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阻害

くしゃみを一つして、リシアは辺りを見回す。静かな廊下に木霊が残っているような気がして、赤面する。羞恥のせいばかりではない、熱を持った頰を軽く叩き、講師室の戸に手をかける。


「失礼します」


そっと覗き込む。広い講師室には年配の女性講師が一人座っていた。講師はリシアに気付くと、軽く会釈をする。


「まあ、御機嫌よう」

「御機嫌よう」


リシアもまた会釈を返す。講師はリシアの要件を察したように、一方を指し示した。


「エリス氏とご相談かしら」

「はい」

「図書館にいらっしゃるはずよ」


講師は柔和な笑みを浮かべる。その笑みに釣られて、リシアも少し口角を上げた。


木漏れ日の小径を歩き、図書館へと向かう。途中足が止まりそうになりながらも、なんとか、図書館の戸を開いた。


静かな図書館を見渡す。高椅子に腰掛けている司書に目礼をして、閲覧用の机が並ぶ一画を覗く。


講師室を覗いた時と寸分変わらない後ろ姿がそこにあった。積まれた本は背表紙の状態からして新旧入り乱れており、大凡迷宮とは関わりのなさそうな題名が並んでいる。図録のような大判の書籍を捲る手が止まり、隻眼がこちらを見つめた。


「……おはよう」

「お、おはようございます」


ぎこちなく挨拶を交わし、講師の傍らへ歩み寄る。講師は静かに本を閉じると、半身を向けた。


「今日は休まなくても良いのか」


リシアが口を開く前に、講師が問いかけた。昨日の騒動を指しているのだと気付き、背筋を伸ばして答える。


「だ、大丈夫です。怪我はありません。聴取も昨日で済んでいます」

「疲れが見える」


咄嗟に熱を持った首筋に手を当ててしまう。大丈夫、平熱だ。そう言い聞かせて今日は家を出たのだ。伝えるべき事があるのだから。


「……報告したい事があるんです。二点ほど」


手を当てた首筋が脈打つような感触があった。手を下ろす。


「一つは」


講師は手帳と硬筆を懐から取り出し、机に置いた。骨張った手の内で硬筆が光る。先ずは何から告げるべきだろうか。考えながら、口を開く。


「アルフォスの件についてです」


手帳に現班員の名を書き留め、講師は手を止めた。リシアの言葉の続きを待っている。息を吐いて、要件を述べた。


「彼を、四十二班から除名します」

「退班か。理由は」

「班活動において、あまりにも身勝手な行動が多いと感じたからです。依頼の受理や報酬の支払いを班へ報告することもなく、一人で済ませていました。おそらく、学苑側への報告も無かったはずです」


