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永宮未完 挑戦者編  作者: タカセ
剣士と探索者の街
76/119

剣士を知る日

 射竦められる。

 初めてその言葉の意味を知る。

 真っ直ぐに向けられた黒目を細めた女は、絶対的強者だけが持つ威圧感を放っていた。

 全身がこわばり、のど笛を握りつぶされたかのように声も出せず、呼吸もできず、息苦しくなる。

 心臓が不規則に乱れ、全身から冷たい汗が噴き出す。



「思い上がるな。我が祖国を知らぬ若輩が、国を、帝を、何より一族を語るな。亜人と交じり帝から引き継いだ血が汚れた? 血を継がぬ者が邑源を名乗るな? 紫藤こそが王となるべきだと?」



 見た目は年若い少女だというのに、数百年を生きるその化け物が発する冷たい声音は、刃となり一音ごとに精神を切り裂いていく。

 殺される。

 自分は殺される。

 この化け物に殺される。



「一族の総領は帝とて選ばぬ。選ばせぬ。我等東方の民は血のみで紡ぐ一族では無い。その心を継ぐべき者が名を受け継ぐ。帝を、民を、国を、護り、思う者こそが名を継ぎ、一族を継ぐ。古来より紡いだ仕来りさえ知らぬ者が、我等を語るな」



 化け物が空中でゆっくりと右手を振るとその手首に巻かれた布が、微かな光を放った。

 神々の力を宿す神具。

 天恵アイテムと呼ばれる布の力によって、空気を切り裂きながら一本の巨大な長巻が現れる。

 刃だけで10尺という長大な長さ。

 血よりもさらに鮮烈な深紅に染まった柄。

 大英雄である主と同じ二つ名である『双剣』と呼ばれた名も無き武者と共に、暗黒時代を駆け抜け、数多の怪物を屠り、龍を叩き伏せ、龍王の首を切り落とした魔剣の名を知らぬ者はこの世にはいない。

 その名は『紅十尺』



「我が息子は今はまだ未熟なれど、この我が心血を注ぎ、育て、何より愛し、我の後を継ぐだけの心を持つと認めた者。故に贈った。我が敬愛する父様の名を。故に任せた。一族の長たる邑源宋雪を。故に祝福した。我が今も恨む狼牙領主の末裔であろうとも、素晴らしき姫をその伴侶に選んだ事を。二人が共に手を取り合い民を守ると信じて」



 ゆっくりと動く紅十尺の刃が、首元に押し当てられる。

 剣が宿す気が尋常では無いのか、触れてもいないのに、肉体が切られたと錯覚し、流血が流れ出す。



「お前如きが異論を唱え、さらには我が愛する息子、我が誇る娘を侮辱する。そしてなにより、己の野望のために、この新しき国に、我が祖国を持ち込むなど、許されると思うな」



