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永宮未完 挑戦者編  作者: タカセ
剣士と探索者の街
80/119

剣士と永宮未完

 それはパズルの破片だった。


 一つ一つはたいしたことが無い集合体。


 少しばかりの罪悪感と引き替えに、手に入るのは十分な、それでいて多すぎない報酬。


 支部職員は、借金の立て替えの代わりに、正規依頼書に少しだけ細工して、その若者が探索者となる時期まで依頼が解決されないように引き延ばした。


 宿場町をしきっていた有力者は、普段から気にもとめていない郊外の牧場からあがる窮状の訴えを、少しだけ小さく受け止め重要事案として報告しない代わりに、禁制品の輸出入ルートにかかる経費の便宜を得ていた。


 牧場と取引をしていた精肉商人は、困窮した牧場主が衆目を集めるほどに騒ぎ出さないように牧場に無担保で資金援助をする代わりに、港湾人夫達が使う港湾食堂に肉を卸せる権利を得ていた。


 他にも、今回の件を隠蔽、引き延ばすために用いられた策は3桁近くに及ぶ。


 それは本当に小さな小さな悪事や違反の集合体。


 その程度の悪事は、今のロウガにはありふれていて誰も気にとめていない。


 誰かがやっている。自分がやらなくても誰かが引き受けている。    


 その程度の事。


 さらにそれを後押ししたのは、その中心にいながら、一切の事情を知らなかったセイジ・シドウの才能ゆえだ。


 ここ一年ほどの間に何度も若手が出場する闘技大会で優勝してみせて、将来を期待される若者の噂。


 それを知っていたからこそ、その事件自体が仕掛けられた物と知らず、牧場で使っている井戸の水が減少した程度の小さな騒ぎなど、すぐに解決するだろうと考え、気軽に引き受けていた。


 この若者が頭角を現せば、それが将来の利益に繋がるかも知れないという期待と共に。


 誰もが、繋がりを知らぬまでも、少しだけの罪悪感を持つ無意識の共犯者となる。


 あと少しだけ遅ければ、地域を揺るがす大惨事になっていたかも知れないと後から知ったとしても、それが仕組まれたことだと、真相に気づいたとしても、自覚無き共犯者ゆえの後ろめたさが沈黙を守る事となる。


 もし一人の少女が現れ、事態を大きく引っかき回していなければ。


 もしどこからともなく現れた襲撃者が、大陸各地で起きていた類似の事件に関する書類を衆目に晒していなければ。


 この事件は、未曾有の惨事を、始まりの宮を踏破したばかりの探索者になり立ての若者が直前に防いだ新たなる英雄譚として、新作を求める吟遊詩人達によって謳われていただろう……








「祖父殿にご指摘を頂きました通り、主犯はセイカイ・シドウで間違いありません。既に本人及び責の重い関係者の拘束と尋問を執り行い証言の裏付けや、証拠の押収を開始しています」



 今回の水妖獣発生未遂事件の裏側を含めた真相は、襲撃者がもたらした羊皮紙に書かれていた情報を手がかりにして、ソウセツを中心とした新生治安警備隊の徹底した調査もあってほぼ解明されている。


