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永宮未完 挑戦者編  作者: タカセ
剣士と薬師
4/119

剣士と薬師③

 大まかな形でいえば逆台形となるリトラセ砂漠は、北部と南部でその性質が大きく異なる。

 南部は巨大な岩山が幾つもあり大小様々な岩と礫と砂の混在した大地となった岩石砂漠。

 しかし逆台形の中心点となるオアシス都市ラズファンから北にかけては、さらさらとした砂で大半が構成された砂砂漠となっている。

 この性質の違いは気候風土など自然環境の違いによる物ではない。

 一面の砂の海である北側を作り出したのは、大陸全土の地下を今も掘り進め埋め立て続けている巨大サンドワーム類。

 彼等の繁殖地、そして幼生体の育成地としての一面が北リトラセ砂漠にはある。

 サンドワーム達が幼生体の生活環境に適した土地へと変化させる為に大半の岩を砕いてしまい、北リトラセ砂漠は非常に細かな砂で形成された砂漠となっている。

 そして北リトラセ砂漠とは地上部だけを指す名称ではなく、その地下に十数層に形成される世界でも珍しい階層型砂漠全体を指す名称であり、常に変化を続ける世界で唯一の生きた迷宮永宮未完に属する『砂漠迷宮群』を指す名称でもあった。

 また北リトラセ砂漠には昼夜の区別が無いことも大きな特徴の一つとしてあげられる。

 燦々と輝く灼熱の太陽の光も熱も、白く淡く光る月や星の柔らかい灯りも、この砂の海に降りそそぐ事は無い。

 その空にはぶ厚い砂の層。

 通称『砂幕』が広がり、まるでカーテンのように天を覆い隠している。

 今から300年近く前に起こった世界的異変。

 迷宮異常拡大期とそれに伴う迷宮怪物増大期。

 所謂『暗黒時代』に発生し、砂漠中心部で今も猛威を振るう砂嵐によって作られた砂幕が、北リトラセ砂漠を熱を失った恒常寒冷砂漠地帯へと変化させていた。










 

 吐き出す息が一瞬で凍りつくほどの寒さと暗闇の中、右肩に身の丈ほどの両手剣を担いだ少女は、暗い遠くの空に浮かぶ点滅する灯りを目印にひたすらに砂の海を真っ直ぐに進む。