給仕の依頼の経緯を簡単にまとめた報告書を渡す。


「それから」


報告書に目を通す講師に続けざまに、救助依頼の明細を渡す。


小さな紙切れを見て、講師は眉をひそめた。


「夜干舎」


書面に目を落としたまま、記された組合の名を呟く。


「アルフォスと口論になって、迷宮に置き去りにされたんです。それで……こちらの組合にお世話になりました」


そこまで告げると、講師は書類を机に置いた。


リシアは目を伏せる。


「回収を頼んだのは誰だ」


静かに問われる。


ここまでだ。


観念して、リシアは唇を震わせながら答える。


「マイカが退班してから……一緒に迷宮に潜ってくれた人です」


常にリシアを助けてくれた、赤いジャージ姿が脳裏をよぎる。


「名は」


扉が打ち開かれ、慌ただしく人影が駆け入る。驚いた司書が高椅子を揺らし、注意を呼びかけた。


「館内ではお静かに」


だがそんな事はお構いなく、男子生徒は講師とリシアの方へ走り寄る。リシアの隣で立ち止まり、息を切らして何事か呟く。


「やっぱり、講師のとこだと、思った」


大きく溜息をついて、アルフォスは顔を上げた。


いつもと同じ笑顔が張り付いている。


その様が不気味で、リシアは息をのむ。


「……話を聞こうと思っていたところだ」


手帳や本を積み重ね、講師は席を立つ。今にも文句を言いだしそうな司書に目配せをして、立てかけていた杖を手にした。


「場所を変えよう」

「俺の処分についてですか」


わざとらしい大声が響く。


「確かに、俺にも非はあります。でもリシアにももっと沢山、聞くべき事があるんじゃないですか」


講師は微動だにせず、男子生徒の言葉を聞いている。


リシアの背を冷たい汗が伝った。


「俺が置き去りにした時も、水路に落ちて怪物にさらわれた時も、それ以前の探索でもずーっとリシアを助けてくれた子がいるみたいなんですよね。誰だかは知らないですけど」


白々しい。


そう思ってアルフォスの発言を止めようと、口を開く。


それに先んじて、アルフォスはより一層声を張った。


「随分と腕が立つみたいですよ。リシアと二人で先史遺物を倒して、炉を手に入れるくらいには」


講師が隻眼を見開く。灰色の目にリシアの姿が映った。金縛りのように、リシアは立ち竦む。


「本当か」


短く、低く、講師は言い放った。


リシアは必死で口を動かす。此の期に及んで、何を躊躇っているのだろう。ただ一言、「はい」とだけ告げれば良い。


早く。


早く。


「……はい」


答えた。


自身の呼吸音が響く中、講師が再び口を開く。よく、声が聞こえない。だがわかっている。それが誰なのかと、問いかけているのだ。


いつも一緒にいてくれた、助けてくれた、彼女の名前は。


「僕が一緒に行きました」


肩に手が置かれる。途端に種々の音が世界に戻り、リシアは背後を振り向いた。


金の髪、蒼い瞳、端整な顔を見上げて、状況を把握できないまま立ち尽くす。


先輩。


かろうじて、そう呟いた。


「班員が見つかるまで、という約束だったんです。話には聞いていたけど、見るに見兼ねてしまって」


貴公子は微笑んだ。アルフォスのそれとは違う、ごく自然な笑顔を、ただただ茫然とリシアは見つめる。


突如現れた「部外者」に狼狽もせず、講師は問う。


「……空きの出た班と聞いていたが」

「第六班の事です。リシアは結構腕が立つから、何度も声をかけていて」

「何、言ってるんですか」


アルフォスが声を上げる。上ずった声が彼もまたリシアと同じく混乱している事を示している。


「リシアと同行していたのは普通科の女子です。ほ、本当だ」

「アルフォス」


溜息が一つ。


「迷宮について学ぶ機会もない普通科の女学生と、僕ら。どちらと行動して炉を手に入れたのか。そんなもの火を見るよりも明らかだろう」


だけど、とアルフォスは叫んだ。それきり二の句が告げなくなったように黙り込む。


普通科の生徒と迷宮に潜り、協力して先史遺物を倒した。それがどんなに荒唐無稽な事か、アルフォスは突きつけられたのだ。


そしてその言葉は講師にも、リシアにも、向けられているのだろう。


「……第六班の班長と、口裏合わせたのか」


苦し紛れにそう呟く男子生徒からは、笑顔が剥がれ落ちていた。がしがしと頭を掻き、吐き捨てるように呟く。


「畜生」


大きくアルフォスは息をつく。


その様子を見て、一先ず事が落ち着いたと判断したのか、シラーはリシアの肩から手を退けた。


なぜ。


そう問いかけようとする。


しかし小さな問いは、響く舌打ちと愚痴に掻き消された。


「ちょっと痛い目に合わせるだけじゃ、口止めは出来ないか。置き去りにした時に、誰にも言えないようにするべきだったな」


リシアには、その言葉の意味が理解出来なかった。


一陣の風が吹き、シラーは半歩足を踏み出す。


小さく男子生徒が叫んだ。


「……今のは、聞き捨てならないな。彼女への侮辱か」


いつ抜いたのか。白銀の剣先をアルフォスの首筋に当てがい、シラーは低く呟く。


司書が再び椅子から腰を浮かせた。


「口から出まかせにしても下劣極まりない。反吐が出そうだ」


剣先がゆっくりと翻り、思わずリシアは制止の声を上げる。


こつん、と音が鳴る。


杖の先がシラーの剣を撫で、ゆっくりと押し下げた。


「そこまでだ」


いつもと同じ声音の、有無を言わせぬ講師の言葉に、シラーは弁明もせず剣を鞘に納めた。


「アルフォスは講師室へ。二人は教室に戻りなさい」


静かにそう言うと、アルフォスは青い顔で頷いた。講師は本を抱えて杖をつき、扉へ向かう。途中、高椅子の上で固まっている司書に謝罪の言葉を告げる。


「騒がしくしてしまい、申し訳ありません」


そうして再び、二人に目を向ける。


「また後で、話を聞かせてもらおう」


萎縮した少年と講師が図書館を後にする。


放心していたリシアは我にかえり、椅子に腰掛けたシラーに向き直った。


「あの、せ、先輩」


リシアが質問する前に、シラーは答える。


「たまには朝早くに図書館に来てみるものだね」


そう言って、人懐こく第六班班長は笑った。


その笑顔を見ると、それまでの緊張が解けていく。リシアは笑みをこぼしそうになって、講師に告げるべき事を告げられなかった事に気付いた。


結局、また、嘘を。


「これで、お詫びは出来たかな」


シラーは呟く。澄んだ蒼い目に見つめられ、リシアは……ただ、沈黙した。

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