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永宮未完 挑戦者編  作者: タカセ
剣士と探索者の街
77/119

剣士と鬼翼

 ロウガ新市街地の中央広場は、常に大勢の人で賑わっている。

 暗黒時代を終わらせた英雄像を奉った噴水は、ロウガの観光名所の1つであるということもあるが、その広場に面して建てられたミノトス管理協会ロウガ支部があるのも大きな理由の1つだろう。

 良くいえば象徴。

 本質をいえばお飾りであるロウガ王家に委託されたという形で、ロウガを実質的に統治する機関であるロウガ支部には、探索者のみならず、大陸全土に影響力を持つ広域ギルド関係者や、大陸を回る交易商人、難題を抱えた依頼者など様々な人が日々訪れている。

 ロウガのみならず周辺国家から訪れる大勢の人々を余裕で受けいれるキャパシティを持つはずの中央広場だったが、今日は些か事情が異なる。

 出陣式に詰めかけたのは、広場を埋め尽くすほどの数万を越える群衆だ。

 式の主な進行が行われる噴水前に並ぶ、今期の始まりの宮に挑む若き挑戦者達の中には、あまりの人の多さにか緊張した面持ちしている者も多い。

 周囲には侵入防止用に遮断結界が描く魔術光を伴う半透明の壁が立ち上って、その外側には式の妨害を企てる不届き者や乱入者を見張るように警備兵達がずらりと並ぶ。

 噴水の上には水で出来た四面魔術境が形成され、広場のあちらこちらにも鏡が急遽設置され、儀礼部所属の魔術師達が放った使い魔達が捉えた噴水前の映像を、後方の観衆にも見えるように映しだしている念の入れようだ。

 この賑わいや、警備の規模は、同じくこの広場で数年前に行われたロウガ王家の王位継承戴冠式をも凌ぐ大盛況ぶりだ。



「さすがダンナの偉功……この人出じゃ、あの嬢ちゃんの容姿が目立つっても見つけ出すのは至難だし、騒ぎでも起こされた日には面倒なことになるよ」



 記憶にある限りで過去最大の人出だと即答できる人の群れを見下ろしながら、噴水を囲むように設置された来賓席の端へと座るフォールセンの背後に警護役として立つナイカは小さく息を吐く。

 ケイスが屋敷から抜け出したとフォールセンから聞いたのはつい先ほど。

 ロウガどころか、大陸中を見渡しても、堅牢さでいえば上位に名が上がるであろうフォールセン邸から抜け出せるだけの実力、その並外れた行動力、そして予想外の既知外思考。

 はっきりいえば野生の獣が街中を自由に闊歩しているような物だ。

 半年ごとに執り行われる出陣式は、多くの見物客や屋台が出て大いに盛り上がり、一種の祭となっている。

 特に今期は上級探索者として高名なソウセツとユイナの孫であり、大衆人気もあるロウガ王女サナが今期探索者を目指すことになっていたのでロウガ王族が勢揃いすることや、近隣諸国からの来賓も多くなり、盛況になると予測はされていたが、その予想を遥かに上回る混雑具合。

 この雑踏の中から小娘一人を探し出すのは至難の業だ。

 ここまでの人が集まったその要因はただ一人。

 大英雄フォールセンの存在だ。

 フォールセンが今期の式典に出席するという返事が来たのは昨夜遅く。

 一部の警備兵や関係者以外には箝口令がしかれていたはずのそれが、噂として流出したのも早朝の事。

 だというのに、たった数時間でこの有様だ。

 注視を集めすぎないようにと、中央の主賓席を勧める儀礼部の提案を断りあまり目立たない端の席を希望しているフォールセンの意思を尊重してはみたが、むしろ逆効果だったとナイカは思わざるえない。