 肩に担いだバスタードソードを握る右手には革紐が括り付けられその先にはカンテラが吊されている。

 漆黒の闇の中ではカンテラの灯りはか細く弱々しく僅か先を照らし出すのが精々。

 だが少女にとってはこのカンテラが命綱であった。

 砂の海といってもここは平坦な場所ではない。

 砂で出来た山があり、その周囲には急な坂や谷があり、蟻地獄のように底なしかと思わせる流砂の沼もある。

 常人では命の危機がある場所も、僅かでも先が見えれば獣じみた反射神経を持つ少女であれば対応に苦労はなかった。

 むしろ今の少女にとってこの砂漠での一番の難敵は、砂漠の砂そのものである。

 サンドワームによって細かく砕かれてさらさらとしている砂は、ちょっと立ち止まっただけで容易く膝近くまで飲み込んでしまう。

 悠長に歩いていれば、あっという間に砂の中に身体を引きずり込まれ、藻掻けば藻掻くほど脱出に苦労する事になる。

 その事は身を持って体感済みだった少女が選択したのは、著しい生命力消費と引き替えに砂に足を取られずにすむ特殊な歩法であった。

 少女の右足が地に触れた瞬間、手を打ち鳴らしたような小さな炸裂音が静寂に包まれた砂漠に響く。

 その音と同時に足元で砂が弾け飛び、その衝撃に撃ち出された少女の身体が前に跳ぶ。

 左足。

 右足。

 左足。

 少女が一歩踏み出す度に音が立て続けに鳴り響き、小さな少女はまるで水切りの小石のように砂の上を次々に跳ねて驚異的な距離を一歩で稼ぎ出していた。



「次の岩場まであと少しか……お腹も空いてきたな」



 小高い砂丘となっていた斜面を登り切った所で、少女の腹が小さく鳴って空腹を訴える。

 生命力とは生命を動かす力。

 世界を変える力その物。

 生命力を肉体能力強化に特化した力『闘気』へと変換し少女は特殊歩法を行っている。

 その恩恵で砂に足を取られることはないのだが、その反面すぐに疲労はたまり生命力も低下してくる。

 長距離となる砂漠越えに対して少女は、少し疲れてきたら短時間の休憩と水分補給の小休憩を取り、小休憩を四回行ったら、その次は食事と仮眠を取る大休憩というローテションを決めていた。

 北リトラセ砂漠の迷宮特別区に入ってから既に一日ほど。

 取った休憩は小休憩を四回。次は大休憩を取る番だ。

 だが、ただ立っているだけでも引きずり込まれそうになる、こんな砂漠のど真ん中で睡眠を含んだ休憩など取れるはずもない。

 少女が目指しているのは、サンドワーム達に砕かれないように魔物避けの魔術印を施した人工の岩場。

 ミノトス管理協会が過去に砂漠越えをする探索者や商人の為に用意した休憩所である。

 近年は比較的安価な大型砂船の登場もあり、徒歩での砂漠越えをする者はほぼ皆無となり、休憩所を利用する者などもほとんどいないというのが現状である。

 だが休憩所の目印としてその直上に輝く光球は、この昼夜を問わず暗闇に覆われる砂漠において灯台としての役割を持つために、今も灯台兼緊急避難所として維持され続けている。

 北リトラセ砂漠全体でその数は数千にも及び、個別認識するためにそれぞれの光球が別の色やリズムで点滅しており、すぐに地形が変わってしまう砂漠において絶対的な目印として重要な役割を持っていた。 

 


「あそこが南の323番だろ…………ん。まだ一月半はかかるか。水は手持ちの水飴で足りるな。問題は……」



 山の頂点を超えて今度は下りとなった急斜面を周りの砂と滑るように駆け下りていく少女は、ラズファンの街を出る前に覚えてきた北リトラセ砂漠地図と休憩所の発光パターンを頭の中に思いだす。

 千を超える岩場の位置と目印であるそれぞれの光球の発光パターン。その全てが少女の頭の中には叩きこんである。

 この岩場を伝うもっとも効率的な進行ルートを既に決めてあった。

 現在目指している休憩所の位置から一日で進むことが出来た距離を計算して、残りの行程にかかる日数を大まかに考えた少女は、フードの奥で眉を微かに顰める。

 その進行速度は少女が思った以上に芳しくなかった。

 原因は足を取られやすい砂と起伏に富んだ地形のせいで、走る速度が思ったより上がらず、さらには上り下りばかりで平面の地図で見た距離の数倍を走る羽目になっていった。

 当初は三週間ほどで砂漠を突破出来ればと考えていた予定を、少女は倍の日数へと修正せざる得なかった。

 砂漠では水分が一番重要と考えて、水を固定凝縮した魔法薬『水飴』を60粒ほど購入してあったのは幸いだと少女は考える。

 ”飴”と名付けられてはいるが無味無臭のこの薬は口の中で転がしているだけで元の水に少しずつ戻っていき、その水量は一粒で人間種成人男子が一日で必要な水分量とほぼ同量という非常に携行性に優れた魔法薬である。

 その分些か高価である事が唯一の難点だが、これで水についての問題はない。

 もっとも飴なのに甘くないと店員と一悶着を起こした極甘党の少女的には、無味無臭である事が一番の問題点なのかもしれないが。

  


