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円橋の迷宮

友人を探しに行く前に、アキラは自宅へと向かった。前回のような即席の武器では心許ないと思ったからだ。


玄関に立てかけていた鋤を取り、階段を駆け下りる。用務員から貰った鋤はまだまだ使用に耐えうる。湖の時のように盾や長柄武器の代わりになってくれるはずだ。


今は寄り付く人もいない水路を眺め、麦星通りへ進む。


あの少女から聞いた、秘密の迷宮。オークが隠れ潜むには最適な暗渠に行けば、何か手がかりが見つかるかもしれない。


そう考える一方で、先程の夜干舎とシラーの言葉がぐるぐると巡る。考え過ぎかもしれない。でも、確かめなければ。


麦星通り側の水路に至る。少女は確か、円橋に暗渠があると言っていたはずだ。役所に向かって水路を遡って行く。


途中、衛兵の一行に出会った。銛を携えた彼らはアキラに気がつくと、愛想笑いを浮かべて近づいて来た。


「ジャージに鋤……ドブさらいでもするのか?」


一人がそう告げると、後をついて来た他の衛兵が笑い声をあげる。


アキラが一瞥すると、愛想笑いを浮かべていた衛兵がまじまじと見つめてきた。


先程までと違う声音で、衛兵は尋ねる。


「探し物があるなら手伝おうか」

「なんだよお前、急に親切になりやがって」

「オークに攫われた人を探しています。あなた達も、それで召集がかかっているのではありませんか」


女学生の言葉に虚を突かれたように、衛兵達は沈黙する。僅かに香る酒精の匂いに怒りも湧かず、アキラは会釈をして先へと進む。


役所の屋根が少し見えた辺りで、アキラは立ち止まった。淀んだ流れに架かった橋の袂から、水路の縁を見下ろす。死角に口を開けた暗渠を確認して、飛び降りた。


ひしゃげた鉄格子は経年劣化が激しい。子供の頃と変わらない橋の下で、改めてアキラは鋤を構える。


「リシア」


危険を承知で、友人の名を呼ぶ。微かに木霊する声の後には、何も返ってこない。


意を決して、アキラは暗渠に進入する。


当然ながら、大迷宮のように常灯など無い。入り口から差し込む斜陽を頼りにして、なるべく足音を響かせるように歩く。


……囁きのような物音に耳を傾ける。どこから聞こえてくるのかもわからない、幻聴のような音は探し人とは似ても似つかない。


暗い道の奥を見据える。


陰りの向こうで、仄かな明かりが揺らめいた。


リシアの剣だ。


そう直感して、名を呼ぶ。


「リシア!」


自分でも驚くほど大きな声が暗渠に響く。木霊する声に被るように、小さな答えが返ってきた。


「アキラ?」


思わず駆け出す。


近付くにつれ、濡れた髪を頰に貼り付けた少女の姿が明らかになって行く。


それと共に、水路に浮かぶ不可思議な巨体も視界に入ってきた。


先程、ほんの僅かな間出没した「怪物」に違いない。


即座に体が反応する。


アキラは鋤の柄を強く握り、


「ま、待ってアキラ!」


リシアが制した。慌てふためく友人を前にして、足がすくみ、鋤を持った手に重さが蘇った。


何のためらいもなく、オークに向かおうとしていた。蟲やクズリを仕留めた時のように。


その事に暫し呆然として、その動揺を隠すように口を開く。


「良かった、無事だったんだね」


そう告げると、リシアは目の縁を赤く染め、ごしごしと手の甲で顔を拭った。


「うん……ありがとう」


その言葉を聞いて、少し安堵する。今度は謝罪の言葉ではなかったからだ。


「もしかして救助者かね」


聞き覚えのない声がどこからか聞こえ、それを発したのが水路のオークである事に気付いて、アキラは目を見開いた。


「喋った」

「うまいものだろう」


どこか大らかで暢気な返答に、アキラは少し少し拍子抜けしてしまう。


その様を見てあたふたとリシアはオークを指し示す。


「あの、えっと彼はナグルファルさん」

「……アキラ・カルセドニーです」

「うむ、よろしく」


どこかぎくしゃくとした女学生二人に反して、明るくナグルファルは答える。


自己紹介の後の握手のように、オークは大きな胸鰭を差し出して来た。恐る恐る端を少しつまむと、満足げに息を吐いた。


彼がリシアを攫ったオークなのか。


アキラはオークの動向を見つめる。


「救助ということは、他にも人員が」

「いいえ、私一人だけです」

「それはそれは!ここを見つけるのも骨が折れただろうに」


小さな女の子に免じて、「秘密」については触れないようにする。


「……ところで、何故リシアをここに連れて来たんですか」

「ア、アキラ」


忘れていた警戒心が再び湧き上がり、努めて冷静に問う。それを見てリシアが声を上ずらせる。


「むしろ、助けてもらったの」

「……?」

「水路で漂っていた彼女を見つけて、思わず」


漂っていた。


その言葉の意味を理解して、アキラは息を呑む。


わからなかった。きっとアキラだけではない。他の誰も少女が一人水路に転落した事に気付かなかったのだ。


だがあの状況では……そういった事が起きても不思議ではない。


「言い訳にしか聞こえないかもしれないが」


そう呟いて、オークは頭を水中に沈める。アキラは首を横に降った。


「……ありがとうございます。リシアを助けてくれて」


水路の縁でしゃがみ、感謝の言葉を告げる。オークは再び浮上して、歌とも笑いとも取れない声を発した。


「私の不注意が原因みたいなもので、彼は何も悪くないの。だから、衛兵達にもその事を伝えないと……また攻撃されてしまう」


リシアが下唇を軽く噛む。


「外の様子はどうだった?」

「衛兵と何人かすれ違った。それにここ、役所の近くだから下流よりも配置が多いかも」

「そ、そうだったんだ」


リシアは驚いたように目を丸くする。そうして再び困り顔で水路のナグルファルを見つめた。


剣の柄を握り、少女は呟く。


「いつ警戒が解けるかもわからないし、ここが見つかるのも時間の問題だろうけど……約束は守るよ」


その言葉を聞いて、ナグルファルはほんの少し体を傾けた。

「有り難い」とオークは囁く。


「……外に出てみよう。暗渠の奥に進んでも外洋に辿り着けるわけではないみたいだし」


リシアの言葉にアキラは頷く。ナグルファルもまた、賛同するように頭部を動かした。

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