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永宮未完 挑戦者編  作者: タカセ
剣士と決闘
24/119

剣士と引き寄せられる因子達

 カンナビス上部市街展望地区。

 山脈中腹に点在する僅かな平地に棚田のように小規模な街区がいくつも作られカンナビス上部市街が形成されている。

 街区同士を結ぶのは、大昔に斜面に掘られた階段や、山をくりぬいて作られた洞窟通路だったり、飛翔騎乗生物であったが、昨今の主流は街区間を結ぶ小型ゴンドラとなっていた。

 上部市街では一番下層に位置し、下部港湾部との貨客運搬を行う大型ゴンドラ乗り場がある展望地区は港湾部にも負けない人込みと熱気で溢れていた。



「カンナビス名物ゴーレム焼き! 焼きたてあつあつだよ!」



「ほい! ゴーレム四肢揚げ糖まぶし揚がったよ! 揚げたていかがっすかっ!」



 斜面に張り出して作られた展望台が名物のゴンドラ広場には、同業者に負けないようにと大声を張り上げる売り子達の声が響き渡る。

 展望台から下方の砂漠を覗いてみれば、遙か上空であるここからもその巨大な骸が転々としている様が見えて、その絶景は今では大陸でも有数の観光スポットとなっている。

 かつて幾千もの探索者達の血肉を貪ったゴーレムといえど、壊れてしまえばただの巨大な岩。

 広がるゴーレムの残骸の顔や腕に見立てた菓子や、壊れる前の姿を模った人形など、恰好の観光資源として再利用している辺りは人の持つたくましさの表れだろうか。

 その露店の中の1つにゴーレム焼きの店がある。

 かつて英雄双剣により真っ二つに割られたゴーレムの顔面を模った型枠で焼いた巨大焼き菓子がこの店の売りだ。

 顔面の右側にはあんこ。左側にはクリーム。

 かつての英雄気分で顔面を2つに割ってお召しあがれというコンセプトの、作るのにちょっとした技術がいる割に、名称に関してはひねりも無いゴーレム焼きを売っていた屋台に野太い声が響く。



「店主。ゴーレム焼きを4つほど包んでもらえるか」


 

 全身鎧を着込んだかのような巨大でゴツゴツとした岩のような肌を持つ老人が、その分厚い手でカウンターに、焼き菓子4個分の料金を差し出した。

 爬虫類のような縦に開いた瞳孔と、イノシシのような巨大な牙。

 外見から見るにこの老人はおそらくは竜人と獣人のハーフだろう。

 大の大人でも思わず後ずさりしそうな厳つい外見だが、カンナビスは観光都市であると同時に迷宮隣接都市。

 探索者たる竜人や獣人、さらには魔族も集まるこの街では、このような風貌や巨大な体躯の主はさほど珍しい物では無い。



「おう先生か! 今日もありがとうよ!」



 汗をかきながら鉄板の前に立つ若い店主も、ここ数日ですっかり常連になった老人に慣れた様子で気軽に挨拶を返し、焼きたての菓子を大人の顔面ほどもある大きな紙袋に詰めて差し出す。

 1つが大の大人の握り拳ほどある大きな焼き菓子が4つも詰まった紙袋はぱんぱんに膨らんでいる。

 だがこの老人が受け取ると紙袋が楽々と掌の中に収まってしまうのだから、その巨体がよく判るだろう。


 

「ふむ。では失礼してまた横で食べさせて貰おう。持って帰ると弟子達が五月蠅いのでな」



 店主に一言断った老人は屋台の横にドカッと腰を下ろすと、早速袋から焼きたての菓子を取り出してモシャモシャと食べ始める。 

 外見に似合わないといえば失礼かもしれないが、この老人は大の甘い物好きらしく、散歩がてら屋台によっては、毎回巨大な焼き菓子を数個は平らげていく最近出来たお得意様だ。



「いいのかい。お偉い先生が毎度毎度道ばたで立ち食いなんぞして」



「構わん。肩書きなんぞいらん物ばかり増えおって、人前でおちおち菓子も食べられん」



 厳つい外見から判りにくいが嘆息をついたのか軽く肩をすくめた老人は、瞬く間に一つ目を平らげると、そそくさと二個目に取りかかる。



「全く……人の格なんぞ美味い食い物の前では意味など無くすというに」



 愚痴をこぼしつつも、満足そうにはき出す呼気は菓子を楽しんでいる証だろう。



「そりゃどうも。いつでも来てくれよ。先生のために焼きたて出してやるさ」



 目立つ外見やら、初来店時にいきなり横で食べ始めた老人の行動がに気になって、屋台を回す傍ら店主の方から、それとなく世間話を振っていた。

 空を見て午後から風が強くなることを予想したり、数口食べただけで店主が仕入れている小麦の種類を当てて見せたりと、豊富な話題と会話の端々にも覗かせる知性が、この老人がただ者では無い事をすぐに店主に悟らせた。 

 さらに話を聞く限りではどこぞのお偉い魔導師らしく、幾人かのお付き兼弟子達もいるそうで、せめてここでは気軽に楽しめるようにとその氏素所を詳しくは聞こうとはしていないが、店主は先生と呼んでいた。



「ふむ。ありがたい……ありがたいのだが、実に名残惜しいがそろそろ中央に帰らねばならん」



 何時もならすぐに菓子を食べきる老人が最後の一つを手に取ると、珍しくしげしげと見つめて残念そうな声色で唸った。   

 ゴーレム焼きを見つめる目は、どこか遙か昔を懐かしんでいるかのような色合いを帯びている。



「っと? そうなのかい。そりゃ残念だ」



 良いお得意さんを失う事もだが、それ以上に話し相手として飽きない老人がいなくなることに店主は落胆を覚える。



「しかし先生。そろそろ帰るって事は、やっぱ先生の目当ても最近噂のあれかい? カンナビスゴーレム術式の解析発表とかいうやつ」



「あぁ。心配性な古い知り合いに頼まれてな。何せ物が物だ。下手すればこの地方が滅びるかもしれんと、危険性が無いか調べてこいといわれた」



店主は老人の話と職種から、カンナビスに訪れた目的をある程度推測していたが、どうやら大当たりのようだった。

 ここの所カンナビスで話題になっていたある魔導機具工房の研究がある。

 それは嘘か本当かは判らないが、かつて猛威を振るったカンナビスゴーレム群を人の手で操作可能にするという不可能といわれていた研究で、その術式の極々一部が成功したという話だ。



