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永宮未完 挑戦者編  作者: タカセ
見習い鍛冶師と情婦
53/119

見習い鍛冶師と神官騎士

「これあかんやつや」



 砦の機能も併せ持つ広いレグルス本家の一角。

 ティレント・レグルスの私室という離れの扉をあけた瞬間、中から洩れだした気配にクレハは警戒色を強め、ノルンは息を呑む。



「……すごいな」


 

 視界を埋め尽くす勢いでずらりと並べられた棚。

 その中には古今東西の刀剣、槍、鎧、兜といった武具ががぎっしりと詰められている。

 私室ではなく、武器庫やコレクションルームと呼んだ方がしっくり来るだろう。

 


「新しいのから古いのまで色々やけど、あんまようない気配ばっかやね」



 棚をのぞき込んだクレハは眉を顰める。

 武具は古びた物や、所々欠けた部分を修復した物が見受けられる一方で、一度も使われていないであろう真新しい武具も納められている。

 新品と中古品。その相反する両者には一つ共通点がある。

 部屋の中を埋め尽くす物言わぬ武具が、まるで生きているかのように濃厚な気配を纏っている事だ。

 使用者、被害者、制作者の念が篭もった道具特有の気配は、重圧感を伴って部屋の中を漂っていた。

 クレハの母親である煌が、その気配を鬼気と呼び符術の核として使役するから、クレハにはある意味で慣れた空気だが、慣れているからと言って心地よい物ではない。



「この大量の武具は一体?」



「廃棄倉庫から若が集めてきて修繕した品になります。どうぞ中へ。若の作業部屋は隣室となります」



 ノルンの問いにエルフ家令のラックレーは、スタスタと棚の間を抜けながら起伏の少ない声で答えるだけだ。

  


「捨てるはずの品をひろうて来て修理したってゆうけど……なんでこんな濃いいのばかり」



 名家の跡取りで金に困っている様子は無く売る為でも無かろうし、かといって同じ武具がいくつもあるので、構造を勉強する為といった雰囲気でもない。

 ましてやこの気配の濃さは、意図的に曰く品を集めたとしか思えない。 

 


「若は武具を通してしか世界を見ておられません。どうして壊れたのか。どうやって斬ったのか。どうして使われなかったのか。全ての思考の発生源が武具です。より強く訴える物に本能が引かれたからだと思われます」



 何とも感覚的で返しにくいラックレーの回答に、クレハは黙るしかない。

 クレハ達が足を踏み入れただけで重苦しく感じる宿った念を、ティレント・レグルスはどう感じていたのか。

 この部屋に渦巻く強烈な残滓。

 それらをまともに触れ続けて正気でいられるとは思えない。いや、ラックレーの言葉から想像するに、最初から壊れている。

 だからこそ平気なのだろうか。

 薄ら寒い悪寒を背中に感じながら、整然と並ぶ数十はあるだろう棚の海を抜けて、入り口と反対側のドアにようやくたどり着く。



「こちらが若の作業部屋兼寝室となります」



 ラックレーが鍵を差し込み、扉を開けると今度は金属の臭いが微かに漂ってきた。

 武具置き場となっていた倉庫のようなだだっ広い部屋と違い、作業場兼寝室という石造りの部屋はこぢんまりとしている。

 分厚い木の天盤が張られた作業台が部屋の一角を占領し、分厚い数冊の本が積み重ねておいてある。

 作業台の横には足踏み式の砥石台が一台と重たそうな金床。

 壁には工具類が整然と架けられており、横の棚には色取り取りの粉が詰められたガラス瓶がずらりと並んでいる。

 部屋の片隅には細長い木箱がいくつも積み上げられており、その表書きを見るからに武具が詰められていたようだ。



「炉は無いようですが。別に作業場が?」



「いえこちらだけです。若はまだ見習いです。エーグフォランの鍛冶師は、師の許しを得て自分の炉を構えて初めて鍛冶師となります。若の師は御当主様ですが、まだ甘いと炉の開炉許可は与えておりません。こちらでは主に整備や改造など炉を用いない修行をやっておられます。炉を使った作業は各工房で修行を積まれておられます」