「っ!?」



 斜面を下りきった少女は周りより一段低くなった盆地に足を踏み入れて悪寒を覚えた。

 周囲は静寂に包まれ静かな暗闇があるだけ。だが少女の勘が殺気を感じ取っていた。

 日程や食糧事情を考えていた通常思考から、より高速に物事を考える戦闘思考へと即時に切り替える。

 少女が思考を切り替えるや刹那、目の前の地面の砂が不自然に盛り上がり、次いで少女の腕ほどの太さで鋭い先端を持つ何かが飛び出してくる。

 それが何かを意識が認識する前に少女の身体は動く。

 カンテラの紐を左手に掴み上空へと放り投げながら、バスタードソードの柄を握る右腕を、僅かに角度をつけて左下方向へ一気に降りさげる。

 鞘に入ったままの剣の腹に刺突攻撃が打ち込まれ、ついで剣を納める革製の鞘が焼け付くような音を立て、鼻を突く刺激臭が漂う。

 クルクルと回りながら地上を照らし出す微かなカンテラの明かりの元で、砂の中から飛び出してきた物の正体を少女は見る。

 少女を襲ったのは擬態色となった砂色の甲羅に覆われた幾つもの節に覆われた長い尾だ。

 尾の末端は少し膨らんでおりその先端は赤黒い毒針となっていた。針の先は鞘を焼いた毒液で怪しく濡れている。

 受け流した尾が再度振るわれる前に少女は後方に飛び下がりながら、左手で鞘から垂れ下がる紐を掴む。。

 跳び下がった少女が地に足をつけた瞬間、先ほどまで少女が立っていた場所の砂が大きく盛り上がり倒木ほどの大きさがある巨大なサソリが砂の中から姿を現す。地上を駆ける足音に引かれ、餌を求め攻撃を仕掛けてきたのだろう。

 サソリが少女の頭を目がけて尾と同色の右蝕肢の先についた巨大な鋏を突き出した。だがその攻撃は少女の予想範囲内である。

 少女は即座に左横に跳び鋏を躱す。

 避けるのが一瞬でも遅れていれば、鋭いその切っ先が少女の顔面を抉っていたのは間違いない。 

 間一髪致命的な攻撃を避けた少女は、左手に握った紐を引っ張る。

 すると剣を固定していた鞘のボタンが弾け飛び、観音開きのような形状の鞘から鈍く光るバスタードソードの刀身が姿を現した



「はぁっ!」



 標的を失い空を彷徨う蝕肢に向かって、少女は裂帛の気合いと共に右腕を振るいバスタードソードの刃を叩きつける。

 刃と蝕肢を覆う頑丈な殻がぶつかり合い重く鈍い音を発し、鋼鉄の板を叩いたような痺れを伴う衝撃が少女の右腕を駆ける。



「む…………反動が返ってくるか。私もまだまだ鍛錬が必要だな。投擲は少し技量が上がったかな」



 剣を振り切った体勢のまま後方に下がった少女は不満げに呟き左手を上へと伸ばす。

 その手の中に先ほど宙へと投げ飛ばしていたカンテラの紐が丁度落ちてきた。

 とっさに投げたが大体思った通りの位置に落ちてきたことにフードの中で満足げな笑みを浮かべながらカンテラの灯りで前を照らし出す。

 灯りの中に右の蝕肢が千切れかかったサソリの姿が浮かび上がった。

 傷ついたサソリは威嚇するかのように残った左手の鋏をカチカチと打ち鳴らし、毒針のついた尾を逆立てて怒りを露わにしている。

 しかし怒れるモンスターを前にしても少女は動じる様子もなくサソリを見つめ、僅かの間を置いて合点がいったのか小さく頷く。



「ん……蟹か海老みたいだな。よし今日のご飯はお前に決めた……待てよ。その前に足にしてやろう」



 カンテラを再度宙へと放り投げた少女はどんな味がするのだろうと楽しみに思いつつ、サソリへと斬りかかっていった。























 





『ん~……今ひとつだな。しかも硬すぎるぞおまえの殻は。苦労して割ったのだから、もう少し中身があっても良いだろ。これは毒腺か? ん。さすがに食べられないかこれは?』



