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浮蓮亭(1)

終業の鐘が響くと、エラキスが最も賑わう時間が訪れる。


往来を行く人々の喧騒に聞き慣れない響きが混じり、街の名物である川魚の揚げ物を露店が拵え始める。その合間を徒党を組んで歩く迷宮科の生徒達…。大通りの様子を細い路地から遠巻きにリシアは眺める。その後ろで、アキラが挙動不審な連れの様子を心配そうに見ていた。


「リシア、どこの酒場に行くの」

「…あまり他の生徒が来ないところ」


路地からそっと顔を出し、斜め向かいの酒場の様子を伺う。第二市街地と迷宮を結ぶ大通りは「制服通り」とも呼ばれ、放課後になれば課題をこなす迷宮科の生徒や露店を冷やかす普通科の生徒が多く往来する。その通りの学苑に程近い位置に、件の銀沙亭がある。


他の酒場に比べると硝子窓を多用した開放的な間口は、確かに学苑生徒でも入りやすい。現に硝子の向こうにはそれぞれの班の腕章を袖に縫い止めた生徒達がちらほらと見える。


その中に見知った顔を見つけて、リシアは反射的に路地に引っ込んだ。


「ダメだ」


思わず溜息を吐いて、アキラが見ている事に気づき誤魔化すように咳払いをする。


「…出来れば、最近出来た店を開拓したい。ほら、競合者がいなければ高く買い取ってくれるかもしれないし?」

「この辺りは旧市街地に近いから、店の入れ替わりはあまり無いね」


そう言って、アキラは駅の方を指差す。


「新しい店を探すなら、反対側がいいんじゃないかな」

「駅の反対側って『異国通り』?」

リシアは顔を顰めた。

「治安が悪すぎない?」


学生街である制服通りと駅を挟んで反対側の通りは、俗に「異国通り」と呼ばれている。此処はエラキスを擁するグラナデン王国外から大迷宮の噂を聞きつけてやって来た他国の「人々」を相手にした酒場が建ち並び、エラキスの他の地区とは異なる街並みが広がっている。本職冒険者の巣窟とも言える其処に、うら若い女子生徒が足を踏み入れるのは危険すぎる…と、リシアは考えた。


「それに向こうじゃ私達学苑生徒は相手にされないと思う」


リシア達迷宮科の生徒だって、迷宮に関する知識を学び、数々の課題で迷宮に潜っているためある程度の経験はあると自負している。それでも彼ら本職冒険者には一笑に付されてしまうのだ。


「そもそも、向こうの店は学苑と提携してるかも怪しいし」

「提携?学苑と全く関係ない酒場に入れるわけではないんだ」

「うん…あ、そういえば」


講師から貰った指定集会所の一覧を思い出し、鞄から取り出す。五枚ほど綴られたそれをアキラと一緒に眺める。


「これは」

「提携している酒場の一覧。確か、後に行くほど新しい店だって…」


最後の頁をめくる。つらつらと書き記された店名と所在地を眺めていると、アキラがその内の一店を指差した。


「これ、向こう側の通りだ」


店名は「浮蓮亭」。所在地は確かに異国通りの番地になっている。それも駅に程近い。


「ここに行ってみる?」

「…うん」


仮にも学苑指定なのだから、如何わしい店だということは無いだろう。名簿を見ながら異国通りの方へ歩みを進める赤ジャージの少女の後を追い、リシアはいつの間にか主導権が彼女の方へ移っていることに気付いた。


未だに建築工事が終わらない駅前を通り、異国通りへ足を踏み入れる。途端に往来を行く人々、交わされる会話、漂う香り…全てががらりと変わる。


徒党を組んで歩き隣国であるジオード訛りの言葉を話す、リシア達と同じ人種のドレイク。


蹴爪のついた脚でちょこちょこと歩き回りながら露店を冷やかし、愉快そうに尾羽を上下させるハルピュイア。


貴石と貴金属をふんだんに使った装飾品で耳と尻尾を飾り立て、「まやかし」に用いられる振り子を首から下げたセリアンスロープ。


様々な国から訪れた異邦人が闊歩する其処はまさに「異国」。その異様な雰囲気にリシアはたじろぐ。


「…」

「こっちかな」

「ちょっと、待ってってば」


そんなリシアを先導するように、アキラは細い路地に足を踏み入れる。露店の軽食の包み紙や食べかすが散らばる薄暗い路地裏を、リシアは戦々恐々としながら、アキラは後ろについた少し頼りない女生徒を気遣いながら進む。途中、対向からやってきた本職冒険者の一行とすれ違う。異国通りでは見慣れない学苑生徒の二人組を見て一行は怪訝な顔をするが、アキラが会釈をすると、つられるように会釈を返した。それに更につられるようにリシアも会釈を返す。


「ここかな」


程なく、路地に面した扉の前でアキラが立ち止まった。飴色の木材で出来た扉の上に花を象った鋳鉄の看板がかけられている。看板には腐食加工で刻まれた「浮蓮亭」の文字。確かに此処で間違いはないだろう。


「じゃあ入ろ」

「待って!」


取っ手に手をかけるアキラを見て、リシアは止める。


「…私から入る」


何でもかんでも普通科の少女に先導されていては、迷宮科の面目丸つぶれである。何事か察したのか身を引いたアキラの代わりにリシアは扉の把手を引き、


「畜生!」

「いだっ」


勢い良く開いた扉にリシアはしたたかに鼻をぶつけ、尻餅をついた。埃臭い外套を羽織った冒険者が出てきて捨て台詞を吐く。


「客に喧嘩を売る店なんざ潰れちまえ」


戸口に唾を吐き捨て、怒りで二人が目に入らなかった冒険者は去っていく。リシアは唸りながら立ち上がる。


「ちょっと…何なの今の!謝罪ぐらい」

「リシア、鼻血出てる」

「えっ?」


赤く染まったリシアの鼻から血が一筋流れているのに気付いて、アキラは珍しく声を荒げた。反射的にリシアは鼻頭を覆い隠す。


「うそ」

「待って、ちり紙…」

「おい何してる」


店内から聞こえてきた声に二人は動きを止める。性別も不明瞭なほど低く掠れた、しかしはっきりと聞き取れる声だ。


「用が無いなら、扉は閉めてくれ」

「え、あ…」

「あの」


鼻を抑え扉から離れるリシアとは真逆に、アキラは半開きの扉を開けて店内に入る。


「友達が鼻血出してて」

「い、言わなくていいでしょ!」

「ちり紙はありますか」


顔から火も吹き出そうになりながらリシアは連れを追って入店する。客が七、八人も入ればいっぱいになりそうな程狭い店内には明かり取りの窓とホヤランプが一つあるだけで、かなり薄暗い。卓は一つ、椅子はカウンターに四つと卓に二つ、店の隅に二つ。これで経営していけるのか不安になる程小規模な店だ。


更に不安を掻き立てるのが、調理場を覆うようにカウンターに掛けられた簾だ。目隠しのために取り付けたのか、簾の奥は薄暗さも相俟って伺う事が出来ない。


「ちり紙?」


その簾の向こうから、再び掠れ声が聞こえてきた。店主が簾越しに此方を覗き見ている事に、リシアは悪趣味さを感じた。気味が悪い。

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