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永宮未完 挑戦者編  作者: タカセ
剣士と探索者の街
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剣士と古井戸 加筆修正

 ミノトス管理協会ロウガ支部は、大河コウリュウの右岸側。ロウガ新市街の北東部の川岸に建てられている。

 探索者へのサポートを第一の業務とするが、特殊都市国家であるロウガの国家運営も王家からの委託という形で担っているロウガ支部は、近隣のみならず世界的に見ても広大な敷地を有していた。

 そんな協会支部は滅亡した東方王国狼牙城の城跡に建てられているが、龍王の炎によって焼け溶けた地上にはその痕跡は残っていない。

 地下には東方王国時代の遺構が今も残っており、今の魔導技術の真髄である転血炉を遙かにしのぐ魔力を生み出す東方魔導の最秘奥魔法陣が秘匿されており、これを狙い龍王がこの地に飛来し暗黒時代が始まったというお伽噺はよく知られた話だ。

 そんな曰くをもつ古代魔法陣を封印するために、この地に協会支部が建てられたと、嘘か真か囁かれているが、その真相を知るのは極々一部だけだ。



「ナイカ殿の草茶は久しいな。すまんな無理を言って……」



 全てを知るであろう大英雄フォールセンは、久しぶりに訪れたロウガ支部の片隅に立つ治安警備隊本部にある応接室のソファーに腰掛け、独特の草茶の香りと味に懐かしげに目を細めた。

 深い緑色の液体は青臭くて、とても客人に振る舞えるような上等な物では無いが、ナイカは苦笑しながら自分も口をつけ、今度は苦さに顔をしかめる。

 供もつけず一人秘密裏に訪れたとはいえ、フォールセンはロウガ奪還の立役者であり、世界的にも名を知られた英雄。

 そんな上客にいくら本人の希望とはいえ茶ともいうのもおこがましい、雑草を煎じた物を出すなぞできる剛胆な者は皆無だろう。 

 この茶とも呼べぬ代物を呑み分けた戦友達を除いて。



「若いのも含めて全部警護に出てるから、あたしがお茶汲みなのは仕方ないさ」



 普段ならば人が詰めている警備隊本部には、今日はその一人であるナイカしかいない。

 つい先日正式に就任が発表された総隊長であるソウセツを筆頭に、ほぼ全員が支部の別棟で行われている、始まりの宮前に行われる、恒例の式典警護に駆り出されている。

 会場警護に人員が割かれるのは例年のことだが、警備隊を刷新した際の大量解雇による人手不足を理由に、会場警備には精鋭である警備隊全員が担当し、空となる本部には別部署職員を臨時で配属させるという怪しさ満点な指示が上層部からは命じられていた。

 無論そんな話を受け入れられるわけもなく、ならばと上級探索者であるナイカが一人残り、広い本部全てに使い魔を張り巡らせる形を取っている。

 相手側も本気で、明け渡すなどとは思ってもおらず、ただの嫌がらせだろうというのがナイカの予想だ。


 

「しかし旦那も相変わらず物好きだね。あの人が取り戻した茶が、今じゃロウガの名産品に返り咲いたってのにわざわざこっちを頼むかい……だけど」



「「泥水をすするよりはマシだ」」



 今ではその決まり文句を知る者もすっかり少なくってしまった戦友達は、幾度も交わした草茶の感想を異口同音で口にし、そのまま微かな、遠くなった過去を懐かしみつつ、悲しみも乗せた複雑な笑みを互いに浮かべた。



「まったく。あたしらがこんなもんでもありがたがってたんだから、今の若い奴らは贅沢を言うなって話さ、探索者なら食えるだけマシだろってね。知ってるかい旦那。最近じゃ人気迷宮で出張料理店を営業するギルドもあるって話だよ」



 火龍王の魔力に影響された不毛な土地でも繁殖できた強い生命力をもつ数少ない草木は、碌な補給も望めない最前線を進む彼らにとっては、貴重な栄養源だった。

 その頃を思えば、緊急用の保存食に固いだの乾物臭いだの文句を言うなと愚痴りたいところだが、それを逆手にとって多くの探索者が挑む迷宮内で街の高級レストランにも負けない味を提供する店を営業するところまでいかれると逆に感心するしかない。

 


