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水の味、音の道

ウィンドミルを掲げ、暗渠を行く。


ひとまず外の様子を伺おう、というリシアの提案を、ナグルファルは少し躊躇いながらも承諾した。


先程の攻撃の件もある。暗渠の外に出る時は、リシアが先行して安全を確保するという条件付きだ。


……それにこれ以上深部に足を踏み入れるのは、気が進まなかった。


染み着きそうな気味の悪い臭いに眉を顰めつつ、傍らのオークに話しかける。


「そういえば、エラキスへは何をしに……」

「ん」


水面を大きく波打たせ、悠々とナグルファルは浮上する。


「本当はジオードに向かうつもりだった」

「ジオードへ?」


頭の中でジオード周辺の地図を広げる。海峡からジオードに入国するには、運河を通る必要がある。だがその運河はエラキスの遥か東方を流れているのだ。かすりもしないエラキスの水路に何故入ってしまったのだろうか。


「迷った、とか」

「迷ったというのは正しくない……正しくない」


何とも不本意そうにナグルファルは潮を噴いた。


「近道をしようとした」

「近道?ジオードへ向かうのに?」

「目的地はジオードの交易所だったのだが、そこへ行くには運河を上らなくてはならない。私は外洋を東方向に進んで来たのだが、回り込んで運河に入るのがどうも面倒でな。そこで、前々から気になっていた道を開拓することにしたのだ」


それが、エラキスの水路を通る経路というわけか。しかしここを遡上しても、行き着く先は大迷宮の末端かレス湖だ。ジオードに辿り着くことはできない。


「ジオードに辿り着くことはできない、と思ったかな?うむ、良くわかるぞ」


得意げにナグルファルは尾鰭をくねらせた。


「確かに地図を見るとそうなっている。だが……この辺りは水の味が同じなのだ」


水の味。


異種族独特の表現かと思ったが、小迷宮で嫌というほど被った水と時々使う天水の味を思い出して、リシアは納得した。確かに水にも味の違いがある。硬水と軟水、汚染の多少、その他の要素で水の味は決まり、それをオークは海に溶け込んだ状態でも識別することが出来るのだろう。


「水源が同じだと思った」

「そういうことだ」

「でも遡上してもジオードには着かなかった」

「それが納得いかん」


寝返りを打つように、ナグルファルは水中で横転した。


「絶対に何処かで繋がってるはずだ。水系の味を間違えるはずがない」


駄々をこねるようなオークを横目に、リシアはこれまでの情報が意味するものは何か、考える。


元迷宮の水路。同じ水質。


迷宮の水は浸み出る地下水とレス湖を水源としている。だが湖とジオードの運河とは何の関わりもない。


地下で繋がっている、というのは些か飛躍しすぎのような気もした。


「ああそれで、目的の話だったな。目的はこれだ」


ナグルファルは左胸鰭を高く掲げた。リシアは器用に姿勢を維持するナグルファルを見つめる。


胸鰭の付け根に、皮の帯のようなものが括り付けられていた。胸元には鞄も見える。


「ここに交易品が収まっている」

「これ、どうやって付けたんですか」

「一人で出来るぞ。ああ、鞄の作成は器用な者に頼む。海沿いのドレイクとかにな」


よくよく見ると帯は安全帯の様な形をしていた。肩帯に鰭を通し、鞄を抱え込む様にして荷物を運ぶのだろう。鰭さえ自由に動かすことができれば、オークでも装着は難なく出来る。


「舟を曳く者もいるが、隊商とかだ」

「へえ。荷物の積み下ろしとかも、取引相手に頼むんですか」

「そうだ。難儀と思うかもしれないが、オークの交易は手を貸してもらうことが多い。しょうがないことだが」


海に住むヒト故に。


ナグルファルの体を眺める。大海を回遊する事に特化した体だ。指が無い鰭では細かな作業も難しいだろう。取引の際に地上へ荷物を持ち去られてしまったら追いかけることも出来ない。


「商売は信頼」とはよく言うが、その言葉はナグルファルにとっては一層切実なものなのだろう。


「どんな物を扱ってるんですか」

「今回は香木を少しと、珊瑚真珠竜涎香だ。あまり量は無い」


多少難儀でも交易をする理由がわかった。香木はともかく、海底の品はオークとの取引で手に入れる方がずっと楽なのだろう。それにいずれも超高級品だ。


「す……すごい品々」

「我々にとっては身近な品だ。真珠は少し特殊だが」


身近な品。海底には珊瑚の畑でもあるのだろうか。リシアは想いを馳せる。


「海ってどんな所なんだろう」

「私も陸に上がったことはないが、あまり変わらないのではないか。海にも街のような海域はあるし、色んなヒトが暮らしている」

「オーク以外にも、海のヒトが?」

「いるとも。陸では何と呼んだか……」


興味深くナグルファルの話を聞く。


その話に滲むように、遠くからくぐもるような囁き声が聞こえてきた。


リシアは周囲を見渡す。


二人以外に人の気配は無い。


より注意深く、囁きに耳を傾ける。


今日……ぎ……依頼は……この後……学苑……


学苑?


何とか聞こえた単語の羅列、声質からして、囁きの主は迷宮科の生徒だ。


しかし暗渠にリシア以外の生徒がいるとは思えない。


何処から聞こえているのだろうか。


「外の音が壁を伝って響いてるようだ。よく様々な言語で会話が聞こえてくる。賑やかなことだ」


稲妻のように、リシアはアルフォスに置いてけぼりにされた時の事を思い出した。あの時、どこからか歌……オーク語が聞こえてきた。


あれはきっと、ナグルファルの声だ。


迷宮の外にいたナグルファルの声が聞こえたと言うことは、逆も然り、なのだろう。


「迷宮の音が、聞こえるんだ」


範囲はどの程度なのだろう。暗渠付近と第三迷宮だけか。いや、もっと色んな音声が聞こえてくる。


誰かの笑い声。


誰かの叫び。


誰かの足音。


どれもここではないどこかから……


「リシア嬢」


ナグルファルが足場の縁を鰭で叩いた。


「誰かが、近付いてくる」


リシアは進行方向を見据える。


水を跳ね、煉瓦の道を迷いなく進む靴音。


曇りのない音は確かに、「暗渠に進入してきた誰か」の足音だった。

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