「ここで寝泊まりゆうてますけど、ベットがあらへんけど、どうしてるんですか?」



 床にはゴミ一つ落ちておらず綺麗に掃除がなされているが、生活感と呼べる物は皆無だ。

 寝床らしき物は見当たらず、それこそ作業部屋以外の何物でも無い。

 先ほど寝室と聞いたのは何かの聞き間違いではないかと思うほどだ。



「疲れてお休みになる際はこちらの木箱の一つに毛布を詰め入れてありますので、そこで就寝しておられます。本来の若のお部屋は本邸の方にございますが、元々は倉庫として使われていたこちら離れに篭もるようになられまして、改装しております。」



 問いかける二人の視線に気づいたラックレーが積み上げられていた木箱の一つを開けてみせる。

 中には綺麗な毛布が詰められていて寝心地は良さそうだが、猫の寝床と言われても違和感がないような代物だ。

 少なくとも名家の御曹司が休む場所ではない。

 門番も変わり者だとはいっていたがここまでとは。

 武具以外には一切興味を示さず話すらしないという証言が、純粋な事実だとこの部屋を見ていれば判る。判ってしまう。

 


「……ノンちゃんどうする? 部屋なか探すゆうても手がかりになりそうな物あるか」



 個人の顔が見えてこない部屋にクレハがお手上げという顔を浮かべるなか、ノルンは作業台の上に置かれていた本を注視する。

 作業部屋に本と来れば普通なら仕事関連の物だと相場が決まっているが、ドワーフ鍛冶師の場合は違う。

 彼らの技術伝承は口伝のみ。

 一切の書物に書き記さず、実際の作業を見て、作らせる。

 頭で覚えるより身体で覚えろを地でいくからだ。

 ならあの本は?



「ラックレーさん。あちらの本を拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」 



「はい。どうぞご確認ください」



 許可を得たノルンはとりあえず一番上の茶色表紙の本を手に取りタイトルを確かめる。

 【リビングデット制御術式】というタイトルが書かれている魔術研究書だ。

 中身をぱらぱらと捲りながら要所要所を摘んで読んでみるが、タイトルと中身に差異はない。

 生物の死体を使役する為の、魔法陣製作技術やリビングデットとする死体をつけ込む準備や用いる触媒液等、一般人であればあまり好ましく思わないであろう内容が事細かに書き記してある。

 裏書きを確認すると3ヶ月ほど前に発売された死霊術士向けの最新研究情報書のようだ。

 その下の本を見れば今度は真逆のベクトルの、【旦那さんの手料理で奥さんとお腹の赤ちゃんを満足させよう エルフ式健康料理】という軽いタイトルの書籍。

 中身はタイトル通りにエルフが用いる薬草や森の食材を用いた健康料理の秘訣やら、妊娠初期は食事回数を増やして、量は少なめにすればつわりが少ないや、味付けは途中で変えられるようにすればなお+などと、ワンポイントアドバイスが記載されている。

 さらにその下は【人体解剖図鑑 完全版全種族網羅】という分厚い医学書。

 種族ごとの腑分け絵や、内臓、筋肉の付き方が精細に描かれた食欲を著しく減退させる絵柄が満載な濃い内容と、三者三様の本が積み上げられていた。

     


「別に暗号やら隠し魔術文字みたいなもんも無さそうやね。魔術研究書にレシピ本に医学書。ジャンルもばらばらや……どういう意味があるんやろ」



 装丁を確かめたり魔力反応を探ってみたクレハも、特段以上は無いと断言する。

 しかしこの部屋の主が、暇つぶしや興味本位で別ジャンルの本に手を出したとは思えない。

 全ては鍛冶師として必要で、手に入れた知識なのだろうと容易に想像は付く。



「それぞれにだけ限っても対リビングデット用剣、逆にリビングデットに装備させる剣の両方が考えられる。二冊目は料理だから包丁を想像できる。三冊目に至っては種族特化と考えればいくらでもできる。予測できる事が多すぎて何ともいえないな。これが一つのことに関してなのか、それともそれぞれ別件なのか。情報が少なすぎて判断が難しい」



