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永宮未完 挑戦者編  作者: タカセ
剣士と探索者の街
66/119

剣士の挨拶

「ひ、ひさしぶりだからね。レイネさんがくるのは」



 屋敷に仕える料理長だという初老の男性は少し上擦った声で、来客用のカップにお茶を注ぐ。

 薄緑色の茶からはさわやかで清々しい香りがほのかに部屋の中に漂っていく。

 茶葉の産地であるロウガの地場品だろうか。



「そうでしたか? 先週も先生の定期検診でお邪魔したときにご挨拶しましたけど」



 わざわざ料理長がお茶を入れに来るなんて珍しいと思いつつ、廊下ですれ違った際に一言だけだが挨拶もしたはずなのにとレイネは小首をかしげる。

 この時間は別棟にある孤児院用の朝食作りで、厨房は大忙しのはずだ。

 だというのにわざわざ料理長自ら、茶と茶菓子を持って来た理由が、レイネ達の様子を見に来たというのだから違和感を感じるのもしかたないだろう。



「あ、あぁ、あぁ、そ、そうだったね。いや旦那さんも連れてくるのは珍しいから、勘違いしたようだ。支援者を招いた感謝パーティーにもガンズ君はなかなか来ないからね」



「俺の場合は元支部長の屋敷にあんまり出入りしていると、痛くもない腹を探られますから。レイネの土産で美味い物は頂いてますよ。ただ今回は……」   



 派閥争いの激しいロウガ支部では、下手な行動で足元をすくわれかねない。

 政治的な物に興味も野心も無いので、ガンズは中立を保っているが今回はそうも言っていられない。



「保護を頼もうってのに顔を出さないわけにもいかないですし、ましてやこのガキは何をやらかすか判らない奴ですから」



 顔をしかめたガンズは、自分達の間に座らせたケイスの頭に手をのばす。

 ケイスは今の所は大人しくしているが、いつ突拍子も無い事をしでかすか判らないのだから、ガンズの心配も当然の事といえるだろう。



「…………」



 そのケイスといえば、ガンズの言葉にも珍しく無言だ。

 出された茶を一口啜り少し渋かったのか顔をしかめると、茶菓子に手を伸ばして、パクパクと口にしている。

 普通の子供なら、知らない場所に来て緊張しているとか大人しくしているとかなるのだろうが、ケイスに限ってはその感じは少ない。

 むしろ行動事態は子供っぽいのに、その全身から醸し出す気配は、ほどよい緊張感を保つ心構えをしているように感じられた。

 料理長はその顔をまじまじと覗くが、ケイスはそれでも無反応だ。

 ただ目の前に積まれた茶菓子を掴んでは少しずつ口に放り込んでいた。 

 


「お、お嬢ちゃん。気に入ってくれたかい? 当家の特製一口アップルパイなんだが」



「…………うむ。美味いぞ」



 その声は料理長が見習いとしてこの屋敷に仕え初めたばかりの頃に、料理のイロハを教わった女性メイドとよく似ていた。

 姿だけで無く、声までそっくりなケイスに、料理長は少しだけ肩を振るわせていた  





 







 料理長は、ケイスをまじまじと見つめ感慨にも近い感情を覚えているようだが、当の本人は最低限の礼儀として味の感想は述べたが、他は無視していた。

 どうやら大叔母を知っているようで、料理長ともあろう人物がわざわざ茶菓子を運んできたのもケイスの顔を見て確かめに来たのが理由だろう。

 気配を探ってみれば部屋の外にも、幾人かの人物達が集まっている。

 気配や息づかい、足音から判断して、どれもが年配者のようだ。

 おそらく同じように大叔母や祖母がこの屋敷にいた頃に直接に出会っていた者達なのだろう。

 平時ならば、誰かと自分を同一視されるのは、それが尊敬する人物であろうと非常に腹立たしいのだが、今のケイスには些細なことだ。



(お爺様。判るか?)