 管理協会に正規ルートで依頼された案件が途中で握りつぶされ、その元となった異変さえが策謀であった。


 今回の件は探索者管理協会その物の信頼を問われる不祥事。


 さすがにこれを表だって妨害しようとする者は、支部上層部にも居らず、むしろ蜥蜴の尻尾切りと言わんばかりに、匿名のたれ込みも少なくないほどだ。


 実際に関連して行われた大規模捜査で、馴染みの探索者に頼まれ一部の支部職員が、不正な斡旋が横行していた事実も数え切れないほどに出て来ている。


 ロウガ支部の綱紀粛正は急務だと不快そうに締めくくったソウセツの話を聞き終えフォールセンは、深く息を吐きソファーに腰掛け直す。


 ロウガ支部を起ち上げ初代支部長として長年率いてきたフォールセンは、あの頃に比べて規模が何倍にも大きくなったとはいえ、今の支部の体たらくに思うところはある。


 だが世事を離れ、見て見ぬ振りをして過ごしてきた自分が、どうこうといえる立場でも無いのもよく判っている。


 だから、ただ残念に思い息を吐いた後は、未来を見ることにする。 



「計画の中心に据え置かれていたセイジ殿に責は及ぶか?」



「知らぬ事とはいえ祖父が行ったこと。さらに自分の功績となるべきだった謀。事が事だけに、無関係ともいかず何らかの処罰が及ぶ可能性も高く、本人も厳罰を望んでいました。ですが私の孫のサナが彼とは良き友人関係だったようで、熱弁を振るって、彼本人も含めて無罪を認めさせました……」



 あの襲撃者は、その生きて帰る事を考えているとは思えない無謀な突撃や、もたらした羊皮紙の情報から見ても、セイジの命を狙い、刺しし違えても、この隠された事件を公にしようとしていたと見られる。


 羊皮紙に載る情報はそれほどまでに、執念と恨みの篭もった多岐にわたる正確な情報であった。


 つまりはセイジを中心にして水妖獣事件が仕組まれ、それを白日の下に晒し出そうとする襲撃者によって出陣式の事件へと至ったというわけだ。


 サナに羊皮紙を渡したのも、お前が信じている男の正体はこれだぞという今際の際の呪いのつもりだったのだろうというのが、散文する情報から推測する世間の大体の憶測だ。


 全ての中心にセイジがいるのだから、己が知らぬ所で全てが進んでいたとはいえ、責められるのは避けられぬ状況で、本人もどのような沙汰が降ろうと受け入れるつもりだった。


 だがそれを嫌がり、セイジの頑固さに怒ったのがサナだ。


 今期の始まりの宮に挑む機会を諦め先延ばしにしてまで、来賓した他国の王侯貴族に頭を下げ弁護にかけずり回ったサナ曰く


『もしセイジに責任をとらせる気ならば、早く探索者とすることです。家の罪が自分の罪だという時代錯誤の頑固者には、無実の罪で収監し刑罰で償わせるよりも、探索者として功績を積ませる方が、何倍も世のため人のためになります』


 との事。


 元々大衆人気があったサナの熱心な弁護に加え、出陣式の際にあのソウセツ・オウゲンさえも退けた襲撃者に一矢を報いたセイジの姿が使い魔による中継をしていた広場中の水鏡に映し出されていた事も幸いする。


 上級探索者ソウセツさえも退け化け物的な気配を発する無法な襲撃者に対して、果敢にも立ちふさがり反撃してみせた若きサムライのセイジ。


 傷ついたセイジを庇うように飛び出て、自分の仲間だと大見得を切ってみせた王女サナ。 


 英雄譚に出てくるようなシーンの評判が、事件直後にはうなぎ登りとなっていた事もあり、セイジの無罪放免を求める者が続出。


 気の早い吟遊詩人によって、気概ある無実のサムライと、それを庇う勇敢な姫の話としてあちらこちらの酒場で謳われ出している始末だ。


 セイジの反撃で片手を失った襲撃者は、怪我を負ったことで無様な逃亡を謀るがその途中で囲まれ、ついにはおぞましい気配と共に自爆して果てたと、詩の中でされている事も影響しているのだろうが、   



