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問答(1)

絹の手巾を解くと、淡い翠の炉が顔を覗かせる。


昼休みの教室にはリシア以外誰もいない。だからこそ、こうやって炉の輝きを密かに楽しむことが出来る。


この炉とも、あと僅かでお別れだ。名残惜しむように表面を手巾で拭う。呼吸のような明滅を眺めていると、自然と心が落ち着く。だが昨日の話を思い返すと、その明滅も油断ならない。ウィンドミルの予備動作によく似ているからだ。


再び炉を手巾で包む。そろそろアキラも昼食を終えて、中庭に向かっている頃合いだろう。炉を包んだ手巾と手帳を携えてリシアは教室を出た。


屋外の渡り廊下に到る。裏手の木々の色濃い一画で、見覚えのある金髪を見つけて立ち止まった。


シラーと、普通科の女生徒だ。


木陰で人目を避けるように語らう二人。親密なその姿を、薄衣一枚隔てたような心地で見つめる。元々そういう噂には事欠かない人だ。けれども実際に目にすると、自分とは縁遠い世界の出来事のようで現実味がない。


しかし同時に、焦りとも羞恥ともつかない感情が湧き上がる。いつぞやハロとドレイクの女性が連れ立っていたのを目撃した時に生じたものと、同じだ。


秋波を送る女生徒との密会は終わったのか、シラーは渡り廊下へと向かってくる。


ようやく動き始めたリシアの足が、逃げ去るように中庭へと歩み始める。しかし時すでに遅く、シラーの蒼い瞳は下級生の姿を捉えていた。


「リシア」


口元に薄い笑みが浮かんだ。再びリシアは立ち竦む。


「今から昼食かな」

「いえ、アキラと待ち合わせをしていて」


そう答えつつも、目は先程の女学生を探してしまう。何事も無かったかのように、普通科棟へ立ち去っていく女学生の後ろ姿がシラーの背中越しに見えた。


挙動不審なリシアの様子を見て察したのか、上級生の薄い笑みは苦笑に変わる。


「ただの知り合いだよ」


その返答には聞き覚えがあった。ハルピュイアと目の前の上級生が重なって見えてしまい、リシアは目をそらす。


下級生の態度を見てシラーは少し考え込むように口元を右手で覆い、わざとらしく話を戻した。


「待ち合わせ……セレスタイン様の依頼のことで、何か」


シラーはどこか心配気に小首を傾げた。それについても決めなければならないが、今はそれよりもアキラへの弁解を優先したい。


少し悩んで、リシアは口を開く。話を早く切り上げるためにも、余計なことは告げない方が良いだろう。


「それもありますけど、この間の怪我についても、その」

「ああ」


得心がいったようにシラーは頷く。そうしてどこか影を帯びた表情で呟いた。


「確かに、心配だ。酷い怪我では無かったけど……やっぱり普通科の子だからかな。場慣れしていない感じがしたね」


これから馴染んでくれると良いけど。


何気無い一言が胸の奥に落ちる。いつものリシアならいぶかしく思う間もない程嫌味のない言葉だった。


だが今日はなぜか、その言葉が気になった。


「これから?」


口を突いて出た問いに、シラーは一瞬目を細めた。しかしすぐに口を歪めて、


「これからも、縁があったら一緒に依頼を受けたりするかもしれないだろう?君も彼女も」


人当たりの良い暖かな笑みが、すぐそこにある。それでも生じたわだかまりは氷解せずに、違和感を残した。


シラーは、普通科の生徒が迷宮に来ることに何の疑問も感じていないのだろうか。


寧ろ、一昨日の様子を見ているとアキラに全幅の信頼を寄せているようにさえ見える。


この上級生の「目当て」は、アキラではないか。


そんな想像が浮かび、振り払う。シラーはリシアとは違う。危険とわかっている橋は渡らないはずだ。そもそも「目当て」とはなんだ。まるで裏があるようじゃないか。普通科と迷宮科、両方の後輩を気にかけてくれている上級生に対して失礼だ。


そうは思っても、どこかで疑ってしまう。


そんな考えが嫌になって、リシアは頭を下げた。


「すみません。アキラが待っているので」


背を向ける。その背に広い掌が触れた。


「僕もついでに」


竦んだ傍で、囁かれる。


「え」

「前回の事故は一緒にいた僕にも責任がある。怪我の様子も気になるし、次回の事も僕がいた方が予定を合わせやすいんじゃないかな」


もっともらしい理由だった。断ろうにも相手の申し出に「悪意」はない。ただ炉について、一昨日第六班と別れた後の会話について、あまり知られたくないだけなのだ。


だがその二つを何故、シラーに知られたくないのか。


信頼出来ない。


アキラの言葉がぐるぐると巡る。


リシア自身は、シラーの事を信頼しているのだろうか。


無論、信頼している。先の言葉を額面通りに受け取るのなら、彼はリシアとアキラの関係を肯定しているはずだからだ。


それに、頼ってくれて良いと、言っていたではないか。


「君とアキラさんの話は邪魔しない。いいかな」


ならば、断る理由もなくなる。


信頼の置ける第六班班長の問いに頷けばいい。


「それなら」


そう告げて、リシアは背の高い上級生の瞳を見つめる。


その瞳は会話途中のリシアではなく、どこか遠くへと向けられていた。

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