 屋敷内に入ったときからケイスは感じていた。

 懐かしい感覚は、同じ血脈を紡ぐ者が近くにいる事を知らせる。

 不思議とそれだけで高揚感がわき上がる。

 


『まて娘。何を考えている』



 羽の剣の柄を左手で握り心の中で語りかけてきたケイスに、ラフォスは非常に嫌な感覚を覚える。

 ラフォスも懐かしい感覚を思い出していた。

 ただしそれは喜びにも似た高揚感を抱くケイスとは真逆の、非常に嫌な、面倒事が起きるという予感だ。

 龍とは個体差はあるが、基本的に好戦的で、そして何より優劣をつけたがる性質を持つ。

 年老いた古龍ともなれば多少は落ち着きを見せるが、若い龍。

 それこそまだ幼年体の子龍などは、相手の強さや状況、その後のことなど一切気にせず、目の前に強い者がいたら、喜び勇んで挑みかかる悪癖を持つ。

 まさにそんな若龍の悪癖を凝縮して煮詰めたような物がケイスの性格だ。

 だがどんな血の気の多い若龍でもまともに戦えない状態では、さすがに理性を働かし、無駄に戦いを挑んだりはしない。 

 


(うむ。一手だけなら今の体調でも行けるな。いや、むしろ一手でなければいかん)



 だがケイスは違った。血の気の多い龍よりもさらにいかれた戦闘狂であった。

 ケイスには既に周囲の状況も、後の事も頭の中には無い。

 ただ一手。己の全てを現す剣の一降りだけだ。

 少しでも力を回復させるために目の前の茶菓子をせっせと食べて、闘気を生みだし体力を回復させていく。 



『それは治りかけの傷口がまた開いて、なけなしの体力を全て使い果たした上に、隣の女医にこっぴどく叱られることと引き替えになるぞ』



(うむ。それは致し方ない。なにせ生涯一度きりの初対面なのだぞ。その時に剣を振るわず、いつ振るというのだ)



 フォールセンの噂は知っていても、その実際の体躯や剣を知るわけではない。

 あくまでも噂や伝聞で見聞きしただけの事。

 本人を知った後では、勝つためにあれこれ考えて剣を振ることになる。

 それはそれで心躍り楽しくもあるが、相手を知らずに剣を打ち合わせるのもまた一興。

 唯々純粋無垢な剣の一降りを持って相手を降す。

 しかも相手は世界最強との誉れ高き英雄フォールセン。

 剣士を名乗る自分が、最強の剣士に挨拶をする。

 ならば剣無しで何をするというのだ。

 剣のことしか頭にないケイスらしい剣術馬鹿理論。

 だか悲しいかな。今は剣であるラフォスにはケイスの言いたい事が、その理論が、共感は出来無いが、何故そう望んだか理解が出来てしまう。

 そしてそんな馬鹿剣士の剣である自分が、すべき事も自ずと悟る。



『速度優先で軽量でいけば打ち負ける可能性もある。今のお主の身体に耐えられるギリギリまで重さを乗せれば良いな』



 重い傷を負い、十全所か、一にも満たない体調だというのに平気で噛みついていく馬鹿につける薬はない。

 肉も骨も切らせてでも命を絶つ。

 最初に一撃を食らおうが、首を撥ねられようが、剣を振ると決めたら最後まで振り切る。

 ケイスを現す剣を例えるならばそれだ。

  


(うむ。さすがだなお爺様……我が剣を持って世界最強を制すぞ)     



