便り
フェアリーと別れ、帰路につく。
まだ菓子の余韻の残る口元を手の甲で拭う。粉砂糖はもう付いていない。それでも念のためもう一度唇をこする。
水路沿いの住み慣れた区画に入ると、朗らかな笑い声が聞こえてきた。怪物騒ぎの時以来の姿を見かけて片手を振ると、向こうも小さな手を振り返してくれた。先の怪物騒動は記憶の片隅にも無いのだろう。子供たちは道を駆けて行き、声も遠退いた。
財布の中身を確認して精肉店に向かう。馴染みの店に行くと、恰幅の良い店主が鉈を振り上げ骨つき肉を叩き切っていた。
「いらっしゃい」
肉から目を離さず挨拶をする店主に軽く頭を下げる。頭上に吊り下げられた燻製肉を眺め、手頃な部位を指差す。
「これください」
「はいよ、腹肉ね」
脂で光る手を伸ばし、店主は燻製肉を取る。おおよそ三日分くらいの大きさに切り分けて、紙に包んでくれた。
「このぐらいでしょ」
馴染みの客の部類だからか、対応もぶっきらぼうだ。有り難い。確かにこのぐらいが欲しかった。
「ありがとうございます」
紙幣を渡して礼を言う。軽く会釈をして、店主は包みを差し出した。
「またご贔屓に」
その言葉にアキラも会釈を返して、店を後にした。
肉は手に入れた。他に必要なものは、パンだ。
水鳥の看板を探す。リシアも贔屓にしているその店のパンは、燻製肉と同じように小さい頃から食べ慣れていて、平素のアキラの動力源と言っても過言では無い。
よい香りが漂って来て程なく、目当ての看板が現れた。硝子窓から中を覗くと、同年代の少女が丸パンを棚に陳列しているところだった。扉を押すと鈴が鳴り、少女がこちらを向く。
「お、いらっしゃい」
そばかすの散った、人懐こそうな顔立ちの少女は会釈をする。
「食パンだよね」
「うん」
こちらも精肉店と同じく、小さな頃から見知った仲だ。食パンを二斤、手早く盆に乗せて帳場に持っていく。
「おばさんはまだ戻って来てないの?」
「今忙しいみたい。手紙も最近来ないから」
「そうなんだ。なんかあったら、かーさんに頼めば夕飯ぐらいは用意してくれるからさ」
世間話をしながら、会計を進める。紙袋に詰まった食パンを抱えて去ろうとすると、呼び止められた。
「あ、ちょっと待ってアキラ」
少女が帳場の籠に入っていた丸パンを一つ手渡す。少し小ぶりで食べやすい大きさのパンは、食堂に卸すために焼かれたもののようだった。
「味見してみて」
そう言って、少女は幾分か真面目な表情になる。とりあえず、アキラはありがたくパンをいただくことにした。
「イタダキマス」
一口大に千切るなどと言うことはせず、丸かじりする。麦の風味に強めの弾力、それに。
「なんか甘いね」
「やっぱり?」
うーん、と少女は腕を組む。いつもよりも甘みが強い。食事に合わせるパンというより、菓子として食べるパンだ。
「そろそろ改良しなきゃと思って。新しい卸先も出来たし」
「おじさんも賛成してるの」
「うん」
でもこれはちょっと違うかな、と少女は自身も丸パンを取って食べる。
「最近、よそから来たヒトも多いでしょ?そういう人たちにも美味しく食べてもらえるパンが必要だと思うの」
少女の言葉にアキラは頷く。浮蓮亭に集まる人々の食事を見ていると、種族によって好む味付けや食べられないものがあるようだった。そんな彼らでもパンは食べる。「誰もが美味しく食べられるパン」は、不可能な話ではないはずだ。
「最近増えた卸先も、冒険者相手の店みたい。やっぱり、味覚とか違うのかな」
真っ先に思い浮かんだのは、先程まで行動を共にしていたフェアリーだった。彼は甘味に目がないが、他の料理も美味しく食べている、ように思える。少なくとも浮蓮亭にいる三種族の味覚に、アキラたちドレイクとの差異は無いように思えた。
「そんなに違わないかもしれない」
「そうなの?もしかして異種族の知り合いがいたりする?」
「うーん……」
何故だかはぐらかしてしまった。そんなアキラの様子を不思議そうに見つめていた少女が、不意に視線をアキラの背後に向ける。
「あ、いらっしゃい……あれ」
つられてアキラも振り向く。店内にも、道に面した硝子窓の向こうにも、誰もいなかった。
「お客さん?」
「かな、と思ったんだけど。こっち覗いてすぐいなくなっちゃった」
首を傾げ、少女はアキラに向き直る。
「あ、そうだ。パンとお肉だけ食べてたらダメだからね」
幼馴染の言葉に驚いて、すぐに手に持った燻製肉の包みを思い出した。見ればわかることだ。
うん、と頷くと少女は屈託なく笑った。
パン屋を出て、集合住宅に帰り着く。
薄暗い一階が何となく気になって、戸を叩いた。
反応は無い。把手を捻ると鍵が開いたままだった。
「お邪魔します」
小さく声をかけて、中に入る。寝息が響く部屋に火の気は無かった。
燭台に明かりを灯して、安楽椅子に腰かけたまま眠っている老婦人を静かに揺り起こす。
「ヘスさん、そろそろ暗くなりますよ」
口を動かし、目を瞬かせて老婦人は上体を起こした。ぼんやりとした双眸にアキラの顔が映る。
「……シノブちゃん?」
アキラが答えあぐねていると、老婦人はくしゃりと微笑む。
「大きくなったねえ」
子供のような笑顔を見て、アキラもまた口角を少し上げた。
机の上にパンを一斤置いて部屋を出る。
二階に上がると、自宅の扉の下から紙切れが覗いていた。扉を開けて拾い上げる。手紙だ。
部屋に入り、荷物を降ろして再び手紙を手に取る。碩学院の封蝋。差出人に心当たりは一つしかない。
先程、手紙が来ないと話したのに。
少し安堵して、アキラは縁を破る。取り出した紙面にはほんの数行しか記されていなかった。
仕事でエラキスに用が出来ました。
一週間滞在します。
助手も連れて来ます。
どっちが自宅なのかわからない、などと思うよりもまず、アキラは部屋を片付けることにした。
伯母が、帰って来る。