「呪いとして託したか。なるほど……そうとも取れるな」



 何とも曲解されながら、それらしく聞こえる理由にフォールセンは苦笑するしか無い。


 呪いを紡ぐ暇があるなら、すでに斬っている剣術バカはそんな事は考えない。


 おそらく本当の意味で託したのだ。


 この醜悪な謀から素晴らしき才を持つ若者を自分では守れないと考え、堂々と仲間だと宣言してみせたサナを信じたのだろう。


 ケイスが自らの腕を犠牲にしてまでその剣の狙いを変えたことに、あの場にいたフォールセンだけが気づいていた。


 ケイスと同様、もしくは上回る剣の才能を持つフォールセンだから気づけた。


 だからケイスが何を考えたのか推測はできる。


 セイジを守ろうとしたのだと。


 ただあのほんの一瞬前までみせていた怒れる殺意から、何を思い一瞬で反転して守護に回ったかまではさすがに判らない。


 歴戦の勇者であるフォールセンをもってしても計りきれない。それがケイスだ。



「今回の件における被害や賠償はシドウ本家から、末席とはいえ一族の者が起こした不祥事。全ての弁済を申し出てきております。またセイカイへ協力し罪に問われた者の恨みがセイカイの子や孫であるセイジ・シドウに及ばぬように保護し、本家預かりとして面倒を見るとのことです」



 自分がした小遣い稼ぎの小さな悪事のはずが、今回の件でより大きな悪事へと繋がり、身の破滅となった者は数多い。


 ソウセツから言わせれば、罪に小さい、大きいなど無く、意識して行った以上は罪は罪だ。


 人生を狂わされた逆恨みが、セイカイの家族に及ばぬようにというのがシドウの弁だ。


 大衆人気の高まっているセイジを取り込むことで、今回の件でシドウの名声につく傷を少しでも軽くする狙いもあるのだろう。



「今のシドウ本家はセイカイ殿の異母兄。海運ギルド長のミカミ・シドウ殿だったか……ロウガの発展をまず第一に考えるとの評判だったな」



 セイカイが東方王国復興派だったならば、その異母兄ミカミは今のロウガのまま発展を望む現状派だと聞いている。


 引退しているフォールセンは世事とほとんど接触が無いので、ミカミが今のロウガの中心人物の一人ではあるがその頭角を現したのが、フォールセンの隠居後なので、聞き及んだ噂以上にはその人と形をしらない。