 背中に乗る化け物が不満げなうなり声をあげたことに恐怖を感じながら、彼は必死に足を動かし前に進む。

 先ほどから背中では化け物が食事をしながらぶつぶつと呟き、時折唸っている。

 彼とこの化け物では、種がまったく異なるために意思の疎通ができるはずがなかった。 だがそれでも、この化け物が何を考えているのか簡易ではあるが彼には伝わってくる。

 理外の存在である化け物に、彼は徹底的に打ちのめされていた。

 同族の中でも鋭く硬い鋏は獲物を容易く切り裂き、長く鋭い針のついた尾は強力な毒をもっていった。

 だが両腕の鋏も尾の毒針も今の彼には無い。

 背中の化け物に全てを叩き斬られてしまったのだ。

 武器を無くし半死半生となった彼に対し化け物は、鈍く光る銀色の一本爪で空に浮かぶ光の方向を指さしてから彼の背中に乗ってきた。



 あそこに迎え。さもなくば殺す。


 

 彼の背中をコツコツとその爪で叩いた化け物はそう命令を下した。

 声に出したわけではない。

 意思疎通が出来たわけでもない。

 だがその存在が、気配が、何を彼に望んでいるのかを雄弁に物語っていた。

 死にたくないという生物としての本能的な欲求から、傷ついた身体で必死に光の方向へ向けて走り始めると、この化け物はすぐに食事をはじめた。

 化け物が食しているのは彼の自慢だった鋏や尾だ。

 硬い殻を爪で叩き切り、殻を無理矢理こじ開けてその中身をむさぼり食っていた。

 自分の背中に自分を食する化け物が乗っている。もし彼に高度な知性があればこの状況に恐怖のあまり狂っていただろう。

 だが幸か不幸か、彼が感じているのは本能的な恐怖だけだった。

 その本能に動かされるままにただひたすらに足を動かし前に進む。

 化け物が望む場所へと連れて行かなければ殺されるという恐怖が彼を縛り付けていた。

 そしてその恐怖心から急ぐ足が、彼の警戒を甘くし、彼の命運を断つ事になる。

 いきなり彼の足下の砂が柔らかくなり彼の身体が沈み込みはじめる。

 突如直下に穴が開き周囲の砂ごと彼を飲み込みはじめたのだ。

 穴を作り出したのはこの砂漠の地上に君臨するサンドワームの幼生体が開いた口蓋。

 周囲の砂ごと、獲物を取り込む豪快な食事法である。そして幼生体といえどその大きさは彼の数倍はある。

 地下には彼等を遙かに凌駕する化け物達が腐るほどいるが、地上部分においてはサンドワームの幼生体は絶対の捕食者であった。

 以前に何度も襲われ死の恐怖を感じながらもその度になんとか逃げ切った彼だったが、今回は注意が散漫となっていた為にその口の中にまともに飛びこむ事になってしまった。

 しかも傷ついた身体では逃げる事など出来そうもない。

 だが実際に死を前にしても、彼の中にサンドワームへの恐怖がわき上がってくる事は無かった。



『む……サンドワームか。休憩所に着いたら身体の方を食べるのを楽しみにしていたのに横取りしおって…………まぁいい。あまり期待できなかったからな。お前の方はどうだ?』



 彼がサンドワームの口蓋に飲み込まれた瞬間、その背を蹴り上げて脱出した化け物の声が明朗と響き渡る。

 お前も食べてやろう。

 そう宣言する化け物に比べればサンドワームから感じる恐怖など無いに等しかった。 













「北停泊地の47番は、と…………あっちか。それにしても、やっぱり朝方っていっても内門を出ると暑いわね」



 道路の端に立てられた標識を見上げたルディア・タートキャスは自分の目的地を探し当て、左肩の荷物を担ぎ直すと暑さに辟易しながら歩き出す。

 二日前にひょんなことで知り合った交易商隊のファンリアという老人から渡されたメモがその右手には握られていた。

 メモに書かれているのは停泊場所と船名や出航時間だけでなく、極寒の砂漠越えに必要になるであろう雑貨品や薬師であるルディアにとって必要な材料を扱っている店までが記載されていた。