「隔世の感というものだろうな。私のように隠遁しているとそれをしみじみ感じるよ」



「戦役を偉そうに仕切っていたお堅い迷宮信仰主義派が今じゃ隅に追いやられて、下働きだった俗世派が牛耳ってるくらいだからね」



 迷宮とはもっと神聖な物であったと嘆く者達がいる。

 神の与えた試練に挑み、人を越えた力を得て、人知を越えた困難に打ち勝つ。

 暗黒時代を終わらせたそれこそが、迷宮永宮未完『ミノトスの宝物庫』のあるべき姿だと。

 だがその迷宮信仰を心の底から信じる者は、今では少数派だ。

 迷宮に住まうモンスターや、迷宮の奥底に眠る資源は金となると。

 運さえあれば剣一本、己の身1つで、立身出世を果たせると。

 人間らしいといえば人間らしい俗物めいた感情が、今の世の主流であり、国すらも凌ぐといわれる管理協会の力の源となっている。



「で、旦那。そんな昔話や今の世を嘆くためにきたのかい? それとも預かってもらったあの子の文句かい?」      



 ナイカは茶に顔をしかめつつ本題に入る。

 油断する気は無いが、特になにも起こること無く終わるだろうと思っていた留守居役は、フォールセンが訪れたことで、意味合いが大きく変わった。

 俗世に塗れた今の時代においても、大英雄の肩書きを持つフォールセンの価値は計り知れない。

 フォールセンが動けば、そのひと言だけで勢力図が大きく変わるほどに。

 だからこそフォールセンは表舞台からは引き、己の屋敷へと隠遁している。

 全ては過去のこと。

 自らの戦いは終わったという言葉と共に。

 そんなフォールセンがお忍びとはいえ、今の陰謀うごめくロウガ支部に訪れるなど異例中も異例の事態だ。

 だがナイカは何故それが起きたか、フォールセンが動いたか。

 おおよその理由に気づいている。

 あの顔と声を持つ少女が現れた。

 過去を知る者には、それだけで十分に納得出来る理由だ。

 あの少女は、ケイスと名乗る者は何者だと、ナイカは目で問いかけるが、



「少しばかり面白い話をミウロに聞いたので、茶飲み話に最適と思ってな」



 ナイカの問いには答えず、フォールセンは表情を変えず世間話を続ける。      

しかしミウロという名にナイカの細い眉がぴくりと動き、次いでその右手を少しだけ動かし、周囲に張り巡らした使い魔と防音結界を再確認する。

 治安警備隊の本部として使われている建物は旧来から使われていた建物。

 組織内部を一新したときに、仕掛けられていた盗聴や監視の魔術や魔具は極力排除したが、それでも念には念を入れるに越した事は無い。

 フォールセンが何気なく口にしたミウロとは、『緑帝』の二つ名を持つエルフの上級探索者にして、管理協会本部常任理事ミウロ・イアロスに他ならない。



「どうも最近は若手。それも始まりの宮を踏破し探索者となったばかりの、初級探索者に逸材が多いらしい」



「へぇ。それはそれは。管理協会としちゃ、有能な若手が増えるなら願ったり叶ったりだろうね」

 


「あぁ。何でもあと少し遅ければ、大災害となるような事例が、その若手探索者達によって未然に食い止めてられていたそうだ」



「……そりゃ前途有望だね」



 フォールセンの言外に秘められた言葉の意味に気づいたナイカは、暗澹たる気持ちを覚えながらも正反対の言葉を口にだす。

 ケイスが表舞台に引きずり出した妖水獣事件。

 実行犯の供述を元に関連したとおぼしき下っ端は幾人か捕らえたが、その背後関係は未だ調査中。

 この一帯が生物汚染されるような大事件を、誰が引き起こそうとしていたか。

 これらを暴き、計画者を捕縛すれば、腐敗と汚職に塗れていた治安警備隊が、新生したと示せる絶好の機会だと思っていた気持ちが一気に沈んでいく。



「子弟に名を馳せた探索者がいれば、益となる者もさぞかし多いのだろう。ミウロも解決されたとはいえ、急増した火種の多さに違和感を覚え、密かに調べていたそうだ」



「旦那……はっきり言ってくれるかい。今回の事件は、まかり間違えば取り返しが付かないほどの範囲で被害が出るってのに、お為ごかしだって事かい」

 


 腹芸をする気も失せたナイカは単刀直入に尋ねる。

 折りしも、今は探索者となるための始まりの宮が出現する閉鎖期。

 この事件は、探索者となったばかりのどこかの誰かが、華々しい初功績を得るために用意されていたのかと。

 だがいくらフォールセンの言葉とはいえ、この地域全域に影響を及ぼす事態も考えられる事件を引き起こした目的が、新人探索者に功績を稼がせる為とはにわかに信じがたい。

 


