第二話 痛いの痛いの飛んで行け
決意を固めたが今の僕にできることは少ない。
寝る事、乳を飲む事、排泄すること、言葉を覚える事、この4つぐらいだろうか。
少なすぎてまた泣きそうになる。泣いてばかりだ。
が、赤ちゃんは泣くのが仕事と言ったりもするし、まぁいい。
この中で頑張る必要があるのは言葉を覚える事だけの様だ。
というか生まれ変わる前の生活とあまり変わらない気がする。
飯が乳に変わり、PCに向かう時間が語学学習に変わっただけ。
僕は前世ですでに赤ちゃんになっていたのさ、キラッ☆なんてね。
でも気持ちは全然違う。僕の未来はまだまだこれからだ!なんて言いたくなる。
言わないし、言えないけれど。
僕はお腹が空いては泣き、排泄しては泣き、眠くなっても泣く。
僕が泣くたびに抱き上げに来るブロンドの女の言葉をしっかりと聞く事にし、集中する。
僕を胸元に抱え、リズムよく左右に揺れながら毎回、同じ言葉を繰り返し喋っている。
心地いい声だ。だけど僕にその言葉の意味は理解できない。
状況的に考えて、おそらく「おーよしよし、どしたどしたー?」ぐらいだろうか。
……全くわから無い。眠い。揺らされているせいだろうか。
いつの間にか泣くのも止まり、僕は眠りに落ちていく。
意識が薄れていく最中にもずっと声は聞こえている。
僕は安心感に包まれながら眠る。
そして寝て、起きて、言葉を聞き、眠る。それを繰り返しているうちに僕の体は大きくなっていく。
僕は起きていられる時間の中で精いっぱい色々と学ぶ。
この家に住んでいるのは僕とブロンドの女と厳つい顔をした短髪の男の3人。
男も女も見た目から年齢は20代後半ぐらいだろうと推測できる。
顔は日本人というかアジア人ではない、2人の顔は完全に西洋人で、美男美女だ。
2人の仲は良さそうで、男が出かけるときや帰宅したときには必ずキスしているし、すごく楽しそうな顔で話をしている。
生前の僕なら「このリア充どもめ、もげろ。」とか言いたくなっていただろう。
けれどこの2人にはそういった感情はわいてこない。
それは僕がこの2人の子供で、この2人が両親だからだろうか。
けれど、この2人が両親という実感はあまりない。
2人が生前の僕とあまり変わらない年齢だからだろうか。
ブロンドの女はいつも優しそうな笑みを浮かべて接してくれるし、
厳つい顔の男は乱暴そうな声で僕に喋りかけてくるが、
僕に触れる時には手に変な力が入っていて緊張しているのが伝わってくる。
2人からの愛情を感じる。
悪くない。
むしろ心地よくて僕は幸せに満ち満ちた生活を送る。
どれぐらいの日が過ぎたのか正確にはわからないが体の成長的に見て1年ぐらいはたっただろう日。
壁を使えば立てるようになってきた頃、僕はいきなり言葉を理解できるようになる。
寝て起きて泣いていたらいつもの様にブロンドの女がやってきて急に僕にわかる言葉で話し出したのだ。
「はーい、どうしまちたかー?ナキア君?ママでちゅよー」
僕は驚く。日本語?いや、違う。英語でもない。ずっと聞いてきたこの国の言葉。
耳に入ってくる音に特別変わった感じはない。
だけど僕にも理解できるようになった。
体の成長のおかげだろうか。
考えてもわからない。でも言葉はわかる。
そして僕は僕の名前を知った。「ナキア」この人生の名前。やはり日本人ではなさそうだ。
日本人ではなさそうなのはこの家の様子からうすうす感じていた。
自然味のあふれる木製の家具達や、電化製品群の存在しない部屋、おまけに部屋の明かりはカンテラなのだ。携帯電話で話しているところも一度も見たことがない。
おそらく日本で、こんな生活をしている人はあまりいないだろう。
だから僕はここは日本ではないんじゃないかと思っていた。
だけど名前でもそう感じさせられると少し残念な気もしてくる。
生まれ変わるときはもう一度日本がよかったとかそんな気持ちは別にないのだが、なんともいえない寂しさがあるのは事実だ。
でももうしょうがないと思考を切り替える。
美男美女から生まれたこの僕ならおそらくイケメンになれるだろうし、人生はイージーモードのはずだ。
でも日本ではないならここはどこの国なんだろう。
電気がないということは貧乏なのかもしれない。
でも両親の服装や、家の様子から貧しさはあまり感じられない。
もしかしてアフリカの奥地とか。そうだったら顔の良し悪しはあまり関係がなさそうだ。
いや、アフリカの奥地の生活はしらないけれど。
そんなどうでもいいことを考えながら僕はまた寝てしまう。
言葉がわかるようになってから僕の生活は一変した。学べることが爆発的に増えた。
2人の会話から男の名前は「リグル・フィニット」女の名前は「ナレイン・フィニット」と判明する。
リグルの仕事は、服装や帰宅するときの汚れっぷり、筋肉むきむきな体から現場作業員だと思っていたが、クレーム処理係のようだった。モンスターがどうとか言っているのを聞いたからだ。
国は違えどもモンスタークレーマーは存在するようだ。悲しい。
ナレインも働いているようだが、今は休職中らしい。
リグルが「君が居ないと死んでしまいそうだ」とか甘いセリフを抜かしていたことから2人は同じ職場のようだ。この時はちょっともげろと思った。