 鍛冶を行う為だけに生きているティレント・レグルスの部屋に残された3冊の本。

 この本には何らかの意味はあるのだろうが、それが何を指し示すのか絞り込みをするには情報が足りない。



「他に何かないか探してみるしか無いな」



「あっちの部屋はどうすんの?」



 この部屋に来るまでに抜けてきた武具の山をクレハは指さす。

 あれだけ曰く品ばかりが集まっているのだ。

 何かの手がかりが眠っているかも知れないが、如何せん数が多すぎる。

 家人への聞き込みもやりたいし、2人で同じ場所を探すのは効率が落ちるだろう。



「この部屋の後で私が調べてみる。屋敷の使用人の方々への聞き込みも必要だから別行動としよう。クレハ。こっちは私が引き受けるから聞き込みの方は任せて良いか」



 ここまで来る間にすれ違った使用人の比率は女性が高い。

 どうにも初対面の女生徒と打ち解けるのを苦手としているノルンは聞き込みはクレハに丸投げする。



「うち飽きっぽいからそっちのほうがええわ。ノンちゃんごめんな何時も面倒な方ばかり」



「私に言わせれば女性への聞き込みの方が大変だ。同性なのに外見で警戒をされる私には不向きだ」



 愛想が良く本人に言えば怒るが、子供のような見た目からも警戒されにくいクレハの方が適していると、ノルンはやるせない息を吐く。

 上背がある所為か、それとも女らしさの無い鋭い目付きといわれる顔の所為か、堅い口調の所為か。



「あーノンちゃん男前やからしゃーないわ」



「それ褒め言葉では無いからな。一応これでも女性の端くれのつもりなのに」



 ノルン本人もよく判らないが、初対面の女性には、よく男性と間違えられたりと、どうにも第一印象で警戒感を抱かせるのは性分だと、クレハの下手な慰めに恨めし顔で答えるしか無かった。 

  


「それではクレハ様。使用人達に話を聞かれるという事でしたら、応接室へご案内いたします。1人ずつ呼び出してまいりましょう。ノルン様はどうぞお調べをお続けください。ご用がありましたら若のお部屋にあるベルをお鳴らしください。すぐにまいります」



