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小言

危惧に反して、伯母は特に波を荒立てることもなく料理を完食した。


簾の隙間にアガタとアキラ、それと誰かもう一人分の代金を差し入れ、席を立つ。


「帰るか」


ここに来ると言った時と同様、唐突にシノブは言い放った。


アキラの用は終わっている。帰る事には何の異議も無いが、共にやって来た友人は少し狼狽えるような表情を見せた。


「あの」


リシアが口を開く。


「……明日の、昼休み。話したいことがある。炉のことも含めて」


どこか必死な姿に既視感を覚える。おそらく炉の話だけでは無いのだろう。


昨日のことか。


それなら、アキラも改めて聞きたいことがある。


「うん。明日の昼休みだね」


頷く。リシアの不安げな表情が、僅かに和らいだ。


「ありがとう」


その後すぐ、慌てたように視線を泳がせて別れの挨拶を告げた。


「それじゃあ、また明日」

「もう帰っちゃうのか?もっとお話聞きたかったのに」


杯を片手にセリアンスロープが頬杖をつく。確か、既に酒を三回ほど注文している。酩酊した代表を見て、ハルピュイアは苦言を呈した。


「酔っ払いはほっといていいよ」

「私ももっとお話したかったけど、残念ねえ」


一方、伯母の助手も素面ではない。顔を赤らめ、名残惜しそうにため息をついた。


「変換効率の話はまた今度にしましょ」

「楽しみにしてるよ」

「ケインさ、さっきの話ちゃんと覚えてる?」

「覚えてるぞお、蒸気は全てを解決するって話だ」


代表と同僚の会話を、フェアリーはどこか心配気に見つめている。ふと、その複眼がアキラを捉えた。


なんだろう。


居住まいを正す間も無く、大顎が開きかけ、また閉じた。


何かを伝えたかったようにも見える素ぶりだった。


肩を軽く叩かれる。


「帰るぞ」


伯母が低く呟く。


そうして開かれた扉に吸われるように、路地に出た。


暫く、無言のまま三人は帰路を辿る。


日も既に沈み、濃紺の空に浮かぶ駅の歪な影を仰ぎ見るほどの距離に来たところで、伯母は口を開いた。


「で、何が会って彼ら彼女らと縁を結んだんだ」


ぎくりとして、アキラは立ち止まる。目敏く伯母は回り込み、向き直った。


ほんの少しだけ低い位置に、皺の寄った眉間がある。


「普通に学苑に通っていたら、ああいう店に入ることも無いんじゃないか?」

「あそこは学苑指定の集会所なんだって」

「学苑というより迷宮科の、だろう」


伯母はため息混じりに呟く。


「物騒なものを持った物騒な友達だったな」


その言葉が、どこかに障った。


「おばちゃん、リシアもあの人達もいい人だよ」

「なるほど、いいヒトか。普通科の学生を迷宮で連れ回すような」

「それは私が」


庇の下から、睨むような視線が向けられる。


口をつぐむ。


「学生の本分を忘れているんじゃないか。それに生半可に首を突っ込んだら向こうにも」

「教授、街中でやめてよもう」


アガタが伯母の両肩に手をかける。こちらを気にするような通行人はいないが、教官が昂ぶってきているのを察したのだろう。


だが伯母の最後の言葉は、刺さった。


理解してくれると、心の片隅で思っていたからだ。


結局それは、なんの根拠もない希望的観測だった。


「あ、でもアキラ。私も小言を言いたいわ」

「私のは小言じゃないぞ」

「はいはい。で、小言だけど、制服はどこやっちゃったの?」


伯母とはまた別に、頭が痛くなるような質問をアガタはする。


「家にあるよ。時々……ちゃんと着てる」

「制服は時々着るもんじゃあないでしょ」


アガタは大袈裟に項垂れ、両手の指を合わせた。


「私、アキラが入学した時すっごく嬉しくて……一緒に仕立てにも行ったのに……こんな格好で大通り歩いてるの見た時はほんとにもう」

「一応これも学苑指定の、制服みたいなものだから」

「制服って礼服にも使えることが前提でしょ」


アキラは目をそらす。伯母の助手は両手を打ち合わせ、満面の笑みを浮かべた。


「だから、明日は早く起きてね」


嫌な予感がする。きっと早朝から頭や顔をいじくり回されるのだろう。


しかし断ると、今まで以上の小言を聞かされる事になる。止むを得ず、アキラは頷いた。


機嫌を良くしたアガタと、未だ不服そうな顔の伯母と共に、集合住宅へ辿り着く。


「そうそう。ここだった。やっと思い出したわ」


懐かしむようにアガタは目を細める。数年前に彼がここに来た時とは、通りも風景も大きく変わっている。だから、リシアに道を聞いていたのだろう。


「アガタ、荷物持って先に上がってくれ」


無雑作に鍵と荷物を渡し、伯母は大家の部屋の戸を叩く。暫く経っても返事は無い。


「鍵、開いてるかもしれない」


静かに告げると、伯母は小声で聞き返す。


「いつもそうなのか?」

「うん」

「様子を見に来る人は」

「みんなで出来るだけ声をかけるようにしてる。あと、親戚の方が時々」

「そうか」


戸を開け、部屋に上がる。玄関の壁に、卓上灯で照らし出された伯母の影が揺らめく。


「ヘスさん、お久しぶりです」


穏やかな声で、伯母は大家に話しかけた。微かな物音の後に、大家が答える。


「アキラちゃん?」


部屋の外で、静かに成り行きを見守る。


「お父さんのお見舞いは、行った?」

「はい。もう行きましたよ」

「そお。おばちゃんがお仕事の時は、ここに泊まっていいからね」


そのやり取りを最後に、大家の声は途絶えた。静かな寝息が響き、伯母が部屋から出てくる。


「寝てる」


短くそう告げ、鍵のかけようが無い扉を閉める。


把手に手をかけた伯母の後ろ姿は、どこか寂しげに見えた。

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