 その化け物が放つ怒気は、へたり込むことも、目をつぶることも許さず、一音、一拍子を全て刻み込めと無情に告げる。



「選べ。我が盟友である紫藤を名乗る者共よ。この愚者の囀りを続けさせ我に根切りとされるか。栄誉ある一族の名を汚す者を己が手で処断するかを」 



 殺された。

 邑源雪と名乗る化け物によって、セイカイ・シドウはこの日をもって殺された。














 早鐘のように荒ぶる心臓と不規則に乱れる呼吸。

 全身を覆う悪寒と恐怖に震えながらセイカイは、倒れ伏していたテーブルから跳ね起き、刻み込まれた幻影を追い払おうと手を大きく振る。



「ち、近寄るな! ば、化け物が!」



 テーブルの上に乱雑に積み上げられていた、空になった酒瓶や飲みかけのジョッキが床に落ちて大きく音をたてた。

 砕け散った瓶の音がセイカイに、アレが何時もの悪夢だとようやく思い出させる。



「くっ……忌々しい」



 泥酔し深い眠りについてもあの恐怖を与え続ける化け物は時折姿を現し、セイカイを蝕む。

 半世紀だ。

 すでに半世紀以上がすぎた。

 だが今もその呪いは確実にそこに存在する。

 全てが上手くいかないのは、あの化け物が残した怨念のせいだ。

 一族の主家に生まれた自分が、傍流として軽んじられるのも。

 王配となるべきだった自分が、遥かに格下の武家の娘を娶らされたのも。

 全てが歯がゆい。

 全てが忌々しい。

 生まれた息子や娘達には、覇気が無く、あの汚れたロウガ王家にただ傅くだけ。

 他のシドウも安寧にあぐらをかき、異人の勢力がロウガに入るのを眺めるだけ。

 自分が一族の長であれば、自分達が、シドウが育てた街であるロウガを新参者達の好きになどさせていない。

 自分があの時に王配となっていればロウガは今よりもさらに巨大になり、かつて隆盛を誇った東方王国さえもが蘇っていたというのに。

 自分ならもっと上手くやれた。

 自分ならこの街は、一族はもっと大きな力を得ていた。

 シドウの主筋から外れ閑職へ追いやられ、表舞台から追放されたセイカイにとって、その妄想は、あり得たはずの事実となっている。

 だが無くした物を取り戻そうとあがこうとも、手に入れられたものは、本来手に入れられた物に比べれば微々たる物。

 密輸や脱税に便宜を図る事で利益や人脈を得ていたが、それは所詮は世にいう小悪党だと、誰よりもセイカイ自身が判っていた。

 セイカイ・シドウという存在は、泥の中に深く沈み、二度と這い上がれなくなっていった。

 本来ならば光り輝く栄光ある人生を進むはずがだ。

 賞賛もされず、誇ることもできない。

 かつて若い頃に侮蔑をもって、所詮は道具だと見下していた存在へと成り下がっていた。

 年を重ねるごとに、蓄積されていく鬱憤や憤りは、消えることは無く、今では強固な岩のように重く固くなっている。

 無くした物を取り戻さなければ、その固まりは決して取り除けない。

 セイカイが望む物。

 それは栄誉。

 渇望と絶望の果てに求める誇りは、ひどく歪み暗闇色に染まっている。



「若君の晴れの船出の朝だってのにえらく不機嫌じゃないか」



 いつの間にやら室内に侵入したのか、ローブで顔を隠した女が立っていた。

 ローブの端から出た赤銅色の髪を弄りながら意地悪く笑う女の、ローブの奥に潜む瞳は妖しく光りが浮かんでいる。

 不意に現れた女にセイカイは驚きはせず、唯々不愉快を覚える。



「きさまか。よくもおめおめと私の前に姿を現せたな! 一体どうなっている!」



 その顔に向かってテーブルの上に残っていた酒瓶を投げつけるが、女は避ける素振りも見せず、酒瓶に向かって一瞬だけ視線を向けた。

 女の赤目に複雑な魔法陣が浮かび、その魔法陣が瓶の表面に転写される。

 陣が刻まれたその瞬間、宙を飛んでいた瓶は、蝶へと姿を変えそのまま女の伸ばした指先にひらひらと飛んでいった。

 俗に魔眼と呼ばれる視界に入る物へと魔法陣を転写し直接に刻み込むことが可能になる高位術式を使った変換魔術の一種のようだ。



「そう思ったからこそ後始末を優先させてもらっていたんだけどね。へぇ良い酒だ。さすが名高きシドウの一員。趣味は良いご様子」



 蝶を一瞥し、元の酒瓶へと戻した女は、瓶を傾け中身をあおると、嫌味交じりの感嘆を漏らす。

 セイカイの向ける怒りなど、意にも介していないのが丸わかりだ。

 女の名も正体もセイカイは知らない。

 ただ仲介者だとだけ聞いている。

 策謀を練り、依頼者へと利をもたらす組織への。

 セイカイが知るのはその女へと連絡をつけるやり方だけ。

 接触を希望する日時を知らせれば、今のように忽然とその女は姿を現した。

 だが事が明るみに出てからは、いくら繋ぎをしても女が現れることは無かった。



「私に繋がる証拠は全て消しさったのだろうな!」 



「コソコソかぎ回っていた鼠の駆除や、失敗してくれた連中の処理は全て済ませたよ。あんたに繋がる直接の証拠は潰したり、改変してね。ただ乱入してきたって小娘ってのは、双剣に保護されてる様子で手が出せない。協会支部よりあの屋敷の方が堅牢ってのは、さすが大英雄殿。あれならロウガを落とした方がまだ楽だ」



 悪びれた様子もみせずにお手上げだとおどけて見せた女の態度にセイカイは苛立ちと共に焦りを覚える。

 秘密裏に行われるはずだった企ては、一人の乱入者によって明るみに、それも派手にばらまかれてしまっていた。

 セイカイの連日の深酒も、いつ自分との繋がりがばれるかという恐怖からだ。



「待て! あの娘が証人となる牧場の者を匿い、依頼書を握っているといっていっただろう! どうする気だ」


 

「どうするも何も鬼翼が出張ってきたうえに、双剣が絡んでいるんじゃさすがに手が余るよ。下手に動いてあたしらのことに気づかれる前に、上からは手を引けって話なんでね。悪いけど契約は破棄させてもらうよ。依頼料の返金には色をつけさせてもらったから勘弁だね」


 

 唇についた酒の雫を女はその赤い下で舐めとりながら悪びれもせず一方的な契約破棄を通告すると、換金用の宝石が詰まった小袋を投げ渡す。

 話が違う。

 セイカイが抗議の声をあげようとする前に、女の姿は霞となって消え失せた。

 女が持っていた酒瓶が、床に落ちて陶器の破片が床に散らばる。

 その音が引き金となったのか、それとも去り際の女が何かをしたのか?



「まて! 一方的に依頼を破棄などさせて、な、なんだと!?」



 抗議の声をあげようとしたセイカイだったが、次の瞬間には女へと連絡を取るための手順や、その窓口となる店の場所。

 さらにはその女の容姿すらも記憶から消え失せていることに気づかされる。

 自分が依頼した内容はしっかりと覚えている。

 それなのに、それ以外の記憶が丸まると消失していた。

 セイカイは我知らず身震いをする。

 今の女も探索者……だったはずだ。

 まただ。

 また自分の計画は探索者を名乗る化け物共に潰されるのか。

 自分が目指す栄光への道は全て潰されるのか。

 探索者などただの道具であるべき力しか持たぬ者達に。

 あの女はとうに死んだというのに、その残した呪いが自分の行く手を塞ぐのか。

 怒りと恐怖がセイカイの中で渦巻く。

 ワナワナと震えていると、不意に扉がノックされた。



「っ!? だ、だれだ!」



「セイジです。失礼致しますお爺様。物音が聞こえましたので」



 孫のセイジは何時もと変わらぬ落ち着いた声色で答えながら室内に入ってきた。

 凛とした空気を纏った若武者は酒瓶やその破片が散乱している様を一瞥はしたが、何も見なかったかのように平然とした顔を浮かべる。



「ただ瓶が落ちただけだ! お前はそんな些末な事を今日この日に気にしている場合か! 準備はできているのだろうな! シドウの名を持つ以上負けは許さぬ! 本家の者共にも後れをとるな!」