 彼がこの件に関わっているのか、それとも無関係なのか。


 シドウの総帥ともなると、そこまではさすがのフォールセンの情報網といえど、往年の力をほぼ失っているので調べきれてはいない。



「セイカイという末端ですら、ここロウガではシドウの名である程度の力が働きます。ましてやシドウ本家に面と向かって逆らえる者はそうはいませんでしょう」



「シドウ本家に面と向かってか……あまり気にはせんであろうな。そうでも無ければあの場で襲撃などかけぬよ」



「祖父殿……あれは一体何者ですか?」



 フォールセンの意味ありげな声に、ソウセツは面会を求めた真の理由を簡潔に問いかける。


 誰の事を言っているかなど口にするまでもない。


 誰に似ていると、聞くまでも無く、言わせもしない。


 強い視線に対して、フォールセンは懐の中に手を入れると、何かをとりだしそれをテーブルの上へと置いてみせた。



「これはケイス殿が持っていた物だ」



 フォールセンがとりだしたのは、銀を用いたほっそりとした刀身と丸みを帯びた柄を持つどこか女性的な短剣だ。


 握り拳程度の短い刃は、これが実用的な物では無くもっと儀式的な意味を、護符としての意味を持つ護身懐剣だと示していた。


 華麗な銀細工で全体を彩られた懐剣は、持ち主を守護し邪気を払う神聖品を中空となった柄に納め生まれた女子に贈るという、今は無き古い国の慣習の品だ。



「っ!」



 ソウセツの心臓が不規則に1つ跳ねる。


 その剣にソウセツは見覚えがあった。


 父母から贈られた品の中で唯一持ち出せて残った宝物だと何度か聞かされた。


 互いに想い合いながらも立場上は一緒の道を歩めないからと、義母が、ソウセツの親友だった思い人に自分だと思えと贈った誓いの品。


 そしてソウセツと親友は違う道を進む別離のときに、この剣に誓っていた。


 己の未来を。


 自分達が進む道は違えど、その根底にある物は同じだという誓いを。


 ソウセツは、義母の愛したロウガを守る者。


 ソウセツ・オウゲンとなる。


 親友は、ルクセライゼン皇帝フィリオネスは、義母の求めた理想であり夢を叶えると。


 民と共にあり、民を思う皇帝になる。


 そして義母の…… 



「まさかあの娘は!」



 思わず狼狽したソウセツは、椅子を蹴倒しながら立ち上がる。


 その顔、剣技。それからうっすらと察していた正体があった。


 伯母の、邑源華陽こと現カヨウ・レディアスの血を引く者であろうとは予想はしていた。


 だがこの剣をあの娘が持っていたことで、その意味は大きく変わる。


 この剣を、義母の形見を、フィリオネスが誰かに託すことなどあり得ない。


 いくらカヨウの血を引く者だとしても与えるわけが無い。


 姉の敵をとるために、姉が愛した男を守るために、この地を去ったカヨウが許すわけが無い。


 もし、もしも、もしもだ。フィリオネスがこの護りを与える存在があれば、あるとすれば……



「だ、だからですか……あの娘の存在を我等が知らないのは!」



 何に対して激高したのか、自分でも判らず、ソウセツは絞り出すように苦悩しながら声を荒げる。


 フィリオネスの子を孕んだからこそ、義母は謀殺された。


