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質問

配布する課題に目を通して、数学講師は不満げに髪をかきあげた。


こんなものが必要なのだろうか。


朝一番の講義は迷宮科の二年生だ。普通科と違い、彼等には最低限の教養があれば良いと、講師は考えている。それはおそらく他でもない迷宮科の生徒自身も同様に思っているはずだ。


日々鍛錬だの課外実習だのに明け暮れている彼等の中から普通科や講師自身のように、進学をする者が出るとは考えにくい。


なのに。


講師は斜向かいの席で粛々と作業をしている元冒険者に目を向ける。


此奴が先日の苑内会議で、「迷宮科でも普通科と同様の講義を」などと言い出した所為で、講師の作業量は増えてしまった。


面倒な事を。


金勘定ならともかく、定理や証明が冒険者に必要とは思えない。迷宮学とかいう訳の分からない学問と語学だけを教えておけばいいじゃないか。


心の内で愚痴をこぼしていると、何かを感じ取ったのか、元冒険者が顔を上げた。ぎょっとして、講師は視線を反らす。


「入りなさい」


元冒険者の言葉に、思わず講師は部屋の出入口に目を向ける。


猫っ毛の頭がひょっこりと出てきて、一礼をした。


「失礼します」


見覚えのある迷宮科の少女だった。確か、「あの子」の友達か何かだったはずだ。


少女はおずおずと入室し、元冒険者の席にやって来る。質の良い紙を差し出して、再び頭を下げた。


「申請書、です。確認お願いします」


無言で元冒険者は書類を受け取った。暫し書面に目を通し、少女に椅子を勧める。


「座りなさい」


どことなく青い顔で、少女は元冒険者の言葉に従った。


「六班が同行、とあるが」

「はい。あの、シラー班長が声をかけてくれて」

「例の普通科の学生も一緒か」

「……いいえ」


女生徒は可哀想なほど畏縮し、それでもなお元冒険者は問い詰める。


「このまま他の班に同行して、課題を進めていくのか」

「それは」


少女は俯く。呼吸を整えるような沈黙が続き、講師は気が滅入るのを感じた。


「……私がやっている事は、アルフォスと同じですか」


震えた声が漏れ出る。


アルフォス、という名には聞き覚えがある。ついこの間から停学になっている迷宮科の生徒だ。


そんな名前が出てきたことに興味を惹かれ、講師は聞き耳を立て続ける。


「アルフォスには、迷いが無かった」

「え」

「だがリシアは今、悩んでいるだろう」


少女の唇が僅かに動く。必死に考えをまとめているのだろう。その様を見て、向かいの迷宮科講師が呟く。


「そこが違う。だがどちらも、指導するべきだ」


元冒険者は紙を机に伏せた。


「後で、六班班長に確認を取る」

「あの、受領書は」

「六班を通して受け取りなさい」


結果は後ほど、というわけなのだろう。不安げに目を伏せ、少女は席を立つ。


「……よろしくお願いします」

「先程の、私の質問の答えがまだ出ていない」


聞いてるこちらが慄くほど低い声だった。少女に目を向けると、意外にも、彼女の様子はそれまでとは変わらなかった。


ただその唇は、真横に引き結ばれている。答えは出せないのだろう。


「また問おう。その時までに答えを出してくれ」


冷たく告げて、元冒険者は机に向き直った。少女は暫し立ち尽くし、不意に頭を下げた。


「失礼しました」


早々と講師室を去る少女の後ろ姿を見送る。


他人事ながら、不憫に思う。危険と隣り合わせの上にこれからは普通科と遜色ない講義が待っている。元冒険者も人が悪い。没落した貴族や一攫千金を夢見る平民が冒険者になりたくて通っているのだから、大人しく邁進させればいいじゃないか。


非難げに向かいの講師を見ていると、隻眼と視線がかち合った。


「何か」

「い、いえ、何でもないです」


講師は動揺し、何度も頭を下げる。居心地が悪い。さっさと一限目の教室に行って、待機しよう。


講義用の荷物を確認する間、不意に先程の元冒険者の言葉が脳裏を過った。


質問の答えがまだ出ていない。


講師は昨日の出来事を思い出して、腹をたてる。「あの子」もまた、質問の答えを有耶無耶にしたままだ。声を荒げてしまったことを謝罪して、もう一度答えを聞いてみよう。


講師は課題の向きを揃え、席を立った。


講師室から出ようとして、大きな人影に気付き立ち止まる。


蒼い瞳が素早く講師の姿を捉え、見下ろした。


「失礼します」


迷宮科の制服を着こなした貴公子が、入室しようと一歩踏み出す。思わず後ずさる講師に貴公子は微笑みながら会釈をし、まっすぐ迷宮科講師の元へと向かった。


あまり生徒の名前を覚えることはない講師でも、彼の名は知っている。確か、伯爵の次男か何かだったはずだ。高貴な生まれとはいえ、迷宮科の生徒に道を譲ってしまったことに講師は内心苛立った。


かといって、注意をしようとしても上手く文句が出ない。もごもごと口中で濁し、講師は入れ替わりに廊下へ出る。


「エリス先生、昨日の課題を確認してもらえますか」

「ああ。こちらからも確認したいことがある」


背後から聞こえてくる会話が遠くなっていく。


やっぱり、ここは性に合わない。


こんなことなら、普通科の専任以外断るか、しがみついてでも碩学院に残るべきだった。


背中を丸め、卑屈な思いを抱きながら講師はまだ生徒も疎らな教室に向かった。

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