 その冷静沈着な態度に見下されていると錯覚し、セイカイは声を荒げる。 



「はい。名家シドウの末席に位置する者として恥じぬ探索者となってみせます」



 祖父と孫。

 家族だというのに、まるで家臣のようにセイカイの前で傅いたセイジは深く頭を垂れる。

 頭を垂れながらも、どこか堂々とした若武者ぶりを見せるセイジが、セイカイには気にくわない。

 自分のような小物がいくら暴れようとも気にしていないとでも言いたげな、涼やかな目がどうしても気に障る。



「ご託は入らぬから勝て! 我等シドウこそが、私の血脈こそ正当なる東方の後継者であると武でも示すのだ! お前が必ず同期の中でもっとも優れた探索者であると凡俗な輩に示すのだ!」



 歪んだ価値観のままセイカイは、仇のように孫を睨みながら、己の執念を吐きだしていた。

 シドウこそが至上。

 そのシドウの中でも、己の血脈こそが最も優れている。

 それを証明することこそ、お前の存在理由だと、酒で濁った目で孫を睨み付ける。



「はい。シドウの誇りを守るために命を賭す所存です……では何時もより少し時間は早いですが、朝の訓練へ出ます。出陣式へは直接に向かいます」 



 醜悪さを覚えるであろう執念を前にしても、セイジの顔色には変化は無く、ただ淡々と言葉を返す。

 これだ。

 これが気にくわない。

 あの化け物に到底及ばないが、妻となった女も同じような雰囲気を纏っていた。

 それは東方王国の戦士達。

 サムライと呼ばれる武家が持つ超然とした雰囲気を僅かだが纏っている。

 どうしても化け物を思い出してしまい、妻となった女も、その子達もセイカイは気にくわないでいた。

 だがセイジは使える。

 武に秀でている。

 権力者達の道具であるべき探索者としての才がある。

 気に食わない孫であろうとも、ならばセイカイの力、物だ。

 自分はそれを認め使えるだけの器を持っている。

 だから使う、己の執着を、怨嗟を晴らすために。


 
















 目の前の光景が信じられなかった。

 あり得ないと思った。

 脇差しを杖代わりにしながら、何とか跪くその姿が。

 腹に大穴があき、血と臓物が零れおち、苦悶の声をあげる今際の際が。



「……ソウタ……かあさんの仇……とろうとか思わない……ようにしなさいよ」



 苦しげに表情を歪め、口から尋常で無い血を吐き出しながら、それでも自分の顔をしっかりと見ながら義母はその遺言を伝えた。

 今なら判る。

 どうして義母がそれを望んだのか。

 どうして他に伝える人や、思い、言葉があるのに、息子の事を、自分を優先したかを。

 だが若かった、浅はかだったから判らなかった。

 理解が出来なかった。

 あんたがその程度で死ぬわけ無いと、都合の良い妄想を吐きだしていた。

 死ぬわけが無いのに変なことをいうなと憤っていた。

 だから義母の最後の時間を奪ってしまった。


 