 世界最大の帝国であるルクセライゼンを維持し国体を脅かす者を排除する紋章院と、東方王国復興を旗印に掲げる者達によって、その未来を閉ざされた。



「フィオやリグ、伯母上が我等に伝える事が出来ないのは。そういう事ですか」



 英雄である義母は、遥か過去に受けた呪いの為に子を諦めていた。


 だから故あって預かったソウセツに本当の愛情を注ぎ、子供が好きで良く面倒を見ていた。


 義母に本当の子ができるとしても、ソウセツは何の不安も抱いていなかった。


 義母が注いでくれたものは、疑いも無く本物であり、これからも変わらぬと判っていた。


 ツレの母親に手を出すなと、フィリオネスをからかいながら、フィリオネスの守護騎士でお堅いリグライドにも無理矢理に飲ませて、三人ともべろんべろんによって立てなくなるまでに泥酔するほど祝杯を重ねた。  



『ソウタ。あんたお兄ちゃんになるんだから、おしめの替え方ぐらい覚えときなさいよ……ユイナさんとの間にあたしの孫が生まれたら、その時はお婆ちゃんがやったげるから』



 男が所帯臭いことなんてやれるかと嫌がる自分の首根っこを押さえてからかう義母の幸福そうな笑顔。


 最後の笑顔を思い出したソウセツは血が滲むほどに強く拳を握る。


 その待ち望んでいた子は、封じたはずの呪いが活性化したことで化け物と変貌し、義母は内側から食い破られる事になった。


 母として我が子を救うため、我が子に母殺しの罪を背負わせぬ為に、自らの残った命を振り絞り、我が子の命を絶ち、己の命を絶った。


 あの絶望が、あの無残な死に様が、ソウセツを、フィリオネスを変えた。


 あの日から目標は使命となった。


 成すべき事では無く、成さなければならない事になった。


 長かった髪を切り落としたソウセツは、酒も賭け事も全て絶ち、ただ鍛錬を積み、その名に恥じぬ武を求めた。


 ロウガを守る者として生きるとソウセツは誓った。


 思い人と、我が子を失ったフィリオネスは、そのトラウマによって子を成すことが出来無くなり、今も子のない皇帝として様々な誹りを受けている。


 だがそれでも民と共に歩く皇帝として生きている。



「だがでしたら、何故、何故にあの娘はここに、ロウガにいるのですか。それにあの娘の瞳は蒼くはありませんが、ナイカ殿は龍王の力と気配と断言しています」



 1つの回答がさらに多くの疑問を呼び、その疑問が更なる数多くの疑問へと至る道を開く。


 先ほどまではうっすらと察したと思っていた自分の推測が全くの勘違いだと、ソウセツは認めざる得ない。


 知れば知るほどに、その正体や目的が不明となる謎の存在としかいいようが無い。



「ソウタ……先ほどいろいろと要請が来ていると伝えたな。断りの良い返事を思いついたので今はそれを返している最中だ」



 狼狽するソウセツを落ち着かせるように、名を呼んだフォールセンは、ゆっくりとした口調で、話題を変えた。


 祖父が意味が無い話題の転換をするはずが無いと知っているソウセツは、動揺をその意思の力で押さえ込み続きを促す。



「どのように返答をなさっているのですか」



「最後の弟子をとることにしたと。その為に時間は取れないと……私の剣技を全て伝える事が出来るほどの天才に出会えたとな」


 

