垣間見るもの
紙袋をぶら下げ、帰路につく。
ちょうど課題の時間帯にあたるのだろう、賑やかな制服通りをそそくさと通り抜け、駅前の広場に出る。
何だか、この辺りの方が落ち着く。
土埃や汗の匂いを漂わせた人々の往来の中で、アキラは内心そう思った。「エラキスの根」のほとりに当たるこの広場は、アキラが気軽に行ける範囲の中で、最も色濃く迷宮の雰囲気を漂わせている。アキラの足下、地下深くでは今も沢山の冒険者が闊歩し、傷つき、暴いているのだろう。その様を思い浮かべて、アキラはしばし往来に立ち尽くす。
また迷宮に行きたい。
その衝動のままに行動したのが発端だった。あの日、リシアの教科書を拾った時に湧き上がった衝動が、今でも胸の内で燻っている。
一度や二度では収まらなかった。
出来ることならまた、湖の小迷宮で先史遺物と共に向かった場所のように。
あの暗く深い道の先へ。
途端、耳が篭ったように周囲の音が引いていった。代わりに体の内側から、鼓動が大きく響く。
今行けばいい。
目の前に入口がある。
でも一人だ。武器も無い。
いいや、些細なことだ。
アキラは駅へ足を向ける。様々な感情がせめぎ合うが、行動を止めることは出来ない。
吹き上げるようにぬるい風が吹く。
「アキラさん」
聞き覚えのある声が、呼び止めた。
世界に音が戻ってくる。賑わいの中でアキラは立ち止まり、周囲を見回した。
人混みから頭二つほど抜けた長躯がこちらへ向かってくる。その姿を見つけて、アキラは会釈をした。
「こんにちは」
「こんにちは。今日はお一人ですか」
フェアリーもまた、会釈をするように触角を下げる。その姿を見てアキラの衝動が少しだけ、違うものに置き換わった。
「はい。その……暇なのであっち側にいい屋台は無いかなと」
迷宮に一人で行こうとした事を、悟られてはいけない。
瞬時にそう判断して、口から出まかせを言う。適当な一点を指差すと、フェアリーは少し訝しげに首を傾げた。
「日時計通りは……どうでしょうか」
その言葉を聞いて自身が指差す方向を確認する。人差し指はあまり屋台の並ばない住宅地を指差していた。手を下ろし、取り繕おうとして、諦める。
「確かに屋台は無いですね」
素直なアキラを見て、なぜかフェアリーが動揺し始める。
「その、食堂とかはあると思いますよ。美味しいのが」
「そうですね」
「ですから、気を落とさないでください」
「はい」
この状況を打開しなければならない。
妙な流れになった話を変えるべく、アキラは質問を返す。
「そういえば、ライサンダーさんもお一人ですか」
「ええ。これから迷宮に向かうのですが……まだ少し時間があるので、何か食べようかと」
そう告げて、フェアリーは思い出したように提案する。
「今日も、アキラさんのおすすめをお聞きしてもいいですか」
その申し出に、アキラは僅かな間も入れずに頷く。
「はい」
脳裏で「今日のおすすめ」を考える。日にち、時間帯を考慮すると確か……。
「レンガ」が、今なら出来立てが並ぶ頃だ。
「エラキスのレンガはどうでしょう」
「麦星通りのですか」
フェアリーの声に喜色が混じる。
以前、リシアも交えて買おうと思ったが、売り切れて食べ損ねた名物菓子だ。
あの時食べた砂糖菓子も美味しかったが、今日こそは糖蜜を吸ったずっしりと重い焼き菓子を食べたい。
「今なら、温かいものが並んでいるはずです」
「良いですね」
フェアリーは頷く。そして暫しアキラを見つめて、
「アキラさんも、食べますか」
その言葉にアキラは目を丸くする。
何拍か遅れて、なんとか声を出す。
「ご一緒しても」
「よろしければ。以前奢ってもらいましたから、今日は私が買いましょう」
そう言って、フェアリーは麦星通りの方へと足を向けた。
「ありがとうございます」
思わず声も弾む。アキラはフェアリーの隣に立ち、並び歩いた。
ふと、足元を見る。隣人の足取りが少女に合わせた速度であることに気付いて、アキラは嬉しくなった。
窓硝子越しの立て札を見て、二人は立ちすくむ。
売り切れの文字を見つめ、アキラはかける言葉を失ってしまう。
「……やはり人気ですね」
ライサンダーの言葉に、女学生はこくりと頷いた。まだ十分も経っていないだろうに、数量限定の菓子は掃けてしまったようだ。思わず溜息を吐きそうになって、背筋を伸ばす。次の候補を考えなくては。フェアリーの時間にも限りがある。
「えっと……すみません。別の場所に」
「次は、買えると良いですね」
フェアリーが呟く。
次。
その言葉を無意味に深長に考え、アキラは動揺する。
しかし心境をおくびにも出さず、店内を指差した。
「ライサンダーさん、レンガは残念ですけど、他にも目玉商品はあります」
「そうですか」
「この間の砂糖菓子も有名ですけど……乳脂と粉砂糖の焼き菓子はどうでしょうか」
ぴくりとフェアリーの触角が動く。
乳脂を小麦粉に擦り混ぜて焼いたほろほろとした食感の菓子もまた、この店の名物だ。口溶けの良い食感は癖になる。
「それを、食べましょう」
案の定、フェアリーは食いついた。誘導するようにアキラは店の扉を開ける。
棚に並んだ薄紙の包みを二つ、フェアリーは帳場の店員に渡す。その間、アキラは店内を眺める。菓子を物色する客の中には異種族も見える。ここなら、ライサンダーも心置き無く入れるだろう。
「はい、どうぞ」
会計を済ませて店の外に出るなり、フェアリーはアキラに包みを渡した。深々と頭を下げて礼を言う。店の前で立ち止まるわけにもいかないため、店の横を通る路地に入る。
フェアリーが薄紙を包む紐を引く。呆気なく包装は解け、白い化粧を施した菓子が現れた。
「……故郷に」
菓子を眺めながら、ぼそりとライサンダーは呟く。
「これに似た菓子があって、『雪玉』と呼んでいました」
郷愁の念を含んだ声音だった。菓子を一つつまみ、大顎の中に入れる。菓子が砕けるような音がして、大顎が蠢く。
以前、買い物を頼まれた時もこうやって、食事の様子を眺めていた。
何故だか目が離せないのだ。
「味も似ていますね」
そう言って、再び菓子を包み直した。その様子を眺めているアキラに気付いて、フェアリーは説明をする。
「今ここで全部食べるのは、少しもったいないと思いまして。ケイン達に見つからないように、迷宮でこっそり食べます」
嬉しそうな声だった。
笑っている。
甲殻で覆われた顔からはわからないが、確かに、彼は笑っている。
頰が熱を帯び、アキラは手の甲をひたりと付ける。内熱だろうか。
「また、買いに来ましょう」
誰に向けたのか、ライサンダーは呟いた。
きっと、故郷が懐かしくなった時に買いに来るのだろう。「誰かと一緒に」ではないはずだ。
アキラはそう思う事にして、頰の熱を冷ました。