 実際に入り用な物もあったのでメモに書かれていた店をいくつか周り、其処の店主などから得た情報で老人の人柄や率いる商隊の評価を知る事はできた。

 ファンリアという老人は結構な食わせ物であるが、商売相手としては信頼は出来る。要するにイイ性格をしていると。



「知り合いって事で多少はおまけしてもらった上にファンリア商隊についても聞けた。これは名刺代わりで不信感を払拭させるには十分……何であの手の抜かりない年寄りばかりに縁があるんだろう。あたし」



 抜け目の無い知恵者でどうにも勝てないタイプは、故郷の師と同様であり、少しばかり苦手だ。

 だが他にこの街から早めに出る手段が無い以上は、好意に甘えるのが無難。

 軽い溜息をついてメモをポケットに仕舞うと、ルディアは騒がしくなり始めてきた周囲へと目をやる。

 砂を高圧縮して作ったブロック状の人工石で作られた高い外壁が街への砂の流入を防ぎ、同じ人工石を使っているが鮮やかな染色と細かな装飾が施された内壁が殺風景な砂漠を超えて飽き飽きしていた旅人達の目を楽しませ、同時に高い技術力と資金力を示している。

 ルディアの歩く道からは、本来の地面より高くなった脇道が桟橋状となり何十本も伸びており、桟橋には砂漠を行き来する大小様々な砂船が停泊していた。

 物資を満載した木箱の積み卸しや乗客達の誘導をする船員や作業員達の声がひっきりなしに響き渡る。

 ここには水で出来た海はなく、一面の砂地が広がるがその雑多な雰囲気は貿易港その物。

 その光景にルディアは故郷の港町を思いだしていた。



「ん!? おぉ! 赤毛の姉ちゃんじゃないか。道に迷ったのか」



 微かな感傷に浸りかけた矢先に、ルディアの背後から大声が響き渡る。

 聞き覚えのありすぎるその声だけでその主が誰かは判っていたが、ルディアは無視するわけにもいかず渋々ながら振りかえる。

 ルディアの後ろには、二日前に散々愚痴をこぼしてきた日焼けした浅黒い肌の巨漢武器商人が立っており、その横では荷運び用に時間貸しされている貸しラクダが中型の荷車を引いていた。



「……どうも」



「今日は素面だから警戒すんなって。どうにも酒癖が悪くてな。絡んじまった詫びと姉ちゃんの薬のおかげで二日酔いにならなかった礼を言わなきゃならねぇと思ってた所に丁度見かけたって訳だ。すまねぇな姉ちゃん。んであんがとよ」



 勝手に薬を飲まされて眠らされたことは微塵も気にしていない様子の男は、多少引き気味のルディアの態度に対して申し訳なさそうに頭を下げる。



「と、そうだ……こいつは感謝の気持ちだ。冷えてて旨いぜ。ガキ共に頼まれた物だが大目に買ってあるから気にせず飲んでくれ」


 

 荷馬車に手を伸ばした男は一番上に積まれた袋の中から掌大の物を一つ掴むとルディアに向かってふんわりと放り渡してくる。

 それはラズファンの広場などでよく売られている水と果実の絞り汁を混ぜ合わせ甘味付けして凍らせたジュースの入った革袋であった。

 買ってきたばかりなのか受け取ったルディアの手に、心地良い冷たい感触が伝わってくる。



「ご馳走になります……薬師のルディア・タートキャスです。貴方のおかげで砂漠を越える足が出来たから、あたしからもお礼を言うべきでしょうか?」



 甘い物はそんなに好きではないが、暑さに辟易していた所に冷たい飲み物は正直いえばありがたい。

 封を切って一口飲んで冷たいジュースで喉を潤してからルディアは名乗る。

 ファンリア老人には名乗ってはいたが、その時は男は横で高いびきをかいていたので改めて自己紹介をすると共に、長時間絡まれたことに対する軽い意趣返しも籠めた意地の悪い言葉をつづける。