「すまんなナイカ殿。苦労をかける」



 微笑を浮かべ会場を見渡すように見せかけてあちらこちらに視線を飛ばしてあの大馬鹿者の姿を探すフォールセンは、警護役として自分の背後に立つナイカに謝罪をする。

 暗黒時代を終わらせた大英雄。

 世界最強の剣士。

 大仰ながらもその呼び名に対するフォールセンの功績は一切の誇張などない。

 大帝国の皇位継承権を持つ皇族として生まれながら、その地位を捨て、一人の探索者として、数多の英雄達と戦場を駆け抜け世界を救ってみせた勇者。

 これから探索者を目指す者達、そして探索者として生きる者達にとっての、憧れであり、理想。

 そして一般大衆からは、数多くの英雄譚や叙事詩に謳われる伝説の人物として崇められる。



「このような年寄りでは無く、若人達が主役となる場であるべきとは判ってはいたのだがな」



 だが本来の主役であるはずの者達も含め、会場中から向けられる敬意や羨望の視線は、フォールセンには些かまぶしく、そして重たい物であった。

 自分は既に終わった過去の人間。

 それがフォールセンの正直な気持ちであるからだ。

 迷宮を踏破し上級探索者へと至り、迷宮へと挑み続ける者のみが得られる神の恩恵。

 『天恵』があるからこそ維持された不老長寿の奇跡。

 生まれ持った血と、討伐した際に喰らった血肉で得た血。

 二つの異なる龍王の血を宿したことで体調を崩し迷宮に挑まなく、挑めなくなった日からは既に幾星霜がすぎている。

 自分が戦い続けた意味や目的も既に喪っている。

 もはや望む物も無く、目指すべき地も無い終着の場所に立つフォールセンは、終わりを唯々待ち望んでいた。



「この機会にダンナと繋がりを持とうと虎視眈々と狙っている奴も多いだろうからね。いちいち遮断結界を張って置かないと、こんな世間話の一つも出来無いってのは他人事ながら難儀なことだと思うよ」



 フォールセン・シュバイツァーという名と存在の重みを誰よりも知っているのが当の本人だ。

 だからこそ、頑なまでに公の場には出てこなかったというのに。

 それほどに大英雄フォールセンという名は偉大すぎる。

 フォールセンの警護としてその後ろに立つ事は本来ならこの上ない名誉だが、あまりに恐れ多いと思うのか、それとも臆すのかは判らないが警護を辞退する者も続発していたくらいだ。

 辞退者が続発する中で、白羽の矢が立ったナイカが、こんな軽口を叩けるのは、ナイカにとってフォールセンは伝説などでは無く、共に戦場を駈けた戦友という意識が強いからだ。



「そうもいってられん。なにせ何をしでかすやら判らんからなケイス殿は」



「まぁ、しゃあないよ。あんな危険物が街中をうろついてるとなっちゃね。今回はサナお嬢ちゃんのおかげで、旦那が動いた理由に少しは説得力があるからよしとしようよ」


 

 長年隠棲していたフォールセンが、縁の深いロウガ王女のサナが出席するとはいえ、何故今回に限り出陣式に参加したのかといぶかしむ者も多い。

 真実を知りながらも、ナイカは茶化すように皮肉気な笑みを浮かべる。 



「出汁に使ってしまったサナ殿には申し訳ないな」


 

「お姫様的にはダンナが来てくれただけで十分だろ。問題はうちの大将の方だよ……あの子の事はまだ話せてないけど、どう切り出そうかって頭を悩ませてるよ」



 ソウセツの義母であったユキとケイスが瓜二つである事を、ナイカはまだソウセツには伝えていない……伝えられずにいる。

 来賓席中央。現ロウガ国王夫妻や前国王ユイナの背後に厳しい顔のまま立つソウセツへと目を向けた。

 今回の出陣式の最高警備責任者であり、ロウガにおける最大戦力の一人であるソウセツは不測の事態に備え自由に動ける裏方が最適だろう。

 しかし見栄えを気にした儀礼部からのたっての要望もあり、飾りとしての役割に甘んじていた。



「ケイス殿は似すぎている。あの容姿を持つケイス殿が命を狙われていたとなれば、ソウタを大きく動揺させることにもならん。ナイカ殿の判断は当然であろう……私が折を見て話そう」



 フォールセン自身も大きく揺さぶられたからこそ、このような公の場に出る事になったが、ある意味でそのフォールセン以上にケイスがソウセツへと与える影響は大きいと判断したナイカにフォールセンも同意する。



「助かるよ。しかし爺様と孫の会話だってのに、また邪推する輩が出るだろうね。それらしい理由はなるべく早く拵えとくよ」



「ナイカ殿にはつくづく苦労をかける。互いに立場があるとはい……また予想外なことを」



 不意に漂いだした気配にフォールセンは気づく。

 その身に流れる二つの異なる龍種の血がざわめき出す。

 短い付き合いながらフォールセンが知る天真爛漫なケイスらしくない、荒々しくあっても暗く怒り。

 不安感を抱かせる暗い怒りが、会場中を覆い尽くさんとばかりに急速に広がっていた。

 


