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二人の班長

風がそよぐ。


少し強くなってきた日差しを、広葉樹の葉が優しく遮ってくれている。憩う生徒がそこかしこに見える心地の良い中庭の隅で、リシアは放心していた。


昨日の出来事が後を引いている。


登校時と昼休みと、掲示板を確認したがリシアの名が記された文面は見つからなかった。昨日の報告内容について具体的な処分は無いようだ。もっとも、安堵するような事でもない。


頭の中で何度も響く講師の言葉が、ため息を促した。


アキラと共に過ごした時間は、有意義なものだった。異種族との出会いも、初めての民間からの依頼も、未知の蒼い湖も……いずれも、幼馴染に去られて迷宮科で燻っているままでは知ることも無かっただろう。


すべて、アキラがきっかけだった。


学苑から迷宮に連れ出してくれた彼女と、彼女との冒険を、後悔してはいない。


でもそれと、彼女の身の安全はまったく別の話だ。講師の言う通り、アキラの万が一を補償するものは何もない。迷宮に行きたいと言ったのはアキラなのだから、すべてアキラの自己責任です、とはいかない。


同行者に何かがあったら、責任を取るべきなのは班や組合の代表だ。これは学苑も職業冒険者も同じはずだ。


誰かと一緒に迷宮に行く。


これまでのリシアは「一人で迷宮に行くこと」の恐ろしさばかり考えていて、同行者がいる難しさについて深く考えたことは無かった。


今ならわかる。


同行者がいる冒険は、一人で迷宮に潜るよりもずっと怖い。


飾りのようだった「班長」の肩書きが、急に重くのしかかる。


四十二班の班長になったのは、マイカに推されたからだった。


リシアは、こういうの得意だと思うから。


そんな言葉に有頂天になって、署名をしたのだ。当のマイカも去り、一人だけの班になってからは、もはや班員も班長も関係なくなってしまったが。


アルフォスが同行していた時は、それなりに「班長」として振舞えていたかもしれない。力量に見合った依頼をこなそうとしたり、課題を計画的に進めていこうとしたり。班という大きな括りに向き合ったのもあれが初めてだ。


他の班は、どうやっているのだろう。


思い浮かんだのは、笑顔が眩い上級生だった。彼なら、班長の何たるかについて十分に理解し、教えてくれるだろう。


長椅子を立つ。


シラーを探そう。そう思い立ったは良いが、シラーが居そうな場所が皆目見当がつかない。食堂で見かけたことはあまりないし、上級生の教室を覗くのも勇気が要る。


悩みつつ掲示板を眺めていると、当の本人が視界の隅をよぎった。


呼び止めなければ。


そう思う前に声が口を突く。


「シラー先輩」


予想以上に大きな声が出て、リシア自身も驚く。数人の訝しげな視線を感じて、頰が上気した。一方のシラーも、こちらを振り向く。蒼い目が、悪戯っぽく細まった。


「リシア」


片手を掲げ、シラーは近づいてくる。


「何か、用かな」

「あ、え、えっと」


用はあるのだが、こうやって対面すると気圧されて言葉が上手く告げられなくなる。


睫毛長い。


そんなくだらない事しか考えられなくなるのだ。


「早速、力になれそうかな」


狼狽える下級生を横目に、シラーは長椅子に腰掛ける。そして、優雅に手で隣の空いた空間を示す。


リシアは口を開け、しばし逡巡し、シラーの隣に腰を下ろした。


視線を落とす。


「質問が、ありまして」


何とか声をひねり出す。シラーが待ちくたびれる前に、用件を告げなければならない。


「は、班長って、何なんでしょうか」


そう告げた後に、いくらか訂正が必要かもしれないと思い直す。あまりにも言葉足らずだ。だが他に何と形容すればよいのか。


一人で慌ただしく口や視線を動かす挙動不審な後輩を見て、貴公子は微笑んだ。


「班長とは何か、か。難しい質問だね」


そう言って腕を組む。いつのまにか真剣な表情になっていることに気付いて、リシアもまた背筋を伸ばした。


「どんな事に気を付けてるか、でも、いいです」


言葉を付け足す。


「……気を付けているのは、目標を見失わないことかな」


シラーは一瞬、目を伏せた。


「迷宮科の生徒の殆どは、同じ志を持っている。その志を見失わずに、都度都度確認できれば、自ずと班員は団結する。要になる目的の確認を行って、それに至る適切な手段を考えるのが、班長の仕事じゃないかな」


