預けるもの
手書きの申請書を受け取り、リシアは何度目かの礼を告げた。
「ありがとうございます」
「私はあと三日でここを発つ。それまでに渡してくれれば、速達で返事をする」
「は、はい」
「炉は、預かる」
シノブはぶっきら棒な言葉とは裏腹に、慎重な手つきで炉を布に包んだ。折り目や合わせ目を確認しながら傍の助手に声をかける。
「樹脂箱はあったか」
「えーっと、私の鞄の中」
「それに入れておこう。悪さはしないと思うが」
そう告げて、はたと気がついたように布を解いた。
「これは返そう」
「いえ、そのままで」
リシアが止める間もなく、シノブは布を折り畳んで卓の真ん中に置いた。
「不織布、鉛、綿……」
「綿ならあるわ」
アガタが渡した刺繍入りの手巾で炉は再び包まれる。不可思議な明滅が布を通して卓に影を落とす。
「まだ反応が出てるな」
卓の炉ではなく傍らの剣を見つめながら、シノブは呟いた。思わずリシアはウィンドミルの深紅の炉を隠すように手を添える。
反応はウィンドミルにも出ている。蒼が散るような炉の明滅に、不自然な放熱。内心リシアは焦り始めた。
「ちょっと教授、怖がらせちゃうわ」
「そんなつもりはない」
助手の忠告に、ばつが悪そうに教授は目を反らす。
「……正直なところ、この炉よりそちらの炉の方が、気になる」
反らした目に、姪とよく似た好奇の光が宿っている事にリシアは気がついた。
その後すぐに、その目がスフェーン卿と重なる。
同類、なのかもしれない。
「ウィンドミルと言ったか」
囁く声は研究者のそれだ。
碩学院で調べたい、と言われたらどうしようか。
慌ててリシアは声を出す。
「その、これは、仕事道具のようなもので」
「元は迷宮で発掘されたものか」
リシアの発言を遮るように問われる。渋々リシアは答えた。
「……いえ。何代も前に王から下賜されたとは聞いていますが、迷宮に関する由来は何も」
殊更興味を抱いたのか、シノブは卓に肘を突き、身を乗り出した。
スフェーン家は、エラキスではそれなりに旧い家だ。興りはジオード統治前にも遡り、時代の荒波に揉まれながらも今日まで細々と生き残ってきた。そのスフェーン家のかつての栄光を物語るのが、家宝のウィンドミルだ。
深紅は王を輩出する「貴石」の色。王の側近を務めたという先祖が賜った一振りは、スフェーン家の拠り所とも言える。
しかし旧家と言えど、側近止まりのスフェーン家に何故この剣が渡されたのか。
そこには、あまり嬉しくない理由がある。
「ウィンドミル」
魘されるようにシノブは復唱する。不穏げな教授の杯に、助手は特に反応する事もなく茶を注いだ。いつものことなのかもしれない。
「何が出来るんだ」
注がれた茶をすすり、口を湿らせた教授は次の質問をする。
これまでの冒険で目にした「魔法」を一つずつ思い返して述べていく。
「火を灯したり、熱を放ったり」
湖の小迷宮での冒険が脳裏をよぎる。ヒドラを燃やし、遺物を倒した魔法は燃焼と言うよりも。
「爆発……?」
よく通る声は、アキラのものだった。一瞬シノブは怪訝な顔をして、姪を鋭く見つめた。
「見たのか」
同行者の指先が、動揺を示すように微かに跳ねた。
追及される。
そう直感して、リシアは身構えた。シノブの瞳に猫っ毛の頭が映り込む。
「……その剣に命を預けているのなら、不愉快に思うだろうが」
くしゃくしゃとシノブは夜色の頭髪を掻き乱した。仕草も声音も、どこか憤りを押し殺しているように思える。
「炉を信用しないほうがいい。それが本当に、かのウィンドミルなら、尚更だ」
重々しく、教授は告げた。その発言にリシアは思わず声を漏らす。
「知っていたんですか」
「剣に接続された炉で、燃焼を起こすというとそれぐらいしか思い浮かばない」
シノブは剣を一瞥する。
「随分と面倒な遺物だと聞いている」
リシアは思わず視線を落とす。シノブの率直な言葉に、気まずさを感じたからだ。
スフェーン家にウィンドミルがやって来た理由は、時の王が持て余したからだ。武芸とは縁遠い文官に下賜された曰く付きの剣は、伝承で語られるよりはずっとおとなしく、子孫の小娘の手に渡った。
それも、ウィンドミルの気まぐれでしかないのだろう。
「つまらん忠告だったな」
シノブが溜息をついた。しばし、瞳を閉じる。
「……遅くなってしまったか」
シノブの言葉を聞いて、リシアは窓の外に目を向ける。既に斜陽もなく、暗闇が広がっていた。
「あの、今日はありがとうございました。手続きはすぐに済ませます」
席を立ち、頭を下げる。視界の隅でシノブが菓子に手を伸ばしたのが見えた。
「こちらこそ菓子まで」
無感情な声音に、リシアは安堵する。こちらの方がアキラとの付き合いで慣れているからだ。
「送ろうか」
隣のアキラが囁く。リシアは首を横に振った。
「大丈夫。まだ人通りも多いし」
そうして再び、シノブと向き直った。
「ウィンドミルのこと……肝に、命じます。頼るしかないからこそ、危険性を理解しなければならないと、思うから」
何度目かの礼をする。
上げた視界に入った教授は、どこか哀しげな目をしていた。




