怪物(1)
終業の鐘が鳴り響く。
それぞれの放課後を過ごすため、生徒達の往来が増える。駅へと向かう流れの中に、リシアとアキラも紛れていた。
昼休みの告解で幾分か気が楽になったリシアは、隣のアキラに語りかける。
「ひとまず、浮蓮亭に行こう」
「うん」
「それから、役所にも。探してる人がいる。これは……私の用事だから、」
「一緒に行こうか?」
気にかけるようなアキラの言葉に、リシアは暫し沈黙する。数拍後になんとか答える。
「講師を探しに行くの。朝からずっと居なくて、もしかしたら役所にいるのかもしれない」
それから少し考えて、
「アルフォスの事、全部話す。だから……その過程で昨日の事も、あなたの事も、話さなきゃいけなくなるかもしれない」
正直に告げる。何か思うところがあったのか、アキラは考え込むように目を伏せた。
「学則に明記はされていないから、大問題にはならないと思いたい」
「そうね、そしたら」
その後に続く言葉を飲み込む。希望的観測だ。
でも……もしも、二人で大手を振って迷宮に潜ることが出来るようになったら。アキラは喜んでくれるだろうか。
「おっ」
そんなおめでたい思索は、通りに面した「菫青茶房」から出て来た二人組の呼び声で打ち切られた。
「リシアにアキラ、今から迷宮か?」
よく響く声でそう聞くのは第六班の副班長、デーナだ。小脇に紙包みを抱え、歩み寄る。その後ろで事の成り行きを見守るように、班長のシラーが微笑んでいる。
「先輩」
「いやー運が良いぞ二人とも。ほら、これやる」
デーナは押し付けるように、紫色の缶をリシアに渡す。同じように手渡されたアキラは缶をまじまじと見つめ、礼を述べた。
「ありがとうございます」
「まあ粗品みたいなものなんだけどな。ここの新商品の咳止めらしい」
デーナは声を潜める。
「班長はこういう所がまめなんだ。気をつけろよ」
「えっ」
「デーナ、変な事言わないでくれ」
苦笑いをしながら、シラーはデーナをたしなめる。下級生二人を交互に見つめ、好青年は会釈をした。
「飴は好きかい?試供品を店番の子からたくさん貰ってね」
「い、いただきます」
早速蓋を開けてみる。仄かに甘く清涼な香りが立つ缶の中で、琥珀色の粒が光を受けて煌めいていた。
喉に効きそうな飴だ。
「今日も二人で迷宮に?それとも、見物かな」
シラーの言葉に答えあぐねて、「見物?」とリシアはなんとか声を出す。
「昼頃に怪物が目撃されてね、市民も冒険者も水路に集まってるんだ。凄い騒ぎだよ」
「もしかして、本格的に討伐が始まったんですか」
「いや、まだだ。意見は二分しているからね」
得体の知れない怪物がうろついている事は確かなのに、何故役所が早々に指示を出さないのか。リシアが疑問点を告げようとすると、
「本当に、怪物なんですか?」
アキラが尋ねる。興味深げにシラーはジャージの少女を見つめ、小さく首を傾げた。
「さあ、どうだろうね。ただ市民の不安が無視出来ないものになっているのは確かだ。噂によると、怪物が怖くて歌の練習に影響が出ている子もいるとか」
シラーの蒼い瞳がリシアを一瞥する。その視線に僅かに粘ついたものを感じて、リシアは不安を覚えた。
「冒険者のほうは、もっと慎重になるべきだという意見が多いね。アンナベルグ講師もそれで朝から召喚されている。元冒険者としての意見を参考にしたいんじゃないかな」
「だから……」
一日見かけなかったわけだ。
しかし、生徒を預かる講師としての職務を放棄させてまで呼びつけるとは。リシアに実感が無いだけで、相当な大事なのではないか。
「街中でこの間みたいに暴れまわられたら困るな」
「まだ遺物かどうかもわかってないんだよ。怪物はよっぽど隠れるのが上手なようだ」
デーナは怪物を以前小迷宮で遭遇した先史遺物に類するものと見ているらしい。それにしては被害が少ない……ほぼ、無いのも気になる。
「その怪物は、歌いますか?」
ぽつりとアキラが呟いた。三人は同時に発言者を見つめる。珍しく驚いたようにアキラは目を泳がせ、弁解した。
「……ちょっと思っただけです」
「確かに、そんな情報を聞いたことがあるよ。怪物が現れる前兆は歌だと」
シラーは腕を組み、右手で顎をさする。どこか老獪な仕草だが、不思議とこの貴族然とした青年には似合っていた。
「歌う怪物か。なんだか陽気で良いね」
そう言って何が面白いのか、班長は一人で微笑む。
「そういうわけで、僕らはこれから水路に行くんだ。事の成り行きを見守ろうと思ってね」
「ま、野次馬だな」
身もふたもないデーナの発言を笑って流し、シラーは下級生に手を差し出す。
「一緒に、どうかな」
魅力的な提案だった。だが、今の二人には先にやるべきことがある。
リシアは頭を下げる。
「すみません、これから拠点に用があって」
「そうか。いや、用事があるのに引き止めてしまって、申し訳ない」
ほんの少し寂しそうな顔を見せて、シラーは引き下がった。その後、思いついたように付け加える。
「また会えたら、見物の顛末も伝えるよ。勘だけど、何か起こりそうな気がするんだ」
そう言って、ひらりと片手を振った。副班長と共にシラーは水路へ向かう路地に入って行く。
「なんだよ勘って」
副班長が揶揄う声が、小さく往来に響く。
「確信だろ」
不穏な言葉を最後に、二人の会話は遠く聞こえなくなった。




