表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
永宮未完 挑戦者編  作者: タカセ
剣士と決闘
23/119

剣士と受付嬢

「ふむ……すごいな。大陸中央と南部を分ける巨大山脈か。まるで岩の壁だな。辺りに散らばっているのが、かつての大戦時のゴーレムのなれの果てか」



 数週間ぶりの太陽の下、目的地であるカンナビス陸上港を目指して、船体の数倍はある周囲の大岩を避けながら砂船トライセルは進む。 

 大小様々な砂船が集まる賑やかな港の喧噪はすでに聞こえてきているが、乱立する岩を避けて通る低速進行なので、もうしばらく接岸までは時間はかかるだろうか。

 船倉ではファンリア商隊の者達が荷下ろしの準備で大わらわだが、好奇心旺盛なケイスがいると作業の邪魔になりそうなので外に追い出された形だ。

 一応のお目付役としてルディアもついているが、当の本人は目をきらきらと輝かせながら周囲を見て楽しげな表情を覗かせていた。

 ケイスの目に映るのは、雲海まで届きそうなほどに遙か高みまでのびた断崖絶壁と、その前方に広がる砂地に転がる無数の岩だ。

 この地はその昔龍種によって仮初めの命を与えられ絶対防衛兵器として君臨していた山脈ゴーレム群を操っていた魔法陣『カンナビス』の中枢地点である。

 かつて存在した積層型魔法陣が山脈に命を与え、大陸中央部への人種連合軍の進行を阻止し、攻めいった無数の戦士達を駆逐していたと伝えられる。

 攻略手段として中枢である魔法陣の破壊は優先事項とされていたが、その前方に広がる砂幕に覆われ上級モンスターが跋扈するリトラセ砂漠によって大軍を動員する事が出来ず、少数精鋭の特攻隊も、手ぐすね引いて待ち受けていた強力な自己修復能力を持つゴーレムによって幾たびも敗退を余儀なくされ、大陸奪還を目指す戦いは山脈を境として十年近くの停滞したという。



「巨大ゴーレムの残骸がそこらにごろごろって。どんだけ化け物よ。上級探索者ってのは」



 ケイスの横に立って同じように周囲を見渡したルディアはほとほとあきれ顔を見せる。


 よく見れば岩山一つ一つが、腕だったり顔の一部だったりと何かしらのパーツ形状をしている。

 その無数に散らばる形状から推測できる元の大きさは想像するのも馬鹿らしくなるほどだ。

 しかも、それが林のように乱立する所から見て、数十体分、あるいはもっと多くのゴーレム達が闊歩していたのかもしれない。



「ここらのは上級探索者でも別格だ。何せ勇者フォールセンとその御一行が激戦を繰り広げたらしいからな。ほれアレなんぞ。剣の一撃で脳天から真っ二つだとよ」



 その後ろに立っていたボイドが、見張りで凝り固まっていた首をならしながら、真っ二つに別れた顔面岩を指し示す。

 その岩は鏡面のようになめらかなを断面を覗かせている。 

 リトラセ砂漠を強行突破し、数多のゴーレムを葬り、ついにこの地にたどり着き魔法陣を破壊したのは『英雄』と呼ばれたパーティだ。

 そのパーティを率いたリーダーは、解放戦線の前線を駆け抜けた勇者と呼ばれし『双剣』フォールセン・シュバイツアー。

 元ルクセライゼン皇位継承者候補であったフォールセンは、その生まれ故に持つ類い希なる膨大な魔力と共に、世界最強とも謳われた剣の使い手としても知られた探索者であった。