「勘弁してくれ。礼はいらねぇっての。クレン・マークス。通称クマ武器商人だ。親方から聞いてる。後ろに荷物をのせな。砂船の所まで距離が結構あるから運ぶぜ」



 冗談半分なルディアの問いかけに対し、獰猛な笑顔で答えたマークスは荷車の後ろを指さした。 

 

 



 






「へぇ。姉ちゃんは冬大陸の出で工房を開く場所を探してるのかい。そんじゃあここらの暑さは堪えるだろ。慣れてる俺等でも真っ昼間はきついほどだからよ」



 彼等が借り受けた砂船へと向かう道すがらラクダの手綱を引くマークスは厳つい外見に反して話し好きなのかいろいろと尋ねてきて、その横を歩きながらルディアは質問に答える形で雑談に興じていた。

 ルディアの出身地はトランドよりもさらに北の一年中雪が降る極寒の大陸。別名冬大陸と呼ばれる地だ。 

 


「そうですね。この暑さの中で仕事なんてあたしには無理だって判りました。水が合わないってのもありますけど、住むのはちょっと遠慮したいです」



 オアシスからの豊富な水があり、一年中ほぼ変わらない気候で安定していて薬が作りやすい。

 迷宮に隣接した都市であり、協会直下であるために税金の類が安く迷宮素材がそれなりに手に入る。

 事前に聞いてた情報からラズファンを訪れたルディアだったが、砂漠の乾燥高温気候は冬大陸生まれにはきつすぎると、見切りをつけるには一日あれば十分であった。

 もっとも工房を開く条件が何かと聞かれてもこれという答えがなく、何となく理由をつけて先延ばしして気儘な旅を楽しんでいるだけだと言われれば否定はできないが。

 


「ここらの連中も日が一番高い時は、昼寝やら酒盛りする習慣があって仕事は休むくらいだからな。まぁ、そうなると姉ちゃん的にはこれから入る北リトラセ砂漠の方がまだ過ごしやすい気候なのかもしれねぇな、あそこは骨まで凍えるほど寒いぜ。寒冷地用の衣服がここらでもよく売れる理由だな」



「……別名『常夜の砂漠』でしたっけ。子供のころから迷宮にまつわる御伽噺はいくつも聞いていたんですけど、旅をしているとトランド大陸は無茶苦茶だって改めて思います。普通じゃ有り得ない地形や気候が多すぎて」



 先ほどもらった革袋のジュースで喉を潤しながら、ルディアはここまで旅してきた地方を思いだしつつ呆れ顔を浮かべる。

 巨大な岩山のど真ん中を反対側まである探索者が剣の一突きで掘り抜いたというドラゴンも通り抜けれそうな巨大で真っ直ぐなトンネル。

 凍りついた湖の湖底に存在する水棲種族の幻想的な都市。

 まるで雨のように四六時中落雷が降り注ぐ山岳地帯や、一日ごとに場所を変えていく森。

 勿論普通の地方もあるのだが、変わった場所の印象が強すぎてそればかりのような錯覚を抱かせるには十分であった。



「迷宮大陸トランドだからな。摩訶不思議な光景ってのは珍しくないさ。それでも俺ら一般庶民が見れるのはその極一部。特別区って表層的な部分でその奥に広がる迷宮本体はもっと無茶苦茶らしい。武器商人って商売柄探索者の知り合いも多いが、話半分で聞いても法螺話としか思えないのが多いからな」



「そうらしいですね。上級探索者の英雄譚に出てくる溶岩内での戦闘やら、巨大船も引き裂かれる大渦の探索とかまで来ると想像がつかないんですけど」



 初級、下級、中級探索者辺りならばルディアも幾人かは話した事もあるが、最上位の上級探索者ともなるとそのほとんどは伝説やら御伽噺の登場人物と変わらない。

 現役であれば大陸中心部の上級迷宮が近隣に数多くある迷宮内部地下都市に大半が常駐し、引退した者や休止中の者はトランド大陸に限らず世界中の王宮や貴族、大商人等に仕え文字通り住む世界が違う。