「……それ大丈夫なのか先生? 下の奴らが動き出したなんて勘弁だわ」



 

 店主は焼いたばかりのゴーレム焼きを見て、わざとらしく大げさに身を震わせる。 

 カンナビスゴーレムのもっとも恐れられた特徴はその巨体では無く、悪夢じみた再生能力増殖能力にあると言われる。

 数十名の上級探索者が総出でようやく一体のゴーレムを打ち倒したが、その砕いた僅かな破片から同レベルのゴーレムが瞬時再生し探索者達が壊滅したというのは、伝説でも無ければお伽噺でも無く、事実としてしっかり記録に残されている。

 しかもそれは一件や二件では無い。

 その巫山戯た再生能力を可能とする術式を開発したのはこの世で最強種族と呼ばれた龍種。しかもその龍達の長だったという。

 龍王の手による物といわれる魔術術式はいくつか伝承として伝えられているが、複雑怪奇で人の手には余るというのが世界の常識だ。

 並大抵の魔力では稼働すらせず、最先端魔導技術論を用いてすら解析の取っ掛かりを掴むのがやっとというほどだ。



「確かに一部を解析したようだが幸いにも解析した技術の一端も一端。よほどのことが無い限り、それこそ龍王の血でも無い限り、あの巫山戯た戦闘力、回復力は発動せんよ」



 在りし日のゴーレムを見たことがあるかのように語る老人に、店主はつい笑いそうになる。


 本当に動き出せば、老人の話も大げさなことでは無く、場合によっては大陸規模の大惨事になりかねないが、ゴーレム達が猛威を振るったのはすでに数百年前。

 今更という話だ。



「先生なら倒せそうだな。いざというときは任せていいかい」



「その場合は致し方ないだろうな。最近は実戦から遠ざかっておるので、あのしつこい奴らをあまり相手にしたくは無いのだがな」



 店主の冗談に対して老人はまたも軽く答える。

 店主本人もそんな事故が起きるわけが無いと思いつつ振ったネタなのだが、思ったよりノリが良いのか老人はしかめっ面で真面目ぶって返した。   

 当時の関係者。中央の探索者協会上層部やら、一部の上級探索者達。

 戦って戦い続けて不老長寿を得た者の中にはその時代の生き残り達も存在する。

 だがさすがにそれほどのお偉いさんが、道ばたで菓子を食いつつ雑談に興じるような事はあり得ないだろうと店主は考えていた。



「そりゃ心強い。安心させて貰った礼だ。先生一つサービスするから、もう一個、食ってくかい?」



 断りがたい店主の誘いにどうした物かと考えあぐねた老人はしばし悩んでから、



「ふむ。ではありがたくいただ……なにか起きたか?」



 最後の一つを平らげようとして大口を開けた老人だったが、広場の違和感に気づき立ち上がる。



「……い! 誰……飛び降りたのか!?」




先ほどまでの雑踏に響いていた楽しげなざわめきとは別の緊迫した声を、獣の血を引く老人の耳は捕らえていた。

 声が響いてきたのは展望台の方で下を見ていた観光客達のようだ。

 彼らはなにやら下の方を指さしざわめきや悲鳴めいた声をあげている。



「待って!? なんか昇って来てない!?」



 その声に気づいた周囲の人々が次々に展望台へと掛けより始めた。

 さらにはゴンドラ乗り場から係員が飛び出てきたかと思うと、のんびりと群衆整理をしていた警備兵達のもとに何かを伝え、散らばっていた警備兵達も急に慌ただしく動きはじめ、展望台へと集まりだす。



「下がってください! 危ないですから下がってください!」



警備兵達は展望台から下を覗こうとしている群衆を離れさせようとしているようだが、野次馬めいた人々が次々に押しかけ四苦八苦している。

 このままでは将棋倒しになって惨事になるかも知れない。



「おいおいまさか事故か!? それともまた飛び降りしようとする奴でも出たか?」



 老人から少し遅れて騒ぎに気づいた店主が、先ほどまでの冗談めいた事故よりも、身近な事故に血相を変える。

 警備兵が事故が無いようにと24時間体制で巡回をし、さらに返しの付いた柵を設け外に出られないようにしてあっても、そこから飛び降り命を絶とうとする馬鹿は年に数人は出現する。

 港と市街地を結ぶゴンドラも常にメンテと検査を行っていても、事故が絶対に起きないとは言い切れない。

 ましてや膨大な荷を積み卸しする大型ゴンドラの老朽化による修繕が近々あるというのがもっぱらの噂だ。

 詳しい事情がわからないまま、不安と混乱だけが周囲で徐々に強まるなか老人は最後の一つを紙袋に押し戻すと、



「あのままでは危ないな。少しいってくる。風よ」



 石畳を蹴った老人は単一詠唱のみで風を纏うと、その超重量級の体を軽々と舞い上がらせた。

 翼無き身による触媒無し、単詠唱による飛翔術。

 魔術を囓ったことが有る者なら、驚愕するだろう超高等技術を軽々と行った老人は、混雑した人込みの上をすり抜けて、群衆を遠ざけようとした警備兵たちの前へと降り立つ。



「皆さん下がってください! 一度に人が集中すると危ないです! ご老体! あなたも下がって」


 

 いきなり降りてきた巨体の老人に警備隊長らしき男性が後ろへと押し返そうとするが、老人はその声を無視して周囲を一瞥する。

 老人の視線が通ったその瞬間、展望台へと駆け寄ろうとしていた群衆達が石化したかのようにピタリと固まった。



「パラライズ!? これだけの数を一瞬で!?」



 視線に魔術を込める桁外れの実力に驚きの声を上げる警備隊長へと、老人はその眼前に右手の人差し指に嵌めたリングを突きつける。

 老人の指に嵌まるリングには、赤、白、緑、青、黄、黒、そして紫の7色の線が走り、さらに同系色の貴石が嵌まっていた。

 そのリングをつぶさに見た警備隊長の顔は驚愕に染まり、麻痺したかのように固まる。

 リングこそ探索者の証し。

 そして七色の線が走り貴石を備えるまで成長したリングを持つ者こそ最高峰の探索者、上級探索者に他ならない。



「上級探索者コオウゼルグだ。何が起きた」



「り、竜獣翁!? ……し、失礼いたしました!」 



 最上位敬礼する隊長の叫びに周りの警備兵達も老人の正体に気づき、慌てて隊長に倣い、一斉に敬礼を捧げる。

 竜獣翁コオウゼルグ。

 探索者管理協会魔導技術部門の最高顧問であり、その功績と実績において世界でも最高位に属する探索者を前にして、緊張した面持ちの警備兵達を前に、

 


