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永宮未完 挑戦者編  作者: タカセ
見習い鍛冶師と情婦
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見習い鍛冶師とその素顔

 背後で聞こえた物音に引き返してきたティレント・レグルスは、床に倒れ痙攣している人物を発見する。

 傭兵がよく身につける野営用の旅外套の下に、軽鎧を着けた大柄な女性を見て、ティルは首を捻る。


 はて誰だろう?


 複雑に入り組んでいる上に罠も稼働しているこの地下通路は、危険だからと普段は封鎖されており、使用人達も滅多なことでは立ち入らない。

 倒れていた位置や状況的に、先ほどティルが降りてきた私室の隠し扉から入ってきて、罠にかかってしまったようだ。  

 この人物がここに倒れて痙攣していた理由は推測は出来た。

 だが誰かは判らない。

 マントや鎧は初めて見る品だが、右手に握る剣はティルが前に拾ってきて修復した剣だ。

 自分でも無駄だと思いつつ、仰向けに倒れていた人物を横からのぞき込んで、一応は顔をみる。

 目が2つに鼻が1つ。それと口が1つ。

 普通の人間の顔なのは判るが、それがティルにとっては終着点。

 せめて毎日、いや二日くらいなら会っていなくても覚えてられるが、三日目ともなるとあやふや。

 1週間だったら完全に忘れている自信がある。

 地下に篭もって作業をやるようになってからは、忙しくてあまり他人に会ってない。

 だから倒れている人物の顔を見ても、これが使用人なのか、客人なのか、それとも侵入者なのか判らない。

 姉のような人からは、「なんで姉ちゃんの顔を忘れられる!?」と遠征から戻ってくる度に叱られるが、なんでといわれても、他に覚えることが一杯だからとしか言いようが無い。

 思い出せないからと言って放置して、使用人や客人だった場合は、後で姉に叱られる。

 叱られるのはともかく嫌だ。

 今だって姉に怒られるような作業をやっているから、隠れてこそこそとしている。

 姉は好きだが、怒るとすぐに拳骨が飛んでくるし痛いから嫌だなと、暢気に考えながら、どうにか判別するしかないなと重い息を吐く。

 身体に触れれば知っている人物かどうか一瞬で判るが、人の許しも無く触るなは姉の厳命。

 過去に何度も腕やら指をへし折られつつ仕込まれたので、脊髄反射的にその選択肢は無い。

 指を折られては鍛冶作業に支障が出る。

 せめて足の指ならまだマシだなと、思いつつ声をかけてみる。



「す……み……ません?」



 自分でも驚くくらい声が出ない。

 小さいし、喉の奥で篭もれ掠ったような声しか出てこない。

 そういえば喋るのは久しぶりだ。

 どうやら、声の出し方を忘れていたようだ。

 家の者や、工房の者達なら、ティルが黙っていてもその行動を察してくれるし、ティル本人としても、ご飯を食べられて鍛冶仕事さえあれば、他に特に希望はないので喋ることも無い。

 武具に関することなら数日だって喋り続けられるが、姉からは周りが引くから止めろと、これも注意されている。

 武具に関することを禁止されたら、ティルには他に喋ることは無い。

  

 

「え、と、すみま、せん。意識ありますか?」


  

 ゆっくりと喋っている内に、身体がしゃべり方を思い出したようだ。

 とちることも無く、先ほどよりは大きな声で聞くことが出来た。   

 ちょっと苦労して声を出したというのに、倒れていた人物は痙攣を続けるだけで反応が無い。

 本人に断りも無く触れてしまうと姉との約束を破る事になる。

 そうならないようにとティルは服の端っこを詰まんでなんとか裏返す。

 苦労して裏返してみたが、やはり顔を見ても判らない。

 だがそれ以上にティルには気になる事があった。

 


