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永宮未完 挑戦者編  作者: タカセ
剣士と決闘
22/119

剣士と探索者達

 砂船の狭い甲板上。

 装甲として張られた鉄板が、休む事無く甲高い音をたてて鳴り響く。

 タップを踏むかのように、小刻みに音を奏でるのは一つの影。

 コインほどの大きさで術式を含み立て続けに飛来する光弾を避けながら、影は縦横無尽に動く。

 行く手を遮る光弾を避けるために右に跳ねたかと思えば、即座に左に切り返し追撃のタイミングをずらす。

 広角にばらまかれた光弾の網を、身をかがめ甲板すれすれを滑ってくぐり抜け、さらには甲板に出来た僅かな凹凸に引っかけた左手の小指だけでピタと停まる。

 影の動きが止まった瞬間に、仕留めようと四方八方から一気呵成に光弾が迫るが、



「とっ! ふむ。なかなか良いな。冷やっとしたぞ!」



 激しい攻撃に対してなぜか嬉しそうに頷きながら、その影は引っかけた一本の指の力だけで空中に高く跳び上がって回避して見せた。

 いくら小柄で軽いといえど、その小枝のように細い小指だけで全体重を支え、さらには身長の数倍まで高さに跳び上がる様は、肉体強化の力である『闘気』による身体能力強化だと判っていても、質の悪い冗談のような光景だ。

 見た目は幼い美少女でありながら、心身ともに規格外の化け物と表現するのが一番しっくりくるケイスに、砂船トライセルの護衛であり下級探索者でもある魔術師セラ・クライシスは大苦戦を強いられていた。

『拘束』『鈍化』などの足止め目的の妨害魔術を含めた光弾を連射しているのだが、勘が驚異的に良いのか、それとも動体視力が異常なのか、あるいは両方ずば抜けているのだろうか。

 紙一重で交わすくらいならまだかわいい物。

 飛来する弾幕のそれぞれの僅かな速度差や角度を読み切って、隙間をすり抜けるという化け物じみた回避には、薄ら寒さを覚えるほどだ。



「っこの! 射! 射! 射!」



 セラの簡易詠唱と共に構えた魔術杖の先端に埋め込まれた結晶体から、空中のケイスに向かって光弾が飛ぶ。

 簡易詠唱のため操作性は皆無でただまっすぐ進むだけだが、その分消費する魔力と触媒は少なく連射も可能と、小型で素早い生物相手のオーソドックスな術式とやり方だ。

 だがケイスにはそのセオリーが全く通用しない。

 セラが動いて囲むように術を撃ち放ってもヒラヒラと躱し続け、何とか追い込んで逃げ場の無い空中に跳ばせても、軟体生物かと見間違えるほどの柔軟性で空中でその軌道すら変えて、光弾を躱して甲板へと着地してみせるのだ。

 指一本、髪の毛一本にでも光弾が掠りさえすれば、中に含んだ拘束魔術の効果で、魔力生成障害体質故に魔力を持たないケイスを容易く魔術の網に捉える事が出来る。

 直撃などいらない。掠めるだけ。

 だがその安易な条件でも、今のケイスに攻撃を当てれるビジョンがセラには浮かばない

 いくら少ないとはいえ掠りもしない攻撃に用いる触媒に守銭奴なセラは胃の痛さを覚えるが、その手を休める事はできない。

 攻撃を緩めた瞬間、ケイスはこちらの首を一瞬で取りに来る。

 連発する魔術がかろうじて、この常識外の化け物の接近を拒み、距離を保っているとセラの探索者としての勘が警鐘を鳴らし続けていた。

 傍目にはケイスは逃げ回るのが精一杯で一定距離以上セラに近づけていないのだから、普通に考えればセラの方が優勢だと思えるのだが、状況はまるで逆。

 逃げ回るだけのケイスが、一方的に攻撃を続けるセラを追い詰めているようにしかみえないという奇妙な状況になっている。



「こりゃ素じゃ当たらないだろ」



「かもな。でもなかなか良い感じになってるじゃねぇ? ほれ。お嬢の場合、訓練の時は無駄弾を撃たないように最低限以上はケチるだろ。今回は牽制もちゃんと使って遠ざけてるし」


 

 当たらず勝ち目がまだ見えてこない焦燥感に煽られるセラとは対照的に、パーティメンバーである兄とその幼なじみは暢気な物で、厨房から持ってきた火酒の丁度良いつまみになる余興程度にしか思っていないのか、野次馬じみた発言をしていた。