 フォールセンがその戦いの中で生み出した剣技や魔術、闘法は数多くの国で研究され、流派として伝えられている。


 だがそれは全てフォールセンのもつ武の一部を切り取った断片。


 技術体系1つに絞ってもその分野全てを体得するのは困難であり、誰も真似が出来ないほどの万能の天才。


 それほどまでに隔絶した才を持つ者。


 それが大英雄フォールセン。


 そのフォールセンが編み出したいくつもの技術体系の中でも、もっとも高名な物は、1対多をとする剣技『フォールセン二刀流』


 常に多数のモンスターと死闘を繰り広げる事になった暗黒時代において、フォールセンが最後まで生き残り、双剣の二つ名を得た大英雄の代名詞たる剣技。



「剣士殿は、私でも考えつかぬ思惑と、思いの中で生きている。この老いぼれの名と技でも、少しばかりはその身を守る盾となろう」



 テーブルの上に置いた懐剣を見つめたフォールセンが、誓いを口にする。


 大英雄最後の愛弟子。


 その称号が持つ意味は少しばかり等という物では無い。


 それを多少と呼ぶのは、フォールセンの謙遜か、それともそれさえも多少としか呼べないほどの混乱がこの先に待ち受けているのか。


 フォールセンがみせた決意の色に、ケイスと真正面から向き合うという宣言に、ソウセツも覚悟を決める。


 下手に調べようとすれば、藪を突く事になり、あの時の悲劇が再来するかも知れない。


 だから今はただ受け入れるしか無い。


 あの娘の正体が何かは判らない。判らなくなってしまったという事実を。


 その上であの存在が混乱を起こすなら、この街を守るソウセツは、混乱を抑え静めるだけだ。



「そうですか……ならば私はロウガを守る者として、あの者の前に立ちふさがりましょう。このロウガを乱す者は何があろうとも私が止めてみせます」



 フォールセンがその立場と剣技をもってケイスを守る盾となると言外に誓っている。


 ならばソウセツはその暴走を止める箍となろう。


 何をしでかすか判らない不確定要素を力尽くで止めてみせよう。


 それが結果的にケイスと名乗る、親友の血を引くかも知れない娘を守ることになると信じ新たな誓いを、義母が残した懐剣へとソウセツは立てていた。























「少しお時間はいいかい。海運ギルド長様」



 シドウ本家最奥。


 物理的にも魔術的にも守られたはずの己の私室に突如響いた女の声。


 だが異母弟が起こした事件で近隣関係者に送る詫び状をしたためていたミカミ・シドウはその登場に驚いた様子もみせずに手紙を書き続ける。



「貴女ですか。ご苦労様でした。おかげさまで優秀な又甥を、シドウ本家に無事に迎え入れることができました」



 髪は真っ白に染まり高齢となっているが、その目の色は知性的で、遥か先を見据えていた。


 又甥の優秀さは聞き及んでいたが、その祖父である義母弟が問題行動の多い難物だったために、他の者の手前、優遇するのは難しかったが、それも今は変わった。



「鼠の資料が見つかるなんて想定外もいいところだが、こっちの失敗は失敗。大事になったんだ。挽回くらいは喜んでさせてもらうよ」



「多少の傷はつきますが、古き枝を取り去り、若芽を受け入れたと思えば十分でしょう」



 当初の計画では事は表沙汰にならず、証拠のみを突きつけセイカイは内々で処分しながら、セイジを引き入れる予定であった。


 いろいろと思惑違いのこともあったが、結果的には良い方向へと収束したといえる。


 本家で預かったセイジ・シドウは療養が終わり次第、来期の探索者を目指す事になる。


 セイジの弁護で今期を見送ったロウガ王女のサナと共に。


 金を払った吟遊詩人達が広めている又甥達の詩もそれなりに好評で何より。


 払った金は口止め料も含めてそれなりの大金ではあるが、傷ついたシドウの看板を修復すると考えれば安い物だ。



「くくっ。さすがシドウの長。先を見据えていられるご様子。盲目的だった弟殿とは大違いだ」



 ローブの端から出た赤銅色の髪を弄りながら意地悪く笑う魔女の言葉にも、なんの感慨も無くミカミは筆をしたため続ける。


 切り捨てることになった異母弟に対する兄弟としての思いはあるが、それはシドウの長としては些細な感傷。


 シドウはロウガの発展を望む者。


 狼牙ではなくロウガを。


 そこをはき違えていた異母弟は残念だが、その血筋が残した縁は、かつて無いほどにロウガ王家と繋がる道が見えたので良しとするべきだろう。


 象徴といえどロウガ王家には高い価値がある。


 美味く結びつければ周辺国家、地域からさらに人と富を呼び込む起爆剤となろう。



「セイカイはそれなりに優秀でしたが、あまりに東方王国に拘りすぎるきらいがありましたので扱いに困っていましたので、今回はいい機会でした。報酬のお話ですね。そちらのテーブルの上に置いてあります。さすがに本物をお渡しする訳にはいきませんので写しですが」



 ミカミは真新しい紙に書き綴られた分厚い書類の束をペンで指さす。


 龍によって壊滅した東方王国の文武百家の中、唯一大陸外にまで拠点をもっていた紫藤家が伝える東方王国時代の文書群の写し。


 税の取り立て記録。


 街道補修の人員派遣。


 飢饉の領地への他領地からの米の貸し付け記録等々。


 細かく雑多な記録は、東方王国時代の生活を鮮やかに浮かばせる物で、東方王国時代の遺物を集める好事家や歴史研究家ならば驚き寝食を忘れ読みふけるかもしれない。


 だがそれ以外の者にはあまり面白味が無い資料の類いだ。


 そんな埃を被った記録を報酬として提案し、ミカミに接触してきたこの策謀家がなにを考えているか?


