錯綜(2)
「アキラさん」
ふと、聞き覚えのある声を感知してケインは耳を立てた。
去り行くヒトの流れに逆らうように、ドレイクの青年が現れる。いつぞや湖の小迷宮で出会った、腕の立ちそうな学生だった。
「貴公子」と言って差し支えない容姿の青年は赤いジャージの少女の名を呼び、駆け寄る。
「無事だったか」
その言葉に、アキラも夜干舎の面々も怪訝な顔をする。
学生はと言うと、三人の異種族に気付いて軽く礼をした。
「ああ……あの時の」
「いやあ、久しぶり」
ケインとライサンダーもまた、挨拶を返す。ハロだけが怪訝そうな顔つきで、代表に問いかける。
「誰?」
「以前、湖で出会ったんだ。女学生達の先輩だそうだ」
「ふうん」
まじまじとドレイクの青年を見つめ、ほんの少しだけ頭を下げる。
学生は蒼い瞳で異種族を一瞥し、アキラの隣に立つ。
「大変な事になってしまいましたね」
「お互いやり難くなりそうだ」
「ええ」
青年の表情が曇る。
「……エラキス中が混乱しています。早めにここから離れた方がいいと思いますよ」
先程からこちらを忌々しげに見つめる隊長に会釈をする。
青年は女学生に向き直った。
「送ろうか」
アキラが柳眉を僅かに動かす。
おや、と内心ケインは興味を抱く。この女学生にしては露骨な、不信の表情だったからだ。
先約がある、と告げようとしてケインは暫し考え込む。
おそらくアキラは店に向かった後も、何かと理由を付けて友人を捜すために街に出るだろう。今の状況を考えると、女学生の一人歩きは避けるべきだ。せめて誰か、腕の立ちそうな者が付いていればこちらも安心できるのだが。その点、この少年は適任のように見える。
しかし思い返してみれば、彼は以前も同様に女学生二人を送ると名乗り出て、結局果たせなかった。それを鑑みると、お供としては不安が残る。
「大丈夫ですよ。今度はちゃんと送り届けますから」
ケインの危惧を見抜いたように、青年はにっこりと微笑む。
「挽回させてください」
アキラは不機嫌そうな表情で、下唇を僅かに噛む。何とか青年の提案を拒否する言い訳を考えているようだ。
だがここまで言われてしまうと、中々断るのも難しい。
なおも青年に懐疑の目を向けるアキラに、ケインは囁いた。
「食事はまた今度、という事で……今日は先輩のお言葉に甘えてもいいんじゃないかな」
その言葉を聞いて、アキラは観念したようにため息をついた。
釘を差すわけではないが、ケインは青年に向かって満面の笑みを向ける。青年は答えるように苦笑した。
騒ぎの跡が残る路地を、二人の学生は並んで歩く。
距離を取ろうとそれとなくアキラが道端に寄ると、シラーは悠々とした足取りで距離を詰める。アキラは離れる。そんな攻防の合間に、シラーは涼しい顔で世間話をする。
「もしかして、彼らと何か約束でもしてたのかな」
「……はい。食事でもどうかと」
「それは申し訳ない。ちょっと間が悪かったね」
「……デーナさんは」
「彼女は先に帰ったよ。オークが現れる前に、用を思い出したとかで……それも、間が悪かったかな」
警戒心を剥き出しにするアキラとのやり取りを、シラーは楽しむ。
こんなにも気を許されていないとは。懐柔するには時間がかかりそうだ。
彼女が興味を示しそうな話題を考える。迷宮か。いや、いつの間にかいなくなっている友達の話にしよう。
「そういえば、リシアは?」
「はぐれてしまいました。だから、その」
気まずそうにアキラは視線を下に向ける。
やがて決心したように、真っ直ぐにシラーの眼を見つめた。
その瞳が恐ろしく澄んでいて、シラーは息を飲む。
「……やっぱりリシアを探します。ここまでで結構です。ありがとうございました」
口早にそう告げて、頭を下げる。夜色の髪が一房頰を滑り落ちた。
逃げるのか。
そう思った瞬間、咄嗟に言葉が口を突いて出た。
「友達思いだね」
ほんの少し、魔がさした。
彼女を、試してみたい。
「先程、小耳に挟んだんだけど……攫われたのは学苑の生徒らしいよ」
そう言った瞬間、明らかに女生徒の雰囲気が変わった。
「本当ですか」
「元々小耳に挟んだ程度の噂だから、嘘かもしれないね。でも、もしかしたらって事もあるかも」
「いえ、それは……」
暫しアキラは口を閉ざす。
「……考え過ぎです」
「誰かにそう言われた?」
鎌をかけてみる。少女が僅かに眉をひそめた。図星のようだ。おそらく、さっきの異種族の誰かに窘められたのだろう。
「考え過ぎ、か。言う方は楽だよね。最悪の事態になっても彼らにはどうでもいい事なのだから」
「あの人たちは」
少女が口を開く。おそらく何の根拠もない反論を打ち切るように、提案をした。
「一緒に捜してあげようか」
アキラの瞳を見つめる。先程と同じはずの、不信感と苛立ちが綯い交ぜになった、夜色の瞳だ。
「挽回させてほしいって言っただろう」
静かな路地で、二人は佇む。
その静寂を破るように、アキラは告げた。
「いいえ。あなたの助けは借りません」
想定通りの答えで、シラーはため息をつく。
呆れた様子の先輩に背を向け、赤ジャージの少女は駆け出す。
しかし、ほんの少し先で立ち止まって再びシラーの方を向いた。
「……送ってくれた事に関しては、お手数をおかけしました。ありがとうございます」
抑揚の無い声でそう述べて、頭を下げる。つられてシラーも軽く頭を下げてしまった。
顔を上げた時にはすでに、少女の姿は遠くなっていた。
律儀、なのかな。
路地に一人取り残され、シラーは忍び笑いを漏らした。