「うむ。すごいな。頑張ればあのくらいならいけるがあの大きさはまだ無理だ。もっと精進せねばならないな」



 フォールセンの逸話になぜか我が事のように嬉しそうに頷いたケイスは、その顔面岩から飛び散った小振りの岩を見て、うずうずとしている。

 今すぐにでも腕試し代わりに斬りにいきたくて仕方が無いという所だろうか。

 しかしケイスが見つめている岩も隣の大岩と比べれば遙かに小さいと言っても、小屋ほどの大きさはある。

 努力すればあんな大岩が斬れるのかやら、現状であっちの岩を斬れるのかと様々な突っ込み所がルディアの心に浮かぶが、



「で、もうじき到着するけど。どうするのよあんた」



 ここ数週間で覚えたスルーするという、ケイスへの基本対処方法を選択する。

 大陸を斬るやら、天に瞬く星を斬るとかならともかく、今更この化け物娘の”この”程度の発言に驚いていては精神的に持たない。

 おそらく出来るのだろうし、そのうちやるのだろう。

 実態を知っているので今の発言に納得もしている。

 だがどうしても拭いきれない違和感を覚えてしまうのは、中身とはかけ離れた目の前の深窓の美少女然とした少女の発言というあたりだろうか。



「とりあえずお医者さんにいってちゃんと手を見て貰わないといけないでしょ……治れば良いんだけど」



 ケイスの右手をちゃんとした医者に見せる必要があるとルディアは考えていた。

 本人の証言によればヒビが入っていたところに、何を考えているのか剣頭を思いっきり叩き込んで自ら砕いたとの事。

 ルディアが触診してみたところでも、その見立ては変わらず、中指の一部に至っては原型が止めないほどに粉砕しているようだった。

 はっきり言ってここまでの怪我となると自然治癒力を高める魔力系の施術ではなく、それこそ肉体を元の状態に復活させる神術の領域。

 しかし、肉体再生となると高度の術者と触媒として『一角獣の粉』等、高額な触媒が必要となる。

 ケイスがここしばらく集めていた魔具購入代もそこそこの金額がするが、再生施術費用として考えたのならば桁が後4つは足りないだろう。



「ん。問題無いだろう。魔具の購入やら決闘場所の手配など他にやる事が多いからな。時間があったら怪我を治しに行ってくる。でも放っておいてもルディの薬が良いからそのうち治るぞ」



 下手すれば一生治す事も出来ない怪我を心配するルディアに対して、当の本人であるケイスは軽く答える。

 自分の怪我の状態を把握していないのか、軽く見ているのか。

 それとも何とも謎の多いケイスの事。何とかなる方法でも持っているのでは無いだろうか。 

 自分が心配することも無いのかもしれないと思いつつも、生まれついての面倒見の良さから、ルディアは忠告を続ける。



「だからあたしの薬は痛み止めと化膿止め程度。まずちゃんとお医者さんに見せなさいよ。それにあんたが不調だと、ラクト君に失礼でしょ。あんたが調子が悪いから勝てたって事になるわよ」


 

 恐ろしく頑固というか、自己中心的というか、我が道を行くというべきか。

 兎にも角にも自分の感覚に沿った言葉でなければ、ケイスは自分の意思をそう易々と曲げはしない。

 だからルディアはケイスが好みそうな言い回しで、再度促してみる。 



「ふむ…………ルディの言う事も一理あるな。子グマの準備を優先しようと思っていたが、決闘であるなら私の方もそれ相応の準備をするのが礼儀か。うん。ルディありがとうだ。礼を失するところだった」



 ルディアの言葉にしばし眉を寄せて考えてからケイスは嬉しそうに笑いながらルディアに礼を述べ頭を下げた。

 内容は一切無視するならば、その純粋無垢な笑顔は同性であり年上であるルディアすらも、つい見惚れそうになるほど可愛らしい表情だ。 

 


「あんたは本当に……傍若無人なのか礼儀正しいのかはっきりしなさいよ」


 