「…………」



 違和感。

 こうして全身を観察していると、違和感を感じる。

 その瞬間には人の断りも無く触れるなという姉の注意は、ティルの頭から消え失せる。

 ぺたぺたと身体をまさぐり、腕の感触や足の筋肉を調べ始める。

 ほどよく鍛えられているが、女性らしいしっとりとした肌。

 しかしおかしい。何かがおかしい。

 その違和感にもどかしさを感じ、ティルはさらに大胆に触っていく。 

 意識が無いのを幸いに、終いには服の裾から手を入れて、胸や脇腹、股間までも全身をくまなく触って、違和感の正体を掴む。

 触れた感触は、胸や性器も含めて女性の身体で間違いない。

 自分の感じた感触はそうだ。

 だが鍛冶師としての勘は答えが異なる。

 この人に合う剣は違うと。

 なら従うべきは鍛冶師としての勘。

 ティルは1つ頷く。

 …………そういうことか。

 意識を失った状態でも、右手にしっかりと握られた剣を見る。

 ティルが試作した剣を握りしめたこの人は剣を求めている。

 なら鍛冶師である自分の客人だ。

 そうなると助けなければならない。

 ただ武具の修理法は判っても、生物の治療は判らない。

 いっそ武器の材料にしてから直した方が楽だ。

 自分的にはそちらの方が楽だし、好きだ。

 しかし本人の同意を取らずにやると、すこし苦労をさせられるのは、この間の龍で理解した。

 だから自分の腕では、剣を望むが剣となる事を望まぬ者に、思う剣を渡すことが出来無い。

 本人を説得するか、自分がもっと上手く相槌を打てれば、あの剣も、もっと良くなったはずだ。

 もっと腕を上げなければならない。

 剣を求める人にふさわしい剣を打つ為に。

 その人物その物である剣を打つ為に。

 純粋故の歪な反省をしながら、ティルは倒れていた人物を肩に背負って担ぐ。

 身長差があるから、足を引きずる形になってしまうが仕方ない。

 まずは上に運んで、普通の治療をしてもらおう。

 そう考えたティルは、人を担いで昇るのは大変な自分の部屋へと続く階段を上がろうとして、ふとこの階段が狭いことを思い出し立ち止まる。

 担いだ人物の大きさと、通路の形状をしばらく頭の中で照らし合わせて考えてから、ティルは方向を変える。

 大階段のある方向に向かって、地下通路をゆっくりと歩きだす。

 隠れるように言われていたことなど、既に頭の中には無かった。

 全ては剣のため。

 剣のことしか考えていなかった。

 















「暇を見つけては食堂の銀食器を磨いてくれるね。いい子だけど、変わってるね坊ちゃんは。行方不明っていっても何時もの工房放浪癖じゃないかい」


 

 古株のドワーフメイド長が、行方知れずは、何時ものことだと語る。



「縫い方が武具作りの参考になるのか、よく見学に見えられては、縫製に使う針や、はさみをよくお手入れしてくださいます。素顔ですか? いえ拝見したことはありません」



 お針子の竜人は、ティレントが研いだはさみで生地を切ると、ほつれが無いと褒める。

 


「自分の使う包丁は自分で研ぐのが料理人には当たり前なんだが、若が研ぐと違うんだよな。切れ味が良すぎて、味も変わるくらいだ。たまに調子が良すぎてまな板ごと真っ二つに切れるのはご愛敬だがな」



 料理人の獣人が見せたのは滑らかな切断面を見せる石のまな板だった。

 



「すんません。ちょこっと休憩させてもろうてええです?」



 10人ほど連続で話を聞いたクレハは、細部は違えど大まかに変わらず、進展のない聞き込みに、精神的疲労を覚えて、次の使用人を呼び出そうとしたラックレーに断りを入れる。

   