 2人の話がまとまったのをみたラックレーは事情聴取の手はずを整える為にクレハを連れてすぐに部屋を後にする。

 あっさりと1人残されたノルンは、どうにも違和感を感じてしまう。

 いくらノルン達がミムの配下であり、紹介だからといって、あまりに無防備に自由にさせすぎだ。

 ティレントを見つけ出す為に全面協力をしようとする意思の表れなのかもしれないが、鉄面皮のラックレーを見ていると、どうにも疑ってしまう。 



「……まずは木箱から確かめていくか」



 屋敷の者に対する疑いの目を少しだけ心に留めたノルンは気を取り直して、寝具代わりに使っているという木箱以外の箱から一個一個あけて調べはじめる。

 木箱の中に並んでいたのは、包装された刀剣や鎧など武具に、金属、布や皮で出来た細々としたパーツ類だ。

 武具の方は壊れかけている物や、未完成品だと思われる中途半端な作りの物ばかりで、、パーツ類から見ても、これから修繕を行おうとしている様子が見て取れる。

 しかし中に入っているのはそれだけで、別段に怪しい部分は見受けられない。

 作業台の上にあった3冊の本に関係した物がないかと確認もしてみるが、それらしい物は無い。

 木箱を調べ終わったノルンは、次いで棚に収められた瓶を手に取りラベルに書かれた名を読み取っていく。

 小さな見た目のわりにずっしりと重い瓶の中身はどうやら金属や鉱石を削り粉末状にした物のようだ。

 何らかの作業に使うのだろうが、鍛冶師としての知識が無いノルンにはそれが普通の物なのか、珍しいものなのか区別はつけられない。



「蓋に埃……最近はあまり使っていないということか」



 瓶を触った時に僅かだが蓋に埃が付いている事に気づく。

 それぞれの量は違いがあるがどれも半分以下に減っている。

 次いで壁から吊された工具類を注視してみるが、こちらはぴかぴかに磨かれた物ばかりで汚れ1つ無い。

 だがよくよく見てみると、歯抜けになったかのように道具がつり下がっていない金具がいくつかある。

 部屋の中を探してみるが、この壁につるせそうな物は見当たらない。

 普通に考えれば、ティレントがどこかに持ち出したという事だろうか。

 道具を持ち出して、ここの材料類には手をつけていない。

 他の作業場で、何かをやっているとみるべきか。

 頭の中で判ったことや思ったことを整理しながら調べていくが、元々綺麗に整理されていた部屋なのですぐに調べ終わる。

 最近は使われていない。道具のいくつかが持ち出されている。

 僅かではあるが、手がかりめいた物を見いだしたノルンは、次いで隣の部屋へと移り、棚に収められた武具類を確認していく。

 ティレント・レグルスは、ゴミ一つ落ちていない作業部屋からも察するとおり、ドワーフにしては几帳面な性格なようだ。

 分類ごとに仕分けされた武具は、補修を終え棚に納めた順序で整頓されて仕舞われている。

 それだけでは無く、作業した日時や素材、来歴が逐一記載されたメモが添えつけてあるほどだ。

 数が多すぎるのが難点だが、それでも手がかりめいた物にすぐにノルンは気づく。

 一番最後に仕舞われた物に記載された日付が約7ヶ月前ということだ。

 それまでは週に2、3個、多ければ同日の日付の物すら有るという感じで、手当たり次第にやっていた作業が、そこでぷつりと途切れている。

 ティレント・レグルスが失踪する一月前。

 ここで何かがあったと考えるべきだろう。

 最後の品が納められた日付近辺に、何かしらの手がかりがあるはずだ。



「あからさますぎるが、裏を勘ぐる必要性も感じ無いな」



 あまりにも分かりやすぎるヒントに疑いの心が一瞬浮かぶが、ノルンは首を振る。

 この武具を修繕し揃えた男には裏など無い。

 本当に武具のことしか興味が無く、それ以外のことに思考をまわしていないと判る。判ってしまう。

 それほどまでに濃いのだこの部屋の気配は。

 しかしそうなると逆に判らなくなる。

 武具を己の最優先と考えていた男が、何故止めてしまったのか?

 直す物が無くなったわけではないのは、隣の部屋に残されていた木箱の中の武具を見れば明らか。

 他に何か心引かれる物でも出来たのか……

 思考を深めつつも調査を続けるノルンは、棚から新たな剣を取り出そうとして柄を持った瞬間に、違和感……いや手に馴染む感覚を感じ、その剣を引き寄せまじまじと見つめる。

 それは何の変哲も無い幅広いロングソード。

 むき出しとなった刀身は鋼鉄製。刀身にも柄にもなんの細工も無い実利一辺倒なよく見る品だ。

 しかし柄が妙だ。一見心許なさを覚えるほどに柔らかいのだ。

 強く握れば指が沈み込みそうになるほど柔らかいのに、ある一定までいくと一気に硬化してそれがノルンの手に馴染む。



「……この剣は?」



 ノルンは異常なほどに多くの武器を持ち歩いている。

 それは彼女があらゆる事態を想定し装備を固めていることもあるが、それ以上に切実な理由がある。

 武器が馴染まないのだ。

 吊し売りの大衆品だけで無く、自分の体型、筋力、技の型、それらに合わせてオーダーメイドしたはずの武具ですら、どうしても馴染めない。

 ついさっきまでは大丈夫だったはずの武具が、ほんの少し使っていただけで合わなくなってしまう。

 だから微妙に重心や、持ち手の形を変えた武具をいくつも持ち歩いて、その違和感を少しでも緩和しようとしている。

 それは、髪型がいつも通りにならないとか程度で、日常生活なら無視しても構わない程度の僅かな違和感かもしれない。

 だがその微かな違和感が、探索者として迷宮に挑んださいには、大きな弱点となり、最悪は致命傷になる事をノルンは知っている。

 ましてや下級迷宮をすぎ、次からは中級迷宮。

 ほんの一瞬の油断、対応の遅れが、自分だけで無く、パーティメンバーをも危機にさらす。

 だからこそ今回の捜索任務にかけるノルンの意気込みは強い。

 件のティレントを見つければ、名高い7工房製の武具が手に入る。

 どうしても払拭できない違和感を解消出来る武具が、手に入るかも知れないからだ。

 もし7工房製武具でも馴染まないなら、引退を考えようとまでの意気込みをもって。

 クレハに言えば反対されるか、クレハが無茶をしようとするのが判っているので、まだ話せていないが、ノルンはある意味で崖っぷちに自分が追い詰められていることを知っている。

