報告と方針(1)
付かず離れずの距離を保ち、二人は制服通りを進む。
アキラはともかく、ごくごく普通の迷宮科生徒であるリシアを気にする者などいない。それでも、先日の講師の言葉を思い返すと、自然と身を離してしまう。そんなリシアの心境を知ってか知らずか、アキラも微妙な歩幅で側について歩く。
互いに話したいことがある。
リシアが話すべきことは、講師への報告の結果とこれからの方針だ。
昨日の報告で、明らかに講師は言葉を選んでいた。当初のリシアがアキラとの探索に踏み切ったのは、普通科の生徒と迷宮に立ち入ってはならないという学則が無かったからだ。そしてそれは講師もよくわかっているはずだ。
だから、責任を訴えたのだ。
例え学則には反していなくても、リシアの行為は褒められたものでは無い。その行為を咎めるには、良心に訴えかけるのが最も効果的だと踏んだのだろう。
実際、効果はてき面だ。今だってリシアはアキラと向き合う事を恐れている。
しかし一方で、打算もある。
リシアがアキラとの冒険に責任を持てば。
アキラがこれまで通り迷宮へ行く事を快諾すれば。
すべて、丸く収まるのではないか。
最初と同じように、学則と講師の発言を逆手に取れば良い。
どこか冷静な頭が、昏い思索を巡らす。
華奢な肩に、誰かが手をかけた。
「!」
「危ない」
がくんと体が揺れた。小さな段差を踏み外したのだ。
「大丈夫?」
「ごめんなさい、少し考え事をしてて」
心配げに言葉をかけるアキラから目をそらし、言い訳をする。いつのまにか駅を過ぎて、浮蓮亭の所在する路地の手前まで二人はやって来ていた。
薄暗い路地裏に入る。
対向から冒険者らしいドレイクが二人、歩いてくる。一人はリシアたちとそう変わらない年の少年、もう一人はかなり体格の良い二十半ばの青年だった。会話をしていた二人は学苑の女生徒二人組に気付くと、上から下までつぶさに見るように視線を動かした。
冒険者とすれ違う間際、リシアは軽く頭を下げる。
「学苑の生徒?」
男が立ち止まった。
リシアの道を阻むように、青年が腕を壁に伸ばす。
「こんなとこに、遊びにでも来たんですかー?」
青年は軽く身をかがめる。酒臭い吐息がかかり、リシアは眉間にしわを寄せた。
「ああ?何だ今の顔」
不服げな男の顔を見つめ、リシアは周囲を見渡す。目の前の冒険者は何を仕出かすかわからない。共にいるのがアキラとはいえ、危険な目に合わせるわけにはいかない。
助けを呼ぶべきか。だがリシアが声を張り上げたところで、浮蓮亭の常連や店主が駆けつけてくるとは思えない。どうにかこの場を切り抜けたいが……。
「急いでいるので、失礼します」
道の片端に寄り、通り抜けようとする。しかし男はまたも身を寄せて道を塞いだ。
「あのさあ、ちょっとぐらいお話に付き合ってもらってもいいでしょお?」
男の声に苛立ちが滲んだ。足がすくみ、頰が熱を帯びる。どうすればいい。考えても、うまい言葉は思いつかない。
口ごもるリシアの肩越しから、赤銅色の影が覗き込んだ。
「すみません」
耳元で声が響き、反射的にリシアは身を引く。よく見知ったセリアンスロープが耳を立て、興味深げに青年を見つめていた。
接近に気が付かなかった。それは男も同様なのだろう。壁に右手をついた男はそのままの姿勢で、突然の闖入者を見つめていた。
「お二方と約束をしていたのですが、先約でしょうか」
そう言って、リシアの肩に軽く手を置く。いつものセリアンスロープからはかけ離れた声音と口調を訝しく思い、リシアはセリアンスロープの縦に裂けた瞳と青年を交互に見つめる。
そこで妙なことに気づいた。
青年の視線の向かう場所が、ケインの遥か頭上の虚空なのだ。
「いや、その……」
しどろもどろな返答をして、男はリシアの横を通り抜ける。振り返ると、もう一人の少年も青年と同様にケインの頭上の虚空を見つめ、目をそらして小走りに立ち去っていった。
「酔ってたのかな」
男の凄みも効いていなかったのか、アキラは事もなげに呟く。続いてケインに向かって頭を下げ、礼を告げた。
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます」
リシアも礼を言う。ケインは片手で耳を触り、頰を緩めた。
「いやいや、なんの。なんだか嫌な雰囲気の二人だったから、ちょっと声をかけておこうと思ってね」
そう言って浮蓮亭の前まで歩き、扉を引いて二人の入店を促す。
「君たちも入るだろう?」
「ええ」
薄暗い店内に足を踏み入れる。
珍しく、夜干舎の三名が揃っていた。ハロはいつも通り死角の席に腰掛け、ライサンダーは扉に近いカウンター席で何やら手紙のようなものをしたためている。その紙が、役所の依頼に使われる上質紙のように見えて、リシアは目を凝らす。
「いらっしゃい」
掠れた声がそう告げると、僅かに上がった簾の隙間から杯が並べられた。
「ライサンダー」
席に向かう途中、ケインがフェアリーの肩を軽く叩いた。
「君の姿を少し借りたぞ」
硬筆を置き、フェアリーはそそくさと隅の席に座った代表を見つめる。
「変な事はしていませんよね」
「してないしてない」
二人の会話を聞いてリシアは合点がいき、思わず声を漏らす。
だから、視線が少し上を向いていたのか。
おそらくあの二人組には、セリアンスロープの姿が屈強なフェアリーに見えていたのだろう。
異種族の操る「まやかし」の秘技を改めて目の当たりにし、リシアは感心する。