「この気配……やばいね。これがお嬢ちゃんだとしたら少し舐めすぎたかね」   



 一瞬遅れてナイカもその物騒な気配に気づき、周囲へと警戒の視線を飛ばす。

 鋭い感覚を持つエルフ族であるナイカが感じるのは隠す気が無い殺意。

 だがその出所も、そして標的さえも悟らせない。

 まるで巨大な化け物の腹の中に捕らわれたかのような圧迫感が周囲を覆っていた。













『こちらソウセツ。全隊員周辺警戒。何者かがいる』



 不意にわき上がった人の物とは思えない凶暴な気配。

 背筋が毛羽立つ違和感に最大の警戒を抱いたソウセツは会場中に散らばっている治安警備隊員へと秘匿通信で指示を飛ばしながら、気配の出所を探すが今ひとつ判別が出来無い。

 自分よりも鋭い感覚を持つナイカへと確認の目線を飛ばすが、そのナイカにも探れないのか首を横に振るだけだ。

 狙いは誰だ。

 来賓席に座る私腹を肥やしてきた権力者達か。

 観客の中の高名な探索者の誰かか。

 それとも……予測できる選択肢が多すぎてしぼりきれず、相手の正体も位置も探れない今は下手に動けない。

 配下の者は別だが、主力となっている一般警備兵の中には有力者の子飼いとなっている者も多く絶対的には信頼できず、対応出来る人数の足り無さが歯がゆい。



「ソウタ殿。私も出ますか?」



 自身も上級探索者であり後衛職である高位の巫であるユイナは異変を感じながらも微笑を保ちつつ、袂から符を覗かせる。

 ユイナほどの実力があれば、能力開放していない素の状態でも来賓席を覆う強固な結界を一瞬で張ることも造作も無い。

 しかし本来であれば守られるはずの立場のユイナが出ることは、大幅に刷新した治安警備隊、そしてソウセツ自身の名に少なくない傷がつく。

 それはソウセツが望むロウガの治安改革に大きく影響を及ぼす。

 今後のことを考えれば、断るのが最良だろう。

 


「いざとなれば頼む。介入の判断は任せる。こちらは配下の物が動く。見物客を優先してくれ」



 だが自らの目的に固執し、被害や巻き添えを出す選択肢はソウセツ的にはあり得ない。

 例えこの不穏な気配を発する者の狙いが、ソウセツにとっての仇敵や政敵であろうとも、今の自分の役目はこの場を守る者。

 そこにある力で、何より信頼できるならば任せることが、ソウセツにとっての最上の選択肢に他ならない。



「畏まりました。ソウシュウ。いざ戦闘となったら退避の先導をお願いします。これほどの混雑で混乱状態となれば怪我人が続出しますでしょうから、王としての力量が問われると心しなさい」

 


「他国の王族や貴族の方々の退避を優先させていただきます。同時に医療局へと負傷者の受け入れ体勢を整えるよう要請。場合によっては市井の医師や周辺商家にも臨機応変で対応を願っておきます」



 下手したら自分の妹や娘とも思われかねない見た目だけは若い母親からの言葉に、王であるソウシュウは戸惑うこと無く自分の役目を口にする。



「ソウシュウこの場は任せる」



 両親や娘のように武に秀でた才は持たぬが、それを卑屈に思うことも無く聡明で清廉な人格者として育ってくれた息子に、僅かながらその鋭い視線を和らげるソウセツだったがそれは一瞬のこと。

 僅かな間に膨れあがり広がった剣呑な気配は、一般人ですらも感じ取れるほどに濃厚に強まり、悪寒を感じた民衆の間ではざわめきが起き始めていた。

 限界まで膨れあがった風船のような状況。ほんの少しの切っ掛けで、それは盛大に破裂する。

 しかしここまで濃厚な気配が広がりながらも、それを発する者の位置を特定できない。

 いるはずなのに、その位置を掴めない

 ソウセツはこの感覚に覚えがある。

 まだ若く、若輩だったと恥じるべき時代。

 一度だけだが見せてもらった技。

 目の前に立つはずなのに、一切の気配を押さえ霞のごとく佇む世界最強の剣士であった祖父の姿だ。

 今の状況とは真逆であるが、それを何故かふと思い出したソウセツは、祖父であるフォールセンへと我知らずに目を向けていた。 



「祖父殿?」



 そして気づく。ざわめき混乱が起きるなか何故か深い息を吐いたフォールセンが一点を見つめていることに。

 その目線を自然と追った先に”ソレ”はいた。

 広場に面した大手商会の建物屋上。

 ソウセツが視認すると同時に、外套を纏った小柄な影がその背丈とほぼ同じ大きさの大剣を手に屋上を蹴り空中へと飛びだした。



『5時モンドリオール商会。大剣、外套の不審者』



 最低限の情報を矢継ぎ早に伝えたソウセツからは、遠目すぎた為にその顔までは確認する事は出来無かった。

 だがほぼ無意識にその身体は動く。



「縛」



 一音に圧縮した高速詠唱と咄嗟に作った剣指が不審者を指し示す。

 次の瞬間に発動した不可視の風で織られた追跡型拘束魔術が疾風の速さで駆け抜けていった。











   