 あっさりと承諾したケイスについつい拍子抜けしつつルディアはため息を吐く。

 判りにくい複雑怪奇な思考を持つケイスに対して、ある程度慣れてきたのが、良い事なのか悪い事なのか何とも判断しづらい。 



「むぅ。失礼だな。私は常に礼儀正しく振る舞うように心がけているぞ……私は怪我を治してくる。ではルディ街に着いたら、換金や魔具購入は頼んだぞ」



 眉を顰めたケイスだったがすぐに気を取り直したのか一つ頷いてから、腰に下げていた転血石が入った袋をルディアに投げ渡す。



「あんたそんな大金を他人に気軽にあずけ…………判ったわよやっとく」



 無造作というか無頓着というか、それとも信頼の証なのだろうか。

 一財産になる物を軽く預け渡してくるケイスに、ルディアは苦言を呈そうとするが、言っても無駄と思い諦め頷く。



「あとボイド。ヴィオンの姉が管理協会で働いているそうだな。管理協会が管理する鍛錬場を決闘場として借りられるように頼んでおいてくれ。魔具を使った戦闘となると、周囲に迷惑を及ぼさないちゃんとした場所の方がいいからな」



「あぁそりゃかまわねぇぜ。どうせすぐ後で会うはずだから頼んどいてやるよ」



「うん。ありがとだ……よし二人とも後は任せた。ではいってくる」



 ケイスはボイドに対して頭を下げた後、何故かマントのフードを被り口元の砂よけをあげると、その次の瞬間にはなんの躊躇も無く舳先から外に向かっていきなり飛び降りていた。



「「えっ!?」」



 いきなりの予想外の行動は何時ものこととはいえ毎回驚かされる。

 ルディア達は止める間もなく唖然としていると、大きく迂回しているトライセルを尻目に、圧倒的な速度で直線的に港へと向かっていくケイスの姿がすぐにその眼下に映った。

 走った先からまるで爆発するように砂が派手に吹き飛んでいるのは、闘気を用いた歩法による物だが、目立つことこの上ない。

 船から飛び降りてすさまじい砂煙を上げながら獣のような速度で駈けるケイスの姿を見たのか、周囲にいた小型砂船の船員らが指さしあげるざわめきが聞こえてくる。



「あいつますます早くなったな……それにしても病院の場所とか判ってるのか? っていうか金を持ってるのか」



「…………………はぁ」



 思いたったら即行動。

 多少はケイスの行動に慣れて来たと自分で思っていたが、それが大いなる幻想だと思い知らされたルディアは、ほほを掻いているボイドの問いかけに返事を返さずまた一つ大きなため息をはき出した。 










 カンナビスはその構造上、上層の街区と下層にある港湾区に分けられる。

 その間を行き来するには、大昔に掘られた長い石階段をジグザグと登っていくのが長年の常だったが、昨今の転血炉の普及に伴い、壁沿いに馬車毎乗り込める魔力式大型ゴンドラが複数設置され、利便性が格段によくなっている。

 眼下に広がる巨石の林と大規模な港湾部を見下ろすゴンドラからの光景は圧巻の一言で、最近では観光用として価値も見いだされていた。

 そんな上層から降りてきたゴンドラの一つに、乗客に混じりスオリー・セントスの姿があった。

 魔力生成に長けた魔族であり飛行能力を持つ彼女の場合、自前の翼を使った飛行魔術で上り下りも出来るのだが、ゆったりと降っていくこのノンビリとした感じが好きだったので、下に行くときはもっぱらゴンドラを利用していた。

 下に着いたゴンドラから下りて待合広場へと出たスオリーは、そろそろトライセルが到着するであろう港に足早に向かおうとしたが、



「おう。スオリーちゃんか。どうした下まで来るなんて珍しいな。協会の仕事かい?」



「トーファさん達でしたか。こんにちは」



 声の主はスオリーにはなじみの探索者の一団だ。

 足を止めるとぺこりと頭を下げる。

 表の職業として探索者協会の受付嬢を勤めているスオリーは、その丁寧で迅速な応対から探索者達から好評価を受けている。

 裏の仕事での情報収集にも役立つ事は多いので、現役探索者と顔を広く繋いでおける受付嬢はスオリーにとって重要な仕事だ。



「今日は私事で弟たちの出迎えに。そちらは今お戻りですか」



 砂に汚れたその装備品から見るに、つい今し方、砂漠から戻ってきたばかりという所だろうか。



「始まりの宮後の初潜りだ。リトラセは広範囲でかなり内部が変動していたから、地図屋の俺らはしばらくは忙しくなりそうだ。砂幕内部に新規出現した地区も調べなきゃならんし人手が足りねぇよ」