「ほんと、手がかか……るん、だから………ソ、ソウタがユイナさんと幸せになっ……れないと……死ん……きれないでしょ」



 義母がはっきりと口にした言葉に呆然とした。

 どうして仇を討つなというのか、いわれるまで判ろうとしなかった。

 母が最後まで自分を心配し、その残されていた時間を使い切った事を、その死相で悟った。

 悔やんでも悔やみきれない後悔は、今もソウセツの心に楔として残っている。

 言葉を失い、茫然自失としていたソウセツの目の前で、最後の力を振り絞り、義母が立ち上がる。

 内臓がずるりと抜け落ち、水音を立てながら鮮血が足元を染めるなか、義母は深く息を吸い、込められぬはずの身体に力を込め、人生最後の一振りを放つため構える。

 自分の横でその様を見ていた伯母は、狼狽し声も無くした自分とは違い、ただ深く頭を下げたあと姉である義母へと介錯が必要かと静かに問いかけていた。

 義母はその言葉にはっきりと首を横に振って、最後に力強く答えた。



「華陽。うちの子達……頼むわ」



 最後にみせた一刀は、弱々しく、そして、無情だった。

 だが最後の最後まで、義母は、義母であった。

 敬愛する主でも、共に駈けた妹でも、自分の思い人でも無く、残した言葉は不甲斐ない息子である自分の心配だった。

 その人が傷つく姿など、見たことも無かった。

 その人が血を流す姿すら、想像さえしていなかった。

 自分が知る限り、それはお伽噺の登場人物さえも含めて、その人が世界最強だった。

 上級探索者としての力を失おうとも、その位置が揺るぎない強者だった。

 けして負けず、傷つかず、永遠であるはずの存在だった。

 それがソウタ・オウゲンにとって、義母であるユキ・オウゲンだった。







「…………」



 いつの間にやら眠っていたようだ。

 ソウセツ・オウゲンは、資料を手に持ったままだった事に気づくと机の上に戻し、凝って固まっていた肩を揉みながら、背中の翼を大きく一度振るわせる。



「お目覚めかい大将。どうせ夜明けまでもう少しなんだから、もうちょっと仮眠をとったらどうだい? あんたもいい歳だろ」



「そうも言ってられん。できれば叩き起こしてくれナイカ殿」



 来客用のソファーに腰掛け資料を読みふけっていたエルフのナイカが、目を覚ましたソウセツにからかうような口調を飛ばすが、ソウセツは生真面目に返すだけだ。 

 からかいがいの無い反応にナイカは残念そうに肩をすくめる。

 ソウタと名乗っていた頃のソウセツならば、実年齢では遥かに上のナイカに年寄り扱いされたなら、『うるせえよ若作りエルフ婆』と憎まれ口の1つでも返した物だ。



「だいぶ鈍っている。状況が落ち着いたら鍛錬をかねて迷宮に挑むことにする」



 疲れを感じ目を閉じたのはほんの数秒だったが、その瞬間に眠りに落ちてしまっていたようだ。

 ここ数日は眠る暇も無く、調査や会議を繰り返し多忙を極めていると理由ははっきりしていても、己の不甲斐なさをソウセツは恥じる。

 探索者としての全盛期時代だったら、数日所か、数週間にもわたる不眠不休の戦闘でさえこなして見せたというのに。

 超常の力を有す探索者は迷宮に挑み続ける限り、超常の力を有した探索者でいられる。

 だが友人達や妻と迷宮に挑んだ日々は、今や昔のこと。

 迷宮に潜らなくなって久しい間に、探索者としての力は多少ではあろうが落ち、そして怪物達相手に鍛えた集中力も持続しなくなっている。

 己を再度鍛え上げなければと、ソウセツは心に強く誓う。

 もっともそれはソウセツ基準の話。

 並の探索者、いや上級探索者と呼ばれる一握りの者達のなかでも、ソウセツが優れた力を持っていることに変わりない。

 不断の努力と、鋼のような精神力、そして圧倒的な戦闘力を持つことから『鬼翼』という二つ名を持つ。それがソウセツという英雄だ。    



「落ち着くね。どう転んでもしばらくは荒れるだろうよ。出したはずの依頼が握りつぶされて、しかもその事件自体が仕組まれたものだなんて、協会その物の信頼問題に発展するだろうからね」



「だろうな。だからこそ我等が解決しなければならない。自浄能力を持つという事をせめて示さなければならない」



 再度資料に手を伸ばし、ソウセツは過去の記録と見比べながら今後の対応や、事態の推移を慎重に考えていく。

 下手に事が明るみに出れば、探索者、さらにいえば管理協会自体への信頼問題へと発展しかねない謀。

 一人の探索者としては、この企ては許せる物では無い。

 だが今の身は無頼の探索者として、己の思うままに振る舞えた若い頃とは違う。

 


「セイカイか……引退していた祖父殿からまさかその名を聞くとはな」



 フォールセンがもたらしてくれた情報に、因縁めいた過去を持つ相手の顔をソウセツは思い浮かべる。

 この名を再び目にしたことで、義母の夢を見たのだろうか?

 厄介な名が出て来たと、正直にいえば思う。

 ロウガの複雑な権力争いにより、賄賂や不正が横行し無力化されていた管理協会ロウガ支部所属の治安警備部隊を立て直すのは急務。

 その為ならば、知己の者達であろうとも、場合によっては捕縛する日も来るだろうとは覚悟は決めていた。

 だが最初に出て来た名は、ソウセツにとっては、別の意味で重かった。



「大将とユイナ様、それにユキさんとも因縁深い相手ね。まったく初の大仕事から厄介すぎるよ」



 ソウセツとセイカイの間にあった過去の経緯を知っている者達も、まだこの街に大勢いる。

 セイカイが、東方王国復興を旗印とする復興派の一人であったこと。

 そしてその復興派との諍いにより、英雄ユキ・オウゲンが謀殺されたという隠された真実を知る少数の者達もいる。

 過去の私怨からソウセツは、セイカイを捕縛した。

 そんな噂が囁かれたり、思い込む輩は必ず出るだろう。

 下手に扱えばこの国をより陰謀と混乱に巻き込むことになりかねない。



「だがそれでもやらねばならない。この街を正しい方向へと、義母が望んだ国を目指すのはあいつと私に託された命題だ」



 二度とロウガ王家が受け継ぐ東方帝家の血が、復興派に利用されない為に、次代を教え導いてきた。

 王家の力を削ぐことで、復興派の力を削ぐことで、他の勢力が入り込み、ロウガが大きく乱れていくと知り、見ながらも、耐えてきた。

 ようやく、ようやく、ここまで来たのだ。

 この国は滅びた東方王国の狼牙では無い。

 ロウガという新しい国であると示す。 

 それこそがソウセツの目指す道。

 それこそが義母が望んだロウガのあるべき姿であり、ソウセツが受け継いだ物。

 ただ見過ごすことしか許されなかった忸怩たる思いも今日までだ。

 我知らず、ソウセツの手に力が入り、鋭い気配を発し始める。

 その気配に気づいたのか、自室の扉が静かにノックされる。


 