「敬礼はいらん。何が起きた」



 こういう反応が煩わしいから、この街の探索者協会の者ですら一部しか来訪を知らさせずにいたというのに。

 気儘なお忍び旅もこれで終了かと諦め半分の苛立ちを込めながら、この騒ぎの元凶をコオウゼルグは問う。

   


「は、はい! 下の警備兵から緊急連絡で少女が一人跳び上がってくると連絡がありました! 展望台の観光客がその少女を発見しこの騒ぎが!」



 苛立ちが篭もっているせいか唸るような声を上げたコオウゼルグを前に、緊張感か恐怖か判らないが身震いしながら警備隊長は返答を返す。

 だがコオウゼルグには警備隊長のいっている意味が理解できない。



「……跳び上がってくる? 飛び降りたの間違いでは」



 緊張から言い間違えたのでは無いだろうかと、再度確認しようとしたコオウゼルグだったが、その獣の嗅覚が、どこか懐かしくありながら未知の臭いを捉える。

 次の瞬間。コオウゼルグ達が立つ展望台へと崖の下から何かがひらりと舞い上がってきた。











「おぉ! 昇ってくるとき見ていたときも絶景だと思ったが上から見るとまた違うな!」



 展望台にいた者達から見て謎物体ことケイスは喜色に満ちた声で感嘆の声を上げると、クルリと一回転して細い柵の上にひらりと降り立ち、遥か彼方までを見渡す。



「ふむ。やはり世界は広いな! ここは気に入ったぞ! スオリー。早くこい! すごいぞ!」



 昇って来たときは真下ばかりを見ていたが、こうやって広い所から見渡すとさらにまた格別。

 いきなりの登場に唖然とする広場の警備兵や群衆。いぶかしげに眉を顰めるコオウゼルグの視線を気にとめることも無く、周囲の絶景を見渡したケイスはうんうんと偉そうに頷いている。

 周りから向けられる視線には、景色に気をとられて気づいていないのか、それとも気づいているが気にしていないのか、微妙な興奮具合だ。



「わ、私はみ、見なれてま…………うっ!」



 ケイスに僅かに遅れて上がってきたスオリーは、気疲れから来る疲労に荒い息を吐いていたが、広場の異常な状況に気づき固まる。

 この場にいる数千の視線がケイスへと集中している。

 どう考えてもケイスが原因で起きたと一目で判るような状況だが、当の本人は気にもしていないのだから恐ろしい。



「ふむ。こんなに景色が良いのなら、ルディも一緒に連れてくればよかったな。喜んでもらえたのに失敗だったな………………むぅ。少しお腹すいた」



 崖を蹴りあがって登るのに付き合え。

 ルディアが聞いたら全力で拒否しそうなことを、心底残念がってみせたケイスだったが、ここまでの垂直移動で小腹が空いたことを訴える腹の音に気づき、広場の方へと振り返る。

 何千もの視線がケイスに向けられているが、ケイスは物怖じした様子も無く広場の人々を観察する。



「ん。美味しそうな香りだな」



 最後に近くにいたコオウゼルグへと視線を移して、その前にすたっと降り立つ。



「……ご老体。少しお腹が空いた。荷物持ちでも手伝うから、その御菓子を分けてくれないか」

 


 コオウゼルグの持つ紙袋の文字を見たケイスは思わず目を奪われそうになるほど天真爛漫な笑顔で、非情に厚かましい頼み事を臆面も無く宣っていた。

 その一方でコオウゼルグの顔を知っていたスオリーは顔面を蒼白に染める。

 不味い。非常に不味い。

 この二人の顔合わせは実に不味い。

 ケイスの方はともかくとして、コオウゼルグはケイスの正体に気づく恐れが極めて強い。

 その正体を確かめようと下手に動かれれば、事が露見しかねない。



「あぁぁっっ! ケ、ケイスさ、さん! ダメ! その方ダメ! お腹が空いたなら私が出しますから!」



「いいのか? うん。ありがとうだ」 



「み、皆さん! 失礼しました!」



 スオリーは脱力し掛かった身体に力を入れて、もう一度羽に魔力を通すとケイスを抱きしめそのままより上の街区へと一目散に退散を開始した。

 あっという間の出来事に誰もが反応できず、



「……今の白昼夢か? さすがにこの崖をあんな小さな子が上がってくるわけ無いよな」



「アレ協会のスオリーちゃんだろ? 担いできたとかか?」



 現実感が無い登場と言動、さらに夢幻のように消え去ったケイスとスオリーに誰もが呆然とする中、



「…………あの娘。まさか龍か」



 『竜獣翁』の二つ名をもつコオウゼルグは、その名が表す通り竜人の魔力と獣人の体躯を持つ希代の賢者として知られる伝説の探索者の一人。

このカンナビスにおいて数多のゴーレムを打ち砕いたフォールセンパーティーの一人にしてかつての暗黒時代を終わらせた英雄コオウゼルグの重い響きを持った呟きが小さく響いた。












 迷宮より帰還した探索者達は、その成果に大小はあれど迷宮からのアイテムを持ち帰ってくる。

 それは迷宮『永宮未完』内でしか生育しない植物、組成されない化合物や鉱物であったり、迷宮モンスターの魔力を含んだ血肉。

 物によっては小国を買えるほどの価値がある神々の刻印を持つ名品『宝物』等々。

 稀少、高額、極めて危険な物質などは、探索者達からミノトス管理協会支部が主導して、競売や、武器防具への加工などの各種管理、記録を行うが、大抵の迷宮産アイテムは管理協会から認可を受けた個人商や大店が取り扱っている。

 モンスターがその血に宿す魔力が結晶化した転血石なども、下級モンスタークラスの物は粉砕処理された粉末が、魔力動力のランプやオーブンなど家庭用マジックアイテムの燃料としても、一般的に流通している。