 生きている迷宮とも呼ばれる永宮未完は、年に二回。始まりの宮と呼ばれる新人探索者達が生まれる時期前後に、迷宮内部で大量発生する迷宮モンスターによって構造を大きく変化させる特性を持つ。

 がらりと姿形を変え新構造となったこの時期は、新しい宝物が発生し、希少種や新種のモンスターも存在し、探索者にとっては稼ぎ時であるが、同時に危険も伴う時期である。

 そんな時期に果敢に内部奥地へと進入してルートやモンスター分布を調べ、その情報を協会や他の探索者へと高値で売りさばく探索者達がいる。

 通称『地図屋』と呼ばれる彼らである。



「ミノトス管理協会カンナビス支部は年中無休24時間いつでも対応していますので、情報は新鮮なうちにいつでもどうぞ」

 


 大きく変動したことで情報価値は高いが、リトラセ砂漠迷宮群のその広さに愚痴をこぼす初老の探索者に、スオリーは営業スマイルを浮かべつつ決まり文句で返す。

 地図屋は彼ら一団だけでは無い。

 他にも複数のパーティが潜っている。

 だから探索を何時終了させ、情報をどの時期で売るかの判断が重要となってくる。

 危険度の低い低位迷宮で小まめに稼ぐか、危険度は跳ね上がるが一気に上位迷宮最深部まで突入して、未踏地域の高値で売れる情報を収集してくるか。

 これら地図屋同士の駆け引きが始まりの宮後に繰り広げられるのは、カンナビスのみならず大陸全土でこの時期毎度の風物詩だ。



「おうよ。夕刻には下級の概略マップを纏めて持っていくから良い値段で頼むよ……っとそうだ。話は変わるが特別区にサンドワームの新種が出たんだってな。そいつの情報ってもうでてるかい?」



「その件ですがうちの弟とボイド君達が乗る船が遭遇したそうです。セラちゃんが報告書を作ってあるそうなので、今夕には一次情報を公開する予定になっています。特別区で一般人への危険度も高いそうなので無償公開となります」



