光
男、新田康司は疲弊していた。
家族の手により、若くしてとても個人には載せられない重責を担わされ、更にはその報酬とも言える財産を有象無象のハイエナ共に狙われる毎日を憎悪していた。
どうして俺なんだ。もっと有能な奴がいるだろう。心の底で幾度叫んだかわからない。
さんざっぱら持て囃されている新田家だって、所詮は戦後の土地成金だ。本物の貴い血筋の人間からは相手にされない。すべては金だ。金金金。
金を産むのに教育が必要で教育を受けるのに金が必要。けれども、次男の康司は一般的な教育しか受けていない。
康司の伸び代は既に定められている。スペアにすらなれなかった。例えば長男の茂が死んだとして、後継ぎは長女の要が入り婿を取って落ち着く形になる。十年も昔に決まったことだ。
自棄になる自由もない。新田の家に泥を塗ってはならないし、また家の財産の用途は何重にも渡って厳しく管理されていた。遊ぶ金を得る度に領収書と引き換えとなれば、悪所通いも足が遠退くのもむべなるかな。
そんな康司だったが、容姿に恵まれ些か女に人気があった。だからといって、勝手に新田の一族を増やすことは許されていないのでお友達止まりだ。要するに生殺しだ。それでは恋人を作るのもままならない。
生きながら死んでいる。金が掛からず、監視の目に咎められない趣味を探したりもしたが、そんなもの楽しくもなんともない。かろうじて続いたのは将棋ぐらいだ。
近頃ではその康司の容姿すらも新田の家が利用して、虫寄せの蜂蜜よろしく息女を誘い寄せ、野心を持った家族もろとも処分しているらしい。
顔見知りが歯抜けに消えて行く様はどんな創作物のホラーよりも恐ろしかった。
確かに康司だってハイエナ扱いをしていた。だが、なけなしの良心は死ねとまでは思っていない。人を数で数える程人情を失っていない。病死と他殺をイコールで繋げる人非人に堕ちてたまるか。
あれらは、他人を人間扱いしていないから出来るのだ。
この時、康司の胸に新田への明確な敵意が浮かんだ。いけ好かない老人達から、兄姉から家督を算奪してやろうか。
我が家族はおめでたくも勘違いしているが、国内には新田以外にも大きな家はいくつもある。無論、それらは見え透いた餌に食いつきはしないだろう。そこで直系の康司が自らパイプを作りにいけば・・・・・・利益の為に大鉈を振るってくれること間違いなしだ。
なにせ、康司は独立する実力がない。物理的に裏切れない同盟者、いや配下はさぞかし有り難いものだと容易に想像が付く。
実質、併合に近い力関係を土台にし、得られるものは新田そのもの。誰だって魅力を感じる。あとは、それらしい理由を取って付ければお綺麗に纏まるというものだ。
そうだな、わかりやすい線で行くなら女か。流石に同格の家からお嬢様の輿入れを願うのは難しいとしても、適当な女を捕まえて新田に結婚を反対して貰えばいい。
そうすれば、馬鹿な坊やが跳ね返る理由には十分足りる。のぼせ上がって家を売る放蕩息子の出来上がり。表を取り繕った後は周りが勝手に固めてくれるだろう。それがちょうどいい落としどころだ。
選考基準はただ一点。康司程度に無害で頭の廻る人間。女は最悪行きずりでも構わないが、使えるに越したことはない。いずれどこかに擦り寄った先に康司の人生があるのだから、隣にいる駒は有能な方が望ましい。尤も、有能な女が康司に見向きをするかはまた別問題なのだが。
「お前が好きだ。付き合ってくれ」
今日も今日とて面接を繰り返す。単調な流れは眠気を誘発するものの、決して手は抜けない。
このつまらないやり取りにとてつもない対価を支払っている康司は笑うに笑えない状態だ。
康司が自ら動くと波が大きく揺れる。仮にも新田の次男だ。否応なく目立つ。
中には康司が考えることを推察する人間が現れたっておかしくない。康司は決して天才などではあらず、精々が秀才だ。ならば同じ天才未満が同じ思考に至る可能性はそこらに転がっている。
たかが十代の、どこにでもいる凡庸な男。能無しがそいつに権力を持たせた。世は歪だ。
「金目当ての輩に殺される未来が見えるわ」
ほら、天才未満がここにもいた。危険を顧みず、最善の結果を掴める一握りが天才と呼ばれるらしいが、天才という奴はきっと誇大妄想狂に違いない。
でなければ、彼等にとっての凡人の危険は危険ではないのだろう。
「誰からだって護ってみせる。俺を信じてくれ!愛しているんだ」
同類に上滑りする言葉をぶつけるのは実に苦痛だ。見ろよ、あの虫でも眺めているかのような眼。足元から震えがくる。
「愛で飯が食えるかたわけ。作り話の中ですら、愛には庇護が求められている。貴様はその庇護をする立場ではないか。恥を知れ、恥を」
なんともはや、お人よしのお嬢様が説教までしてくれる。涙が出そうだ。嫌悪を包み隠してまで道を指し示す女に強烈に惹かれた。
『もう、あれしかいない。』打算や利益が吹き飛んだ。理想に近い。理想の管理者に。愚かな自分をその大きな愛の隅にでも是非置いてくれないか。
「捕まえた」
どんな形でもいい。君の仲間にして欲しい。
頼むよ光。
脱力した女の身体を抱きしめると、ほのかに抹香の香りがした。どことなく死んだ祖母様に通じるそれを康司はとても心地好く感じた。