問答(2)
一点を見つめるシラーの異変に気付き、リシアは振り向く。
普通科の制服を手本のように着こなした少女が、こちらに向かってくる。迷いのない足取りも強い輝きを秘めた瞳も、確かに見知った少女のものだ。
だというのに、記憶の中の少女の姿と目の前の女生徒はなかなか結びつかなかった。
女生徒の頭のてっぺんからつま先まで眺めてやっと、リシアは声を出す。
「アキラ?」
「何か、話してたの」
眼光鋭く女生徒は同級生と上級生を交互に見つめる。両手に大量の食料品を抱えてさえいなければ、セレスタイン嬢もかくやという威圧感だった。
いつもは無造作に結われている夜色の長髪は、華麗に編まれ肩口から流れ落ちている。学苑指定の制服も品良く、「令嬢」といっても過言ではない装いだ。
ただその口元に、菓子くずのようなものが付いていることだけが、欠点だった。
いつもの赤ジャージからは想像もできない友人の姿に、リシアは目を見張る。
女生徒の問いに最初に答えたのはシラーだった。
「待ち合わせの邪魔をして、申し訳ない。何、大したことは話していないよ。班長同士の話というやつだ」
シラーらしからぬ、動揺したような声音だった。しかしそれもすぐに落ち着き、いつもの穏やかな声でアキラに問う。
「今日はまた一段と、綺麗だ」
リシアは驚く。シラーの口から出てくる褒め言葉としては、最上級のもののように思えたからだ。当のアキラは表情をぴくりとも動かさずに、「どうも」と答える。
「ご、ごめんね。中庭行くの遅れちゃって」
「構わないよ」
リシアの謝罪を聞きながら、三歩ほど距離を置いた場所で立ち止まる。二人の様子を伺うような、野生動物じみた行動だった。
「……まだ話は終わってない?」
「あ、うん」
アキラの登場で吹っ飛びかけていたシラーの提案を思い出す。傍らの上級生に目配せをすると、既に口を開きかけていた。
「薬は効いたかな」
「はい。その節はありがとうございます」
言葉とは裏腹に、アキラは憮然としているとも取れるほどの無表情で頭を下げた。薬とは、と聞くのは野暮なことのような気がして、リシアは沈黙する。
「その様子なら、課題に取りかかれそうだね。近日中に……」
シラーの右手が、言葉を紡ぐ自身の口元を覆う。どこか不自然な振る舞いをリシアは目で追う。
「その前に、君達二人の『課題』を優先した方がいいか」
一歩引く。促されたのだと気付き、リシアは友人に向き直る。
改めて相対すると、気圧されるような美女がそこにいた。アキラの口元を見るように努めて、リシアは話を切り出す。
「アキラ、早速だけど」
懐を探り、絹で包んだ炉を取り出す。陽光の下に翠色の玉を晒すと、シラーが興味深そうに覗き込んだ。
しかしそれ以上のことはせず、黙したまま身を引く。「邪魔しない」という言葉は守るようだ。
「これを、貴女の伯母様に」
「今日渡す?夕方には家にいると思う。たぶん」
カルセドニー宅で直接受け渡す、ということか。緊張しつつ、リシアは頷いた。
「お邪魔してもいい?」
「うん」
そうしてアキラは少し目をそらして、
「伯母は少し口が悪いけど、こういう取引とかはちゃんとしてくれる人だから、大丈夫。安心して」
口が悪い、というのは少し気になったが、信用に足る人物という身内の評を聞いて安堵する。
「わかった。その……ありがとう」
「まだ、伯母がなんて言うかはわからないけど」
アキラははにかむ。
口元に菓子くずが付いていても、美人は美人だ。
新たな知見を得て、リシアは女生徒の顔を見つめる。夜色の瞳が次の言葉を待つように、リシアの顔を映している。
「話は終わりかな」
確認するように、シラーが声をかけた。上級生の目的はまだ果たされていない。暗に急かされているようで、リシアは身を引きそうになる。
だが三日も、平行線のままでいるわけにはいかない。
リシアは次の用件を切り出す。
「もう一つ、アキラと話したいことが」
気持ち、背筋を伸ばす。
迷宮科の友人の話を聞くべく、アキラも居住まいを正したような気がした。
「一昨日のこと。言葉が足りなかったと思って」
女生徒がわずかに目を見開いた。それも一瞬で、平生の表情に戻る。彼女なりの傾聴の姿勢だということは、わかっている。だから、リシアは告げた。
「足手まといなんて思っていない。でも、もっと……アキラにも素直になってほしい」
リシアと同じだ。
「大丈夫」で覆い隠さないでほしい。
「怪我をしたなら、痛いって言って。私が間違っていると思ったら、間違っていると言って。不安なことがあったら……大丈夫じゃないことがあったら、なんでも言って。それに私も同意したり反論したりする」
リシアはシラーのような「完璧な班長」ではない。だからこそ、アキラの本心からの言葉が必要なのだ。
「迷宮科の生徒として、友人として、アキラを守る責任があるの。でも私は未熟だし気が利かないところもあるから……貴女の危機を見逃してしまうこともある。だから素直な言葉を伝えてほしい。『大丈夫』はそれから二人で決めることだと思う」
アキラを守りたいから。
アキラと共に、迷宮に行きたいから。
相反するような気持ちが口をついて出る。
一方のアキラは、一連の言葉を聞いて、再び目を丸くする。
「それが、リシアが言いたかったこと?」
動悸を鎮めるように黙する同級生に、アキラは尋ねる。いつもと同じ穏やかな声音に答えようにも上手く声が出ず、リシアはただただ頷いた。
「そうか」
アキラは俯く。編み残した前髪が一房、肩口から滑り落ちた。
「私も、前のリシアと同じだったんだね。もっともっと、言えることはあったんだ」
どこか弱気な言葉だった。だがそこに紛れも無い「アキラの本心」を感じて、リシアは安堵する。
彼女もまた同年代の人間なのだと、当然の事が今になってわかったような気がした。
「ごめん。大丈夫って言えば、リシアが楽になってくれるって、勝手に思ってた」
当のリシアよりもずっと素直に、少女は告げる。
「『大丈夫』は二人で決める、か」
噛みしめるように、先程のリシアの言葉を復唱した。なんだか気恥ずかしくなって、リシアは目をそらす。
「ありがとうリシア。もっと色んなこと、話すようにする……迷宮を通じてだけじゃない、友人としても」
勇気付けられる言葉だった。再びリシアはアキラを見つめる。真摯な目がそこにあった。
「リシアの責任についても、無視はしない。一緒に考えさせてほしい」
それは、依然として変わらない現実だった。
最後にはリシアが負うべき責任を、アキラも共に直視してくれる。
けして好転はしていないけれど、アキラの言葉は強く心に響いた。
ありがとう、とリシアは礼を告げる。
その傍で所在なさげにしている先輩の存在を思い出したのは、アキラが普通科棟へ去ろうとした時のことだった。