「あぁ、支部長のところのお嬢ちゃんか。あの世代がもういっぱしの探索者か。俺も年を……なんだ? やけに騒がしいな」



 自分の子供よりもさらに若い世代の探索者達が活躍し始めていることに、苦笑を浮かべかけたトーファーは、ざわついた喧噪に気づき音が聞こえてきた港方面に目を向ける。



「…………なさい! 待てといっているだろ! クソ。なんだあいつは! すまん。どいてくれ!」



 行き交う人々のがやがやとざわめく声と、雑踏が割れて大通りをこちらに向かって走りながら何者かを制止する声を上げる警備兵の姿が見えてきた。

 雑多な港湾部ではスリやかっぱらいがたまにあるので、また不審者でも出たのかと思ったのだが、通りにはその警備兵が追いかける人物の姿は見えない。



「……なんでしょう?」



 よく見てみると警備兵や群衆の視線は路上では無く、少し斜め上を見ている事にスオリー達は気づく。 

 その視線の先へと目をやったスオリーは警備兵達が追いかけていた人物に気づき目を丸くする。

 大通りに並ぶ商店の屋根を次々に跳び移って待合広場に向かっている小さな人影があった。

 何とも軽快な動きをするその人物はスオリー達の位置からは逆光でその姿はよく見られなかった。

 一体何が起きたのかよく判らないが、どうやら警備兵達が追いかけているのはこの人物のようだ。

 待合広場に面した商店の屋根まで跳んできたその人物は、最後に大きく跳躍するとひらりと身体をひねって自分を追いかけてきた警備兵達に向き合うように着地した。



「なんだ。さっきから。私は急いでいるんだ。どうかしたのか?」



 降り立った不審人物がフードを脱ぎ砂よけのガードを下げる。

 そこから出て来たのは長い黒髪を無造作に縛った一人の幼さの残る少女だった。

 人目を引く端整な顔立ちと透き通るような白い肌は、深窓の令嬢を思わせる幼いながらも気品と生まれの良さを醸し出す。

 その容姿と息切れ一つしていない様もあって、この少女が先ほどまで屋根を跳び移っていた人物とは信じがたいほどだ。



「……屋根伝いに跳んでたの君か?」



 追いついてきた警備兵達もあまりの違和感に、つい今し方まで追いかけていた少女に疑問系で問いただしていた。

 それはそうだろう。

 少し吊り気味な目や溌剌とした表情から強気で活発な印象を受けるが少女はそれほどに幼く見えるからだ。

 屋根を跳んでいく不審人物がいるからと通報を受けてきてみたのだが、まさか相手がこんな少女だとは夢にもおもわなかったのだろう。



「なにをいっているのだ? 私に決まってるだろ」



 周囲から向けられる奇異の視線を気にもしない少女は問いかけの意味が判らないと首をひねっていた。

 傲岸不遜な物言いには悪びれた様子は一切無い。

 


「あ…………まず一つ尋ねたいんだがお嬢さん。なんで屋根を跳んでいたんだ」



 どうにも調子の狂う相手にペースが乱されるのか、半ば呆然としたまま警備隊長らしき男が一番の疑問を尋ねると、



「ん。私は急用があって急いでいる。しかし通りは人が多いから走りにくいだろ。だから屋根を跳んだ」



「………………」



 さもそれが当然とばかりに胸を張って答える少女に二の句が継げぬ警備兵も絶句する。

 やり取りを見ていた周囲も少女が何を言っているのか判らず、考えあぐねているのか静まりかえる。

 道が混んでいるから屋根をいく。

 常識が有る無いとか以前にまず選択肢に上がってくるのが可笑しい回答だ。

  

 

「それだけか? では私はいく……そこ! 止まれ!」



 話は終わったとばかりにクルリと身を翻そうとした少女がなぜか不意に目つきを鋭くすると、鋭い声を上げながら腰に下げていた短剣を二本左手で抜き取る。



「つっ!? いきなりなにを!」



 つい先ほどまでの惚けた態度は演技だったのか。

街中でいきなり刃物をぬき放った少女に警戒心を思い出し我に返った警備兵達が慌てて剣を引き抜こうとするが、それよりも遙かに早く少女の左手からはナイフが群衆の一角に向かって放たれた。



「ぐっあ!?」



 少女の投げ放ったナイフは群衆をすり抜けると走り去ろうとしていた中年の男の両足に深々と突き刺さった。

 くぐもった悲鳴を上げる男の手からは不釣り合いな女性用の財布がぽとりと落ちる。

 どうやら周囲が少女に気を取られている間に、スリを働こうとしていたようだ。

その動きに気づいた少女が男に向かってナイフを投げたようだが、ナイフの軌道が少しでも逸れていれば別の人物に刺さっていただろう。

 だというのに大勢の群衆に向かって無造作に放ち平然としている少女の得体の知れなさに、先ほどとは違う不気味な静寂が訪れる。



「あぁっ! お、俺の足! 足が!」



 唯一響いているのが深く刺さったナイフにのたうち回る男の呻き声という辺りが、さらに不気味さを演出する。



「そこのご老体。その男が貴方の鞄から財布を抜き取っていたぞ。もう少し気をつけた方が良いな。では私は忙しいからいくぞ。貴様らは警備兵だろ。その不届き者を捉えておけ」