 だからケイスが集めた転血石も、稀少な天然物とはいえ所詮は下級モンスターの転血石。

 港湾近くに店を開くボイド達が行きつけの、物から情報まで手広く扱う探索者ご用達の買い取り屋なら、短時間で鑑定して簡単に換金が……出来るはずだった。

 40代ほどの店主は、ルディアから受け取った転血石の袋から一つを取り出して鑑定し始めたかと思うと、すぐに顔色を変えて店の奥に引っ込んで、検査用魔具を片手に詳細な鑑定を始めていた。 

 店主が何を調べているのかは専門外のルディアや、探索者であるが魔具には疎い戦士系であるボイドには判らないが、やたらと熱心だ。

 普通ならば、店主の行動に何事かと興味や好奇心を惹かれるだろう。

 しかし存在自体が非常識なケイス絡みの事案に、ここ数週間で幸か不幸かある程度は適応してしまっていた二人は、特に慌てるでも興味を引かれるでも無く、店主の鑑定が終わるのを、ただ待っていた。

 どうせ後で驚かされるなら、一度で十分だという、ある意味で諦めの境地と言えば良いのだろうか。 



「なんか広場の方がやたらと騒がしいんですけど、ここって、いつもこんな感じですか?」



 店前に申し訳程度に設けられた日よけパラソル下のベンチに腰掛けたルディアは、通りを行き交う人々のざわめき声やら、ばたばたと駆け回る警備兵を眺めながら、ある程度予測はついていながらも一応確認で尋ねる。



「いつも活気はあるが、そういう雰囲気じゃないな。なんか騒動を起こしたんだろ。ケイスの奴が」



 黒髪娘。


 スリが刺された。


 ゴンドラの運航が停止。


 崖を蹴り上がっていった。


 集団麻痺。


 行き交う噂の断片を聞き流しつつ、通りを行き交う人込みの中で誰かを探しているボイドがルディアがあえて除外していた答えを断言する。

 遠慮や周囲の空気を読むやら、常識という概念を全く持たない美少女風怪奇生物なケイスが、ルディア達から先行してカンナビスに上陸してからすでに小一時間以上。

 大小様々な騒動をダース単位で起こしていても不思議ではないだろう。



「…………良い天気ですね」



 ボイドの断言に無言の同意を返しつつ、ルディアは現実逃避気味に空を見上げる。 

 天空高くで燦々と輝く太陽の強烈な日差しが、切り立った岩肌の照り返しでさらに増幅され、ただでさえ暑い砂漠の気温をさらに上げている。

 雪国育ちのルディアには正直堪える暑さだが、実に一月振り近くの太陽の日差しともなるとそこまで不快では無かった。

 しかし何時終わるともしれない鑑定待ちのこの時間を日光浴に当てるには、さすがに砂漠にほとりにあるこの街の日差しは強すぎる。



「そういえばボイドさんは良いんですか? 協会支部に行かなくて」



 ボイドは店への案内と紹介のためにルディアに同行してくれていたが、ボイドの妹であるセラやヴィオンといった他の護衛探索者達はカンナビス支部へと新型サンドワームの詳細報告書や証言を提出するために一足先に上部の街区へと上がっていた。

 パーティリーダーであるボイドもすぐにその後を追うかと思っていたのだが、店の壁により掛かって鑑定が終わるのを待っていた。



「俺は動いている所はほとんど見てないから、特に報告することもねぇからな。ゴンドラも停止してるみたいで、一々階段を登るのも面倒だからかまわねぇよ」



 サンドワーム戦の際、ケイスのとばっちりで麻痺状態になっていたボイドは、刃を交えるどころか動いている姿もほとんど見ていない。

 証言できることなんぞほとんど無いのに一々時間をとられるのも面倒だと肩をすくめて、またも通りへと目をやり行き交う人々を視線で追う。



「まぁ、それに下で待ち合わせしてたヴィオンの姉貴と行き違いになりそうだしな……なにやってんだスオリーの奴は。ケイスからの頼まれ事をとっとと終わらせたいってのによ」

 


 何時もは頼んでもいないのに出迎えに来る幼なじみが、待ち合わせをしていた今日に限って姿を見せなかった事に、ボイドはどうにも嫌な予感を覚える。

 何せ今カンナビスには特大級の嵐が絶賛来襲中。

 面倒なことに巻き込まれていなければ良いんだがと、ボイドが気をもんでいると、



「終わったぞ……姉ちゃん。あんた冗談抜きでこれをリトラセ砂漠の特別区で手に入れたのか?」



 妙に疲れた顔でのっそと出てきた店主が転血石の入った小袋を片手に下げながら、やけに血走った目でルディアに尋ねる。



「あたしが手に入れたんじゃ無くて、知り合いがリトラセ砂漠を越える間に狩ったモンスターから回収した品ですよ。ボイドさんやらセラさんも証言可能です」 



半信半疑を通り越して、明らかに疑いの目線を向ける店主に、ルディアは落ち着いて事実のみを淡々と告げる。

 元々無茶な話なのだ。

 天然物の転血石なぞモンスターを100匹以上も狩って、一つ出てくれば運が良いといえる代物。

 ケイスがやって見せたように、狩ったモンスターのほとんどから出てくるなんてのは、質の悪い冗談でしかない。

 未だ疑いの目を向けていた店主だったが、次に視線を向けたボイドが無言で頷きルディアの弁を肯定すると大きく息を吐くと、懐からくしゃくしゃになった煙草を取り出すと火をつけた。



「マジか……ボイド。お前らが乗った船がリトラセで停泊して狩りした場所を教えろ。高値で売れるぞ。っていうか俺にその情報を売れ」



 一息吸って精神的に落ち着いたのか店主が煙を噴かせながら、至極真面目な顔で取引を持ちかける。


 