「さすがに今回の件は些か大きすぎるが、現場となった牧場がある地域に、影響力を持つ人物の名を聞けばナイカ殿も納得するだろう」



 フォールセンは苦い草茶を飲みながら、淡々と言葉を紡いでいく。

 ミウロへと連絡を取ったのは、類似した事件があるか尋ねるためだ。

フォールセンとしてはケイスへ僅かなりの助力をと思ってのことだったのだが、返ってきたのは投げ込んだ小石に対して、大きすぎる波紋だ。

 隠遁しているとはいえさすがにこのまま見逃すことも出来無い情報と思い、戦友として信頼できるナイカへと情報提供をする為に普段は避けている支部を訪れた目的となっていた。

 


「ミマサカ家だろ。あそこの当主は、色々と小細工をかます小悪党だが、それを言っちゃロウガじゃよくいる奴だ。そこまでの度胸は無いね」



 ナイカはしばし思案してから、中堅所の勢力を持つ商家の名をあげる。

 その名が示すとおり、ミマサカはトランド大陸東部領域に一大国家を築き上げた東方王国系の流れをくむ一族。

 元来は東方王国辺境部に領地を持っていた小貴族だったそうだが、暗黒時代最初期に、龍や迷宮モンスターの群れがまず徹底的に破壊して回ったのが東方王国の都や領域であり、その時に先祖伝来の土地、財産を全て失っている。

 ただこれは珍しい話ではない。

 トランド大陸全土で百年以上も続く暗黒期の嵐が大きく吹き荒れたのだ。

 血脈が残れば、むしろ運が良かったと断言できる。

 もっともその代々続くといわれる血脈の末を名乗る眉唾な者達が、大陸中に溢れているのが現状ではあるが。

 ミマサカ家もまたその多分に洩れず、文字通り一晩で灰燼とかした中心部に領地を持っていた一族の血脈が何故残ったのかと、その真偽が囁かれている。



「だが力を持つ者に逆らうほどの度胸も無い。ましてやそれがロウガ最大の力を持つ一族では」

 


「嫌な考えが頭を過ぎるんだけどね。ミマサカを含めて東方王国家系復興に助力したのはシドウの爺様だったね」



 ナイカはそれらのありふれているが故に見落としていた部分に気づき、そして疑いのあるミマサカがこのロウガにおいて勢力を得た切っ掛けを思い出す。         

 それは旧東方王国の重鎮である文武百家の1つ紫藤家。

 シドウは海運で名を馳せた一族で、他大陸にも勢力を持っていたため暗黒時代においても没落を免れた唯一の東方王国系貴族。

 暗黒時代においては、大陸解放を目指すパーティーを支援しつづけ、大陸解放後のロウガ復興初期にも苦難の道を歩む同胞を救うためにと私財を惜しみなく提供し、また世界中に散らばっていた東方王国貴族末裔を名乗る者達をロウガに呼び寄せている。

 シドウ家は名実共に今もロウガ主流派の中心勢であり、各ギルドや、管理協会ロウガ支部評議会にも強い力を持っている一族。


 

「代々のシドウ殿は、武は持たぬが、先を見通す先見の明を持っておられた文官であったからな。国を護り、そして発展させるための最上の選択を判っておられた」



 かつての友であった当主達を懐かしみながらフォールセンは、彼らに対する最上級の賛辞を口にする。

 資格も力も持ちながらシドウが、ロウガ王とならなかった理由はただ1つ。

 暗黒時代終焉の地であり、最後に残った天然の良港であるロウガを巡る周辺勢力の間で諍いを治めるために、ロウガを統べるのはかつての狼牙領主の血であるべきというフォールセンの助言を受け入れたからに他ならない。



「そりゃ違う。シドウの爺様は旦那が王になるのが最上だったってよく言ってたよ。ユキさんと一緒になってね」



「…………」



 ナイカの指摘にフォールセンは答えず、ただ茶を啜る。

 全ては過去のこと。

 今更言っても後悔しても現実は変わらず、そして何より、もしやり直すことが出来たとしても、自分達は同じ選択をしたと確信しているからに他ならない。



「悪い……ついね」



 シドウ当主の言っていた未来を描いていた者は当時の仲間達にも多かった。ナイカもその1人だ。

つい口を滑らしてしまったナイカがばつの悪そうな顔を浮かべる。



「気にせんでくれ。それこそ昔の話だ。今を語ろう」



「しかしシドウがこんな危ない件に手を出すかい。新興勢力に多少は押されて色々やっているが、それでも、もみ消せるラインは心得ている。しかし今回の件が露呈すりゃシドウでも無理だ。名声も勢力も地に落ちるよ」



