が好意を寄せていたのは、本当にアキラだったのだろうか。そんな疑問すら湧いてくる。


硝子だらけの道を歩く。今すぐにこの場から立ち去りたい。その一心で足を動かす。


やっとの事で水鳥通りに至る。水路を覗き込むと、動悸をおくびにも出さない少女の顔があった。浅く呼吸を整える。


途端、腹の虫が喚いた。


掻き回されていた思考が一瞬落ち着く。鞄を探り、手頃な貰い物を一つ取り出す。掌に収まった包装紙を解くと、「雪玉」が現れた。指でつまみ、一口。


菓子が崩れるように消え、微かに気が楽になる。口中の名残を確かめつつ、視線を水路に戻す。ゆらゆらと揺れる水面の縁が、一瞬蒼く煌めいた。


小迷宮の地底湖。


円橋の通路。


二つの迷宮の情景が水面と重なる。その様を眺めていると、菓子と同じように悩みが溶けて消えていく。


そうだ、明日は迷宮に行けるんだ。


高鳴りが大きく響き、他の思いを隅に追いやる。


「アキラさん」


声をかけられる。水面に映る人影に気づき、視線を上げた。


外套の異種族が佇んでいる。反射的に、アキラは頭を下げた。


「こんにちは」

「こんにちは。大丈夫ですか。水路に落し物でも」


返された言葉で自身の体勢に気づく。水路から二、三歩後ずさり、再び巨躯に向かい合った。


「いえ、何でもありません。水面を見ていただけです」

「そうですか」


先日と同様に紙袋を抱え、フェアリーは水面を見下ろす。折良く小魚の群れが漣を立てて泳ぎ去った。二人して、魚影を目で追う。


「今日も、パンを」


思い浮かんだ質問の中から、当たり障りのないものを一つ選んだ。水鳥の印が刷られた紙袋を見つめる。


「はい。昨日に引き続き、頼まれたのです」


そう告げて、抱えた紙袋に手を差し入れた。小さな紙袋がもう一つ出てくる。


「凝乳の菓子も美味しかったのですが、他のも魅力的で」


おそらく肉のパイや干果を練りこんだ焼き菓子が詰まっているのだろう。紙袋からは食欲をそそる香りが漂う。


不意に、紙袋の位置が低くなった。屈んだフェアリーが紙袋からパイを一つ取り、差し出す。


「ちょうどよかった。良ければ、こちらを。それと」


フェアリーは逡巡するように触角を下げた。


「……少し、お話ししたいことがあります。お時間はありますか」


綴じ目にひだをつけたパイを見つめる。


断る理由はない。


「はい」


パイを受け取り、頷く。心なしかフェアリーの外骨格から力が抜けたように気がした。


油紙に包まれたパイは、少し温かい。


「以前、迷宮で足に怪我を負いましたね」


ライサンダーの言葉に、一瞬身がすくむ。あの時かけられた言葉を思い出したからだ。


今なら、言わんとするところもわかる。


「大丈夫では、なかったでしょう」


続く言葉に頷く。リシアにもライサンダーにも、怪我は見透かされていたようだ。


「迷宮で無理をしてはいけません。怪我や不調はすぐに報告するべきです……ご友人には、特に」


胸が痛む。リシアの涙が脳裏を過ぎった。


「一番貴女のことを気にかけていたのは、彼女のはずです。リシアさんのためにも、貴女自身のためにも、もっと素直になってください」


僅かな間声が途切れ、フェアリーの甲殻が軋んだ。


「自分の身を顧みない無謀さは、皆を危険に晒します」


水が流れる音すら微かだ。


静かな水鳥通りで、二人は沈黙する。


「リシアが、同じ事を言ってくれました」


先に口を開いたのはアキラだった。ライサンダーの複眼を見据える。


「……ありがとうございます。私のこともリシアのことも、心配してくださって」

「こちらこそ、差し出がましいことを」


狼狽えるような口ぶりで、ライサンダーは告げる。


「リシアさんとお話が出来たのなら、良かった。いいご友人ですね」


その言葉に、何故だかアキラが嬉しくなる。


一方のライサンダーは触角を下げ、どこか気落ちしたように言葉を続けた。


「偉そうな事を言いましたが、私も若輩者です。よく失敗をします。矢を切らしたり……覚えていますか。それでケラと短刀で戦う羽目になりました」


アキラの心中で、何かが噛み合った。あの短刀は補助の武器だったのか。


「しかし次がある。幸いなことです」


貴女も、気を落とさないでください。


励ましの言葉が響く。


次。


次はもっと、素直になれるだろう。


小さく頷く。


「すみません、引き止めてしまって。それでは」


頃合いだと思ったのか。ライサンダーは礼をする。


数歩進んで、何かを思い出したように振り向いた。


「そういえば、今日はいつもの装いですね」


思わず背筋を伸ばす。まさか、ライサンダーから服装の話題が出るとは思わなかったからだ。


「カミガタ、でしたか。それは違うように見えますが」


フェアリーの指摘にただ頷く。服装はともかく、髪型にまで言及してきた者は他にいただろうか。


無表情のまま日中の出来事を思い返すアキラを見て、ライサンダーは慌てたように頭を下げる。


「申し訳ありません。無神経でした」


そうして、弁明する。


「二度目は、流石に失礼にあたると思ったのです」


その言葉の意味を理解して、アキラは密かに安堵した。


おそらく、間違えられることはもう無いだろう。

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