 飛びだした瞬間に射竦められるような鋭い視線を感じていたのが幸いだった。

 視線の主を、来賓席の中央に立つ大きな翼を背に持つ翼人の姿をケイスもまた視認していた。

 佇まい。強者の気配。一瞬で生み出された高位魔術。

 間違いないあれがソウセツ・オウゲン。

 父や祖母から何度も名を聞いたケイスが会いたい英雄の一人。

 その実力は伝聞だが知っている。

 だから回避では無く迎撃を選べた。




『早い! 気づかれたぞ娘!』



 ラフォスの警戒の声に答える暇も無く、ケイスは咄嗟に羽の剣へと闘気を込めて、急速重化させる。

 一気に荷重を増す羽の剣によって空中でその軌道を真下へとねじ曲げながら、左で懐からウォーギンから借り受けた大振りのナイフを引き抜く。

 軌道を変えて作った僅かな時間と微かな風音を頼りにケイスは、ナイフを頭上へと振る。

 泥の中に手を突っ込んだかのように重い感触を左腕が伝えた。

 感触や状況から、翼人種が得意とする風を用いた拘束魔術の一種だと、その持てる魔術知識で判断。

 この手の拘束術は着弾と同時に拡散し対象を縛り付ける。

 ならば拘束が終わる前に潰す。

 いきなり対抗手段の一つを使うことになったが、柄に仕込まれたスイッチを迷うこと無く押す。

 ナイフの刀身の一部がスライドして穿孔が顔を覗かせ、そこからにじみ出した黒い粘液が刀身を覆う。

 粘液の正体は高純度の魔力吸収液。

 瞬く間に魔力を吸収し尽くされた拘束魔術は消失。

 魔力飽和状態となって、真逆の真っ白な色に染まり塵となった魔力吸収液の残滓が、空中に拡散して撒き散らかされた。

 このナイフは以前ウォーギンに依頼した対魔術用兵装の改良型。

 以前のナイフは一晩で組み上げた突貫製作で、制作者的にまだ不満だった天才魔導技士の手による進化形は、その力を遺憾なく発揮してみせる。

 眼下を確かめながら、僅かに身体を捻り群衆の隙間をつく。

 咄嗟に自重の数倍に加重させた為に、石畳にヒビが入り飛び割れるほどの強い衝撃とともにケイスは地面へと降り立つ。

 いきなり天から降ってきた不審人物に周囲の者は驚きの声をあげるが、咄嗟には反応できていない。

 着地の衝撃で砕け散った石畳の破片が、自分に向かって飛んできているというのに。



『人込みを縫う。無関係な者を斬るなお爺様』



 だからケイスが動く。

 自分なら防げる。ましてや原因は自分だ。

 なら防ぐ以外の選択肢は無い。

 自分の周囲に飛び散った大きな破片を一瞬で捉え、着地の衝撃で痛む足を無視して、クルリと身体を一回転させながら、その暴虐な威力を込めた大剣を振る。

 ケイスの意思に従い刀身がたわみ重量を変化させ不規則に軌道を変えながら、両手を伸ばせば届くほどの近距離に立つ人物達を一切斬らずに剣で弾き飛ばしながら、飛び散る石畳の破片の中から大きな物をその一瞬で次々に打ち落としていく。