 そんな中不意に現れた手に馴染む剣に、希望の一端を見たような気がし、調査とは関係なく、ついつい個人的な思惑からノルンがその仕様を確認する。

 そこには【幻影呪術影響下対応試剣4号】の名称。

 その物ずばりの名称なのだろうが、どうして対応出来るのかと技術的な事が一切書いていない。

 一見何の変哲も無い剣に見えようとドワーフ作。

 どんな仕掛けが施されているのか。持ち出すことは出来ずとも少しでもヒントは無いかと剣をさらにつぶさに見ようとしたところで、ノルンは微かな物音に気づく。

 ゆっくりと石がこすれる音。

 足元からは微かな振動。

  

 

「…………」



 剣を片手に持ったままノルンは、片膝をついて床に手を当てる。

 先ほど感じたものは気のせいでは無い。

 僅かだが床が振動している。

 火山地帯にあるグラウンドレイズにはありふれた微細な地震とはまた違う。

 振動には一定のリズムが感じられる。

 先ほどのこすれる音。何か重い物が移動している?

 耳を澄ませ音を聞いてみれば、その発生源は隣の部屋。

 ティレントが作業部屋として使っている小部屋の方からだ。

 すり足でゆっくりと移動を開始したノルンは、一歩一歩音をたてずに隣室への扉へと近づく。

 そっとドアノブに手を乗せてゆっくりと回すと、そろりそろりと扉を開けつつ中をのぞき込む。

 すると部屋の中央。先ほどまで何の変哲も無かった石床の一部が跳ね扉となって持ち上がり、ぽっかりと穴が開いていた。

 隠し扉?

 元々王都防衛の際は臨時指揮所ともなるというレグルス本邸。

 秘密の扉や隠し通路の1つや2つは当然のごとく設置されていたのだろう。

 


「…………」



 階段状になっていたのかその穴の中から1人の怪しい人影が姿を現す。

 所々焼け焦げた後の残る耐熱、耐衝撃服を頭からずっぽりと被っている。

 背はクレハよりもさらに低いが、横幅は細身の彼女の倍くらいあるだろうか。

 寸胴のたる体型はドワーフ達によく見られる体つき。

 顔まで耐熱服で隠して隠し扉から出て来たドワーフ……そこまで揃っているなら疑う方がおかしいだろう。

 あれがティレント・レグルスの可能性は極めて高い。

 行方知れずとなっていたいうが何のことは無い。

 自分の部屋にある隠し部屋に隠れていたという事だろうか。

 そうなると、屋敷の者はわざと黙って嘘をついていたのか?

 それとも屋敷の者すら気づかせずに隠れていたのか?