「一族としては無理があるな……だが個人としては別だ。ソウセツ殿、いやソウタとユイナ殿……そしてユキ。何よりシドウ家に深い怨嗟を抱いているシドウが一人いる。セイカイ・シドウという者を知っているか?」



「セイカイ・シドウ……確か現当主の腹違いの弟だったね。うちの大将や、あの人らと何があったんだい」



 海運ギルドを仕切るシドウの現当主の弟ではあるが、多大な利益を生む交易部門では無く、下支えの港湾管理部門を数年前まで担当していたはずだ。

 出入港記録の改竄による密貿易や税逃れといった件で、時折関与が囁かれていたので、ナイカの記憶にも引っかかる存在。

 しかし、英雄フォールセンパーティの一人であり、双剣であった邑源雪。

 現ルクセライゼン皇帝であるフィリオネスパーティのメンバーとして、名を馳せたソウセツや、前ロウガ女王であるユイナといった、そうそうたる顔ぶれとの接点の想像がナイカにはつかない。

 ましてや深い怨嗟を抱くほどの因縁となるとなおさらだ。



「ユイナ殿の婚約者選びの際に、有力な候補の一人にセイカイ殿の名があった。しかし結局ユイナ殿が選んだのは、ナイカ殿も知るようにソウタだ。ユキもいろいろ思うところはあるにせよ、ユイナ殿を認め、邑源の当主が受け継いできた宋雪の名をその祝福としてソウタに継がせた。だが納得がいかないセイカイ殿がその場で異議申し立てをしたが、その言葉がユキの逆鱗に触れた」



「あの人の逆鱗ね…………あまり聞きたくないね」



「高貴なる東方王国帝の血も伝えるロウガ王家に、家臣の、それも養子である亜人の血を入れるつもりかと。この発言にユキがこのような浅はかな者を、文武百家である『紫藤』は重用するのかと激高しておったな」



 フォールセンの答えに、自分の言葉ではないというのにナイカは思わず背筋を振るわす。

 予想していた最悪な暴言を遥かに超す阿呆な発言。

 そんな発言をユキ・オウゲ……いや、邑源雪の前でして、命があっただけでもマシだ。



「それはまた。命知らずを通り越してそりゃただの馬鹿だ。邑源も知らず、ユキさんがどれだけ屈折した感情でロウガを見ていたかも知らずにね」



 東方王国の帝に仕える数多ある臣下の中でも、文武百家に名をつらねる家門は名門中の名門。

 だが武家として名を馳せながらも、邑源家の名はその中に無い。

 なぜなら彼らは臣下では無い。

 彼の一族は帝の剣。

 その存在は帝の力その物であり、有事あれば帝の名代として東方王国全軍の頂点に立つ事さえもある一族だからだ。

 彼らが狼牙領主の下に仕えていたのも、その当時の帝がもっとも寵愛していた姫が狼牙家へと降嫁した際に、花嫁道具として付き添ったからにすぎない。

 邑源の名の前では、百家に名を連ねる狼牙も、さらに家格が上の紫藤であっても、ひれ伏すしか無い東方王国最大の名家。

 その名家の誇りと武を誰よりも自覚しつつも、国が滅びた後も心に痼りとして残していたのは他ならぬユキだ。

 そのユキが、血は繋がっていなくとも大切に育てた愛息子に、命よりも大切な父の名を継がせようとしたところに水をさされた上に、家名を汚される暴言を吐かれたのだ。

 激怒しないわけが無い。

   


「その件でセイカイ殿は、当時の当主であった祖父殿に謹慎を申し渡され、それが解けた後も、シドウの主流から外れた傍流に据え置かれ続けた。既に半世紀も前の話ではあるが、事によってはロウガの王配だったかもしれぬはずがと、恨み骨髄まで達しているだろうな」



「そりゃ根が深そうだ……確かセイカイには孫がいたね」



「セイジ・シドウという青年だそうだ。武道大会の優勝者として何度も栄誉を得たと聞くが」



 ナイカの呟きにフォールセンは小さく頷く。



「あぁ。思い出した。結構な傑物で、今年の始まりの宮に挑む面子で最初に踏破するのが誰かって賭けの中じゃ本命視されていたはずだよ。確か年は18だったね」 



「今期の始まりの宮には、ソウタとユイナ殿の孫となるサナ王女も挑まれる。あの方も将来が有望と噂されているな」


 

 祖母であるユイナとよく似た容姿に、ソウセツと同じく背には大きな猛禽類の翼を持つロウガの若き王女サナは、フォールセンを大爺様と慕っており時折屋敷を訪れており、ソウセツの相談役でもあるナイカも知らぬ仲では無い。