「失礼いたします。ナイカ様。ソウタ殿。一息入れませんか?」



 ソウセツの妻であり、前ロウガ女王でもあるユイナ・ロウガは、盆の上にのせた茶と茶請けをみせながら部屋へと入ってくる。

 うっすらと湯気を立てる湯飲みからは、ロウガ名産である茶のさわやか香りがほのかに漂っていた。



「悪いねユイナ様。前女王陛下自らのお手前とは恐縮の限り」



 口調だけは恐れ多そうに言いながらも、知った仲であるナイカは礼を言いながら気負い無く湯飲みを受け取って美味そうに飲み出す。



「ユイナ。茶はありがたいが先に休んでいろといっただろう。今日の出陣式にはお前も主賓として出席する。いくら王位を譲ったとはいえど、注目されるのに眠たげな顔をしていては示しがつかんぞ」



「お仕事でお忙しい旦那様より先に床につくなどできませんよ。それにそうおっしゃるならソウタ殿もナイカ様も警備という名目でご出席ではありませんか」



 ソウセツと同じく不老長寿である上級探索者となったユイナは、実年齢は還暦を当に超えているが、まだ若々しく皺の無い顔でにこりと微笑んで拒否してみせた。

 人当たりのいい笑顔を浮かべているが、こう見えて一度言い出したら聞かない頑固な妻の性格を知っているソウセツは、諦めて湯飲みを手に取り茶をゆっくりと飲み干す。 

 ふと窓へと目を向ければ、夜の帳が開き徐々に白み始めていた。



「それに私達よりもより注目を集める方もご出席なさいますから、あまり見られませんよ」



 暗黒時代を生き残りロウガ開放戦にも参加したナイカや、現ルクセライゼン皇帝フィリオネスのパーティメンバーだったソウセツやユイナは皆が上級探索者であり、街の酒場で謳われる英雄譚にも名が出てくる紛れもない英雄達。

 しかしそんな彼らでも霞むほどの英雄がこの街にはいる。

 それこそが大英雄『双剣』フォールセン・シュバイツァー。

 暗黒時代が終わって既に相当の年月が流れたが、フォールセンの名は、今も色あせることは無い。

 むしろフォールセンが隠居し屋敷へと篭もってしまい、直接にその人と形を知らぬ者が増えたことでより神格化されたといってもいい。



「今期の出陣式は例年になく盛り上がるでしょうね。フォールセン様がご参加になるのはロウガ支部長だったとき……私の代以来の数十年ぶりとのことですから」



 自分の出陣式を思いだしたのかユイナは懐かしそうに目を細める。



「双剣殿がご出席なさるのはあたし達も予想外だったからね。式典を取り仕切る儀礼部は大慌てだよ」



「えぇ。サナも昨夜に知らせを聞いて跳び上がって喜んでいました。自分達の晴れの門出を祝ってもらえるのは最高の名誉だと」



 今日は若人達が探索者となるべく、初めて迷宮へと挑む輝かしい日。

 ソウセツ達の孫娘の一人でありロウガ王女であるサナが、今期の『始まりの宮』に挑むことになっている。

 だがソウセツ達の手元にある資料は、その門出を汚す黒い点となりかねない物だ。



「サナはどうしている? さすがにあの子も緊張しているのではないか」



 背中に生えた大きな翼もそうだが、勝ち気で自信家なあたりが、自分の若い頃に被る。

 翼人は、背中の翼に僅かな魔力を与える事で空を自在に飛翔できるという強いアドバンテージをもつ。

 空を飛べるという強みが、同時に傲りや油断に繋がると身をもって体験し、若い頃の自分の言動を恥じているソウセツとしてはどうしても不安を抱いてしまう。

 ましてや最近のサナは、王城付きの衛兵達を相手に行っていた戦闘訓練をなんやかんやと理由をつけてサボっているとソウセツは聞いていた。



「あの子はソウタ殿の若い頃によく似ていますから大丈夫ですよ。昨夜も前祝いと称して城に戻らず夜遊びに出ているようです。ソウタ殿もよくフィオ様たちと、御母様や私は抜きで飲み明かしていたのでしょ……何故かお酒の匂いはしない日が多いご様子でしたが」



 空いた湯飲みに新しい茶を注ぎながらユイナは、心配する必要はないとばかりにクスリと笑ってみせる。

 世界最大の帝国の皇子と、小国であるロウガの王女を同列に扱うには些か差がありすぎるかもしれないが、妻の言葉の意味にソウセツは気づく。



「国は違えど、皇子や姫たる者は訓練1つままならぬのは仕方ないだろうな……相手は誰だ?」



「さて、さすがにそこまでは。サナとて隠し事の1つや2つは持ちたい年でしょうから調べておりません。ですが人を見る目は十分にある子です。それに娘の心配は父母の役目でしょうからソウシュウ達に任せましょう。家長としての役目さえ果たせず、民を導く王などと名乗れませんよ」



 孫娘には甘いが、息子夫婦には些か厳しいユイナは涼しい顔で答える。



「あれも王位を継いだばかりでいろいろと大変だとは思うのだが……だがお前がそういうのであれば無粋な真似は避けておこう」



 妻の言葉に信頼を置くソウセツは、そのうちに息子の愚痴に突き合ってやろうと思いながら新たに注がれた茶と共に孫娘への心配をゆっくりと飲みこむ。



「しかし祖父殿はなぜ急に参加を表明されたのか……助言をくださったことも含めて今回の件を重く見ていられるのだろうか」



 亡くなったあとも、いや亡くなったからこそ誰よりもソウセツが敬愛する義母ユキ・オウゲン。

 ユキを喪ったことで、ソウセツ自身が大きく変わったように、フォールセンもまた大きく変わってしまった。

 隠棲したフォールセンは世事に関わらず、ただただ死人のように日々を過ごしていた。

 祖父と母や伯母達大英雄パーティの間にあった絆の形が、なんだったかはソウセツは知らない。

 暗黒時代を終わらせるために常人の人生の何倍もの永い時を戦場を駆け抜けて、数千、数万の仲間を喪いながらたどり着いた彼らの心情を察する事など、当人達以外には想像もできないだろう。



