差異
明日の予定を確認し、二つの「班」の代表は互いに別れを告げる。
「それじゃあ、また明日。講師と話がうまくいけばいいのだけれど」
「ぜ、善処します」
「まあ、その時はまた相談してほしい。教室にいるようにするから」
シラーが背を向ける。マイカは令嬢らしく裾を軽くつまんだ礼をして、班長の後を追いかけた。
駅へ歩いていく二人を見つめ、リシアは隣に立つアキラの様子を恐る恐る伺った。
夜色の瞳がシラーを見据えている。その目がゆっくりと、リシアの方を向いた。
「あの、ごめん。勝手に行くって、言っちゃって」
アキラが何かを言う前に、先手を打つ。
「……シラー先輩の言うことも、一理あると思って。私は今、講師に信用されてないから」
「あの人は、信頼できるの」
訝しげな声だった。何よりアキラらしからぬ発言に、リシアは驚く。
「え……うん。先輩は成績優秀で、大きな班を纏めているし、人柄も良いし……信用してるよ」
「そうなんだ」
アキラは視線を反らす。どこか逡巡するような動作が気になって、リシアは問う。
「アキラは、先輩のこと信用してないの?」
そう告げて、当然だと思う。両者が顔を合わせたのはここ最近の出来事で、深く知る余地も無い。未だアキラにとっては、シラーは赤の他人であるはずだ。
ちょっと、愚問だった。頰を掻きつつアキラを見つめると、予想通りアキラは頷く。
「信頼出来ない」
その言葉に違和感を感じつつ、リシアは続く言葉を待つ。
「前に湖の小迷宮に行った時、あの人……一緒にいた人を見捨てようとした」
アキラは唾棄するように呟いた。
その言葉に、様相に、リシアは息をのむ。
当日のことを思い返す。見捨てようとしたとは、誰のことだ。あの時共に行動していたのはリシアとアキラ、そして。
「見捨てようとしたって、フリーデル先輩のこと?」
リシアの問いに少女は頷く。
迷宮科の少女は歩きながら、何と答えるべきか悩んだ。
他人を見捨てるなんて、と大声で非難することはリシアには出来ない。むしろ、迷宮科の生徒なら状況に応じて、そういった選択をすることもあり得る。
理解は、出来るのだ。
だがシラーだけは、他人を見捨てることなんてしないと、どこかで期待していたのも確かだ。
「……そうなんだ」
何の感想もなく返答する。
リシアを見つめるアキラの瞳が、不安げに揺れた。
会話が続かないまま、二人は浮蓮亭に到る。リシアが把手に手をかけると、中から素っ頓狂な声が聞こえてきた。
「情報の出どころなんて、どっからでもいいでしょ」
いつもより少し甲高い声。ハルピュイアの声だと気付き、恐る恐る扉を開ける。
「いらっしゃい」
店主の挨拶に会釈を返す間も無く、次の声が飛び交う。
「とにかく、ジオードからの情報だと、近々大仕事がありそうなの。それまでには僕も体万全にしなきゃだし」
「それなら尚のこと完治するまで待つべきだ。妙なことを心配してるようだが、キミの首を飛ばすほど薄情じゃないからな、私は」
そこまで告げて、ハルピュイアとセリアンスロープは女学生達に目を向ける。矢のような視線に思わず、リシアは両手を挙げる。
「こ、こんにちは」
上擦った声で挨拶をすると、ハルピュイアが大きな溜息をついた。
「間が悪い」
非難めいた口調に文句をつける勇気もなく、簾側の席に座る。
「とにかく、仕事のことは心配するな。ライサンダーも納得している」
セリアンスロープが水をあおる。
どうも、運悪く組合内の話がうまく進んでいないところに鉢合わせてしまったようだ。
「ケインの言う通りです。焦ることはありません」
珍しくハロの向かいの椅子に腰かけたフェアリーが、穏やかな声音でそう言った。それでもなおハロは苛ついたように鉤爪を床に突き立てる。
「とにかく、この話は一旦終わりだ。食事食事」
ケインが高らかに宣言すると、ハロは顔をしかめつつ頬杖をついた。
何の話だか気になるところだが、憶測も失礼な気がしてリシアは出された水を口に含んだ。
セリアンスロープがリシアの隣に着く。挨拶がわりの微笑みを向けられ、リシアは目礼をする。
「いいところに来たな」
「そ、そうでしょうか」
「うんうん、今日はね、ちょっと食材を持ち込んで料理をしてもらっているんだ」
瞬時に、脳裏にいつぞやの記憶がよぎる。
「ヒドラですか?」
恐れを知らないアキラが、食材と呼ぶのも憚られる名を呼ぶ。
「いや、今日は蛇だ」
「蛇」
「蛇……」
ヒドラとまるで変わらないじゃないか、という言葉は飲み込んで、何とか別の料理を注文する。何か料理を置いておけば、味見に巻き込まれることもないだろう。
「あの、この卵の蒸し菓子ください」
「はいよ」
「ついでに味見もどうかな、蛇の」
「お気持ちだけ」
そう答えるや否や、簾が巻き上がって大きめの鉢が現れた。
中には魚の切り身のようなものと、面取りをした何らかの球茎を炊き合わせた料理が盛り付けられていた。臭み消しか、サンショウの香りが漂っている。
これか。
「大皿ですまんな。取り分けてくれ」
「美味しそうだ。じゃあ早速」
一緒に出てきた小皿に取り分け、セリアンスロープは「魚の切り身」を頬張る。
「……鳥か?」
しばしの咀嚼の後の感想に、ハルピュイアが怖気が走ったように脚を揃えた。
「やめてよ」
「でもなんか、似てるぞ。うん」
再び匙を伸ばして肉と芋を取り分けたケインの後に、ライサンダーも続く。その様を熱心に見つめるアキラに気付いたのか、ライサンダーはもう一皿に取り分け、勧めてきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
恭しく皿を受け取る連れを横目に、リシアは所在無く自身の注文を待つ。
何だって、蛇なんか。
でも、出来上がったものの見た目は悪くない。
切り身を噛み切り頬を染めるアキラを見る限り、味も良いのだろう。
隣の饗宴から薄布一枚隔てた心持ちで、リシアは翌日のことを考える。シラーの事も気がかりだが、もう一つ小骨のように引っかかっているものがあった。
本当に、マイカも来るのだろうか。
先程のやり取りを鑑みると、既にマイカの中では、リシアとの悶着は過去のものとなっている。それが妙に腹立たしい一方、恐ろしくもあった。
マイカにとってリシアは、その程度の友人だったのだ。
その事実を改めて認識し、リシアは唇を噛む。
視界の隅に小皿が現れた。
「リシア、これ少し味見してみる?」
少女の声が、妙に優しい。多分、断られると思っているのだろう。小皿の縁にかけられた綺麗な指を見つめ、リシアは沈黙する。
講師にも、シラーにも、アキラにも。
もう誰にも、見捨てられたくない。失望されたくない。
「食べる」
小皿と匙を取る。
アキラが目を丸くしている間に、息を止めて肉を一切れ放り込んだ。
悠久の時の流れの後に、
「えっ美味しい」
思わず声が出た。