手に取った小さなアップルパイをパクリと食べたケイスは、ゆっくりと噛みしめながら最後にもう一度己の体の状態を自己分析する。

 傷だらけの身体はあちこち痛いが、気合いを入れれば我慢できる。

 体力が無いので踏ん張りは利かないが、それは歩幅と重心を上手く調整する。

 右肩の矢傷は深くまともに触れないが、左手ならば剣を繰り出せる。

 生理痛はまだ少し違和感があるが、レイネの神術で痛みだけは和らいでいる。

 剣を振れる状態に、フォールセンに挨拶が出来る状態に自分はあると確信を抱いたケイスは、ゆったりと立ち上がった。

 心臓が熱くなるほどに、背筋がゾクゾクとくるほどに感じていた気配がすぐ側まで来ている。



「おいケイス。いきなりどうした?」



「うむ。フォールセン殿に挨拶をする。部屋の直前まで来られたようだ」



 急に立ち上がったケイスにガンズが不審な顔を浮かべ、警戒色を見せるなか、ケイスは輝かしいばかりに喜びに溢れた極上の笑みで答える。

 灼熱をもたらす夏の太陽ですら負けそうな輝きを持った美少女の笑みに、ガンズ達がつい見惚れる中、ケイスは軽くジャンプをしてテーブルを飛び越えると一足飛びに扉の前に降り立つ。

 そしてスーッと大きく息を吸い、



「扉越しに失礼する! 私はケイス。剣士だ! まずは剣士らしく剣を持って、フォールセン殿への我が挨拶とさせていただく!」



 屋敷中に響く大声で、剣術馬鹿による剣術馬鹿のための剣術馬鹿な挨拶を、臆面も無く告げると、左手で羽の剣を抜き構えた。













 ドアノブに手をかけようとした瞬間に中から響いてきたまだ幼いと言っていい少女の声と、それには不釣り合いな内容に、歴戦の勇者であるフォールセンも思わず止まる。

 長い人生の中では、眼前に立った者から堂々とした宣言からの決闘を挑まれたことも幾度もある。

 忍んでいた暗殺者からの襲撃を受けたことも多々とある。

 だがドアの向こうから決闘を申し込まれた事など、フォールセンの長い人生でも初めての経験だ。 

   


「ケ、ケイス! 馬鹿か! いきなりなにやってんだ!?」



「誰が馬鹿だ。私は剣士としての礼儀に乗って挨拶をしようとしたまでだぞ」



 同じく室内にいるガンズの怒声が廊下の窓ガラスを揺らすほどに大きく響くが、怒られたケイスの方は実にあっけらかんとした声で返す。



「私は剣士だ。そしてフォールセン殿は世界最強の剣士だ。ならば初めて挨拶を交わすならば剣を交えなくてどうするというのだ? 私は千の言葉を語り合うよりも、一刀を持って交わした方がその者がよく判る。なぜならば私は剣の天才だからだ」



 そして実に真面目ぶった声で持論を唱え出し、そして自分が天才だと堂々と宣ってみせる。

傲岸不遜な性格が手に取るように判る尊大な話し方は別としても、その声はフォールセンの琴線にも触れる響きがある。

 懐かしくもあり、真新しくもあるその声の主は、一切臆する事も無く続ける。



「そしてフォールセン殿も紛れもなく私と同等もしくはそれ以上の天才。ならば我らにはまずは言葉など不要。剣を持って私を示すのが道理ではないか」



 あまつさえ世界最強と謳われるフォールセンと自分の才覚は同等とまで、臆面もなく言いきり、ドア越しでもはっきりと判る輝かんばかりの闘気を滾らせてみせる。

 はち切れんばかりに洩れ出でる闘気は、逆に言えば未熟な証。

 闘気とは肉体強化の力。 

 己が内に留め、循環させてこそ最大限の力を発揮する。

 無駄に放出する事自体がまず無意味だ。

 声の主であるケイスのその技量は幼く拙いとフォールセンは粗に気づくが、同時にそれら欠点を補ってあまりあるほどの、無限の可能性を感じる。

 本来であれば、体外にはっきりとあふれ出すほどの闘気を生み出せるまでに至るには、並の者では十年以上の修練がいるだろう。

 己の闘気をもって武具を強化出来るようになるまではさらにその倍。

 そこまでいけば達人や武人として名をあげるだろう。

 才がなければ一生掛かっても到達は出来無い領域だ。

 だが今扉越しに向かい合う少女の気配は剣を構え、その剣の切っ先にまで闘気をみなぎらせている。

 これは龍の血が成す力なのか。

 それとも少女が語るように天才ゆえか。

 それともその両方が揃ったが故に、未熟で有りながらその領域にまで達したというのか。

 ただ声を聞いただけでは、

 闘気を感じただけでは、

 フォールセンには判らない。

 ならば…………

 

