プロローグ
朝から降り続いた雨が昼ごろに止み、晴れてきた夏の月曜日の午後4時すぎ。
僕はアルバイト先のカラオケ店へと自転車で向かう。
今日は午後5時から閉店の深夜2時までの勤務の予定だ。
25歳アルバイト。
世間からみた僕の肩書。少し恥ずかしい気もするが、別に世間体なんてどうでもいい。
すこしだけ働き、細々と生きるのが僕の生き方だ。
僕は自転車を走らせながら少し前の生活を思い出す。
毎朝、満員電車で通勤し上司と取引先にごまをすり、深夜に帰宅する。
そんな生活をしていた。そのころは彼女もいた。
別にやりたい仕事ではなかったし、やりがいも感じなかったが給料はよかった。
遊ぶ暇もほとんどなかったが。
そうして仕事に追われ毎日をただただ消化していく人生だった。
これがあと40年近く続くと思うとゾッとした。
そんな日々の中で珍しく早く帰れたある日、
僕はテレビに映るミツユビナマケモノに心を動かされる。
好きな時に起きて好きな時に寝る、そして死ぬ。そんな映像が流れていた。
僕はそれを見ながら涙が止まらなかった。
僕は僕の心の限界に気づく。
僕は仕事に行かなくなり会社をクビになる。彼女にもフラれる。
収入を失った僕には魅力が無くなったらしい。
でもそんなことどうでもよかった。
僕はもっと気楽に生きたいのだ。
目指すはナマケモノ生活。他人なんてどうでもいい。
僕はしばらく貯金を切り崩しながら過ごす。
幸いにも遊ぶ暇さえなかった生活のおかげで貯金はそこそこあった。
好きな時間に起きて、好きな時間に好きなことができる。
インターネットでまとめサイトや2ch、ムフフなサイトや小説、漫画を見る。
お腹が減ったら出前を取り、飯を食う。
眠くなったら寝る。
風呂だって入りたいときに入る。
目的もなく目標もない、そんな生活。
もし今すぐに死んだとして、未練は何もないように思う。
最高だった。
僕がウンコ製造機になって3ヵ月が経つ。
思っていたより貯金がなくなるペースが早くて焦る。
やばい。
このまま働かなければあと数年で飢えて死ぬ。
僕は考える。働くか飢え死にか。
飢え死には辛そうで嫌だ。死ぬならぽっくり逝きたい。
でも働くにしても正社員なんてクソくらえだ。あんな生活に戻るぐらいなら飢え死にのがマシだろう。
でもバイトならどうだろう。
バイトなら働いて嫌になったら辞めればいいんじゃないか。
バックレもありだろう。
そう考えて履歴書を書き、面接を受ける。
何社か落ちて、もういいかなと思う。
飢え死に万歳だ。
でも適当に受けたカラオケ店でのバイトが決まる。
そこでの仕事は社畜時代と比べるとすごく楽だった。
自分の働きたいだけシフトに入り、休みたい日は適当に嘘の理由で休む。
完璧だ。
バイト先での人付き合いは最小限にし、仕事が終わればすぐ帰る。
多少浮いてる感じはあるがそんなこと問題ではない。
別に他人と何かしたいなんて思わない。
早く家に帰って好きなことをしたいのだ。
飲み会や遊びに行ったりなんてしたくない。
バイトに行き、ワンルームの自宅に帰りPCでまとめサイトを見る。
そんなクソみたいな毎日で僕はどんどんクソになっていく。
でもそれでいいのだ。どうせ人はいつか死ぬ。
それならしんどい思いや、つらい思いはできるだけしたくない。
努力して○○を達成する!なんて絶対にやりたくないし、そんなこと自分にできるとも思わない。
生活費+1,2万稼ぐ。
それで十分だ。
そんなどうでもいいことを思い出したり、考えたりしながら
半分ぐらいの道程を進んだところで朝より激しさを増した雨が降ってくる。
(傘ぐらい持ってくれば良かった…。)
後悔するがもう取りに戻るのも面倒なので自転車の速度を上げバイト先へと急ぐことにする。
信号のある小さな交差点に差し掛かる。信号が青から赤に変わってしまう瞬間を見る。
ちゃんと待つと青になるまで2分もかかるここの信号は雨の今、無視する事に決める。
車は来ていないようだ。
ブレーキを緩くかけ、左右を軽く確認し交差点に突っ込む。
全てがスローモーションの世界。
鳴り響くホーン。全力で鳴る甲高いブレーキの音。雨のアスファルトを自転車のタイヤが滑る音。
迫ってくるトラック。その運転手の顔が引き攣る様子。トラックの前面がへこみ、弾かれる僕の体。自転車がトラックの下に巻き込まれへしゃげ、僕は空中を回転しながら飛んでいく。
信号を待っていた親子のお母さんが子供の顔を手で覆い隠す様子まで見えたところで僕はアスファルトに叩き付けられスローモーションの世界が終わる。
赤。
目の前の地面が赤い。
あれ、アスファルトって赤かったっけ?と思うがそんなことはなくてそれは僕の血だ。
寒い。起き上がれない。遠くのほうで悲鳴が聞こえる。さっきの親子だろうか。
あぁ寒い。だれか早く救急車呼んでくれよと思うけど、そんな僕の横をトラックが轟音と共に走り去っていく。
ひき逃げかよ!と思うが声も出ない。
雨が冷たい。ぼくの体からどんどん血と体温が失われていくのがわかる。
瞼が自然に下がって目の前が真っ暗になる。
あ、死ぬのかなこれ。
やり残したことは特にないけど、ニュースで「25歳のアルバイト店員がひき逃げで死亡」とか言われるのはちょっとやだなぁ。
まぁでも死んだ僕には関係ないからどうでもいいのか。
そんなくだらないことを考えながら僕の意識は消えていった。