 一方でセイカイの孫の方はフォールセン達は直接の面識は無いが、目端の利いた勝負師が本命視するのだからそれ相応の実力を備えているのであろう。

 長年蓄積された怨嗟と屈辱を、孫の世代で晴らそうと策略していたとすれば……



「ミマサカとセイカイの繋がりは?」



「密貿易の陸と海の中継点として繋がりがあったようだ。その詳細まではまだ不明だ」



「ほんと旦那の情報網は今でも優秀だね。羨ましい限りだよ」



 かつてロウガ支部長を務めたフォールセンが有した情報網は、それこそ表にも裏にも万全の網を張る物。

 本人の隠居で大半は途絶え、眠りについてしまっているが、それでもロウガ域内に限れば今もまだかろうじて生き残っているようだ。



「しかし、今になっていろいろ動き出したね。そうなるとだ……あの娘はなんだろうね?」



 古い因縁が動き出したのは一体何が切っ掛けだったのだろうか?

 そう考えたときにどうしても思い浮かぶのはケイスの存在だ。

 

 

 

「剣士殿は偶然だな。ただ、たまたま、その時その場に居合わせ、そして気がつけば中心にいるという類いの存在であろうな」



 フォールセンの言葉に含まれる意味と、ケイスの非常識な言動を思い出し、ナイカは得心し、そして深い息を吐き出す。

 世の中には極々稀に、その手の者が存在すると知るからだ。

 本人が望む望まずにかかわらず、その存在自体が、争いを呼び寄せ、揉め事を巻き起こし、加速度的に状況を変えていく。

 すなわち英雄や魔王と後の世で呼ばれるような存在が。 



「……本当に将来有望な若者がいるってのは、あたしら年寄りにはありがたいことだね」



 様々な火種がくすぶるロウガの街に現れた最大の大火に、ナイカはこれから忙しい日が始まるという確信めいた予感を抱いていた。



「その若者達に余計な荷物を背負わせるわけにはいかんだろうな」




 終わったはずの過去が、今も時折芽を吹かせる。

 無力感に捕らわれていた先日までのフォールセンなら、若い者達に任せようと理由をつけて見過ごしてきた案件。

 だがケイスが現れたことで、良くも悪くもいろいろな事象が活発に活動を始めだしていた。
















「お爺様この辺りはどうだ?」



 遊歩道から外れた池の畔に立ち、苔むした高い石壁を見上げながら、ケイスは懐にしまい込んだ愛剣に魂を宿す遠き祖先のラフォスに尋ねる。

 魔力を捨て去ったケイスは結界の存在を感じ取ることは出来無いが、姿形が変わろうとも本質が龍であるラフォスには、厳重に隠匿されていようが人の手による結界を感じ取るのは造作も無い事だ。



『この辺りにも隙無く幾重にも結界が張り巡らされておる。敷地全域を覆う一体型のようだ。魔力形状から見ておそらく母屋地下に陣が敷かれておるな』



「一体型か。隙間を見つけるのは無理か」



 小結界を貼り合わせて広い敷地を覆う分散型なら結界間の干渉で出来たほころびの1つや2つはあるだろうが、1つの大結界で覆ってしまう一体型となると期待するだけ無駄だ。

見舞いと言うべきか監視に来たと言うべきか微妙なルディア達を見送った後、昼の散歩と称して一人屋敷外に出たケイスは、広いフォールセン邸の敷地を壁沿いにぐるりと回っていた。

 目的はもちろん、街に出るための抜け道を探すためだ。

 ロウガ支部で起きている犯罪行為の重要証人というか、渦中の真っ直中にいるケイスは現在保護されている身。

外出など絶対に認められるわけがないのは、さすがに判っているが、唯々資料を調べてもこれ以上は推測の域を出ない事も理解していた。

 ルディア達からは、事件に大きな進展があった様子が見られないとは聞いていたが、いつ動き出すのかはケイスには判らない。

 事が大きく動く前に、自分の敵を見極めるの必要がある。 

 それなら実際に自分が怪しいと思った者を、この目で見るのが一番手っ取り早い。

 なぜならば剣の天才たる自分が、敵を、切るべき者を見間違うはずが無いからだ。

 自信過剰を通り越した自分だけにしか判らない理屈を元に、結論づけたケイスは屋敷から出る手立てを探っていた。



「結界をお爺様で斬れるか?」



『結界の出力を越える魔力を込めれば撃ち斬れるであろうが、いくら込めようとも今の娘の闘気では無理であろうな』



 外界を変える力の魔力と内界を変える闘気は、元は同じ生命力を元にしても似て非なる物。

 魔力には魔力を。

 闘気には闘気を

 この絶対原則は、傲岸不遜なケイスを持っても覆せない純然たる法則。

 この世の理を己の理で覆せるとすれば、龍王か、もしくは超常の上級探索者達の中でも一握りの存在だけだ。

 今のケイスでは、どれだけ死力を尽くそうとも、理を覆すだけの力は無い。

 