「ではクレハ様。お茶はいかがですか。私の故郷の物となりますが疲労に良く効くハーブティーになります」



 クレハを気遣ったのか、ラックレーが準備していたポットからさわやかな香草の香りがする茶をカップへと注ぐ。



「ありがとうございます。喉からからやったから助かります」 



 お茶を受け取り、クレハは乾いていた喉の乾きを潤す。

 ほどよい温かさが、心中にたまった澱を溶かしてくれるようで心地よい。

 だがテーブルの上のメモ書きを目にした瞬間、その心地よさは瞬く間に塗りつぶされる。

 聞き込みで返ってきた使用人達の言葉は、基本的には同じ物。

 御曹司だというのにおごり高ぶったところは無く、使用人に混じって家の手伝いをよくやる真面目なお坊ちゃん。

 だが無口でほとんど喋らず、使用人達は誰も顔を見たことが無くて、気がつけばふらっといなくなりどこかの工房で作業をしている。

 真面目で善良だが、武具に限らず、刃物に見せる執着と技術が卓越しているという事。

 ちょっと変わっている。そう、ちょっと変わっているだけ。

 そういう印象しか受けないのだ。

 クレハが見たあの棚に並ぶ武具を揃えた人物とは、思えないほどにまともだ。

 あれは違う。

 あの部屋の空気は、もっと重く、深い、歪みの末に生まれた物だ。

 もっと狂っていてもおかしくない。いや狂っていなければおかしい。

 それなのに、ちょっと変わり者程度で済む印象しか、周囲には与えていない。

 それがクレハには恐ろしい。

 あの部屋を見ていなければ、自分だってちょっと変わり者の御曹司と思っていただろう。  


「……あんの正直に言わせてもらいますけど、この兄ちゃん。見た目より、中身は相当にやばぁないですか?」



 身近な者にすら素顔を隠しているのは、裏の顔を持つ所為ではないか。

 そう勘ぐりたくなるほどの歪みを持っていると直感で捉えていた。

 クレハはラックレーに探りを入れる意味で、正直な感想を口にする。



「表面上はボンボンやけど、根っこの部分はなんちゅうか全く話が通じない感じがどうもするんですけど」



 あくまでも表面だけ。ティレント・レグルスがかろうじて周囲に変わり者と思える程度に見えるのは表面だけ。

 その中身の歪みは常人では理解出来ない位置に存在している。

  


「はい。若は倫理観をミム様により仕込まれており普段はそれに従っておりますが、本能が勝るときは全てを凌駕します。さすがは煌様のお嬢様ですね。若の本質を伝聞のみで見抜いたのはクレハ様でお二人目です」



 クレハの問いをラックレーはあっさりと肯定し、ティレント・レグルスが狂人だと涼しい顔で断言する。

 怒られるかと思いやあっさりと肯定されたクレハが思わず唖然とするしか無い。



「あんま嬉しゅう無いんですけど……本能ちゅうのは鍛冶師ってことですか」



「若は求められれば全ての者に剣を提供します。鍛冶師としての本能に従う若には、善悪といった一般的な価値が入り込む余地などあられません。若の本能が開放されたときは、良い方向に転がれば名剣が、悪い方向に転がれば魔剣が生まれるというのが、御当主様の言葉です。しかもそれは若が相槌を打った場合です。もし若お一人で打てば、それは使い手すらも飲み込む剣となられます」 



 武具とはあくまでも道具。

 使用者の意思に従い、振るわれてこそ真価を発揮し、意味がある。

 それなのに武器が使用者を飲み込む。それは呪いをもつ剣でしかない。



「打ったらって、それひょっとして地下剣闘場が壊滅したっちゅう件のことですか?」



 兵団の先輩が浮かべた嫌そうな顔がクレハの脳裏をよぎる。

 非合法の剣闘場で、剣奴のみならず客も含め全てが凄惨な殺し合いの末に死んでいたと。

 ティレントの打った剣によって狂ったのだろうか。



「いえその程度でしたら若の研いだ剣によって酔っただけです。若がもし本気で剣を打てば国の一つや二つを滅びる凄惨な戦を生み出す事も出来るでしょう。御当主様が開炉許可をお与えにならないのも、ミム様がご心配なさっているのも、その本能が原因です」



 しかしクレハの想像を、ラックレーは軽々と凌駕した言葉で返す。

 そんな程度済むはずが無いと。

 これが酒場で酔っ払い相手なら、大げさな話で下手な冗談だと笑えるのだが、お茶を飲みながら真顔で告げられると薄ら寒い物しか感じ無い。



「傾国の美女やのうて鍛冶師って、笑い話にすらならないんやけど……そんなん放置したらいかんやん。姿を消して今この瞬間も剣を打ってるとかやないですか?」



「もし若が許しも無く剣を打てば、ミム様はご自分が責任を取って若と剣を処分すると明言しておられます。若もその事は重々承知しております。よほどのことが無い限り剣を打つことは無いと思われます」



「処分って殺すちゅうことですよね……団長は冗談とかゆう性格やないですからマジやん。勘弁してほしいんですけど」



 ミムの怒りの形相やらどうにも焦っている様子からただ事では無いとは思っていたが、ここまでとは。



「技術や家柄だけやのうて存在その物がまずいっちゅう事ですよね。この兄ちゃんのプロフィールが隠されてるのとかって。しゃべらへんちゅうのはともかくとしても、顔を隠してるのとかも、あんまり表に出すわけにいかないからですか?」



