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いつもの朝

薄暗い部屋の中で目を覚ます。耳を澄ませば微かな物音ばかりが響く集合住宅で、アキラの住む一室だけは、隔絶されたように無音だった。


半覚醒のまま天井の隅を見つめ、唐突に起き上がる。長い髪を手櫛で掻き分けて居間に向かう。


ガランとした居間で、しばし立ち竦む。


誰もいない。


当たり前か。


いつもと同じ朝だが、稀に寂しくなる時がある。気を取り直して、アキラは朝食の準備を始めた。


戸棚を開ける。果物の砂糖漬けが一瓶鎮座していた。一昨日までは乾酪もあった気がしたが。今日は気分ではないので、砂糖漬けは見送る。


食卓に着き、卓上の紙包みを開ける。中から出てきた食べさしのパンを千切り、一口食べる。流石に少し固くなっていた。


半斤分のパンを無心で食べる。水差しから注いだ水で腹に流し込んだ後、一息つく。またパンを買いに行かなければならない。それと乾酪、ついでに燻製肉もあればしばらくは「豪華な」食卓になる。


もっとも、最近は三食家で食べるという事はあまり無い。昼は学食に行くこともあるし、夜は夜で行きつけの店が出来たからだ。


今日も行ってみようか。


紙を丸めながら、浮蓮亭の様子を思い返す。あの薄暗い空間は心が落ち着く。店主は親切だし料理も美味しい。リシアや夜干舎から面白い話も聞ける。


そういえば、次はいつ……


我にかえる。


何を考えているのかわからない上級生の言葉が瞬時に脳裏をよぎったからだ。途端、苦いものが染み出してくる。


もう一杯なみなみと水を注ぎ、飲み干す。それでも、不愉快な記憶は洗い流せなかった。


釈然としないまま一通り身支度を済ませて、今日の予定を思い返しながら赤い体育着に袖を通す。会や作法の講義がある日は制服を着ていかないといけないからだ。それらの時間が無い事を確認して、鞄を肩にかける。


最後に、居間の隅に据え付けられた小さな棚の前で手を合わせる。小さな板切れに挨拶をして、部屋を出ていった。


階下の大家に挨拶をして、学苑へと向かう。煉瓦道にへばりつく怪物討伐の貼り紙を避けながら歩けば、十分も経たないうちに校舎の天辺が見えてきた。制服姿を乗せた馬車が過ぎ行き、正門前の円形広場で停まる。降りてくる少年少女の殆どは、普通科の制服を身に付けていた。


普通科と迷宮科の生徒を見分けるには、徽章と制服を見ればいい。二つの学科で紋章は全く違うし、制服も迷宮科の方が動きやすい素材と作りになっている。特に女生徒はその違いが顕著だ。普通科の女生徒はふくらはぎ半ばまでの丈のスカートだが、迷宮科は膝丈まで短くなる。アキラでも、迷宮探索では詰め物をして膨らみを増したり、裾がそこかしこに引っかかるほど長い丈のスカートは不向きだとわかる。


しかし、それならジャージの方がより迷宮向きなのではないのだろうか。


そう思って周りを見渡しても、ジャージ姿は一人としていなかった。


どうも腑に落ちないまま正門をくぐる。


「アキラ!」


声をかけられる。振り向くと、同じ教室の女生徒が小走りで駆け寄ってくる姿があった。

「ご機嫌よう」


形ばかり、作法の授業で学んだ通りの挨拶をする。


「ご機嫌よう」


相手もまた同じ言葉を述べる。しかし所作はアキラとは比べるまでもなく流麗だった。


「ねえ、今日の放課後、暇?」


挨拶とは打って変わって、女生徒は砕けた口調で話しかける。入学当時から変わらない誘いに、アキラはいつも通り返答をする。


「ごめん、部活はちょっと」

「もー、まだ部活のことは何も言ってないのに」


まあそのことなんだけど、と女生徒は口を尖らせる。


「この間も興味持ってくれたかなって思ったら、クラブ借りてっただけだし」

「……それも、ごめん」


クラブの用途は知らないであろう同級生に、心から詫びる。


「今日は振られちゃったけど……欠員出たらまた頼んでもいい?お菓子あげるから!」


魅力的な条件だった。うん、と頷きそうになって、迷宮の情景を思い浮かべ何とかこちらからも条件を出す。


「他に用事がなかったら」

「ありがとー!」


満面の笑みを浮かべて、女生徒は来た時と同じように走り去っていく。アキラの同級生の中では、比較的活発な方だ。セレスよりは大人しいが。


途中中庭を横目で見ながら、教室に向かう。窓際の席に腰かけると、ほぼ日課となった確認作業に入る。


机の下に据え付けられた物置に手を突っ込む。


あったあった。


薄葉紙の包みと、布紐を結んだ紙箱、手紙。教室にあまり人がいないことを確認して、包みを開ける。薄葉紙に包まれていたのは小さな缶入りの砂糖菓子。「庭球部」の字が大きく書かれた紙箱には目の詰まった焼き菓子が入っていた。残る手紙は、鞄に入れた。今は目を通しづらい。


「ご機嫌よう」


隣の席に誰かが腰かける。姿勢を直すと、よく見知った顔があった。


「おはよう」

「あら、私にはおはようなの?」

「……ご機嫌麗しゅう」


鈴を転がすように笑うセレスを見つめる。吹き出しながら、令嬢は謝った。


「ごめんなさい、何だか……ふふ」

「そんなに似合わないかな」

「似合わないというより、格好良すぎるの」


褒められた気はしない。


「あてられる人も多いわけね」

「頭痛か腹痛みたいに」

「一過性なら良いんだけど」


ちらりと、セレスは机の上の包みを一瞥した。


「いつ返事をするの?」


見られていたようだ。鞄に目をやりつつ、人差し指を立てる。


「……セレスが思ってるのとは違うかもしれないよ」

「ちゃんと気を使うのね。しっかり断らなきゃ駄目よ。良い雰囲気なんだから」


セレスは声を潜める。


「先輩と」


あまり良い印象の無い人物の顔がよぎり、アキラは困惑する。しかしすぐに素知らぬ顔で答える。


「先輩って誰。いっぱいいるけど」

「もう」


令嬢は頬杖をつく。妙な誤解をしているようだ。


誤解を招くような関わりはやめよう。


貰った砂糖菓子を食べつつ、アキラは反省した。

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