「ナイカ殿。祖父殿は何か言われていたか?」



 義母達と同じ時、同じ戦場を駈けたナイカへとソウセツは問いかける。

 何故祖父がいまになって、こうも積極的に世事に関わるのか、理解が出来ずにいた。



「…………落ち着いたら夫婦揃って旦那の屋敷に行ってみる事をお勧めするよ。こればかりは言うよりも見た方が早いからね」



 ソウセツの問いかけにナイカは何ともいえない顔を浮かべると、珍しくからかい成分の含まない優しげな声で助言を返した。










 朝靄のかかる大河コウリュウ。

 昇り始めた朝日の中、二人の戦士は新市街地と旧市街地を結ぶ為に建築中の大橋の袂に築かれた資材置き場で、その武を競い合わせていた。

 早朝で人気も無く周囲には、資材兼建機たる停止状態の巨大ゴーレム達が並んで外界から視界をふさいでいるので、衆目を集めることも無い。

 背中の翼に僅かに魔力を回して相手を中心に見据え低空を疾走しながら、サナ・ロウガは右手の槍にして魔術杖たる兵仗槍へと魔力を集中。

 祖父から受け継いだ大きな翼がはためき、祖母譲りの艶のある黒髪が風を受け揺れる。



「疾風よ!」



 収束精度は落ちるが早い単詠唱を唱えて、飛ぶことで身に纏った風を刃として集める。

 そして術を発動寸前で待機させ、相手の間合いへと飛び込むために、地面を蹴って無理矢理に軌道を変えて背後から突貫を敢行する。

 遠距離戦は空を飛べ、魔術師寄りの槍使いであるサナが手数で勝るが、防御に長けた相手に防がれるので、結局千日手になって決着はつかない。

 勝つには不利だと判っていても接近戦しか無い。

 背後からの攻撃に対して、相手はクルリと振り返りながら太刀を横一線へとなぎ払う。

 空気を切り裂く剣先が微かに発光して、魔力と闘気が混じった複合斬撃が打ち出される。



「また器用な真似を!」



 ただの魔力弾ならば結界術で弾けるが、闘気込みではそうもいかない。

 右手を一度絞り、捻りながら槍と共に突き出す。

 兵仗槍の穂先から発生した風の刃に、速度とひねりを加えて威力を高めた攻撃で、対戦相手が打ち出した斬撃に合わせる。



「くっ。この!」



 合わせた斬撃の重い感触に右腕が痺れる。

 重すぎる一撃を見事に受け止めてみせるが、その代償に飛翔の勢いが完全に止まってしまった。

 地面へと着地したサナは、瞬時に防御のために槍を構え直そうとする、

 だが着地する瞬間を狙っていたのか、振り返りの斬撃と共に突進をかけていた相手の剣が気づいたときにはサナの首元に静かに合わせられていた。 

 この状況からでは回避も反撃も出来無いと、いやでも悟らされる。


 

「……私の負けです」



「お相手いただきありがとうございました。王女殿下」



 兵仗槍を下ろしたサナが素直に負けを認めると、相手も剣を引き、静かに一礼をしてからサナの眼前で片膝をつく。

 今時珍しい臣下としての礼儀をみせた青年セイジ・シドウは膝をついたままでもう一度深く頭を下げる。

 角度、形、非の打ち所が無い儀礼をみせるセイジだが、逆にその完璧さに苛立ちを覚えたサナの眉が僅かにつり上がる。

 勝って当然とばかりの感情の少ない顔も気にくわないが、この他人行儀とした態度はもっと気にくわない。  



「だからそれをお止めなさいと何時もいってるでしょ! この鉄面皮は! 探索者を志す同士として扱えと何度いわせる気ですか!」



「我等シドウはロウガ王家に仕える身です。武を捧げるべき主家の姫君たる殿下の命とあろうとも礼を失する行いはできません」



「あーっ!もう! この時代錯誤の堅物は! そんな風に畏まられると手を抜かれているような気がするのです!」



「ご安心ください。稽古においては常に全力をもってお相手しております」



「えぇそうでしょうね! これで私の0勝85敗ですからね! これで手を抜かれていた日には私の誇りはぼろぼろですよ! というよりもここまで負け続けてて既にぼろぼろです!」



「お言葉ですが訂正させていただきます。83敗2引き分けです」



「なんでそう頑固なんですか貴方は! あれは完全に私の負けだといつもいっているでしょう!」



 破れかぶれでだした適当な攻撃が偶然に当たったからといって、あれを有効打にされても、サナとしては納得はできない。

 さらにきっかりと合わせられているのだから、完全に自分の負けだ。

 だというのにセイジは、あれは引き分けだったと決して譲ろうとしない。

 王族やその血を引く自分に対する敬意を払っているのは確かだが、自分の主張は曲げない。

 王城に仕える兵達とはちがい、王女相手であろうが全力での稽古を望まれれば手を抜くことは無いが、それ以外は城仕えの者達よりも堅物というか頑固すぎる古風な言動は、サムライと呼ばれる旧東方王国武家の血を引く者達の中でも一、二を争うだろう。