 派手に脚色された英雄譚や数多くの眉唾な噂は世間によく広まっているが、その計り知れない実力や実態等を実際に知る者は一般人には少ない。

 それが世界中に数十万人いるとも言われる探索者の中でも、4桁にも満たない上級探索者達である。



「俺もさすがに上級の知り合いはいないから、ミノトスの神官らの叙事詩で聞いたくらいだな。本物を遠目に見たことくらいならあるけどよ。有名ところじゃ管理協会現理事長の『樹王』ミウロ・イアラス、ロウガの『双剣』フォールセン・シュバイツアーやら『鬼翼』ソウセツ・オウゲン、あとは芸術家としても有名な『黒彫』レコール・イノバンとかだな」



 指折りながら数えるマークスがあげた名は、別大陸出身者であるルディアでもその功績をよく知るほどの名を馳せた上級探索者達であり、同時に比較的世間一般にその姿を知られている者達であった。 



「イノバンって300年近く一人で山奥で岩山を削って石像を掘ってる人ですよね。本来の寿命だと満足な作品が作れないから不老長寿の上級探索者になった変わり者って」



「おうそれだ。400年以上は生きてる変人で暗黒時代も我は関せずってばかりに岩山を掘ってたらしい。管理協会本部に顔を出したのも数回だけらしいんだが、たまたまその時に見たんだよ。ぱっと見は20中盤の優男なんだが、遠目でも何つーか雰囲気はあったな。嘘みたい話だがありえるんじゃないかって思わされた」


  

「……何かますます現実感が薄くなってきました。もっとも工房も持ってないしがない薬師のあたしには、上級探索者なんて一生縁はないでしょうけど」



「いやいやわからねぇぞ姉ちゃん。世の中ってのは何があるか判らないからな。ひょんな事から知り合ったり、ひょっとしたら姉ちゃん自身が上級探索者になったりするかもしれんぞ」



「そりゃどうも。でもあいにくなことに上級どころか、今のところは探索者になろうって気は皆目ありませんよ。工房を開く開店資金が不足なら考えなくもないですけど、そこら辺は薬師ギルドの低金利で借りた方が安全でしょ。探索者みたいにハイリスク、ハイリターンなのはちょっと」



 笑うマークスに対して、ルディアは興味がないと肩を竦めて答える。

 自身の本分は薬師であり、魔術はあくまでも薬剤調合補助と精々材料採取時や旅の途中で身を守る為の護身技能程度。

 魔術師としては平凡な才能しかない。要領だけはそこそこ良いのである程度まではいけるだろうが、壁にぶつかればそこで止まってしまう。それがルディアの自身に対する分析であった。

 


「堅実だな姉ちゃん……俺の所のバカ息子も見習ってほしいくらいだ」



 ルディアの回答を聞いたマークスが微かに眉をしかめて羨ましげな目を浮かべて、悩みを聞いてほしそうな表情を浮かべる。

 その様子からまたも愚痴が始まりそうなことをルディアは敏感に察していた。



「息子さん……ですか?」



 だが話の発端を開くよりも聞き役に回り情報を集める癖や、基本的に面倒見のよい性格が災いし、その話題に触れないようにしようとする理性よりも先に口が開き続きを促していた。



「おうよ。今年でもう13になるんでそろそろ商売について覚えさせようって今回の商隊に見習いとして参加させたんだが、武器商人をやるよりも武器を振ってる方、探索者になりたいとかぬかしやがってんだよ。だから剣術道場に通わせろって最近五月蠅くてな」



