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後押し

こちらが問い詰められてしまった。


迷宮科の講師室へと続く廊下を、数学講師は苛立ちを抑えながら歩く。女生徒の冷たい眼差しを思い出すと、頭を掻き毟りたくなった。


先日、机に入れた手紙。その事だけを聞きたかったわけではない。校舎裏での質問の答えだって知りたかった。


あの迷宮科の少女が邪魔で、問い詰めることができなかったのだ。いつもそうだ。前回は用務員。今回は彼女の友人。常に誰かが邪魔をする。


もし彼女への好意が知れ渡ったら、もう此処にはいられなくなる。その恐怖が先行して、肝心なことを聞けなくなってしまった。


でも彼女だって、講師を意識はしているのだろう。急に身なりに気を使うようになったのだから。綺麗に結い上げた髪を思い出し、悦に入る。その分注目も増えてしまったのが悩みの種でもあるが。


先程彼女と話していた、伯爵家の男子生徒の姿を思い出す。彼女に目を付けたのだろうか。あまり仲が良いようには見えなかったが、少し動向が気になる。元々浮いた噂の多い生徒だ。何をしでかすかわからない。


今更彼女の魅力に気付いたような奴に講師が遅れを取るはずはない。そう思い込もうにも、相手が悪すぎるような気がした。


視線が下に落ちていく。狭まった視界の隅に誰かの革靴が入り、立ち止まった。


「御機嫌よう」


涼やかな声の気取った挨拶だった。視線を上げると、蜂蜜色の髪の令嬢が窓際に立っていた。


柔らかな光が頬を照らしている。その情景があまりにも蠱惑的で、講師は目をそらした。


「あ、ああ」


挨拶にまともに応えることもなく、講師は令嬢の側を過ぎようとする。


「リシア達と、どんなお話をなさっていたのですか」


ぎくりとして、令嬢……マイカ・グロッシュラーの方を向く。儚げな笑みを浮かべ、マイカはわずかに首を傾げた。


正直なところ、講師はこの女生徒が苦手だ。あからさまな高嶺の花の前では萎縮してしまう。


それでも問いかけられたからには、講師として応えるべきだろう。


「大したことではない。その……」


本来の話題は言えるはずもない。思いつきで言い並べる。


「普通科の生徒に迷惑をかけているようだったから。君達はあくまで迷宮科なのだから、弁えないと。たとえ友人同士でもね」

「そうですか」


しおらしくマイカは目を伏せた。その様が僅かに講師の庇護欲を煽り立てた。


「私も、気をつけます」

「いや、その、何事も節度があれば良いんだ。向こうの勉学の邪魔にならないように心がけるなら僕も他の講師も文句は言わないよ」

「……でも、わかる気がします」


マイカは窓枠に手をかけた。


先程まで講師と女学生二人がいた渡り廊下を見つめる。


講師もまた振り向いた。先程の場所には、もう誰もいない。


「とても素敵な子だから、お友達になりたいって思うの」


知らず知らず相槌を打ってしまう。


「確かに彼女は素敵だ。普段は地味で誰も気づかないだろうけど、ふとした時にすごく、綺麗で」

「地味」


再びマイカは小首を傾げる。


「そうでしょうか」

「いつもジャージ姿なんだ。今日は制服だったけど。だからかな、どうも色めきだった生徒が集まっているみたいだ」

「ああ」


聖女、などと言われる少女は、その言葉に恥じない楚々とした笑みを浮かべる。


「先生、そちらを魅力的だと思っているんですね」


念を押すような言葉だった。その意味に気付いて、肝を冷やす。


「……いや、魅力的というのはその」

「ジャージとか、色めきだった生徒とか、よく見ているんですね。普通科の彼女のこと」


想いを寄せているのですか。


聖女は囁く。


「ち、違う!講師をからかうのか」


「なら何故、そんなに狼狽えるのですか」


哀しげに眉をひそめる。


「生徒をそんな目で見ているなんて、と思われてもおかしくありませんよ」


冷たいものが背を伝う。頭が混乱して、どう言い訳をすれば良いのかも思いつかない。


言葉を詰まらせる数学講師に、聖女は一歩歩み寄った。


愛くるしい顔が講師を覗き込む。


「お似合いだと思います」


発された言葉に、思わず呆けてしまう。


「へ」

「普通科の彼女、とても大人びた方でしたね」


再び聖女は身を引く。遠目から講師の姿を眺め、頷いた。


「ですから、先生のような『おとな』がお相手には相応しいと思いますよ」


心地よい響きを持った言葉だった。


そうだ。講師はシラーには、生徒には無いものがある。


どんな反応をしたら良いかわからず袖の釦を開け閉めする講師に、聖女は優しく囁く。


「先生も、恋をするんですね」


激しく打つ鼓動はそのままなのに、何故だか酷く安心する。


この聖女は自分の味方だと、講師は直感した。


「……秘密にしてくれますか」


普段は普通科向けの敬語がつい出てしまう。講師の言葉に聖女は嬉しそうに目を細め、返事をした。


「はい。この事は、私と先生の秘密にしましょう」


そう告げて、唇に人差し指を当てた。わざとらしくさえ見える動きも、今はただただ愛らしい。


「陰ながら、応援しています」


そう告げて、聖女は制服の裾を翻した。


肯定された。


その「事実」が嬉しくて、講師はしばらく余韻を噛み締めた。

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