 

 男を一瞥してからやけに偉そうな口調で宣った少女は今度こそクルリと身を翻すと、壁に設置されたゴンドラに向かって駈けだしていく。

 しかしゴンドラは停止したままで、運転員も一連の流れに唖然とし固まっているので動くはずもない。しかし少女の速度は緩まない。

 ゴンドラの前で大きく跳躍したかと思うと、そのまま屋根へと飛び移り、さらには僅かな凹凸を足場にカモシカのような動きでほぼ垂直の壁を蹴り登っていく。

 あっという間に小さくなっていくその姿は確かに見えるのだが、白昼夢か集団幻覚でも見ていたのだろうかと思うほどに現実感が湧かない。



「隊長………今のはいったい?」



「……知るか」



 不審人物という言葉では語り尽くせないほどに奇っ怪な少女を広場にいた全員が見上げる中、大きな羽ばたき音が一つなった。















「ふむ。なかなかに登りやすいな。家に比べてずいぶんと高いがこれなら楽だ」



 岩肌の僅かなくぼみを次々に蹴りつけながらケイスは満足げに頷きながら、絶壁を駆け上がっていく。

 目線は常に上に。次の次の次の次。

 視覚にとらえられる範囲で最短にして最小の力で登れるルートを即断していく。

 日常の些細な行動でも常に考えて動き続けることで、着実に己が力を増していく鍛錬とする。   

 遙か高みを目指すケイスにとって、実家である龍冠の冬場の崖のように凍りついているわけでも無ければ、彷徨った迷宮龍冠のように踏んだ箇所から毒針が飛び出してくるでも無い。

 ただ高いだけならば恰好の練習場所以外の何物でもない。

 ここ数週間のリトラセ砂漠で身につけた、砂の上を疾走する為の闘気の微細な操り方もあって、目が眩むほどの落ちればひとたまりも無い高さでも安定した動きを見せている。

 萎縮する様子は無いケイスは、むしろこのロッククライミングを楽しんでいるようにすら見えるほどだ。

 


「むぅ。しかし今ひとつ物足りん。落石でも起こすか……いや。ダメか。下の人に迷惑だな」



 堅そうな岩肌だが闘気を込めてナイフを投げつければ軽い崩落位は起こせるだろう。

 落石を避けながらの方が鍛錬になるとは思うが、崖下にはゴンドラ施設やら商店が出来ていたはず。

 他人に迷惑をかけてはいけない教え込まれていたケイスは、残念に思いつつも断念する。

 他者から見れば傍若無人で無軌道なケイスだが、あまりの常識外思考と化け物である身体能力を危惧した保護者達に植え付けられたかなり幼稚ながらも良識と呼べる物も存在する。

