交渉(2)
シノブが戸を開けると、化粧の香りを漂わせたドレイクが立っていた。家主の帰宅を出迎えに来たのか、あるいは待ち伏せていたのか。眉をひそめて何事か言おうとし、アキラとリシアに気付く。
「あ、あら……お帰りなさい!もしかしてお友達を招待してたの?やだあ、朝のうちに言ってくれたら軽食とか用意したのに」
「急にすみません……」
リシアが頭を下げると、慌ててアガタは玄関の脇に身を寄せる。骨ばった手が居間を指し示した。家主の後に続き集合住宅の一室に上がる。
二度目のアキラの家は、前回と変わりないように思えた。住人が二人増えたとは思えないほど整頓された居間を、ついじっくりと眺めてしまう。
その不躾な観察も、椅子を引く音で中断された。
「かけてくれ」
手前の席を示し、シノブ本人は奥の席に座った。向かい合う配置にリシアは恐れをなす。しかし、立ちすくんでいるわけにもいかない。大人しく礼を告げて腰掛けた。
アキラも椅子を引き、二人の仲立ちをする様に卓の一辺に腰掛けた。
「失礼します」
卓に手土産を置く。シノブは化粧箱を一瞥して、静かに席を立った。
「茶でも淹れよう」
「あ、ありがとうございます」
「私がやるわ」
「……頼む」
助手に制され、再びシノブは席に着いた。アガタの意図を汲み、早速本題に入る。
鞄の中から炉を包んだ布を取り出し、シノブの前に置いた。途端、シノブの目が細まる。
注意深く観察する、碩学の目だ。
「この炉をどう処理するべきか、悩んでいます」
「……」
リシアの問いには答えず、無言のままシノブは懐を探り、単眼鏡と薄手の手袋を取り出した。
装いを改め布を解く。翠色の炉が現れた瞬間、僅か指先が震えた。
「……どこで、どうやって手に入れたんだ」
「最近発見された小迷宮で、先史遺物から得ました」
「遺物はどんな形態だった。自律か、据え置きか」
「自律型……と他の冒険者は言っていました。脚は四本です」
「なるほど」
なるほど、とシノブは繰り返す。
炉をつぶさに観察する。真剣なその様子を、リシアも見守る。
途中、アガタが香ばしい香りのする茶の入った杯を三つ、卓に置いた。菓子の存在を思い出し、アガタに手渡す。
「召し上がってください」
「ありがとう。そうねえ、お茶も淹れたし今出しちゃおうかしら」
そうして、助手は小声で囁いた。
「ああなったらしばらくは考え込んだままだから、ゆっくりお茶にしましょ」
向かいの教授を見ると、頬杖をついてふてくされた様に炉を見つめていた。
何か、気に触る点でもあったのだろうか。気になるが、シノブの言葉を待つしかあるまい。
アガタが皿に盛り付けてくれた菓子を齧り、茶を飲む。以前アキラが淹れてくれた緑茶とはまた違う、よく焙煎して風味を加えた茶だった。
どこのお茶だろう。
深い飴色の水色を眺める。
「反応が見たい」
不意にシノブが声を発した。
炉に注がれていた視線がリシアの目を捉える。
「確か、遺物を持っていたはずだ」
一瞬、何を指しているのか考えてしまう。目線を落とした先に、紅い輝きがあった。
「え、えっと……ウィンドミルのことですか」
常に携えている家宝の名を出す。シノブは頷き、両手を差し出した。
「それを、少し貸してくれないか」
口から出そうになった返事を押し込めて、リシアは悩む。以前シラーにウィンドミルを手渡した時のことを思い出したからだ。
「ちょっと待ってください」
鞄を探り、籠手を取り出す。リシアが剣を振るう時に着用しているものだ。厚い布地はある程度までの熱を防ぐことが出来る。
「これを付けてください。その、時々熱くなるので」
「熱くなる?暴走か?」
言葉に詰まるリシアから籠手を受け取り、着ける。少し指先の余ったような拙い動きで、シノブは差し出されたウィンドミルの柄を取った。
「炉同士を近付けると、反応を見せることがある」
そう呟くシノブの手元で、ウィンドミルの炉が明滅した。
その輝きに応えるように、翠色の炉も輝きを放つ。
歌のようだ。
光の応酬を見つめながら、リシアはふと思う。輝きの抑揚がどこか懐かしい。
「いきている」
ぽつりと教授がこぼした。僅かな驚きが滲んだ声音にリシアは反応する。
「えっ」
「活きている、と言ったんだ。うんともすんとも言わない炉の方が多いからな」
ウィンドミルが差し出された。柄と鞘を握り受け取る。熱は持っていなかった。
「売ると言うのなら、碩学院は喜んで買い取るだろうさ。博物辺りが煽りを食うだろうが」
籠手を外しながらシノブは椅子に深く持たれる。
「学生の手元に置くよりはいいだろう」
「えっと、それは……預かってくれる、ということでしょうか」
「ああ。だが、直接君に書類や金のやり取りをさせるわけにはいかない。保護者か、それに相当する人物の許可が必要だ」
身がすくむ。碩学院のような大きな組織が相手なのだから、当然のことなのだろう。リシアはただの学生でしかない。
この場合、「責任」を負うのは……家族か学苑なのだろう。
「言えないようなこと、では無いだろう?」
釘を刺すように、シノブは囁いた。その姿が迷宮科の講師と重なって見えて、リシアはしばらく言葉を失う。
ひと時の沈黙の後に、リシアは真っ直ぐに単眼鏡越しの夜色の瞳を見つめた。
「はい」
しばらく二人は見つめ合う。目も離せず、身動きもできないままリシアが立ち竦んでいると、不意にシノブが目を伏せた。
教授は小さく溜息をつく。
「申請書代わりに、私が一筆書く。それに君と、保護者の記名をしてくれ」
安堵からだろうか。全身から力が抜けるような気がして、リシアは卓に両手をつく。
隣のアキラに目を向ける。菓子を片手に、向こうもリシアを見つめていた。
その口元がほんの少し、笑みを浮かべた。