 一呼吸で行われた早業を認識できた者はこの場には、幸か不幸かいなかった。

 剣によって弾かれた者達はただ倒れただけだが、それは端から見れば斬られたとしか思えない動きと状況。



「いゃゃっ!? ニース!?」



「切られたぞ!?」



 一拍おいてから倒れた者達の外周。

 周囲の無事だった群衆から大きな悲鳴が巻き起こる。

 倒れた者達は血すらも出ていないのだが、知人が倒れた事に驚いたその叫びが大きなパニックを引き起こす。  

 蜘蛛の子を散らすように群衆が逃げ出そうとする前に、ケイスは動く。

 強く地を蹴り再度空中へと飛び出しながら、大きく心臓を打ち鳴らし怒声を発する。



「動くな!」



 雷鳴のごとく鋭く響く怒声とその声に含まれた怒気が、全ての生物を萎縮させる。

 動けば斬る。殺す。

 言外に込められた強い殺意が、一瞬だけ足を止めさせる。

 その隙を使いケイスはただひたすらに広場に点在する街灯や看板を足場に前へと進む。

 混乱した状況になればケイスにとって有利ではあるが、今のように無関係な者を巻き込むのは好みでは無い。

 倫理観や良心という類いでは無い。

 ただ嫌なのだ。

 自分は剣士。剣を振る者。

 だから自分が斬りたいと思う者しか斬らないし、傷つけたくない。

 あくまでも自分本位。

 己の意思こそが最上にして絶対。

 おごり高ぶった狂った思考故に、周囲には理解されず、理解出来ない。

 しかし、だからこそより混乱を引き起こす。

 あまりに無謀な単騎駆けは、己が斬るべき者をその両手の間合いに捉えるためという、ケイスにとっては当然の行為。

 しかし近接戦闘の申し子であるケイスを知らぬ者には、それが理解が出来無い。

 あまりに目立ち、そして考え無しに来賓席に向かって一直線に進む乱入者を陽動と考えてしまうのは仕方ないかもしれない。

 別働隊を考慮したのか、ケイスが警戒する強者達や会場中に散らばる一般兵達も持ち場から大きく動けず、遊軍となっていたとおぼしき10人ほどが対応のために動き出す。

 ケイスがこのまま真っ直ぐに進めば到達するであろう位置を見据えて、行動を開始していた、

 その中にはケイスも見知った顔が幾人かいる。

 棍使いや水妖種族はどちらも中級探索者だったはず。

 なら他の者も同クラスの者と見た方が良い。

 もっとも警戒している上級探索者である四人は、最初にソウセツが動いた以外では動きが無い。

 狙いを気づかせために拡散させた殺気によって、ケイスの狙う標的を未だ推測出来ていない事もあるのだろう。

 セイジ・シドウの居場所を確かめたい衝動を抑えながらケイスは、足元の群衆の中に時折紛れる強者達を窺いながらも、前に進む。

 いきなりの闖入者に驚き顔を浮かべる者。

 厄介ごとを嫌がるのか顔をしかめる者。

 興味深げに探る視線を飛ばす者。

 それらの注視を全て無視してケイスは駆け抜ける。

 最初にソウセツの放った魔術を無効化したのが功を奏したのか、それとも足元の群衆が盾に使われるのを嫌がったのか、最初に飛んできた拘束魔術以外には追撃の手は無い。 

 だがそれもここを抜けるまでだ。

  


「折れるぞよけろ!」



 最前列の群衆と魔術防壁を視界に捉えたケイスは、警戒の声を発しながら最後に大きく力を込めて街灯を蹴る。

 化け物じみた闘気によって極大強化された脚力によって鉄製の街灯が、その衝撃を支えきれず折れ曲がる。

背後でまたもあがる悲鳴を聞きながら、ケイスはついに群衆の頭を抜け噴水広場の中央へと到達する。

 ここまで到達するのにかかった時間は18秒。

 破滅的な混乱が引き起こる前に無理矢理に駆け抜けたからこそ稼げた時間。

 だがその時間は対応する者達にも十分な猶予を与えていた。

 着地と共にケイスは半包囲される。

 背後には魔術で編まれた壁。

 その前方左右には、自分より格上の探索者達で構成されたの警備隊。

 警備隊の背後には始まりの宮に挑む挑戦者達が、いきなりの騒ぎにざわめく声

 来賓席では招かれた他国の王族や貴族、ロウガの有力者達が退避を開始し始めている。

 周囲を囲まれた絶体絶命の状況。

 だがケイスは止まらない。止まる気など無い。

 斬る。

 斬り殺す。

 それだけだ。

 ケイスが望む。

 自分が望む。

 だから進む。

 狂気的な怒りをその胸に焼き尽くさんばかりに溢れさせながら己が培ってきた剣技と共に。

 左手に剣を持ちかえながら逆手に。

 跳ね上げた柄を肩口まで持ち上げ柄頭に右手を添え、切っ先は真っ直ぐ前に。

 右足を後ろに引き半身に構える。

 己が持つ最大威力の突撃技を持ってこの窮地を撃ち砕くと意思と共に、ケイスは呼気を発する。

 口にするはずの誓いの言葉さえも忘れて。

 


