隔たり
終業の鐘が鳴り響き、生徒達は次々と退室していく。
そんな中、アキラはぽつんと席で静止していた。
昼食時に読んだ手紙の内容を思い出す。差出人の名前はない。時間や場所の指定もない。要するに、答えようがないのだ。
どうしようか。
椅子を後ろに傾け、腕を組む。手紙を頼りに訪ね歩くわけにもいかない。かと言って、無かったことにしてしまうのも気がひける。
しばらく待ってみよう。
そう考え、貰った菓子の残りを齧る。口溶けの良い砂糖菓子は、ついつい手が伸びてしまう。
「アキラ、放課後は用事があるの?」
帰り支度をするセレスが聞く。うん、と答えて手を振る。
「セレスも、今日は急ぎなの?」
「ええ。ちょっと来賓がね。私も同席しなきゃいけないみたい。賑やかしみたいなものなんだけど」
セレスは席を立ち、スカートを少しつまんで優雅に礼をした。
「御機嫌よう」
「また明日」
不釣り合いな挨拶を交わして、セレスは教室を去る。
御機嫌よう、御機嫌よう。
セレスの耳に入らないように、アキラは小さく復唱する。まだ言い慣れないが、これほど便利な挨拶もない。出会いも別れもこれ一つで十分だ。
言葉と一緒に動作も出てくれればいいのだが。ジャージの裾を摘み、もう一度言ってみる。
「ごきげんよう」
様にならない。
溜息をつく。板に着くまではまだまだかかりそうだ。
立ち振る舞いか。
ふと脳裏をよぎったのは、水路沿いで異種族を庇った時の友人の姿だった。
リシアも、泣いたり喚いたり鼻血を出しているところばかり見ているが、やっぱり所作は貴族のそれだ。時々、側で見ているアキラの背筋が伸びるほどに堂々とした振る舞いを見せる。そんな時は声もよく通って、セレスの言っていた「かつてのリシア」を垣間見ることができる。
それに、あの歌声。
アキラが知るリシアは、ほんの一面でしかないのだ。
また、歌うことがあるのだろうか。
あの時のリシアの表情は、初めてみるものだった。迷宮の中で、あんな顔をしていた彼女を見たことは無い。
彼女が何故迷宮科で冒険者を志すようになったのか。その理由の一端は、歌にある気がした。
そしてそれは考え無しに触れてはならないことだとも。
素敵だった。それだけは確かだ。それだけを心に留めておけばいい。
目下の心配は、これから彼女が「どうするか」だ。まだ日も空いていないけど、ちゃんと話すべき事は話せたのだろうか。それがわかるまでは……放課後はずっと暇だ。
壁に掛けられた時計を眺める。
半周したら、帰ろう。
そう決めて、菓子をもう一つ口に放り込んだ。
陽が傾いたかもわからないまま、針は半周した。既に誰もいない教室で、アキラは伸びをする。相手は来なかった。もしかしたら校舎のどこかで、約束をすっぽ抜かされたと落胆しているかもしれない。申し訳ないと思いつつ、アキラは鞄を背負う。
買い物をしよう。
朝の惨状を思い出し、足りないものを確認する。パンと肉と乾酪。何だか既視感のある組み合わせだが、それだけあれば学生は元気に勉学に励める。
それと、庭球部への差し入れも必要だ。勧誘は断るとして、貰った菓子折りのお礼はしたい。飴なら日持ちもするし運動後の疲れを癒すのにもうってつけだろう。
手頃な値段で菓子を買うなら、制服通りか。そういえばこの間貰った試供品の飴も結構美味しかった。もし店頭に並んでいるようだったら、あれも良いかもしれない。
目的地を決め、制服通りへと向かう。
「菫青茶房」なる屋号の店を窓硝子越しに覗き込むと、迷宮科の生徒が卓を囲んで話し合っている様が見えた。
見知った顔は無い。残念なような安堵したような複雑な気持ちで、アキラは扉を押す。
入店を知らせる鈴が鳴る。
生徒達の視線が、瞬時にアキラの方へ向いた。
思わず立ち止まりそうになりながら、店員の立つ帳場へ向かう。白手袋をはめた巻き髪の店員が会釈をして、にっこりと微笑んだ。
「いらっしゃいませ。学生向けの依頼はあちらの掲示板に……」
そう言って、ジャージの胸元の刺繍に気付いたのか慌ただしく訂正する。
「あ、し、失礼いたしました。普通科のお客様ですね……お薬の処方でしょうか」
「いえ、この飴をください」
ちょうど棚の中に陳列してあった飴の缶を指差す。楕円形の綺麗な模様が型押しされた缶を、店員は少し戸惑ったように取る。
「こちらでよろしいでしょうか」
見本と見比べながら、アキラは少し考え込む。庭球部は結構人気のある部活動だ。この大きさの缶に入る飴で足りるだろうか。
もうひと回り大きいものは、ちょっとアキラの財布では心許ない。
大丈夫、多分足りる。
「はい。これを一つ」
「かしこまりました」
包装紙で飾られていく缶を見ながら、財布を取り出す。中身を確認して、紙幣を棚に置く。
手早く店員は勘定を終え、手提げを差し出した。
「ありがとうございました」
つられてアキラも会釈をする。学生の座る卓のそばを通ると、先程と同じ視線を感じた。
ジャージ姿が珍しいわけでは無いのだろう。
場違い。そんな言葉が脳裏をよぎって、アキラは店を後にした。