「あぁ? どういうことだ」



「どでかいお宝が眠ってるかもしれねえって事だ。お前ら天然物の転血石がどうして出来るかは判るか?」 



 他の奴に聞かれると困るとばかりに店主は周囲をきょろきょろと見て、聞き耳を立てている者がいないかを確認してから、少し声を潜めて尋ねる。



「モンスターの血液中の魔力濃度が高くなって徐々に凝縮結晶化していく……でしたっけ」



 別に後ろめたいことは無いが店主に釣られルディアもつい小声で返す。

 迷宮モンスターは大小の差はあれどどれもがその血液、体液に魔力を宿す。普段は血液中に溶け込んでいる魔力だが、魔力濃度が高くなると砂粒のように固体化する性質を持つ。

 それら血液中の粒子は通常なら、濃度が低下すればまた血に溶けるのだが、中には結晶化して安定する粒子もある。

 その結晶化した粒子が徐々に集まり目に見える大きさになった物が転血石と呼ばれている。

 昨今の主流である人工転血石もこの性質を利用し、大量の単一種迷宮モンスターの血を集め濃縮することで、人工的に高濃度状態へと変化させ、さらに術を用いて強制的に結晶化させることで大量に作り出している。



「正解だ。体内魔力濃度ってのはいろいろな要因で変わる。周囲の環境や状況、そして餌だ。一番手っ取り早いのは食いもんだ。高魔力を持つ肉やら植物を喰らえば、モンスター共の魔力濃度が急激に上がる。限界点を超えた魔力が飽和状態になると結晶化して転血石になる……でだ、この転血石の含有魔力を鑑定してみた結果だが、こいつら龍を食ってやがる」 



 龍。

 それは迷宮に住まう生命体、もっといってしまえばこの世の生物の頂点で君臨する種族。

 小島ほどの巨体に、街を消し飛ばすほどの獄炎を吐き、天候すら変える強大な魔力を有し、巨人の攻撃すらもその鱗で易々とはじき返す。

 数少ない上級探索者でもさらに一握りの者しか抗えない暴君。それが龍だ。



「この数の転血石が一斉に発生するなんぞまずあり得ない。しかも龍由来だ。普通に考えればお前らが狩りした近くに龍の死骸があるって事だろ。血、肉が残ってれば最高だが、骨だけでも一財産に……どうしたお前ら妙な顔して」



 龍の血や肉は薬や魔術触媒の材料として最高級品になり、骨も武具や魔具としてどれだけ高値でも引き取り手が数多な素材。

龍を倒してその血肉を手に入れるのは無理難題だが、その死骸が手に入るかもしれない美味しい儲け話だというのに、ルディア達二人の反応が妙に薄いというか微妙な表情をしている事に店主は気づく。



「あー。おっちゃん興奮してる所悪い。言ってなかったが、その転血石、リトラセを移動中に砂漠で適当に引き連れてきた獲物から出てきた。場所も日時も出てきた生物もばらばらだ。どこかなんて特定なんて無理だぞ。なぁルディア」



「え、えぇ。なんかその子は特別な方法があるとか言ってて、実際に適当に狩った獲物の大半からぽろぽろ出てました……嘘みたいですけど本当です」



「ぼろぼろっておい。いくらなんでもそんなこ…………」



 二人が儲け話を隠そうとごまかしているかと疑いかけた店主だが、答えたルディアの乾いた笑いに嘘はついていないと感じ、一度落ち着く為に煙草を一吸いして煙を吐く。

 この転血石が龍由来である事は間違いない。しかし狩った日時も場所もばらばら。

 龍という災厄そのものに関した奇妙な品。

 何となく掌の石に不気味な物を感じた店主は、



「しかしそうするとこりゃどういう事だ。特別な方法って龍の血でも撒き餌に使いましたとかか? 龍の生血なんぞ使ったら、そっちの方がこの石より高く……なっち……まう……」



「あの子なら」


「ケイスなら」



「「やりかねない」」


 

 店主の下手な冗談に対して二人が呆れと諦め混じりの表情で同じ言葉を発し、うっすらと寒い悪寒を余計に感じる羽目になった。
















 砂船トラクの船倉から続々と降ろされる荷箱。

 ファンリアキャラバンの商人達はカンナビスで納品する品と、この先の道すがらで売りさばいていく商品と箱書きを確認し仕分けながら、借り受けた馬車に積み替えていく。

 当初の予定ではカンナビスで五日ほど宿泊し、その間にカンナビスでの商取引やこの先の水、食料の仕入れに当てる事になっていたが、いろいろとトラブルはあった物の結果的に旅程が二日ほど縮まっていたのは幸運だったといえるだろうか。

 割高になる街での宿泊代を考えるならば、予定が早まった分、出立も繰り上げれば良いのだろうが、そうもいかない事情がある。

 現在の護衛役であるボイド達は、リトラセ砂漠周辺を拠点とする護衛ギルド所属でカンナビスまでの契約。

 ここから先は大陸中央山脈地帯を専門とする別の護衛ギルドの探索者達と交代する手はずになっているが、その彼らは別キャラバンの護衛として大陸中央からカンナビスへと向かっている途中。

 結局当初の予定通りの日付でカンナビスを出立する計画となっていた。


 

「ラクト! そっちの荷物、次に降ろすぞ。隣の小さいのが邪魔かもしれねぇが、皮防具用の補助プレート類が入っていて見た目より重いから二人がかりで」



 積み下ろしをする商人達の中には無論マークス親子の姿もある。

 武器屋である彼らが扱う商品はこの炎天下でも劣化や腐る心配などは無いが、長柄武具などのかさばったり、金属鎧のような重量がある物も多く一苦労だ。



「問題ねぇよ親父。このくらいなら一人で持てるから。先に降ろすぞ」



 父親からの忠告に対して、ラクトは補強用金属プレートがぎっしりと詰まった小箱を軽々と持ち上げて答えてみせる。

 大人二人がかりでも相当苦労する重さがあるはずなのに、ラクトは涼しげな顔だ。



「それ中身が違ったか? 何が入ってるんだ」



「補助プレートであってる……闘気使った身体強化っての使ってるから持ち上げられてるだけだっての」



 疑問符を浮かべる父親に対して、ラクトは何故か渋面を浮かべ不機嫌そうに答える。



「あぁ、それか。気持ちは判らなくもないが……まぁ役に立ってるんだから少しはケイスに感謝しろよ」



「わーってるよ! それよか親父くっちゃべってないでとっとと降ろすぞ。この後ルディア姉ちゃんらと合流しなきゃならねぇんだからよ」



 より不機嫌になって荒々しく会話を打ち切って荷物を移し始めた息子に対して、マークスは額の汗を拭いながらどうしたものかと頬をかく。

 今現在遣っている闘気変換法はケイス直伝。

 極々少量の生命力を必要最小限で闘気変換し、長時間の肉体強化を行うコツと一緒に教わった物だ。

 普通なら便利な技術をこんな短期間で教わったのだから感謝するような事だろうが、何せその相手はケイス。

 しかもその教え方は、ラクトが躱せるくらいのスピードで剣で切りつけるから、躱し続けろ。

 死ぬ気で避けてればそのうち嫌でも覚えると。

 文字通り身体に叩き込む、実に物騒なことこの上ない練習方法だった。

 ケイス曰く『実戦形式が一番身につく』との事だが、そこらのモンスターすらも震え上がらせる事が出来る美少女風化け物に抜き身の刃で追いかけ回された恐怖は、ラクトが連日悪夢としてうなされるほどのトラウマとなっていた。 