そうして色んなことを少しずつ理解しながら、僕は大きくなっていく。
1人で歩けるように練習を始める。初めは何度もこけた。
だけど何度も繰り返しているうちに歩けるようになってきて妙な達成感に包まれる。
僕はナレインの前で自慢げに披露することにし、
拙いながらも喋れるようになってきた口で「ママー」と呼ぶ。
ナレインがやってくる。
見ててねーと言い、僕は歩く。
緊張の第1歩を踏み出す。
こける。
さすがに1歩でこけると思っていなかった僕は受け身も取れず床とキスする。
家族以外のファーストキスの相手は床でした。なんて笑い話ではない。痛い。
顔、とくに鼻が痛い。
僕は恥ずかしさと、悔しさと痛みで泣けてくる。
すぐに近づいてきたナレインが痛いの痛いの飛んで行けをやってくれる。
「ナキア!大丈夫!?此の者を癒せ、ヒーリング!」
この国の痛いの痛いの飛んで行けは変わっている。
文言が変わっていても国が違えども親のおまじないは効くみたいで僕の痛みはすぐになくなる。
鼻を触って確認する。血も出ていないようだ。
僕は安心して、もう一度歩けることを見せる。
すごいすごいと褒められて抱きしめられる。
そんなことを繰り返して僕は2歳になる。
歩けるようになって僕はナレインと共に家の外に出かける。散歩だ。
今まではナレインが出かけるとき僕はリグルと留守番だった。
リグルとの留守番は楽しかった。
基本的には筋トレをし続けるリグルを眺めているだけだったが、
僕が排泄物をケツから放出し、
その異臭が漂い始めるとリグルは焦ったような、困ったような顔をして
窓の外を見て、ナレインがまだ帰ってこないことを確認し終えると、
僕のケツを濡らしたタオルで綺麗にし服を着替えさせてくれるのだ。
その時の、焦りつつも優しい雰囲気を消さないようにしながら、ナレイン早く帰ってきてよーみたいな顔をしながら頑張るリグルを見るのはなかなか嬉しかったし楽しかった。
だから今まで家の外に興味はなかったのだが、初めて家の外に出た時その光景に衝撃を受けた。
僕の目に映るのは金色の麦が生い茂る畑だけだった。
頭上には電柱も電線もない空が広がっている。
田舎。
すっごい田舎。
少し歩くとちいさな川があって、その川沿いには水車小屋が建っている。
その川の向こうも麦畑でここには麦畑しかないように思える。
(ここは麦畑村だ、よくきたな)僕の心の中の村人が言う。
そんなくだらない妄想に耽っていると麦畑は終わりを迎え森の前に着く。
足を止め、森を見つめながらナレインが言う。
「ナキア、1人で出かけるときはここの森に入っちゃだめだよ!モンスターが出るかもしれないからね」
僕は思わず笑い出しそうになるのを我慢し、怖がりながら返事をする。
モンスターって…おそらく森に入って迷子になるのを防ぐための定番の子供だましなのだろう。
そういえば家でもよく「言うこと聞かないとモンスターが来て食べられちゃうよ!」とか言っていた。
僕が怖がるふりをする度、リグルが「モンスターが来たら俺が守ってやるよ」と笑いながら言ってくれる。
ナレインは「もう!」とか言っていたがそういう時間に僕は幸せを感じるようになっていた。
森から離れ、村のいろいろな場所に連れて行かれ、僕は疲れ果ててナレインに抱っこされながら家に帰る。
この村には家も店もあまりなかった。あるのは麦畑ばかりだった。
そして森。夏になったらあの森の中で虫取りしたいなと思う。
見たことのないカブトムシやクワガタがいっぱいいそうだ。
僕は今からわくわくする。あれ?リグルの働いてる会社はどこなんだろう。
明日の散歩でリグルのところに行こうとナレインに提案してみようか。
家に帰り、ナレインが晩御飯を作っているときにリグルが帰ってくる。
僕はキッチンから離れられないナレインに代わって玄関に走ってリグルを出迎えてあげる。
リグルは嬉しそうな顔で僕を抱きかかえ、頭をわしゃわしゃしてくる。
僕はやめてーとか言いながらリグルの腕の中で暴れ、リグルはそんな僕をおとさないようにしながらナレインと話し出す。
僕はナレインとリグルの話を邪魔しないようにしながらリグルの体をよじ登り遊ぶ。
と、首筋に怪我しているのを見つける。長さ3cmほどの小さな切り傷。痛そうだ。
僕はナレインの真似をして痛いの痛いの飛んで行けをしてあげる。
「ひーりんっ!」
ガギグゲゴはまだうまく言えない。
僕の拙いおまじないに喜ぶリグルとナレイン。
おおー治ってきた!とか演技してくれる。僕は嬉しくなって何度もひーりんひーりん言う。
そんな中僕はちゃんと「ヒーリング」と言える。
「グ」がちゃんと発音できた!と喜ぶ僕の目の前でリグルの傷がみるみる治っていく。
僕はその光景から目を離せない。
傷が塞がりきり、僕はやっと2人の顔を見る。
ナレインとリグルの驚いた顔。
そして薄れていく意識。
僕はこの世界について誤解していたかもしれない。
現代で他国。僕の認識は今までそうだった。
でも、根本から違う可能性。
異世界。
僕の頭の中に前世で読んだ小説がいろいろ浮かんでくる。
わくわくしてくる気持ちの中で僕は意識を手放すのだった。