 そんな物にミカミは興味は無い。


 ロウガにとって有益か害か。


 それだけだ。


 相対的に見てシドウの力が弱くなろうとも、新規の商家が増え、競争が増えロウガが潤うならば、喜んで受け入れよう。


 ロウガを発展させる。それだけがシドウの存在意義であり、その前では他に意味は無い。



「確かに。いろいろと調べなきゃならないから、失礼させてもらうよ」



 ぱらぱらと中身を確認した魔女は、すぐに帰るつもりのようで、魔力の篭もった目を怪しく光らせる。



「はい。ご苦労様でした。ロウガに恩恵をもたらせるようなお話でしたらいつでもどうぞ」



 これもロウガを発展させるための取引。


 初めて手を止めたミカミは。取引相手の魔女に対し、深く頭を下げ見送ることにする。


 取引相手には誠実であれ。


 それが外交に手腕を発揮し、商売人としての顔も持つシドウの家訓。


 その信念に従い生きるミカミの目や声には、悪意という感情は一切含まれてはいなかった。















「うむ……ぴぃっ!」



 ベットにうつぶせになったケイスは腫れ上がった尻の状態が気になってそろっと手を伸ばしてはみたが、触れた瞬間に生じた痛みで思わず変な声をあげてしまう。


 以前ならばこの程度ならすぐに回復できたが、今の状態では気にならないほどになるには数日かかるかも知れない。


 すでに夜も更けているのに痛くて眠れないので、窓から顔を見せた月を暇つぶしに見上げる。


 今回の件はさすがにケイスも反省している。というよりも懲りた。


 元々どうにも逆らいがたかったが、今回の件で完全に折れた。


 祖母達や従姉妹と同ランクの怒らせてはいけない人物にランクインだ。


 レイネは絶対に怒らせないようにしよう……なるべく。


 譲れない物がある時はどうしてもだが、それ以外はそうしようと心に誓う。



「んむ。叱られるのはやはり嫌だが、心地よくはあるな」



 痛いし、眠れないが、別に嫌な気分では無い。


 これが敵意や悪意のある人物からの攻撃であったならムカムカして斬ってやろうと思う。 


 だが叱ってくれる人達からの痛みは、自分を心配してくれた証だと教えられていたケイスは素直に受け入れることにする。


 自分を心配してくれる人がいる。それが嬉しい。


 実に単純なケイスの思考は、幼少時の人生経験の偏りや人との関わりの少なさによって形成され、今では染みついている。


 味方か。敵か。


 実に単純かつ明瞭な判断基準がケイスの基本だ。


 だから叱られても、怒られても嫌いにはならない。


 自分を心配してくれている人は味方だからだ。


 だが、


 だが、


 だがだ。何故心配する?


 それはどうしても思ってしまう。


 心配してくれる人がいるのは嬉しい、嬉しいが、心配されるのが少し寂しい。


 ケイスはいつだって出来無い事をしているのでは無い。


 自分ができると判るから、自分なら大丈夫だからと判っている。


 それなのに、それはいくら口に出して言おうが、実際にしてみせようが、いつまでも中々信じてもらえない。


 できる訳がない。


 たまたま上手くいった。


 そんな答えがいつだって返ってくる。


 それが少し寂しくて、少し嫌だ。



「鍛錬はしたいが怒られるのは……うむ。何か良い方はないか」



 ケイスは天才だ。


 己の才を誰よりも知っている。誰より理解している。


 だからこそ常に鍛錬を、努力を積まなければならない。


 天才ならば、必死の努力などをせずとも才を発揮できる。何でもできるはずだという者もいるだろう。


 しかしそんな者を、ケイスは天才などと思っていない。


 それは単に少しばかりの才能があるだけだ。


 何の努力も鍛錬もせずに全てを引き出せてしまう程度の、底の浅い才能を持つ者をケイスは天才などと呼ばない。


 天才たるケイスの中には、天才たるケイスが全身から血を流し、死ぬほどに自分を追い込んでも、使い切れない、引き出しきれない才能がまだまだ眠っている。


 その深さ、領域、限界がどこまであるのか、天才たるケイスにすら判らない。


 そもそも自分の才に限界があるのかすらケイスは判らない。


 だから努力する。


 己の力を引き出すために。


 己が求める最強を求める為に。


 自分はもっと強くなれる。強くなれるはずだ。


 だから今の強さにケイスは固執しない。


 魔力を捨て去っても、自分は強くなれる。


 争う龍の闘気に身体をぼろぼろにされ、今も闘気をまともに練れなくても、自分は強くなる。


 強くなれる。


 それは強がりでは無い。


 事実だ。


 純然たる絶対なる事実だ。


 あの最後の一撃がケイスにそれを確信させる。


 石垣崩しによってみせた破壊力は、あの時のケイスの限界を遙かにしのぐ力。


 龍王の血を抑えてきたケイスでは届かなかった領域。


 だが龍の血を開放すれば、届くことが判った。


 そちらの方が強くなれると理解した。


 なら進むだけだ。


 ならば強くなるだけだ。


 果てなど無い。


 いつか世界でもっとも強くなっても、そこには自分がいる。


 今の瞬間に最強だったケイスがいる。


 だから自分はそれを越える。


 最強の自分を越える最強になる。


 飽くなき強さへの慟哭は、乾きは、ケイスの本質。


 龍の中の龍たる龍王。


 この世の最強たる龍王さえもケイスにとっては通過点でしか無い。


 しかし龍王をも超える龍王を目指すケイスの心情を理解が出来る者などこの世には存在しないのかも知れない。


 ケイスが絶対の信頼を置く剣であるラフォスさえも、最後の一撃を放つときは必死に止めてきて信じてもらえ無かった。


 死ぬから止めろと心配された。


 自分ならば制御できると、ケイスは信じ確信していたというのに。


 心配されるのは嬉しい。


 だけど心配されるから寂しい。



 何故この世界には自分の言うことを、自分が天才だと真の意味で判ってくれる者はいないのだろうか?