 そこまで苦手意識を持ってしまったのだから、決闘なんぞしなければ良いんじゃないかというのがマークスの正直な気持ちだ。

 元々は極めて判りづらいケイスの物言いが原因の誤解なのだから、その誤解が解けた以上、無理してやる必要はないんじゃないかというのが、マークスも含めた周囲の考えだが、しかし当の両人は違う。

 何を考えているのか常人には理解不能なケイスは仕方ないにしても、ラクトが意地になっているのが少し気に掛かる。

 小生意気という言葉が裸足で逃げ出すほど、傲慢かつ傲岸不遜を地でいく年下の少女に、あの世代の男子が反感を覚えるのは仕方ないのかもしれないが、それにしても少しばかり度が過ぎているような気もしないでもない。

 まるでアレはケイスの存在そのものが許せな……


 

「だからサボるなよ親父! 年で動けないなら横に行ってろよ邪魔だから!」



「んだとこのガキ! 誰が年だ! 誰が!」



 ケイスに対する息子の態度に少しばかり違和感を感じていたマークスだが、その考えが正解にたどり着く遙か前に、思考の中断を余儀なくされていた。














秘匿されるべきケイスの存在が竜獣翁コオウゼルグに露呈する前に、ケイスを抱え脱兎のごとく逃げ出したスオリーは、カンナビス最上部の市政庁施設が立ち並びもっとも治安の良いベント街区へと退避していた。

 空腹を訴えるケイスを連れて行くならば、ここまで上がらずとも飲食店が建ち並ぶ地区や通りがいくらでもあるのだが、そういった人通りの多い所は、下の港ほどではないがスリやかっぱらいなども時折出没する。

 先ほどスオリーも実際に目の当たりにしたが、ケイスはその様な輩を見かけた場合、なんの躊躇もためらいもなく実力行使に出る。

 その過激な思考と戦闘能力から考えれば、その程度の軽犯罪ですら、自分が気に食わなければ人死を出しかねない。

 これ以上の騒ぎを避けたいスオリーとしては、治安の良いベント街区を選ぶのは必然といえた。

 ただそれでもスオリーの不安は消えない。

 ありとあらゆるトラブルを引きつけ、引き起こし、その全てを力ずくで叩き切り、ねじ伏せる。

 


「ケイスさん。お願いだからここ動かないで。ちょろちょろすると”危ないから”……・そこのお店ですぐお菓子でも買ってくるから。絶対に動かないでね」



 ケイスの旅路を報告書で知るからこそ、ケイスに関しては何が起きても不思議ではないので、そこから動かないでくれと何度も念を押す。 



「ん。心配するな。お腹が空いているから、あまり動く気は無いぞ」



 だが当の本人はそんなスオリーの心配など気づく様子もなく、鷹揚に頷くと建物の壁に背を預け、通りを行き交う人々を眺め始めた。

 きょろきょろと周りを見るこの姿だけを見ればどこかの田舎から出てきた純朴な少女といった感じだが、その中身を知るスオリーは気が気ではない。

何せ相手は、己のルールで生きる野生の猛獣のような存在だ。



「ふむ。心配してくれるのはありがたいが大丈夫だぞ。私に危害を加えようとする輩がいれば、ちゃんと斬るから心配するな」



「す、すぐ買ってきますから大人しくしててください」



 冗談なのか、それとも本気なのか。

 どちらともいえない真面目な顔つきで頷くケイスの物騒な言動に、スオリーは満腹時なら少しは大らかで大人しくなるという情報を思い出し、慌て気味に贈答用の菓子を売っている店内へと走っていった。










「良い人だな。しかし心配性が過ぎるな。私をどうこうできる者などそうはいな……くもないな。うー」



 お腹を空かせている自分の為に急いで買いに行ってくれたのだろう。

 ずいぶんと身勝手な想像をしながらケイスは頷きかけた所で、カンナビスについてから目に止めた人々を思い出して、少しだけ不機嫌な表情になる。

 その幼少時から大半を迷宮龍冠で過ごしたケイスにとって、周囲がいきなり敵地に変わるなど日常茶飯事。

 常に周囲の生物を見定め、どうすれば勝てるかという警戒が意識の片隅に常駐している。

 その勘に従えば、カンナビスにはケイスよりも純粋な実力で上回る探索者は、ここまでの道すがら見ただけでもごろごろといた。

 安全な街中で警戒が薄れているのか、不意を突けば勝てるか、五分と五分の勝負に持ち込める者も多いが、逆立ちしても勝てそうにない実力者もすでに数十人はいただろうか。

 特に展望台で出会った竜人らしき老人は別格。

 何者かは知らないが、よほど名のある探索者だろう…… 



「ふむ。菓子をねだるより、手合わせを求めて斬りかかるべきだったか? ……そういえば今日はまだ何も斬っていないな」



 他人が聞いたら正気を疑いたくなる独り言をつぶやいたケイスは、お腹が空いていると鍛錬より食欲を優先してしまう自分の行動を反省しつつも、今朝起きてからは到着直前だった為に食堂の仕込み手伝いもなく、モンスター狩りもしていない事を思い出す。

 急に物足りなさを感じたケイスは、眉間に皺を寄せる。

 