 今すぐ踏み込んで取り押さえるべきか……だが人違いだったら。

 ここで取り押さえたはいいが別人では意味が無い。

 それが原因で本人に警戒されて、逃げられたら、目も当てられない。

  幸い謎のドワーフは扉の方は向いていない。

 あれがティレント本人だという確証が無いから動けず、どうするべきかと葛藤するノルンは、仕方なくそのまま様子を窺う。

 ドワーフは作業机に近づくと、その一番下にあった本を手に取りタイトルを確かめてから、肩から下げていた薄汚れたバックに無造作に突っ込む。

 次いで壁に架けられていたハンマーややっとこをいくつか手にとってからまたバックに仕舞い込んだ。

 それで用事は終えたのか、ドアの方を見て警戒する様子も一切無く、ドワーフは隠し扉へと姿を消した。

 その姿が完全に消えたのを見てからノルンは慎重に扉を開けて滑り込むように部屋の中に入り込む。

 部屋の中央に出来た扉へと近づいてみると、冷たい風が上がってくる地下への階段が姿を現していた。

 そうとうに深い所まで続いているらしく、この先は見通せない。

 つい今さっき降りていったドワーフの後ろ姿も徐々に闇へと沈んでいく。

 追いかけるべきか。

 それともクレハと合流してからにするべきか。

 だがもし屋敷の者が意図的にティレントを隠していた場合それは裏目に出る。

 悩むノルンの目の前でまた石がこすれる音がして、石畳に偽造された隠し扉が下がり始めた。

 普段のノルンならば、その慎重な性格も合って、孤立無援となりかねない先も判らない場所へと誰かを後を追うような真似はしない。

 だが今は右手にある剣が、その慎重さを失わせる。

 ノルンが求めていた剣がここにある。

 あのドワーフが、このやけに手に馴染む剣の秘密を知っているかも知れない。

 その誘惑に抗えきれず、閉まりかけていた扉の中に、ノルンは飛び込むように足を踏み入れていた。

 そのまま数段くだると、背後で空気が漏れる音をたてて扉が完全に閉まってしまう。

 辺りが暗闇に閉ざされ、静寂が支配する。

 すぐに明かりを灯して先を行ったドワーフの後を追いかけたくなる衝動を我慢して、ノルンは暗闇の中、左手で印を作る。

 後を尾行するにしても明かりをつけたら気づかれるかも知れないし、この静けさの中では微かな足音も目立つ。

 暗視強化と消音の効果を持つ神術をノルンは小さく詠唱し始める。

 装備類一式と一緒に預けた拡張袋の中に神術用の触媒が預けてあり、陣を刻んだ錫杖も無いが、初級の神術ならば大分精度は落ちるとはいえ、印と祈りで何とか発動は出来る。

 詠唱を唱え終わり印を切るとすぐに暗闇だった周囲の空間が白々と明るくなっていく。

 昼間の屋外とまではいかないが、それでも足元を確認するには十分な明るさだ。

 周囲を覆うのは古い石積みの壁だ。

 上と同じく隙間1つ無い石組みで出来た下り階段の先を見てみるが、天井が狭く先が見通せない。

 ラックレーの話では屋敷内には侵入者撃退用の罠が張り巡らされているという話。

 渡された来客用の指輪がこの隠し通路でも通用するかと聞かれれば正直に言えば心許ないが、もう飛び込んでしまった。

 普段の自分ではやらない無謀な行動に、戸惑いながらもノルンは、どうしても先に進もうという誘惑に抗えない。

 扉を開ける方法を探して一度戻ろうという事も考えられず、罠に引っかからないように進むしか無いと考えてしまう。

 典型的な感圧板やワイヤートラップを避ける為にノルンは再度印を組み、今度は重量軽減の神術の詠唱を唱え始める。

 慎重さと手数こそがノルンの武器。

 だがその慎重さを、最初に捨ててしまったからだろう。

 だからノルンは罠にはまる。

 それは一定時間以上同じ場所に留まると発動するという遅延性トラップ。

 詠唱を唱えていたノルンの足元の石階段が突如沈み、滑り台上に変化する。

 足がかりを失ったノルンは強かに尻餅を打ち、その身体は先の見えない階段下へと滑りおちていく。

 古典的ではあるが絶妙に嫌なタイミングで発動した罠にノルンは一瞬焦りを見せるが、とっさに右手に握っていた剣を横の石壁に突き立てる。

 だが堅い石畳に剣はあっさりとはじき返され、さらにはその衝撃が原因だったのだろうか石壁に隠されていた魔法陣と付随した魔術文字が浮かび上がる。

 その文字が現すのは低威力の雷撃印。

 

 

「っ!? く、があ!?」



 紫電を纏う雷撃が滑り落ちていくノルンの身体に容赦なく降り注ぐ。

 もしここが迷宮永宮未完内であれば、その程度の雷撃など物の数では無い。

 しかしここは迷宮外。

 探索者の力は遥かに落ちる。

 雷撃に強かに打ち付けられたノルンは身体が麻痺し何の抵抗も出来ず、そのまま最下層まで一気に滑り落ちてしまう。

 ノルンが飛びだしたのは狭い地下通路だ。



「かはっ! っぁ……」



 そのまま受け身も取れず反対側の壁に身体を強かに打ち付けられたノルンの肺から呼気が洩れた。

 立て続けの衝撃に翻弄されたノルンは、急速に意識が遠のいていく脳裏で考える。

 おかしい。自分はおかしい。

 何故退路も確保しようとせず、無理をしてしまったのかと。

 迷宮に潜り始めたばかりの初心者がやるような軽率な行動の末の自業自得な結果だ。

 ちかちかと明かりが消えるように眩む視界と意識の中、なぜか右手だけははっきりとした感覚がある。

 右手にあるのは、先ほど上の部屋で手に取った剣。

 雷に打たれ、身体を壁に打ち付けたというのに、その剣だけは離すまいという強固な無意識の元、ノルンは我知らずに右手で強く握りしめていたようだ。

    


「こ、この……け、剣の……」



 自分の行動が狂い始めたのはこの剣のせいだと確信したときにはもう遅い。

 意識が完全に途切れる直前。

 ノルンが最後に見たのは、怪しく光る刀身と、その向こうの通路から近づいてくる小さな人影だった。

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