紛れる
ホラハッカの群生する小通路を、一行は進む。誰かがハッカを踏みしめるたび、爽やかな香りが充満する。本来なら「良い香り」なのだろうが、この環境ではもはや刺激臭じみている。
「花だ」
先頭のゾーイに続いていたシラーがしゃがみ込んだ。そっと淡い水色の花を手折る。
「ホラハッカの花ですね」
すかさずマイカが種名を告げた。
「……少し、小さすぎるのではないでしょうか。セレスタイン様は、もっと華やかなものがお好みでしょうし」
「そうだね」
シラーは頷いて、花を摘んでいた指を緩める。思わずリシアは口を挟んだ。
「あ、あの!一応集めておきましょう」
胴乱を開ける。シラーは少し考えるようにハッカを見つめ、再び拾い上げた。
「確かに、これも迷宮の花には違いないか」
差し出した胴乱に、シラーはハッカの花を収める。リシアはホッとする。こちらの独断で花を選り好みしていたら、何も集められないのではないかと危惧したからだ。
それに、確かにホラハッカは華やかではないが、香りもあるし可憐な形だし……。
まるでマイカに張り合っているようだ。そう思い至って、言い訳のような思考を振り払い、シラーの後についていく。
「王女サマとは会ったことも話したこともないんだけどさ、どんなお方なんだ?」
「明るくて、少しおしゃべりです」
「うーんつまり、普通の女子ってことか」
「そうですね」
最後尾のデーナとアキラの会話に少し耳をそばだてる。
「迷宮科にいると、普通科とはまったく関わらないからなあ。アンタはどうやって、リシアと知り合ったんだ」
「落とし物を拾って、それを渡しに行ったのが最初です」
アキラと最初に顔を合わせた時のことを思い出し、リシアの顔が上気する。その話は早く終わってくれ。
「その時に、迷宮に興味を持ったんです」
「興味……動物とか遺物とか、そんなのが好きなのか?」
「知りたいんです。迷宮に関すること、すべて」
一転、何か冷たいものが背を伝う。
胸がざわつく。僅かな迷いも無い言葉が、どこか、恐ろしいと思ったのだ。
デーナも面食らったのだろう。暫しの沈黙の後に当たり障りのない返事がきた。
「そうなのか。そりゃあ将来有望だな。班長もそう思わねーか?」
前方のシラーにデーナは問う。朗らかな笑い声が返ってきた。
「迷宮そのものに興味がある、か。確かに逸材かもしれないね。迷宮がもたらす利益に興味があるわけではない、ということかな」
笑い声に反して、言葉は冷静だった。
確かにそうだ。リシアが迷宮に向かう目的は、あくまで課題のためだ。卒業してからは、おそらく依頼のためになる。「迷宮に行く」、それ自体が目的になることは無いだろう。
以前、蟲の素材を売却して得た金を分けようとした時のことを思い出す。
アキラは、金銭には興味が無かった。
「それはそうと、デーナ。今日は随分とよく喋るね」
「ん、そーか?」
「やっぱり、同性が多いと気楽なのかな」
シラーはリシアの後ろに佇む後輩を見つめる。
「どうかな、マイカ」
突如班長に話を振られ、僅かにマイカは驚きの声を漏らす。逡巡するように目を伏せ、斜めにかけた医療鞄の帯を握った。
「気楽かは……その」
はっきりとしない答えだった。そのままマイカは前掛けを握り込み、指先を動かす。
昔から変わらない癖だ。小さい頃はよく、スフェーン卿や執事を前にして同じような仕草をしていた。こんな些細なところはいつまでも変わらないのだろう。
マイカは顔を上げ、背後を気にするような素振りを見せた。視線に気付いたのか、アキラが前方を見据える。途端、マイカは再び視線を下に向けた。少し人見知りなところも、変わっていないのかもしれない。
一方のリシアも二人を注視し過ぎていたようだ。右爪先を何かに引っ掛け、つんのめる。
「わっ」
「おっと」
リシアが姿勢を崩すとすぐ様、シラーは振り向いて手を差し出す。幸い、派手に転びはしなかった。しかし注意散漫な事は露見しただろう。リシアは恥じ入りながら、謝る。
「す、すみません」
「足元に気をつけて。ハッカで見えにくいかもしれない」
シラーの呼びかけに応えつつ、リシアは小さくなった。先程の火傷といい、入洞早々に足を引っ張ってしまっている。
もっと気を張らないと。
浅く溜息をつき、背嚢を背負い直す。
「止まれ」
先頭から声が響いた。シラーは広い背中で遮るように立ち止まり、リシアも二の足を踏みつつ足を止める。
「何でしょうか」
か細くマイカが呟いた。その声が妙に近くて、リシアは無意味に不安になる。
「獣臭がする」
ゾーイはそう告げて、足先で周囲のハッカを薙ぐ。不自然に下草が踏み荒らされた一画が現れ、ハッカの香りに紛れた臭いが強くなった。
「……クズリ」
思わずリシアは呟く。先頭の二年生は頷きながら、野帳を開いて走り書きを残した。
「この小通路を寝床にしているようです」
シラーが振り向き、人員の顔を一人ずつ見つめる。その後周囲を見渡し、困ったような顔をした。
「ここは狭すぎる。他をあたろうか」
「まだ活動時間では無いはずです」
「なら、寝込みを襲うのはどうだ。あれは高く売れるんだろ?」
「いや、今日は無茶はしないでおこう。」
二年生の相談は、シラーの鶴の一声で終わった。
「戻ろう。別の小通路で、花摘みだ」
そう告げるなり、最後尾のデーナが元来た道を戻る。
慎重な班長の判断と、即座に応じる班員。
お手本のような「班行動」に、内心リシアは感服した。