 マークスが溜息と共に吐き出したのは世によくある親の嘆きだ。

 若年。特に男子となると華々しい探索者の英雄譚に心を惹かれ憧れから探索者となる者は数多い。

 だがその大半は早々と諦めるか、運が悪ければ志半ばで命を断たれる事になるだろう。

 類い希なる才能と時流に乗る強運。

 探索者に限らず世に名を馳せる者達とはこの二つを持ち合わせている。

 どちらか片方を持つだけでもまれなのに、その両者を持ち合わせる者など本当に一握りの特別な者。

 しかし自分がそんな特別な者だと思う若者は数多い。

 こればかりは親や周りが口で言っても、挫折するまでは自らは認めようとはしないだろう。



「よくある話っていえばそれまでだけどよ。男親としちゃ、てめぇの商売を継いでほしいってのもあるんだが女房が心配性でな。俺が砂漠越えの商隊に参加してるだけでも結構気苦労をかけてる所に、これでバカ息子が探索者になったら心労で倒れちまうんじゃないかってな」



「ホントよくある話ですね。でも13なんですよね。そのくらいの年齢の男の子じゃ麻疹みたいな物だと思えば。もうちょっと大きくなれば現実が見えるんじゃないですか。それに不謹慎な話かも知れませんけど『始まりの宮』が終わったばかりで、これから怪我人や死亡者も増えてるみたいですし、目の当たりにすれば気持ちが変わるかも知れませんよ」



 探索者となるには半年に1回大陸中に出現する特別な迷宮。別名『始まりの宮』と呼ばれる迷宮を踏破しなければならない。

 そして今期の始まりの宮が終わってまだ十日ほどしか経っていない。

 だが既に誰それが大怪我しただの、どこぞの新米パーティが壊滅しただの噂話をルディアは耳にしていた。

 迷宮群に隣接し始まりの宮が近隣に出現する為新人探索者が多くいるラズファンにとって、新人探索者の怪我人や死亡者の増加は半年ごとに起きる性質の悪い風物詩といえるのかもしれない。



「そうだといいけどな。失敗した奴等の話よりも、成功した奴らの話に食いつきそうなガキだから。んなもん少数の稀有な例だってのに」



 赤の他人であるルディアに話した所で、悩みが解決するわけではない。

 だが愚痴とは基本的に誰かに吐き出して気分を紛らわせる物。

 その事を判っている両者はあまり突っ込んだ話をせずに、ありきたりな話にありきたりな言葉を交わす。



「商売の楽しさってのを理解するにはまだガキでな。今日も俺が貸倉庫から運んでる間、商品積み込みの確認をやらせてるんだが真面目にやってると…………すまねぇ姉ちゃん。ちょっとこいつの手綱を頼めるか」



 愚痴をこぼしていたマークスが急に黙り込んだかと思うと、いきなりルディアにラクダの手綱を押しつけてきた。

 突然の事にルディアは声をかける間もなく、だだっと走っていたマークスを目で追いかけると、彼は少し先の桟橋へと飛びこんでいく。

 その桟橋には些か古い様式だが、頑丈な砂船が停泊しており、他と同様に木箱や荷車を使って荷物の積み卸しをしている。

 その隅っこの方で剣を振り回していた少年へと駆け寄ったマークスがいきなりその頭に拳骨を落とした。

 



「てめぇ! 商売物を勝手に振り回すんじゃねぇって何時もいってんだろうが!」



 ルディアの所にまで聞こえるほどの大きなマークスの怒声が辺りに響き渡る。殴られた少年の方はよほど痛かったのか頭を抑えてしゃがみ込んでいたが、すぐに立ち上がり何か反論をし始めていた。

 


「あれが件の息子さんであっちがこれから乗る船って訳ね。賑やかな船旅になりそうね……ところでさぁ、あんたから動いてくれない。馬ならともかくラクダの手綱なんて引いたことないっての」



 マークスの怒声で驚いたのかピタと動きを止めたラクダに対して、ルディアは声をかけるがラクダは歩き出す様子はない。下手に手綱を引いて暴走されても事だ。

 結局マークスが息子との親子喧嘩を終えるまでの10分間、ルディアはそこで待ちぼうけを食らわされる羽目となった。

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