「邑源一刀流! 逆手蹂躙!」  

 

  

 対陣突破を主目的としたその剣技は、全ての闘気を加速力へと変換した高速高威力突撃技であり、ケイスがもっとも好み、愛する技。

 剣と一体となり、己こそが剣となる。

 剣を愛し、剣でしか、他者を理解出来ない狂人であるケイスにとって自分の殺意を思いを全ての乗せられる技。

 石畳を粉みじんに粉砕するほどの踏み込みをもってケイスは前へと飛び出す。 

 圧倒的な速度で突破を計ろうとするケイス。

 だが包囲していた探索者達にとってはそれは速くはあるが、対処可能な速度。

 ケイスが生まれながらに人外の超人的な身体能力を持つものであるならば、彼ら探索者は後天的とはい、数多の試練を越え、天恵を宿し、超人へと至った者。

 探索者の足元や背後に魔法陣が浮かび上がり、強化状態で組み上げられた多属性の拘束魔術や攻撃魔術の雨がケイスへと迫る。

 数をもって制圧する絶対の一撃。

 それは魔力を吸収できるとはいえナイフ一本で防げる数、量、質では無い圧倒的な魔術の嵐。 

 だがケイスは臆すること無く前に進みながらキーワードを口にする。



「喰らえ!」



 口元を覆っていた金属製の仮面が発光し、その発動に会わせ外套から伸びていたいくつもの紐がそれぞれ自動反応を開始した。

 弾けるように撃ち出された紐が触手のように長く伸びて、それぞれの魔術に向かって自ら飛んでいき付着する。

 その瞬間、取りついた紐や外套の表面を覆い尽くすほどの魔術文字が浮かび上がり、それぞれの魔術から魔力を直接吸引し始める。

 だがその魔術効果までを打ち消せるほどでは無い。

 僅かに、そうほんの僅かに魔力を吸引するだけだ。

 しかし天才と呼ばれるウォーギンの変態じみた加工技術の真骨頂はここからだ。

 その僅かに吸収した魔力を用い、外套に込められていた魔術を発揮させる。

 外套に込められた術式は超高等魔術の一種である『空間転移』

 本来であれば魔具で再現するならば大量の魔力と幾重にも重なる多重魔法陣を用いる魔術を、常識外の天才魔導技師は幾重にも折り合わせた布一枚一枚に、属性の異なる魔力を注ぐことで再現してみせる。

 一対多を想定しそれも破滅的な多種多様な魔術の雨の中に身をさらさなければならないという極めて限定された状況でしか発動しない際物魔具によりケイスの身体がぶれて霞む。

 だがあくまでも試作品とも呼べない方向性を確認する為に拵えられた転移魔具の効力は、僅か数ケーラの距離を移動させる程度。

 一度消えたケイスの身体が次に現界したのはまだ包囲網を抜けておらず、捕縛しようとした探索者の目の前だ。

 服に織り込まれていた魔法陣は焼け切れたのか、肌を焼くほどの熱を発し焦げた匂いを含む煙が立ちあがる。



「転移か!?」



 肌が密着するほどの近距離に不意に現れたケイスに、事前準備も予兆も無く発動した魔術に探索者の顔が驚きに染まる。

 その一瞬の油断を見逃さず、ケイスは疾風の速さで剣を構えたまま駆け抜ける。

 突破した先には挑戦者達の集団が見えた。

 そこまで来て初めてケイスは、狙うべき、斬るべき者へとようやく、ようやく意識を向ける。向けられる。

 視線を斬るべきセイジ・シドウへと向け、周囲に散開させていた殺気を収束。

 ただ一振りの剣と化し斬り殺そうと狂気を向け、疾風の如き速さで一気に、



『狙いはそこか』



 一瞬声が響いた気がする。音で聞こえたのでは無い。

 剣を通じてしか他者を真の意味では理解出来ない剣狂いであるケイスの意識が確かにその声を聞き取った。

 そう感じた瞬間には、ケイスの眼前には先ほどまでは姿形も無かった翼人が、長大な黒塗りの槍を構え立ちふさがっていた。

 その男はつい今の瞬間まで来賓席の中央にいたはずだった。

 だが今確実に目の前にいる。

 それは転移魔術では無い。

 ただこの男が、ソウセツ・オウゲンが速いだけだ。

 圧倒的に。

 絶望的に。

 そして強く羨望するほどに唯々速いのだ。

 ケイスが命がけで縮めた距離を、ほんの一瞬きの間に縮めるほどに。

 理解する。

 ケイスは一瞬で理解する。

 自分が負けると。

 槍の穂先が閃光の速さとなって繰り出される。

 目では追える。

 だが身体は追いつかない。

 ケイスの意識や、頭脳ほどには、まだ幼く未完成な身体は反応してくれない。

 絞り込まれた槍の一撃が下顎に向かって飛んでくる。

 そのまま首を貫かれるのか?