 このいろいろと難儀な格上のライバルにサナは朝から怒鳴らされる羽目になっていた。



「まったく。その頑固なところを少しはお直しなさい貴方は。ただでさえ面倒事の多い家柄ですのに……パーティを組む者達とは上手くいっておりますの? 同じシドウ系の者達という話でしたが」



 しばらく言い合ってみたが最後まで譲らないと判っているので、結局折れることになったサナは、出陣式当日の朝だというのに、セイジに会いに来た本命の用件を口にする。

 腕は立つ。誠実で真面目である。良識を持つ堅物。

 多少真面目すぎて融通がきかないきらいはあるがセイジ本人に関しては、サナは心配はしていない。

 だが問題はその家系だ。



「一族の諸兄の足手まといとならないように全力を尽くさせていただきます」



「どう考えても他の者達が貴方の足手まといでしょうに……本当に大丈夫ですの?」



 何時もと変わらぬ答えにサナは余計に心配が募る。

 末端とはいえ姓を名乗れるセイジは、このロウガで威を誇るシドウ家の一員。

 それだけで新興勢力の息がかかった者達からは疎まれるというのに、何故かそのシドウ本家筋からもセイジが冷遇されているのをサナは心配していた。

 ロウガ王家の姫であるサナならば、シドウの姓を持つ者ならば末端であろうとも、公式な場で出会う機会は幾度でもあったはずだ。

 しかしサナがセイジと出会ったのはつい半年前の事。

 これほど腕が立つのに、その存在や名すらも聞いた事は無かった。

 出会ったのも偶然で、探索者を目指す若手達が集まる闘技場で、頭角を現している強者がいると噂話を聞いて、あの頃は増長していたサナが勝負を仕掛けにいった時以来の付き合いだ。