「むぅ……・先ほどは急いでいたから投げたが、斬った方が良かったか?」



 先ほどのスリに対して横着してナイフを投げないで、斬っておけば良かったかと悩む。投擲術は嫌いではないが、やはり手応えというか斬りごたえという点では物足らない。

 しかし例え犯罪者でも、街中で人を斬ると、警備兵やらがいろいろ五月蠅いという事は最近は学習したし、あの程度の相手ならば無力化するだけならあれで十分なのも確か。

 面白い物が多くて美味しいご飯が多い街中は好きだが、街事に微妙に違ういろいろな規則が少し煩わしい。

 モンスターのように戦闘欲と食欲を両方を満たせる存在が跳梁跋扈している外は気楽で良いが、甘い物がなく、気軽に温かい風呂にも入れない。



「……くんな! あーいい加減しつこい!」



「だ…阿呆! お前が……逃げてかっらだ! 体力ねぇ時に走らせんな!」


 

 一長一短な状況に何か良い手は無い物かと考えていたケイスだが、その鋭すぎる聴覚がなにやら言い合う声を捉え、そちらへと目を向けた。

 ケイスがそちらへと目をやるとなにやらすごい勢いで駈けてくる一組の男女の姿が見えた。

 前を走るのは栗色のショートカットでぱりっとした作業衣を纏いモノクルを付けたどこかの技術者風の二十代前半くらいの若い女性だ。

 その女性を追いかけているのは、何時洗ったのか判らない薄汚れた白衣を着込んだやけに痩せこけた頬と、ぎらぎらとした目つきが特徴的なぼさぼさ髪の男だ。

 男は女性に何とか追いつこうとしているようだが、ふだんから運動不足なのか息は絶え絶えで足元もふらついていた。



「助けて変質者に追われてます!!!」



「人聞きわるいこというな! 良いからこれ見ろ! 絶対無理だっつってんだろ!」



「あー! あー! きこえないっ! きこえないっ!!!!」



 男は右手に鷲づかみにした紙束を女性に読ませようとしているようだが、女性の方は心底嫌がっているのか、両耳を押さえながら大声を出して男性の呼びかけを拒否していた。

 なにやら訳ありの二人に関わり合いになりたくないのか、通りを行き交う人々は迷惑顔を浮かべながら避けている。


 

「ストーカーという輩か。どこの大陸でも変わらんな」



 女性を追いかける男の姿に、お気に入りの小間使いに強引に言い寄っていた騎士を思い出しケイスは気分を悪くする。 

  嫌な記憶を思い出させた男が気に食わないし、斬ってしまおうかと考えたケイスは懐に左手を入れたが、



『世の中には女性にしつこく言い寄る殿方も多いですが、恋心が拗れただけで悪気はないんです。だから今度からは”斬ったり”、”ばらばらにしたり”、”踏み砕いたり”……とにかく殺そうとしないでください。もし同じ場面に出会ったらすぐに私か、他の誰でも良いから呼んでください』



 涙目で説教をしてきた従姉妹でもある侍女の顔を思い出し、左手を無手のまま引き抜く。

 何故怒られたのか今でも理解できない。

 しかも助けてやったはずの小間使いがケイスを見るとがたがたと震え錯乱するようになり、いつの間にかいなくなってしまっていたのは、ケイスにとっては嫌な記憶だ。

 しかし嫌な記憶を思いだしたからといっても、自分が気に食わないことを見過ごすのはケイスの流儀でない。 

 ケイスの目の前をバタバタと女性が大声で叫きながら通り過ぎる。

 続いてその後を追いかけていた男が目の前に来た瞬間、ケイスはゆらりと左手を突き出した。
















「ん……ふむ。美味しいなメープル味か……ん。これ好きだぞ。スオリー礼を言うぞ。ありがとうだ」



 怪我をした右手で胸に抱えるようにした袋から、左手で取り出した熱々の焼き菓子に満面の笑顔でかぶりついたケイスは一口ほおばって嚥下すると、目をキラキラと輝かせ、焼き菓子を奢ってくれたスオリーに深々と頭を下げる。

 幼いながらに人目を引く美貌に無邪気な笑顔。

 今のケイスの姿はまるで絵画の中から抜け出してきた無垢な天使のように見えるだろう。



「おいこらガキ…………人を踏んどいて食事とは良い身分だな」



 ……その足元に腹を踏まれ身動き一つ出来ない男がどこか達観した表情で転がっていなければだが。



「え、えぇそれは良いんだけど……ケイスさん……その足元の人って」



 引き気味の表情でスオリーは尋ねる。

 腹を空かせたケイスに与える為に、焼き菓子を買う為に目を離したのはほんの1分ほど。

 たったそれだけの時間なのに店から出て戻ってくると、すでにトラブルを引き起こした後だった。

 何が起きて、何故こうなったのか理解不能な状況にスオリーは頭がくらくらしてくる。

 遠巻きで見ている見物人達がなにやらひそひそ言い合い、矢鱈と注目を集めてしまっているが、ケイスは平然としている。



「嫌がる女性に付きまとっていたから留めただけだ……ん。こっちはハニークリーム味か。ん。美味しいなこっちも」



 虫が邪魔だから追い払ったというような軽い感じで答えたケイスは、じと目を浮かべる男や周囲の視線を全く気にもせず二つ目に取りかかる。

 その様にスオリーは報告書に書かれていた、この”特異存在”の特徴をまじまじと思い出させられる。


 ”見た目は人だが、その中身は龍である” 


 この少女にあるのは己のルールのみ。自分が気に入れば護り、気に食わなければ殺す。世界の頂点に君臨する傲慢にして暴虐な龍そのもの気質を持つ人間だと。


 

「付きまとってなんぞねぇよ。あいつはただの元同僚だ……くそ。腹が減ってなければこんなガキに。おいガキ。俺を踏んだのは許してやるから、それ一つよこせ」



 闘気を使った捕縛術でケイスは押さえ込んでいるのだが、男の方は空腹で力が入らなくて幼い少女に押さえ込まれたと思い込んでいるようだ。 



「ん。腹を空かしているのか……菓子はやっても良いぞ。ただし先ほどの女を追いかけるのを止めると約束すればだ。元同僚だか知らんがお前に追いかけ回されて嫌がっていたぞ。右手の紙束は恋文か?」