「無理か。門を通過する方法を模索するか」



 半ば予想していたラフォスの答えにケイスは落胆の色も無く、次の手を考えながら身体をゆっくりと伸ばす。

 母屋の広い裏庭は木々が生い茂り、大きな池の畔にはひんやりとした澄み切った風が流れ実に気持ちいい。

 フォールセン邸は食事も美味しいし、落ち着けるのでのんびりと療養して過ごすには最高の環境だとケイスも認める。

 ただ少しだけ物足りない。 

 その足りない物とは……



「ん?」



 ふとケイスの耳が微かに聞こえる音と声を捉える。

 一瞬、物足りなさから求めていた物を幻聴したかと思ったが、気配を研ぎ澄ませてみればそれは確かに現実の物だとすぐに判った。

 レイネの施した強化治療の副作用で、身体能力が全体的に低下している所為でどうやら気づかなかったようだ。

 音の出所は池の対岸側。林を抜けた辺りだろうか。

 その音と気配に引かれケイスが少しだけ早くした足取りで大回りで池を回避して、遊歩道に戻りそのまま道なりに進んでいくと、不意に開けた場所に出た。

 ケイスの立つ林の縁より、一階分ほど掘り下げた広場では、数十人の年若い少年少女が、木製の模擬刀や槍を手に鍛錬を行っていた。

 屋敷の従者達の話では、裏手は今はフォールセンが経営する孤児院となっており、そこには協会支部時代の職員宿舎や、探索者向けの短期滞在施設や鍛錬所があるという話だった。