 その際に完膚無きまでにセイジに負け、自分が今まで稽古相手としていた者達にいろいろと手を抜かれていたと嫌でも悟らされた。

 セイジがサナとも縁の深いシドウの家の者だと知ったのもずいぶん後の事だ。



「ご心配いただきありがとうございます。ですが始まりの宮はまもなく開きます。御身をまずは第一にお考えください」



「判っておりますわ。私が他者を心配するなどおこがましい事くらい。ですが貴方は私の唯一の対等な稽古相手。少しは気にかけることくらい許しなさい」



「ありがとうございます」



 膝をついたまま深く頭を下げるセイジに、礼をいいたいのはこちらの方だとサナは小さくこぼす。

 半年前の自分であれば、始まりの宮だろうが初めて挑む迷宮であろうが、何の気負いも無く、いや、舐めてかかっていただろう。

 自分は上級探索者を祖父母に持つ天才だと。

 そんな傲りや油断があればどうなっていたことやら……

 だがその過剰な思い上がりは、今のサナの中には皆無。

 お飾りとはいえ国を統べる王家の一員でしかも姫。

 冷静に考えれば、稽古とはいえどそんな相手に全力で相手しろといわれても、できる者などそうそういない。

 主命を重んじるよほどの堅物か、後先考えない剣術馬鹿だけだろう。

 そんな当たり前の事に気づけたのもこの堅物セイジのおかげだ。



「それと改めていわずとも判っていますでしょうが、始まりの宮を踏破すれば私たちは晴れて探索者。共に栄光を掴むために組みますよ」



「はい……その日を楽しみにしております。我等の武は主君に捧げる物という祖母の教えをかなえられる日を」



 少し自分の思っているニュアンスと違うが、セイジの答えにサナはとりあえず満足し頷く。  

 一般的な探索者希望の者達と違い、出会った頃には既にお互いにしがらみから始まりの宮へと挑むパーティメンバーが決まっていたが、そのあとはまだ白紙だ。

 ロウガ王家の王女サナではない。

 ロウガの探索者サナ。

 自らの手で掴む初めて立ち位置を想像するサナの横には、当然のようにこのライバルの姿もあった。









 野望。

 願望。

 希望。

 人が望み目指す物はいろいろな形をなし、それぞれの生い立ち、過ごしてきた日々によって変わる。

 千差万別。

 人の数だけこの世にはそのそれぞれの形がある。

 知ろうとも知らずとも、影響しようとも、せずとも、それぞれは複雑に絡み合う。

 もつれ合った糸のように。

 だがそれは所詮人の思い。人の意思。

 それを全て喰らい尽くす化け物には関係ない。

 彼らは、ロウガの街に住まう者達はその大半はまだ知らない。

 その化け物の存在を。

 だが今日その誰もが知る。

 名を知らずとも、誰と判らぬとも。

 一匹の化け物がこの街に降り立ったことを。





 数万の群衆が集まっているであろうロウガ中央広場。

 新市街地の中心にある探索者管理協会ロウガ支部前の大きな噴水広場で、間もなく行われる出陣式。

 ロウガ近隣の有力者達も集う会場は北側の協会支部側に来賓席が設けられ、残り三方は一般開放されて群衆の人だかりができている。

 かつての狼牙王城があった位置に築かれたこの噴水広場には、英雄達の像を象った巨大な噴水が中央に設置されていた。

 噴水から噴き出す水はその下にある大井戸からくみ上げられた水であり、ここは赤龍王の褥へとたどり着くために、英雄達が地下水路へと潜った由緒ある場所だ。

 その故事にあやかり、ロウガで探索者を目指す者達は、この広場で出陣式を執り行うのが慣例となっている。

 会場だけでも武装した警備兵の数は数えるのが馬鹿らしいほど。

 さらにいえば周囲の群衆には、暇を持てあましたり、将来の有望なパーティ候補を見いだそうとして、見物に来た現役探索者達もたくさん集っていることだろう。

 こんな所に一人を切る為に斬り込もうなど、無謀の極みだ。



「あーケイス一応いっとくぞ。止めとけ。いくらお前でも殺されるぞ」



 広場に面した商会の屋上に立つウォーギン・ザナドールは、自分自身でも無駄だと思う忠告を、友人として、そして大人として、化け物にして馬鹿者のケイスへとする。



「五月蠅い。私を止めるならウォーギンでも切るぞ」



 ケイスは煩わしそうに答えながら、足元の広場のただ一点を見つめていた。

 探索者を目指す若者達のほぼ中ほどに立つ若武者。

 己が切るべき者。

 セイジ・シドウへとケイスの意識は集中している。

 昨夜遅くにほぼ裸のような恰好で押しかけてきた年下の友人に何があったのかは知らぬが、いつの日か見たその強い決意の色にウォーギンは早々に説得を諦める。

 説得が無理なら技術者らしくいくだけだ。

 この化け物じみた天才が、絶対に無謀な無理な状況でどう戦うか?

 不謹慎ながら興味があるのは、ウォーギンもまた常識外の天才ゆえだろう。



「ったく。しゃあねぇな。貸しだした武装はほとんどが試作品以前の、方向性を試してる奴だから、耐久性や信頼性はほぼねぇぞ。場所を変えてみててやるが、後で感想は聞かせにこいよ」



 これ以上この場に留まってもケイスの邪魔になるだけだと、ウォーギンは頭を掻きながら立ち去っていった。



「ん。恩にきる。後でちゃんと返しに行くからそう心配するな」



 その背中に向かってケイスは軽く頭を下げて見送ってから、今一度広場へと目を向けた。

 ケイスが纏うフードつきローブにはタグのような紐が無数に飛び出ていて、その愛らしくも美しい美貌を誇る顔の下半分は、金属板に直接に刻み込まれた魔術文字のあとも新しい無骨な仮面が覆っていた。

 全身を怪しいと表現するしか無い武装で固めたケイスは深く息を吸う。

 四肢全てへと意識を向け、押さえ込んでいた殺意を、全身へと行き渡らせる。

 何時もなら難関や強敵を前に弾むはずの心が今日は躍らない。

 足元の広場には警備兵だけでは無く、少なくとも上級探索者が4人以上。

 中級や下級探索者は無数にいる。

 それでも踊らない。

 唯々悔しい。

 唯々腹立たしい。

 自分が目指すべき道を汚された怒りだけが、ケイスの中に渦巻く。

 探索者とは弱き者達を助ける為に力を持つ者。

 それこそが自分の知る、尊敬する探索者だ。

 それなのに、その力を使い、栄誉を欲し、罪なき者達を苦しめ、ましてや殺害するなど。

 認められない。

 認めてはいけない。

 この世にこれはあってはいけない。

 それを望んだ者を、この世に生かしてはいけない。

 自分が喰らうべき世界に存在させてはならない。

 それは龍の怒り。

 自己中心的にして、傲岸不遜にして、絶対捕食者の怒り。

 初めから出し惜しみなどする気のないケイスは、呼吸を変える。

 丹田と心臓が暗く激しく燃え出す。

 全身を焼きつくしても飽き足らぬほどの、血液全てが沸騰するほどの怒りが大気を歪め風を呼び起こし始める。

 急にわき上がった怒れる狂獣の気配。

 怒りをまき散らした闘気が拡散され、勘の良い探索者達の幾人が気づく。

 だがその発生源を特定できぬのか、探る目線があちらこちらに飛ばされるが、ケイスを捉える目はほぼ皆無だ。

 しかし唯一ケイスを見つける目線があった。



「ふん、やはり私にはまだフォールセン殿のようには無理だな」



 自分がその人に気づいたように、その人もケイスへと気づいている。

 憧れの英雄を前に、このような無様な怒りを晒す自分の未熟ささえも、今は怒りを継ぎ足す燃料へと変える。

 フォールセンのように全てを自分の中に押しとどめ、気配を消すなど今のケイスには出来無い。

 気配を消して隠れることが出来無いならば、全てを己の気配で喰らい尽くす。

 この広場全てを己の怒りで埋め尽くし、己の居場所を欺瞞させる。

 濃厚になる気配に一般大衆も気づいたのか、混乱じみたざわめきが起こり始める。



『娘。せいぜい20秒だこのような奇策が通じるのは。だがそれでは届かぬ』



 ラフォスの見積もりにケイスは同意せざる得ない。

 標的への距離。さらに未知数の相手の力量。

 せめてもう少し時間が欲しい。

 ならば……あえて死地へと向かう。



「まずは来賓席へと向けて突っ込むぞ。行くぞおじいさま!」



 標的を仕留めるための時間を稼ぐために、あえてより危険度の高い場所を目指す。

 狂った思考のままに大剣状態で構えた羽の剣へとありったけの殺意を込めて、硬化させつつ、軽量状態へと変化させたケイスは、屋根を強く蹴って死地へと斬り込んでいった。

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