鵲のぼやき(1)
赤子が一人は入りそうな籠を抱えて、二人の少女は去っていった。店内には食器を洗う音だけが響いている。
あれが学苑の二人組か。
ハロは小さく鼻を鳴らす。学苑迷宮科の生徒は嫌いだ。傲慢で、依頼に対して誠意もなく、迷宮を舐めてかかっている奴らだ。
エラキスのお偉い方が発見された迷宮とそれがもたらす恩恵に目を付けていち早く設立した学科らしいが、あんな奴らを無駄に輩出して利益は出せているのだろうか。
先程の少女、特に猫っ毛で丈が短いスカートの方……彼奴もそうだ。採集依頼なんてわかりきった落とし穴なのに。迷宮の気分に振り回されるだけだ。
苛々すると怪我を負った腕が疼く。杯の水を飲み干し、ちらちらと振る。
「水」
「入れてやるから此処に置け」
「はあ?」
生徒共も気に食わないが、今はそれ以上に此奴が気に食わない。客商売の癖に偉そうな態度の店主。聞き苦しいしゃがれ声も、無駄に美味い料理もハロの神経を逆撫でする。
「こんな舐めたアガリ症がいる?」
「ここにいるじゃないか」
一事が万事この調子だ。
観念して、ハロは席を立ちカウンターに杯を荒々しく置く。
「ついでにメシもちょーだい」
「魚介か?」
「うん」
実に腹立たしい事だが、この店主は美味い料理を出す。朝は解した塩漬けの魚と干し貝柱の粥を、昼はからりと揚げた川魚に香味の強いタレをかけた料理を出してきた。
「味付けとか種類は任せるよ」
「そうか」
取り敢えず変なものを出してきたりはしないので、店主に委ねる。
「じゃあちょっと時間がかかるかもしれないが、待っといてくれ。ほら水だ」
簾が巻き上がり、ヌッと素焼きの水差しが現れる。杯に水を注ぐと水差しは引っこまずにカウンターに置かれた。
「水置いとくから此処で待っとけ。一々動くの面倒じゃないか」
「……」
足でカウンターの下に収まっていた椅子を引き出し、どかりと座る。
同時に、扉鈴が涼やかな音を立てた。
「邪魔するぞ。おとなしくしてたか、ハロ」
組合の二人が戻ってきた。にこやかな笑みを浮かべた組合代表は、まるで留守番をしていた幼児を労わるような言葉をかけた。ハロは明らさまに不機嫌な表情になる。
続いて入って来た「妖精さん」は、血の匂いのする包みを抱えていた。
「おかえり。依頼はどうだったの?」
「碩学院の学者先生は羽振りが良くて有り難いよ。ちょっとそこまでの護衛だったが緑紙幣が五枚だ」
「途中で襲ってきたガマも丸々くれました」
ライサンダーは包みを降ろし、なんとも嬉しそうな声で呟いた。
「ガマは煮ても焼いても美味しいです」
「そうだな。こいつは換金せずに今食べちゃおうか…店主!」
包みを解き、ケインは簾の向こうの店主に聞く。
「持ち込んだ食材を調理してもらう事は出来るかい?」
「持ち込み? ……まあ構わないが」
「おお、有り難い。ガマは扱った事があるかな?三人分頼む」
「僕はいい。別の料理頼んだから」
ひらりとハロは左手を振る。ガマも悪くはないが、魚介類の方が好みだ。
「じゃあ二人分だな」
簾が巻き上がりガマが引き込まれていく。代わりに空の杯が二つ出てきた。ケインはそれに水を注ぎ、ライサンダーに手渡す。
「はいライサンダー」
「ありがとうございます」
「ところで他に客は来たのかい?」
「ああ、二人来てたよ。学苑のお嬢様方が」
棘のある口調でハロはつぶやく。ケインは肩を竦め、「なんでこいつはこんな不機嫌なんだ」とぼやいた。
「そんなに安静にしてるのが苦痛なのか?」
「違うよ。前も言ったでしょ?僕あいつら嫌いなの」
「何故だ。あんなに健気でいじましくて可愛らしいのに」
「それって結構馬鹿にした言い方だよね」
嫌味を言いながらぽりぽりと包帯の上から腕を掻き毟る。傷がむず痒い。それを見て、ケインはぴしゃりとハロの左手を叩いた。
「こら!余計治りが遅くなる」
「何すんのさ。痒いんだから仕方ないじゃん」
「腕の感覚を無くそうか?きっと楽だぞ」
「いいよ」
冗談ぽくケインは言うが、ハロはその申し出を辞退する。ケインの使う「まやかし」は効果覿面過ぎて、二度と痛みや痒みを感じられなくなってしまうような気になるのだ。
セリアンスロープが使う「まやかし」は先史遺物を用いた「魔術」とは異なる。魔術が物理的な作用をもたらすのに対して、「まやかし」は人の精神に作用する。直接人身を傷つける事はないが、「まやかし」を使う呪術師と相対した時点で、相手は呪術師の支配下に置かれるのだ。
初歩的な「まやかし」で感覚を消すのは容易いことだし、高位の呪術師は周囲に「まやかし」を掛けて自身の姿を実際とは異なるように見せたり、あるいは其処に存在しないように見せかけることも出来るという。
……そんな話を出会ったばかりのケインに聞いた時は、「流石に盛ってる」などと思ったものだ。しかし、
「ところでケイン、頭どうしたの」
「ん!やっと気づいてくれたか。まったくライサンダーもハロも朴念仁で困る」
ケバケバしい臙脂色に染まった耳をピンと立たせて、ケインは不満気にそう言った。
「一昨日か、その一日前だったかな。ハロが怪我をした日、こんな色の服を着た子にあったんだ」
「へー」
「その色がなんだか頭から離れなくてな、昨日からこの髪色だ」
似合うだろう、と得意気に呪術師は笑う。
ケインはころころと姿を変える。服装や髪型といった些細なものではない。髪色や体格といった一朝一夕では変えられようがないものを変えてくるのだ。
一度、耳と尻尾を無くして来た時はハロもライサンダーも度肝を抜かれた。
「ふうん。さっき来た学苑生徒もそんな色の服着てたよ」
「ほお。流行ってるのか?」
「流行らないでしょあんなダッサい服」
途端に不機嫌そうに眉間にしわを寄せた組合代表を見て、ハロは即座に訂正する。
「色じゃなくて形ね」
「あーうん」
「動きやすそうで良い服だと思ったんだが」
静かに簾が巻き上がり、椀が三つカウンターに並ぶ。
「少し時間がかかる。先に汁でも啜っといてくれ」
「はい」