 どうやら探索をしている間に、いつの間にか母屋周辺を抜けて、裏側の今は孤児院となっている辺りまで来ていたらしい。

 見ればケイスと同年代か少し上の年かさの者を、大人と変わらない体格の年長者が指導するという形のようだ。

 気勢を上げる声や、打ち合わせた木製武器の音。

 物足りなさを感じていたケイスが求めていた、それがよく響いていた。



「ふむ……今の体調では5分か」



 打ち合わせている眼下の集団をざっと見渡したケイスは、少し不機嫌層に口に出した。



『娘。あまり聞きたくないがその心は?』



「無論この場を制圧するまでの時間だ。体調が優れないのもあるが、二、三人ほど数手かかりそうな者もいるし、十数人は取り逃がすな。全員を切り倒せないのが悔しいな」



『お前から見れば、あの若き者達は全て歯牙にもかからぬ者であろう。少しは相手を選ばぬか』



 とりあえず味方だろうが敵だろうか、強かろうが弱かろうが、まずは斬り倒すところから判断に入る剣術馬鹿思考に、ラフォスはやはり聞かなければ良かったと嘆息する。

 この壊れた思考のせいで、呼び込んだ事件や起こした事件は、この一年だけでも数知れず。

 幾度も怪我を負い、その歩みを止め、迷走してきたというのに、ケイスには己を省みる素振りは皆無だ。



「私は剣士だぞ。ならば剣で語るのが一番であるからだ……それに他人はよく判らん」



 ラフォスの苦言にケイスは少し頬を膨らませる。

 ケイスにとって他の者の発する言葉は、感情は、理解が出来ない事が多い。

 何故、美辞麗句を発しながら、その言葉に合わぬ行動を行う。

 何故、嘆き悲しむなら、その元を排除しようとしない。

 何故、自らの力が足りぬというなら、力を貸そうとする自分を頼らない。

 人の世は、精神的に幼く、そして歪むほどに単純なケイスにとって不合理極まりない。

 だからこそケイスは剣に全てを注ぐ。

 自らの剣を前にすれば、全ての存在が2つとなるまでの強さを得るために。

 自分の力を頼るか、拒み敵対するか二択へとなるまでになれば強くなればいいと。



『娘。気づかれたぞ。どうする』



 剣戟思考に耽りかけていたケイスがラフォスの言葉に見れば、鍛錬をしていたはずの一団の大半が稽古の手を止めて、こちらを見上げている。

 物珍しいそうな顔がほとんどだが、いくつかは好意的とはいえない顔を浮かべている。

 話したことも無いのに、なぜ自分に敵意を向けるのかケイスには判らない。

 事情があるとはいえ特別扱いをされている自分が、屋敷に住む孤児達にどう思われているかなど、ケイスには理解出来ない。



「本当に斬りたくなっても困るから場所を変える。続けるぞお爺様」



 あまり気持ちよい物ではない視線に煩わしさを感じたケイスは、広場にクルリと背を向け、庭の探索へと戻る。

 池まで戻りそのまま池沿いに道を進んでいく。

 池といってもたまり水で無く、常に循環しているのか澄み切って綺麗な物だ。

 片膝を付いて水に手を入れてみると、驚くほどに冷たい。

 そのまま掌に掬って口に含むと、湧かせば飲料水としても十分に使える物だとすぐに判る。

 懐から羽の剣を取りだしてケイスはその切っ先を水面につける。

  


「お爺様。水の流入出はどこか判るか?」

  


『どちらも地下だ。北東方角から水が湧き出し南西側に流れている。池石組みに浄化の魔法陣が刻みこまれた高度な上水道設備の1つのようだ。補修された後はいくつもあるが、魔法陣の基本術式は今の人間の物では無いな。おそらく娘の言っていた東方流だ』 



 水の流れや成分を読んだラフォスがすぐに答えを返す。

 浄化している術式すら一瞬では判別が出来るのだから、魔力を捨てたケイスにはこの上なくありがたい。

 今はフォールセン屋敷で、復興期は協会支部。

 ならさらにその前、暗黒時代前の東方王国時代は?

 祖母から聞いた話や、読んだ資料を総合的に考え、ケイスは1つの結論にいたる。

 今のロウガ支部が立つ場所にあった狼牙本城とは別に、狼牙の街にはいくつか出城があったと聞く。

 港にあった東方王国海軍の本拠地たる海城。

 そしてコウリュウ対岸の山側にあったのが、邑源宋雪率いる狼牙兵団の居城となる山城だと。



「やはりここは城跡でもあるか。籠城戦も十分に行えるように水を確保しているようだ。……そうなるとだ」



 三つの城には、非常時に備えそれぞれを結ぶ地下通路があったという伝説がある。

 フォールセンパーティは龍王にすらも破壊できなかった、その巨大地下通路を辿り、数多の探索者達が集い、龍種との決戦に挑んでいた地上を避け、若き龍王が君臨する地下居城までたどり着いたと。

 この水道システムの一部に使われているのは、その東方王国時代の遺構。

 屋敷の敷地の広さに、備えた設備から見て、ここがその山城跡だと考えるの自然だ。

 そして地下水道と地下大通路。どちらも大規模な工事が必要となる物を、全くの別物として作るだろうか。

 それが地下水路であれば水運を利用して、より大量の物資、人員を短時間で移動が可能になるはずだ。

 


「北東だったな。そちらに向かってみる」



 立ち上がり剣を一降りして水を振り落としたケイスは、しばらく遊歩道沿いに池の外れまで進み、そこから藪の中を掻き分けていく。

 着込んだドレスの長いスカートの端が木々に引っかかりぼろぼろになっていくが、意にもせず進む。

 自分が着ればどうせ服なんてすぐにダメになる。

 後で足にからまない用に裾を短く斬るか、対して寒くも無いので下着姿で十分だから脱ぎ捨てれば良いかと、作成者のメイドが聞けば泣き出しそうな事を、ケイスが考えながら藪を抜けきると、丈の高い雑草に囲まれた古い石組みの大きな井戸が姿を現す

 長いこと使われていないのか、石壁と同じく、表面はすっかり苔むしているが崩れ落ちている部分は皆無だ。

 石壁と同じく保護魔術の類いでも施してあるのだろう。

 古井戸の上部には重く頑丈な石蓋がされていて、さらにはその四隅は封印としてだろうが円形の穴が空けられ、ケイスの腕ほどの太さがある錆びついた鉄の輪で井戸本体の石に繋がれていた。



「ふむ。怪しいな……この太さで千切るのは無理か」


 

 試しに鎖に手をかけて引っ張ってみたが錆びついているのは表面だけのようで、鎖はびくともしない。

 千切るのが無理なら斬るだけだ。



「お爺様。少し振るから合わせろ」



 丸めていた羽の剣を懐から引き抜いた剣術馬鹿は躊躇無く切断することを選択する。



『……軽くだぞ』


 

