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差出人

昼休みを告げる鐘が鳴り響く。


今日の昼食を食堂棟で取るか屋台で済ませるか。思考が食事の方へ切り替えられる前に、昨日の講師とのやり取りを思い出す。そうだ、話があると言っていた。昨日の時点では用件もよくわからなかったが、数学の成績に関わる話ではないと信じたい。


「アキラ、今日は学食?」


隣の令嬢が声をかける。彼女自身はいつものように、学外で昼食を取るのだろう。アキラが頷くと、令嬢は考え込むように顎に指を添えた。


「もしかして、誰かと約束してる?」

「なんでそう思ったの」

「いつもなら、鐘が鳴ったら迷いなく食堂か校外に行くから」


一応、いつも鐘が鳴った後に昼食について悩んでいるのだが、セレスには迅速な行動に見えているようだ。


セレスの言う通り約束があるので、頷く。


「確かに、約束がある」

「リシアと?」

「いや、数学の講師と」

「えっ」


明らかに令嬢は表情を強張らせた。


「……差し支えなければ、どういった用件で会うのか教えて」

「わからない。昨日の放課後に、昼休みに裏庭に来てって言われただけだから」

「何それ」


令嬢は腕を組む。唇を尖らせ、推測をつらつらと呟いた。


「成績……は貴女の事だからありえないでしょ。生活態度は服装以外はしっかりしてるし、そもそもそれは数学で指導することでもないし」


令嬢の推測を聞き、アキラは一つ思い当たる点に気がついた。


迷宮のことだ。


もしや、どこかでリシアと共に迷宮に入っている様子を目撃されたのではないか。その事について事情を確認するために、「内密な話」が出来る場を提示したとすれば。


昨日のリシアとの会話を思い返す。迷宮科の校則には、普通科の生徒と迷宮に行くことについては何も書かれていなかった。


では、普通科は。もちろん何も書かれていないはずだ。普通科の生徒が迷宮に潜ることなど、誰も想定していないのだから。


「……とりあえず、今日はゆっくり食事は取れなさそうね」


いつもと変わらないアキラの顔を見つめ、セレスは心配気に眉を寄せた。


「それじゃ、また午後に」


ひらりと手を振り、令嬢は教室を後にする。昇降口へ続く階段に向かう彼女の姿を見届けて、アキラもまた席を立つ。


教室を出て、廊下の窓から裏庭を見渡す。木々のほとりで、数学の講師が所在なさ気に立っていた。


待たせている。そう気付き、アキラは急いで階下へ向かった。


校舎裏に回り込み、懐中時計を確認する後ろ姿に声をかける。


「すみません、お待たせしました」


上ずった声を上げて講師は振り向いた。時計を懐に入れ、眼鏡を直す。先日と同じ緊張を読み取って、アキラは思わず身構える。


今日も話の核心に至るまでは、長くかかりそうだ。


「ああいや、今来たところです」


講師は動揺を隠すように目を細める。その視線がアキラの足元に向いた。


あー、と伸びた間投詞がこぼれる。


「昨日の、事なんですが」

「はい」

「彼女、その、迷宮科の子。ご友人なんですか?」


静かに息をのむ。恐れていた事が現実になりそうで、アキラは返答に迷った。


「……はい。そうです」


嘘を吐くのは悪手だ。素直に認める。


講師は再びずれた眼鏡を直した。


「そ、そうなんだ。なんだか、意外ですね」


そう言って講師は視線を上げ、アキラと目が合うと即座に逸らした。


「いえ、ちょっと心配になって、聞いただけです。顔が広いんですね」


雲行きが怪しくなってきた。


講師の様子を注意深く見守る。


「すいません変なことを聞いてしまって。その、ご友人のことを聞きたかったわけじゃ無いんです。ちょっと世間話でも、と思って」


疑問符が浮かんだ。


世間話ということは、先程のやりとりは用件とは関係無いということだろうか。


「……手紙、見ましたか」


足元を見つめ、講師は問う。


途端、講師の言わんとするところをアキラは察した。


怪しかった雲行きが先程とはまた違う方へ変わっていく。怪しいことには変わりは無い。


「あれ、先生だったんですか」

「さ、差出人書いてたよね」

「いえ」


講師は呻き声を漏らした。


「……だからかあ」


昨日一昨日と、待ちぼうけしていたのだろうか。しょぼくれる講師に何と言葉をかければいいのかわからず、アキラは言動を見守る。


「その、読んではくれたんですよね」

「はい」

「それじゃあ、あの。返事を、ください」


そう告げると講師は伏せていた顔をわずかに上げた。


怯えるような目を見つめ、アキラは「いつも通り」の言葉を返した。


「気持ちは嬉しいです。でも、お応えすることはできません。ごめんなさい」


頭を下げる。


講師は動揺したように、言葉にならない声をこぼした。しばらく俯き、何とか考えを纏めたのか、絞り出すように告げる。


「そ、そうなんだ……もしかして、好きな人がいる、とか?」


脳裏を何かが掠めた。


その何かがわからないまま、アキラの口を突いて言葉が出る。


「はい」


それを聞いて、講師は口元を引きつらせた。一方のアキラは自分の発言に、心底驚いていた。


「誰なんですか」


沈黙する。わかるわけがない。だが講師はその沈黙を曲解したようで、アキラに詰め寄った。


「さっきの、嘘なんですね。好きな人がいるって。断るためなんですか」


講師の声が徐々に大きくなる。その異様な雰囲気に気圧され、アキラは一歩退いた。


再び挙動を伺う。今の講師は、何をしでかすかわからない。


「そんな奴いないなら、僕でもいいじゃないですか。断るってことは、嘘をつくってことは、理由があるんですよね。それを教えてくれたって」

「何か、あったのかな」


弾かれるように講師は裏庭の茂みを向いた。


枝切り鋏を持った用務員がこちらを見つめている。


「あ、いえ」


講師は右袖の釦に指をかける。何度も釦をかけ直しながら、アキラから数歩離れた。


「……す、すいません」


小さく会釈をして、講師は走り去った。


講師が去った後も、身動きひとつできずアキラは立ち竦む。茂みを越えて歩み寄ってきた用務員が、心配そうに顔を覗き込んだ。


「大丈夫かい。なんだか凄い剣幕だったね」

「はい……」


穏やかな声を聞き、アキラは長く息を吐く。


告白に返答をしてなじられたのは、初めてではない。


ただ今回は相手が、大人だっただけで……。


気を抜いた瞬間、アキラの腹の虫が盛大に音を上げた。


用務員は表情を緩める。


「もう昼休みも中頃だが、昼食は間に合いそうかい」


その後、少し考え込むように眉を顰めた。


「……ちょっと摘まむものならあるから、昼休みが終わるまで用務員室でお茶でもどうかね」


有り難い申し出だった。このまま教室に戻って一人で待機するのも気が進まない。


深々と頭を下げて、礼を言う。


「ありがとうございます」

「いいんだよ。裏の森でモモカズラが生っていてね、果物は好きかな」


用務員がゆっくりと歩み始める。


その足取りに合わせるように、アキラは竦んでいた足を動かした。

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