灯台のようだ、と思った。


ただ一点の灯りがあれば、そこに向かって進むことができる。シラーはその灯りを常に見据えて、第六班を導いている。


リシアは、灯りを見失わずにいられるだろうか。


班長として過ごしたこれまでの時間を思い出す。


「うーん……」

「はは、そんなに悩まなくても」


先輩は微笑む。おそらく彼自身は、「班長の仕事」が悩まずとも当然のようにできているのだろう。


「こんな答えでいいかな。もっと深いところまで話すのも、面白そうだけど」

「そうですね。もし良ければ、次の機会にもっとお話を伺いたいです」


質問したいことはまだまだある。だがこのままだと会話を超えて議論や講義になってしまいそうだ。校舎に向かう生徒達の姿を遠目に見ながら、リシアはシラーに礼を言う。


「ありがとうございます。この間から悩んでて」

「……アキラさんのことかな。もしかして、エリス先生に何か言われた?」


ひやりとする。先日シラーに告げられた事を思い出し、リシアは目線を逸らす。


だが、告げないわけにはいかないとも、思った。


「先生に、本当の事を言ったんです」


リシアの言葉に上級生は少し目を見開き、口元を覆うように手を添えた。


「か、庇ってくれたのに、それを無下にするようで、すみません……」


頭を下げる。シラーはどんな顔をしているのだろうか。目を閉じ、ただ時が過ぎるのを待つ。


「きみは、向き合う事にしたのか」


永遠のような数拍の後、シラーが呟いた。


リシアは顔を上げる。隣の貴公子は先程と変わらない笑顔を浮かべていた。


「……腹を立てたりはしないよ。むしろ、立派な事だと思う」


青年は立ち上がる。木漏れ日を背に受け、リシアを見下ろした。


「これからも、何か困ったことがあったらいつでも相談してほしい。課題のことでも、アキラさんのことでも」


第六班班長はそう告げて、口角を上げた。いつもと雰囲気の違う笑みを見て、リシアは思わず動きを止める。


シラーが去っていく。その後ろ姿が見えなくなるまで見つめた後、リシアは脱力した。


怒られるかと、思った。だがそれは杞憂だったようだ。


少し気が晴れ、長椅子の背に深くもたれる。


「リシア」


か細い声が聞こえた。


ぎょっとして辺りを見回す。


「リシア」


再び声が聞こえて、死角の木の陰から見覚えのある少女がひょっこりと顔を出した。


夜色の瞳が、困ったようにこちらを見つめている。


「び、びっくりした。いつからいたのアキラ」


聞かれて困るような話はしていないが、何となく気恥ずかしい。アキラは周囲に気を配りながら草むらを越え、長椅子のそばに立つ。


「あの人がいたから、声掛けにくくて」


そう言って、シラーが去った方向を見つめる。アキラらしい気の使い方だと思い、リシアは少し頬を緩ませる。


「よかった、話したいことがあったの」

「少し相談したいことがあって」


二人同時に互いに話しかける。面食らった瞬間、午後の部の始まりを告げる鐘が響いた。


「あ……」


リシアは大時計とアキラを見比べる。時間は無い。ひとまず、約束は交わさなければ。


「放課後!ここでいいかな」

「うん」


手短にそう伝えると、アキラもまた即座に返事をした。


「また後で」


赤いジャージの少女は、普通科棟へと走り去っていく。リシアもまた、迷宮科棟へと駆け込んだ。


放課後の約束は、久しぶりのような気がした。

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