 剣を振るといいだした自分の使い手が、言って止まる者ではないと諦めているので、軽い注意をするだけだ。 



「うむ」



 頷いてから羽の剣をケイスは軽く一降りし、腕を通して少量の闘気を込める。

 僅かに重量を増しながら硬化した大剣を、右手で握ったケイスはまるで水中で剣を振っているような緩慢な動きで動かしていく。

 右上段からの払い。

 身体に引きつけて突きへと変化。

 最上段へと構え両手握りの振り下ろし。

 右足を軸にした回転斬り。

 身体全体の動作を確かめながら状態を確認していく。

 ここ数日療養に専念していたので、全身に負っていた傷は大半がふさがった。

 深手を負った肩や脇腹の傷も少しだけ痛みはあるがちょっとした戦闘ならば問題が無い程度には動かせる。



「ふむ……力を出せばいけるな」



 数分かけて一通りの動作を確認したケイスは、僅かに上気した顔で満足げに頷く。

 身体を動かせないので精神世界で鍛練を積んでいたが、やはり実際の身体を動かすのは一味違う。

 それに今の感じで、怪我はともかく、動きは本調子に近い物が戻っているのが判った。

 これ以上身体に闘気を込めれば、レイネの針治療の効果を打ち払うことになる上に、まだ安静にしているようにきつく言われているが、さすがに身体強化をせずに、鉄鎖を切れるまでの技量は今のケイスとてない。

 どうせこれから、未知の地下水道に挑むことになるのに、闘気を抑え、身体強化を無くいけるなどと思っていない。

 


「お爺様。絡み斬り四つはねでいくぞ」

   


『承知』



 ラフォスの短くとも満点の返答に満足気な笑みを浮かべたケイスは深く息を吸い、丹田に力を込める。

 レイネの針治療によって身体のあちらこちらに堰が出来たように、経路が決まり留まっていた闘気の流れを一気に活性化。

 見えない拘束を軽々と弾き飛ばし、獰猛な闘気がケイスの全身を駆け巡り、枝よりも細い四肢に力が入る。

 しかしケイスが握る羽の剣は力がこもった身体と違い、羽の剣はだらりと刀身が下がったままだ。

 数度息をすったケイスは息を止めると、獲物に向かい剣を振る。

 鞭のようにしなった刀身が太い鎖に絡み巻き付く。

 特殊剣である羽の剣だからこそ出来る動きで、剣を巻きつかせたケイスはステップを踏むように軽やかにその場で一回転しながら、鎖に刃筋を立てながら剣を一気に引きぬく。

 微妙に刀身の各場所を硬質化、重量変化させた一撃は、火花をまき散らしながら太い金属鎖を一刀両断にしてのける。

 解放された剣を回転する勢いそのまま次の鎖へと。

 またそれに絡みつかせ、ステップを変えて剣を引き抜き切断。

 そして次へと。

 立て続けに剣を纏わせ振るい、そして分厚い鉄の固まりを次々に切り落としていく。

 これこそが、ケイスの羽の剣を用いたオリジナル技である対硬質鎧用剣戟『絡み斬り』

 剣を対象にまき付けて全周から同時に斬る事で、力を分散させずに中心点に向かわせる事で最小の力を持って切断する。

さらに剣を引き抜く勢いを次の対象に向ける剣線に乗せ、止まることの無い連続剣戟とする。

 単撃ならば対個人用剣技で有り、連撃ならば対集団用剣技と変貌する。

 ケイスが足を止めたと同時に、四隅を縛っていた鉄鎖がゴトリと重い音をたてて地に倒れた。

   


「ふむ。この感じが出来れば苦戦などしなかったものを」



 見事に鎖を切り落としたというのにケイスの顔に浮かぶのは、不満げな色だった。

 つい十数日前にも、今と同じように絡み斬り4つはねを用いて失敗していた。

 一人目の首を切り落とすだけで精一杯だったのは、いくら体調不良とはいえケイスにとっては恥でしか無い。

 あの雪辱を果たさず、探索者になれるか。

 己の個人的思惑も抱きながらケイスは、重い石蓋に手をかけて力を込め石蓋を横にずらす。

 蓋を外すと水の匂いを含んだ冷たい冷気があがってくる。

 覗き込んでみるが底は暗くて、ケイスの目を持っても見えない。

 手近にあった石を試しに投げ落としてみると、大分経ってから小さな水跳ねの音が聞こえて来た。

 底が見えず、果てしなく深い暗闇の井戸。

 人であるならば本能的な恐怖を覚えるであろうが、この馬鹿には関係ない。



「では潜るぞお爺様。剣を当てながら落ちるから違和感があった位置を覚えていてくれ」

 


『昔の人間達は、もう少し準備という物をしてから挑む者であったが、お主は本当に思いつきで動くな』



 ラフォスの呆れ声に今更何を言ってると言わんばかりに剣を一度強く振ってから、ケイスは躊躇もせず井戸に向かって飛び込んだ。

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