 ただ問題は、判断基準が一般とかけ離れたうえに、その化け物じみた身体能力も相まって、結果行動は異物とも呼べる化け物となっていることだろう。

 石を落とせないなら、いっその事、足も使わないで上までいこうかと、さらなる鍛錬方法を考えていたケイスだったが、自らを追いかけてくる気配を感じる。

 警備兵に飛行魔術を使える者でもいたのかと思ったケイスは、前方の岩肌を一瞥して頭に叩き込んでから大きく跳び上がると、空中でクルリと身体を回し逆さまになった。

 遙か眼下に広がる港湾区を見下ろし頭から真っ逆さまに落ちていくような体勢だが、ケイスは左手を使って壁に掌打を打ち込み、逆さまのままでさらに壁を登っていく。

 逆さになった視界に大きな黒い翼を背中に羽ばたかせ飛んでくる魔族の女性の姿を捉える。

 空中で目が合った女性は凍りついたような驚愕の表情を浮かべていた。











 壁を駆け上がっていた少女が何者か察した瞬間、スオリーは背の翼へと魔力を通し空へと羽ばたいていた。

 一見は貴族の令嬢然とした美少女。

 しかしその中身は怪物。

 傲岸不遜で傲慢な物言い。

 常識離れした言動。

 人込みで無造作に剣を抜き、易々と操る才。

 間違いない。アレが彼女たちが探していた最重要ターゲット『ケイス』だ。

 崖を蹴り上がって登っていく常識外の行動をする人物が二人といるわけも無い。

 報告書では半信半疑だった情報そのままの少女に内心の驚愕を隠しつつ、スオリーはケイスを追いかけ翼を羽ばたかせる。

 実力を隠すために押さえ込んでいるとはいえ、それでも相当の早さで飛ぶスオリーだが、壁を蹴り上がっていくケイスとの距離は徐々にしか縮まらない。

 足を踏み外して落ちでもしたら、いくら少女といえど命などない。

 あの少女が死亡するような事態になればそれこそ一大事だ。

 最悪の事態を考えいつでも救い出せるように真下から追いかけていたスオリーだったが、その最悪の予想をケイスは軽々と超えた行動へと出る。

 クルリと身体を回したかと思うと、頭を下にした体勢でスオリーの方を見つめてきたのだ。

 逆さまになったケイスは両足を使わず、左手の力のみで先ほどまでと変わらない上昇速度を維持するという離れ業をやってのけていた。

 それどころか……

 


「ん。警備兵ではなさそうだな……ふむ。お前ヴィオンの家族か? 姉がいると聞いていたのだが。お前がスオリー・セントスか?」 

  


 平然と話しかけてきたケイスは、スオリーの全身をまじまじと見て目をぱちぱちと瞬かせてから、スオリーには予想外の問いかけをしてきた。



「はっ!? ……え、えとそうだけど、あのお嬢ちゃん。そんな事より危ないからこっちに来てもらえるかな」



 弟の名前が出てくるのは予想外だったスオリーは一瞬素の表情を浮かべ、ついケイスを名前で呼びそうになって何とか抑える。

 調査対象であるケイスに自分たちの存在を知られてはいけない。

 束縛や拘束を嫌う少女のこと。

 自分達の介入や監視を知れば気分を害して本気で姿を消す恐れもあるからと上司からは厳命されているからだ。

 そうなれば再発見、補足はさらに難しくなる。

 言葉と常識の通じない野生生物を相手にするくらいの距離感と寛容精神でいけというのが上司からのアドバイスだが、仮にも主家にして姪に対する言葉だろうかと思わなくも無い。



「おぉ。やはりそうか。ふむ。ヴィオンやボイドとセラとは一緒の船に乗り合わせていたので話を聞いていたんだ。世話になったぞ。こんな所で会うとは奇妙な縁があるな。私の名はケイスだ。こんな体勢で失礼だが以後よろしく頼む」



 スオリーの心配を全く気にもとめていないのかケイスは華のような笑顔で楽しげに笑い、ちょこんと首を動かした。

 頭を下げたつもりなのだろう。 

 しかし断崖絶壁を逆さまの体勢で登っていく少女に自己紹介をされてまともに返せる人間がいるわけもない。

 まるで街中で会ったかのように平然と挨拶してくるケイスに、返す言葉に詰まり唖然としているスオリーに対して、あくまでケイスはマイペースを貫く。



「お前は管理協会で受付をやっているのだったな。出会ったばかりで悪いが少々頼みがある。知り合いと決闘をすることになったので、魔具を派手に使っても問題無いように管理協会が管理する鍛錬施設を貸してもらいたいんだ。ボイドに頼んで貰うつもりだったが、こうして直接に顔を合わせたのだから、私から頼むのが筋という物だからな」



(無、無理。これを監視して報告しろっての!?)



 出会って数分。

 立て続けの常識外の言動と意味の判らない状況に、大陸規模の諜報組織の一人である草として鍛え上げられたはずのスオリーも、自らの精神がごりごりと削れていく幻聴をその耳に捉えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