 

「ガンズ殿だけでなくレイネも中におるな」



 驚きのあまり思わず止めていた呼吸を再開したフォールセンは、室内にいるであろう元教え子であり、今の主治医でもあるレイネへと声を投げる。



「は、はい! すみませんすぐに止めます! ケ、ケイちゃん! 怪我もしてるんだから」



「よい。剣士殿以外は扉の前から離れて部屋の隅に固まっていなさい」



 終わったはずの何かが、フォールセンの中で僅かにくすぶる。

 少女の発する声に当てられたのか?

 それとも少女の醸し出す狂気に当てられたのか?

 何故自分は警戒し、剣を携えたのか?

 中にいる常識外の少女は、一体何者なのか?

 その答えはまだ見えない。

 だが少女は答えを得る方法を、明確に、これ以上ないほどにはっきり伝えている。

 少女の言うことをフォールセンは理解が出来る。

 剣を交えてこそわかり合える物があると。

 ケイスは本能で理解する。

 生まれながらに剣と共にあり、剣と共に歩み、剣と共に生きたからこそ。

 フォールセンは経験で理解する。

 幾千もの戦場を越え、幾万もの敵を屠り、幾億もの剣を交えたからこそ。

 本能と経験。

 生まれ持った物、積み上げた物と違いはあれど、天才故に通じ合う。

 


「剣士殿のおっしゃるとおりだ。我が剣を持って挨拶をいたそう」



 何時もは力を入れれば軋むはずの身体が、半世紀前に嵌められたはずの枷が、いつの間にやら和らいでいる。

 今なら自分の剣が、少女が言う、己の全てを語る剣が振れるだろうという確信を抱きつつ、フォールセンは片手にしかと握り締めていた愛剣を鞘から引き抜く。

 細く引き絞られたその長剣の刀身は、血よりも赤く染まっている。

 無駄な装飾など一切なく、さらに言えばその刀身には刃すら無く、すらりとしたスマートな姿をみせる。

 刃を持たない奇剣にして、この世のあまねく万物を切り裂く世界最強の剣。

 己の生まれ持った血肉での強さに拘るあまり、龍王となれなかった古龍。

 強者を求め己が一族さえも裏切った龍にして、戦を求め多くの都を火の海に沈めた災厄の龍。

 その身と魂を剣へと変えても、なお飽くなき世界最強への渇望を抱く魔剣。

 永劫の時を持っても宿るその情念たる赤龍の魂を持って、あらゆる物質を切り裂き、魔術を切り裂き、理さえも切り裂く。  

 ただ斬ることに、それだけに特化した、剣の中の剣。 

 英雄フォールセンの愛剣の一つであり、赤龍王さえ屠ったその剣の銘は『エンガルズ』



「他の者も下がっていなさい。それとメイソン。新しい扉の手配を頼む」 



「よろしいのですか? ケイスお嬢様は大怪我を負っておられます。下手をすればお命が……」



 フォールセンが静かに告げると、応接室の周りに集まっていた使用人達はその圧倒的な気配に飲まれ無言で後ずさる中、老家令だけは憂慮の顔を覗かせる。

  


「心配するな挨拶だ。我ら剣士流のな」



 メイソンの憂慮を、フォールセンは微かに笑って受け流す。

 はて、そういえばこうやって笑って剣を構えられたのは何時以来だろうか……

 立場も、状況も無く、ただ剣技を、己を見せ合うためだけに剣を交える。

 遥か昔に過ぎ去った、期待も希望も絶望も何も背負っていなかった若者だった頃を思い出しながら、フォールセンは右手に構えた剣肩口まで持ち上げ左足を前に出し、半身に身構える。

 皺の目立つ老体でありながらも、右手に構えた剣の切っ先は一切もぶれることなく、扉一点を、ケイスがいるであろう位置を捉える。

この瞬間、この場に世界最強の剣士が降臨していた。

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