 それとも顎を砕かれ意識を失うのか。

 首を砕かれることも考えなければならない。

 自分はここで死ぬ。

 だが剣を振る以上、剣技を繰り出す以上は決して止まらない。

 死んでも死なない。

 この剣だけは振り切る。

 貫き通す。

 死ぬのは剣を振り切ってからだ。

 死を覚悟し、死を凌駕し、剣と化したケイスの意識は最大純化される。



【特異生存保護指定発動】



 しかしケイスは死ねない。

 このようなところでは死なない。

 ケイスが死ぬのは、もっとより大きな、もっと神々を喜ばせる状況で無ければならない。

 それこそがケイスの宿命。

 神に選ばれ、神に縛られた道化としての唯一無二の理由。

 だからあり得ない事を起こしてしまう。

 だからあり得ない事が起きてしまう。

 ケイスの口元を覆っていた仮面が発動の衝動による余波に耐えきれず砕け散る。

 周囲からはフードに隠れたままだが、ただ一人。真正面から迫っていたソウセツがその素顔を確認してしまう。

 気づいてしまう。

 今も敬愛し、心に深く残る義母と、その顔が瓜二つだという事に。

 それは刹那。ほんの一瞬。天を切り裂く雷光の瞬きのような瞬刻。

 ソウセツが常識外の力を持つ上級探索者であるからこそ、その刹那の間に思わず穂先が身体からぶれ、槍が止まる。止まってしまう。

 そして今のケイスは既に純化した状態。

 相手が止まったと意識せずとも、唯々前へと進む突撃技を発動しているその身体は自然と動く。

 目の前にあるのは己が斬る者の前に立つ壁。

 ならば撃ち砕くのみ。

 一瞬だけ呆けてしまった自分が見せた大きな隙に、ようやく気づいたソウセツが受け止めきれぬと判断したのか、身体を捻り迫る刃から身を躱す。



「ぐっ!?」



 回避しきれなかったソウセツの脇腹を薙ぎながらケイスは、翼を含めれば倍近い体躯のソウセツを弾き飛ばす。

 抜けた先にはあとはただ標的のみ。

 斬るだけ。

 斬り殺す。

 …………な。

 剣を振る。

 自分が殺すと決めた。だから殺す。

 ……けるな 

 紛れもない殺意の固まりとなるケイスは一直線に進む。

 全てをいつか訪れる破滅へと進めるために。

 ありとあらゆる災厄と恨みを貪り尽くした世界の敵。最悪の龍。龍王となるために。

 それがケイスの役目。

 ケイスの役割。

 神が定めたケイスの運命。


 だから神がきらいだ

 

 巫山戯るな! 

 純化した意識さえも凌駕する、殺意さえも凌駕する、神の思惑さえ凌駕する。

 その子供っぽい怒りがケイスの身体の中から急速にわき起こり始める。

 未だ身体の自由は戻らずとも、意識よりも肉体が勝ろうとも、誰よりも自由なケイスの意識は唯々怒りに我を忘れるが故に、我を取り戻す。

 あまりの怒りの様に殺意さえも凌駕する。

 巫山戯るな! 巫山戯るな!

 自分がソウセツ・オウゲンに勝っただと!?

 あり得ない!

 あってはいけない!

 むしろ負けるな! 叔父様! 私を見ないならば斬るぞ!

 何故あの瞬間、自分が死を覚悟した瞬間にソウセツの槍が鈍ったか!