「顔をお隠しになっているのはミム様のご指示です。若の存在をあまり出すわけにはいかないというのはあってますが、おそらくご想像とは若干意味が異なります」 



「これ以上なにがあるちゅうんですか……すんません。先にもう一杯お茶をいただけます?」



 まだ隠されていることがあるのか。

 それを聞く前に気力を貯めようとカップにもう一度お茶を並々と注いで貰う。

 このカップに酒でも足して飲んだくれたい誘惑を我慢したクレハが、テーブルの上のカップに手を伸ばしたとき、茶の表面がゆっくりと波打ち始める。

 ついで足元から振動が響いてくることにクレハは気づく。

 規則的な振動が人工的な物が、トラップや隠し扉等の仕掛けが動いているときのような感覚。

 クレハは反射的に視線をあちらこちらに飛ばし気配を探る。

 そしてすぐにその発生源を発見する。

 振動の元は応接間の暖炉だ。

 クレハが鋭い視線を飛ばしていると、煤に塗れた暖炉奥の壁が微かな音と共にスライドしていく。

 すぐに音がとまり同時に、先ほどまで壁が合った場所にはぽっかりと穴があいていた。

 その穴から薄汚れた耐熱服で全身を包んだ背の低いたる体型の性別不肖、年齢不詳の怪しい人物が、肩に人を担いだまま上がってきた。

 耐熱服の人物に見覚えは無くとも、肩に担がれた人物をクレハが見間違えるはずも無い。

 離れにあるティレントの私室で手がかりを探していたはずのノルンだ。



「ノンちゃん!?」



 ぐったりとして気を失っているようにも見えるノルンを見て、クレハは慌てて立ち上がる。 

 いきなりの登場に唖然としているクレハを尻目に、耐熱服の人物は空いているソファーにノルンをゆっくりと降ろして寝かせる。

 その手つきは大事な荷物を扱うように丁寧で、クレハは害意や悪意を感じられなかった。

  一体ノルンの身に何が起きた?

 この怪しい風体の人物が……まさかティレントなのだろうか。

 どう言う反応を見せれば良いか、声をかければ良いかと、クレハが迷う間にその怪しげな人物はクレハ達の方へ近づいてくる。

 クレハとラックレーの顔を見比べて、よく見えなかったのかごしごしとフードのレンズをこする。

 だが袖が汚れているので、汚れが広がるだけだ。

 業を煮やしたの、一体型になった耐熱服のフードを取り去って顔を出した。

フードから出て来た顔にクレハは絶句する。

 予想外の、あまりの予想外だからだ。

 フードの下に隠されていたのはまだ子供の顔だった。

 そして何よりクレハを驚かせたのは、その少年がどう見ても人間族である事だ。

 黒髪で平凡な顔つきをした少年にはドワーフ族の面影が一切無かった。

 少年はクレハとラックレーを見比べてから、ラックレーに深々と頭を下げると、



「えと、すみません。その服で筋肉の付き方だとラックレーさんですよね? こちらの方がトラップにかかったみたいで怪我しているので治療をしてください」


 

「家令のラックレーであっていますが。服装や体つきでは無く顔でご判断ください。それと人前では顔をお出しにならないでください。ミム様からのご注意でしたがお忘れですか」



「…………今から隠しても良いですか?」



 すっかり忘れていたのか少年は、しばらく悩んでからラックレーに暢気に尋ねる。



「いえもう過ぎた事ですので、そのままで結構でございます。若」  



 ラックレーはその少年を若と呼んで珍しくため息を吐くと、クレハへと顔を向けた。



「クレハ様。これが若が顔をお隠しになっている理由です。ドワーフ鍛冶師の名家レグルス家の跡取りであり、7工房全てに出入りを許された見習い鍛冶師。それが人間族。しかも10才になられたばかりだと公表すれば、少々騒がしい事になりますので、各工房工主と極々一部のみの秘密となっておりますので、他言無用でお願い致します」



「そ、それ……し、少々ちゃいますって」



 いわゆる国家機密という奴では無いのか?

 あっさりと暴露された秘密と、他言無用というラックレーの鉄面皮が相まって身の危険を感じたクレハ、そう尋ねることが出来無かった。

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