「付きまといじゃねぇよ。人が親切心で忠告してやろうとしてるのに逃げるあいつが悪いんだよ。しかも俺の研究レポートをラブレターなんぞ低能な物を呼ばわりすんなや」



 10代前半の令嬢然とした美少女が30代くらいの怪しげな研究者ぽい男を真っ昼間の路上で踏みつけている。

 これ以上は滅多に無いというほどに意味不明な状況だというのに、当の両人は何故かその体勢のまま平然と会話を交わし始めていた。



「レポートだと? 見せてみろ。嘘だったら殺す……のは駄目だったな……ん。肋を一本ずつ折って内蔵に刺していくからな。温厚な私に感謝しろよ」



「そっちの方が怖ぇじゃねぇか……はぁっ。ったく! 別に読んでも良いが、先に言っておくが素人にゃ理解不能な内容だからな。魔術式の解析レポートだ。意味が判らないからって暴れるなよ。それよか、読ませる代わりにその菓子一つよこせ。こっちは腹が減って死にそうなんだよ」



 脅しでも冗談でもなく本気で言っているケイスに対して、男の方は好きにしろとばかりに右手に持っていた紙束をほれと投げ渡し、代わりに焼き菓子を要求する。


 

「スオリー、残りをこの男にくれてやれ」



 少し名残惜しそうに右腕で抱え込んでいた紙袋を見ていたケイスだったが、左手で紙束を受け取ってしまった以上は仕方ないと頷くと、呆然としていたスオリーに紙袋を口でくわえ投げ渡すと、ぱらぱらと紙束を捲りながら流し読みを始めていた。

 この菓子を買い与えたのはスオリーなのだが、どうやらケイスの中ではすでに全て自分の物で、どうしようとも自分の自由という意識のようだ。

 それどころか、先ほど出会ったばかりだというのに、なんの迷いも無くスオリーを下僕のように扱い始める。

 血筋故かそれとも気質故か。

 傍若無人に振る舞い続けるケイスの様に、その出自を知るスオリーはそう思わずにはいられないでいた。



「……あ、あのすみません。私の連れがとんだご無礼を」



 とりあえずしゃがみ込んで男を見たスオリーは自分が謝るべきなのかどうか今ひとつ不明だが、とりあえず謝ってみようとするが、



「挨拶なんぞいらねぇから、早くくれ」 

   


 しかし男の方もケイスに負けず劣らず変わっているのか、どうでも良さそうに言い切ると、目の間に差し出された紙袋に手を突っ込んで焼き菓子を取り出して、むしゃむしゃと食べ始めた。



「貴様もう少し味わって食え。もったい無いだろ」



 レポートを捲りながらケイスは不満げに、未だ踏み続けている男に注意をする。

 どうやら相当菓子に未練があるようで、その目は恨みがましい。 



「あぁ腹に入りゃ一緒だ一緒。おいガキあと飲むもんもよこせ。甘ったるくてかなわねぇ。砂糖ミルク無しの濃縮コーヒーだ」



「我が儘な奴だな。飲み物は待っていろ。もうすぐ読み終わる」



「眺めてるだけで意味なんぞわからねぇだろ」



「馬鹿にするな。多少理解できない部分もあるがこれは仮想生命体の術式だな。ゴーレムの起動式などに使う物だな……ん。しかしこれの基盤はどれも見た事がないな」



 ガキになんぞ判って溜まるかと言わんばかりの男に、ケイスはむっと眉を顰めると僅かに足に込めた力を強める。



「ぐぇっ! ガキ!! 腹を踏む力を強めるな。せっかくの食料吐き戻すだろうが」



「ふん。私は馬鹿にされるのが嫌いなんだ……しかしこの基盤の複雑さ……ひょっとしてカンナビスゴーレムの起動制御式か?」



 ケイスの足元でつまらなそうにしていた男の表情が一変し真剣味を帯びた。

 変貌した表情はケイスの予想が正解だと告げている。 



「……なんでそう思った」



  二人の会話を頭痛を覚えつつも横で聞いていたスオリーは、ケイスの口から出た言葉に驚きが表情に出そうになりつつも何とか押さえ込む。

 かつて龍により生み出され猛威を振るったカンナビスゴーレムの操作術式が一部とはいえ解析された。

 この界隈を最近湧かせていた話題であり、ケイスの事がなければスオリーが最優先事項として調べなければならない情報だった。 



「勘だ…………それよりも、どうやらこれは本当に研究レポートだな。私の勘違いのようだ。すまんな。謝罪する。許せ」



 だがケイスは男の問いに対して珍しく言葉を濁して答え、話は終わりだとばかりに男の身体から足をどけ、左手で男の身体を無理矢理引き上げた。



「せっかくあいつを説得する良い機会だったってのに邪魔しやがって。あやまりゃすむ問題じゃねぇぞ………・…って言いたい所だが、飯を奢れ。それでチャラにしてやる。これっぽっちじゃ足りねぇよ」



 服についた汚れを手で無造作に払った男は、中途半端に食べた所為で余計に腹が減ったのか、ケイスに対して謝罪を受け入れる条件を提示する。

 大の大人が少女に飯をたかるという、どう考えても体面の悪い事柄だというのに男の方には恥じ入る様子はまるでない



「ん………………………すまん。スオリー。持ち合わせがない。あとで返すからこの男にも食事を奢ってやってくれ」 



 渋面を浮かべてしばし考えたケイスは自分の不利を悟ったのか、スオリーに頭を下げて頼み込んできた。



「え、えと構いませんけど。とりあえず場所を変えませんか? さすがに恥ずかしくなってきたので」



 周囲の奇異の視線はますます増えるばかり。このままでは表の職業にすら影響が出かねない。

 場所替えを提案したスオリーに対してケイスは鷹揚に頷き、



「おし。ただ飯ゲット。ここ4,5日は水と塩しか食ってなかったから助かった」 



「それは食事ではないだろう……そういえばまだ名乗ってもいなかったな。私は旅の剣士のケイスだ。家名は故あって名乗れん。許せ。こっちはスオリーだ。この街の管理協会の職員だ」



 男の貧相な食事にさすがのケイスも若干あきれ顔を浮かべていたが、気を取り直すとピンと背を伸ばして男に対して堂々と自らの名を名乗り、何故かスオリーの分まで紹介を済ませた。



「家名ってお前……どっかの貴族の子弟か? 面倒なのに関わっちまったか……しかし今食わないと来週まで生きてられるか……わからねぇしな……ウォーギン・ザナドール。現在絶賛無職な天才魔導技師だ」



 ケイスの名乗りに面倒そうな顔を浮かべた男は無精髭の生えた顎をしばしさすりながら考え込み、それでもただ飯の誘惑が勝ったのか、皮肉気な表情で自らの名と職業を告げた。  

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