 理解する。理解出来てしまう。

 さすがは敬愛する父の親友だ。

 その武は、強さは今のケイスでは到底かなわない領域にある。

 尊敬する。敬愛する。憧憬する。

 だが同時に自分が一番嫌いな時の父と同じあたりもさすが親友だ。

 自分を見て、瓜二つという顔を見て、何を思ったのか、何を考えたのか理解する。

 ケイスは我が儘で自分勝手だ。

 自分を見ながら見てくれないのが嫌だし大嫌いだ。

 だから己の道を貫き非業の死を迎えた大叔母個人には敬愛や尊敬を抱くが、しかし同一視されたりまして自分を見ずに大叔母だけを見られるのは気にくわない。

 ましてや今回の場合は、その隙で自分がソウセツに勝ってしまった。

 いや違う……自分如きにソウセツが負けたのだ。

 まだ若輩であり、未だ道半ばだというのに。

 これは楽しくない。自分の本意ではない!

 自分はいつか強くなって勝つ日を楽しみにしていたというのに、台無しだ!

 最悪だ!

 自ら鍛錬と才の上で上回る日を楽しみにしていたのに、これでは意味が無い!

 決めた!

 こうなれば決めた! 

 機会があればちゃんと挨拶するつもりだったが、こうなれば自分の実力で、敬愛するがたった今この瞬間から斬り倒す日まで大嫌いになった叔父と一切口など聞いてやる物か!

 徹底的に無視してやる!

 何とも子供らしい、そして我が儘な怒り。

 だがそれこそがケイス。

 剣に絶対の誇りを持つからこそ、ケイスはケイスたり得る。

 


『娘! 呆けてる場合では無いぞ!』



 ラフォスの声に気づけばいつの間にやら斬るべき者がセイジ・シドウがすぐ側にいた。

 正確にいえばそこまで接近していた。

 意識を捕らわれたのは、ほんの刹那の瞬間。

 脇腹を薙がれ弾き飛ばされたソウセツの身体はまだ空中。

 何とか体勢を立て直そうとしているが、もう少しだけ猶予はある。

 そしてソウセツが抜かれる事態を想定していなかったのか、他の隊員は対応が間に合わず、標的の周囲にいた挑戦者達の大半はケイスの殺気に恐れをなしたのか逃げようとしている。

 好機。

 しかし肝心のセイジ・シドウは何故か涼しい顔でケイスの動きを窺っていた。

 あまりの怒りように一周してある意味で冷静になっていたケイスはそこで初めて違和感に気づく。

 だがそれは何か?

 その結論へと至る前に、敵を剣の範囲内に捉えたケイスの身体は自然に動く。

 柄頭に押し当てた右手を押し出しながら身体のひねりを開放した最速最大威力の突きを繰り出していた。

 ケイスが剣を繰り出すと同時に、セイジが動く。

 腰に下げていた刀を鉄拵えの鞘に半分収めたままで抜き、刀をケイスへと向けた。

 そこではたと気づく。ケイスはようやく気づく。

 ケイスが繰り出した切っ先を、セイジは細身の刀で受け流そうとしている。

 柄を右手で握り左手で鞘を押さえ、破滅的な衝撃を全身で受け止めつつ、足裁きで受け流し躱そうとしているのだと。

 まずは初手を躱そうとする動き。

 しかし何故だ? 

 これほどの反応ができるならば何故、最初から逃げない?

 セイジの背後には一門とおぼしき同じ家紋が染まった軽鎧を身につけた若者が数人。

 彼らはセイジを壁にするように押しのけ、暴虐的な乱入者であるケイスから逃げようとしていた。

 彼らが逃げるだけの隙を作ろうとしているのだろう。

 己を見捨てている一門の者達が相手だというのに、その目には曇りは無くただ剣を信じ、剣に忠実であろうとする武人の、実にケイス好みの真っ直ぐな瞳があった。

 ……違う! 

 ようやくケイスは気づく。

 剣を交えようとしたから初めて理解出来る。

 やはり剣を通してしか、人を、他者を、世界をケイスは理解出来ない。

 この男はケイスが斬るべき者ではない。

 ようやく、ようやく気づくが遅い。

 ケイスは既に技を放っていた。

 そしてセイジが防ごうとする手段にも気づいていた。

 だからケイスは斬れる。

 その剣に対する才は紛れもない天才であり、剣と共に生きる剣士だからだ。

 穂先の重心を変化。

 僅かに羽の剣を歪ませその軌道を変え、セイジが立てて構える刀に対して切っ先を変化させ対応している。

 今から剣を引き戻そうとしても、間に合わない。

 先ほどのソウセツのようには、まだ繰り出した剣を抑える事が出来ない。



「っぁっ!」



 次の瞬間、苦悶の叫び声と共に斬り跳ばされた肉塊がぽとりと石畳に落ち、切り口から吹き出た鮮血がケイスとセイジの両者の身体を赤く染めていた。

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