 だがその寂しさこそがケイスを人として留める。


 いつか全てを理解してくれる人がいるかも知れないと思い、それを望むからケイスは人が好きで、この世に絶望をしていない。


 全てを喰らう最悪の龍王にはならずにすんでいる。


 だがケイスは知らない。


 ケイスが望む先にこそ真の絶望があることを。


 いつか得られるかも知れないという幻想があるから、ケイスは絶望せずにすむ。


 だが一度手に入れてしまえば、真の理解者を手に入れそれを知ってしまえば、それを失ったときケイスは耐えられなくなる。


 絶望に沈み、その寂しさを紛らわすために、唯一ケイスが他人を真の意味で感じられる剣に狂う。


 理解してもらえぬ絶望に苦しみ、理解する渇望を満たす為に、世界を敵に回し、全てを斬り尽くすまで止まらぬ。


 世界を喰らい尽くす最悪の龍王となる。



「ん。となればまずは初志貫徹だな。フォールセン殿に弟子入り。技をもって制せば良い」



 心たる魔術を失おうとも。


 体たる闘気に支障が生じようとも。


 類い希なる天才性をもって技を身につければ良い。


 己の運命を、真の絶望を知らぬ幼き龍王は、懲りずにいろいろと暢気に考えていた。












 神の一柱にミノトスという迷宮神がいる。


 彼の神が司る迷宮は、人に試練と報酬を与える。


 その試練と報酬を司る迷宮は、いつかこの世に起きる災厄に人々が立ち向かう力を得るためにあると、彼の神の神官達は謳う。


 現にかつて存在した迷宮を踏破した者が、その後に起きた大災厄を食い止め、討伐して英雄となっている。


 そして役割を追えた迷宮は死して、ただの洞穴となる。


 それこそが神の決めた定め。


 この世の摂理。


 しかし現在稼働する世界で唯一の生きた迷宮はその摂理から外れている。


 トランド大陸全域に広がり、今も拡張を続け史上最大の大きさと難度を誇る大迷宮群『永宮未完』


 この迷宮が生まれ、既に相当の年月が過ぎたが、迷宮は未だ健在。


 彼の暗黒時代を越えても、『永宮未完』は止まらず拡張を続けている。


 歴史学者、神学者、高位神官が幾人も集まり、話し合い、調べてもその答えは出ない。


 迷宮神ミノトスが何故今も迷宮を拡張し続けるのか人は理解が出来ない。


 だがそこに確かにある恩恵は魅力的なのは変わらない。


 ただ己の欲望を叶えるために迷宮に挑む者が増えたと嘆く神官がいる。


 迷宮に挑む探索者達が技術的にも精神的にも質の低下が目立ち、度々取りざたされるのもその為だ。


 『永宮未完』にはそれに相対する『大災厄』が存在しないからだと。


 しかし彼らは知らない。


 龍王をも超える龍王となるべき存在を。


 常に拡張を続け変わり続ける『永宮未完』に相対し、常に強さを求め続け決して止まらない『永久未完』である剣士を。


 その永遠に未完成たる故に最強の龍王が、歴史の表舞台に躍り出て、更なる騒ぎを引き起こすのは、もう少し先の話。


 最強たる道をひた走る事になる剣士のお伽噺は、数ヶ月後、ロウガ地方の始まりの宮『龍王湖』から幕を開ける。




 永宮未完第一部完

お読みくださりありがとうございます。

第1部はこれで閉幕となります。

調子良かったのでこっちに集中、何とかこの1週間で一気に書き上げられましたw


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