 

 

「うっさい! 兄貴とヴィオン!」



 一瞬でも油断すれば負けかねないケイスから目を離さずセラは怒鳴りつつ、その怒りの声すらも詠唱とする。

 魔術とは型があってないような物。

 魔力を己が望む形に形成し、世界を変える理とする。それが魔術の基本にして究極の姿だ。

 怒りの声をトリガーとして紡がれた詠唱が、コインほどの大きさで撃ち放たれる光弾が無数に飛び、最後の一発だけが拳ほどに膨れあがり一直線にケイスに向かって飛ぶ。

 紙一重で避けられ掠らないならば、周囲を覆うようにしたうえに本命の一撃で決める腹づもりだろうか。

 逃げ場所を奪おうと迫る光弾の雨を前にケイスは一瞬足を止める。

 それは時間にすれば刹那の瞬間。

 だがその一瞬で戦闘に特化した頭脳は反応し、光弾に纏わり付く魔術文字と、セラの魔術杖の結晶体に浮かぶ魔法陣を見据え、持ち合わせる魔術知識と過去の経験を照らし合わせ、その真意を見抜く。

 見て、考えて、動く。

 言葉にすれば単純な三つの行動をほぼ同時に超高速で繰り返す事でケイスは、その回避能力を得ている。

 ケイスが即時に選んだのは、その猪突猛進な性格そのままの前に進むというシンプルな物だ。

 倒れ込むような前傾姿勢で高らかに甲板を打ち鳴らしてケイスが光弾の雨に自ら突っ込んだ瞬間、本命と思われていた拳大の光弾がはじけ飛び、無数の光弾に分散する。

 セラの狙い。

 それはおとりの散弾をまき散らした上に、さらにケイスの目前で時間差で拡散した光弾をばらまく事で捉えるという物だった。

 しかしセラの狙いを看破していたケイスは自ら前に突っ込む事で、本命の光弾が拡散する直前におとりであった光弾を蛇のように身をくねらせてすり抜けて包囲網を突破した。



「ちょっ?」



 今のをケイスが回避してくると思わなかったのか、セラが思わず驚愕の声をあげ判断に迷い動きを止めてしまう。

 光弾をすり抜けたケイスとセラの間に障害物は無く距離も僅か15ケーラほど。

 ケイスならば2歩で届く間合い。

 罠や反撃を警戒したのか一直線に進むような真似はせず、不規則に方向を変えながらケイスはセラへと迫る。

 魔術師であるセラも近接防御戦闘スキルを多少は囓っているが、こと近接戦闘においては天才という言葉すらも霞むほどの才覚を持ち合わせるケイスの敵では無い。

 稽古の成り行きを見守っていた誰もがケイスの勝利を確信した瞬間、場違いな気の抜けた高音が響く。

 それはケイスの胃がなった音。

 同時にケイスの動きが極端に遅くなり、床を蹴っていたその足も弱々しくなった。



「このっ!」



 ケイスの動きが鈍くなったのを千載一遇のチャンスと捉えたセラが光弾を撃ち放つ。

 その光弾は陸に上がった魚を捕まえるようにあっさりとケイスに命中し、身体に触れた瞬間、魔力の網となりケイスを捕縛していた。 












「ケイス。お前よく食えるな。それ何食目だ」



 周囲に砂混じりの風を防ぐ結界を張った上に、明かり兼暖房の火球の周りで暖を取りながらパクパクとチーズスープに浸したパンを食べ続けるケイスを見てボイドは呆れ声を上げる。

 あれだけ動いた直後に胃が受け付けるのも変だが、それ以上におかしいのはケイスの食事回数だ。

 ケイスは先ほどから稽古が一本終わるたびに食事休憩を取っているのだが、この3時間だけで両手の指を超える回数を、しかも一回で並の成人男性一食分を平らげている。



「うむ。12食目だ。ミズハの料理は美味いぞ。味がいろいろ変化あるから飽きないな」



 量を指摘した言葉の意味から見当外れな答えを返し、ケイスは嬉しそうに頷く。

 この小さな身体のどこに入るか不思議なのだが、ケイス曰く、食べた分は動いて即座に消化しているとの事。

 闘気による体内活性で消化吸収能力を上げているから、この程度の量ならば食べて5分で一切の無駄なく完全吸収が出来ると言っていたのは、何かの冗談か大げさな表現だろう。

 迷宮には龍を筆頭として常識外の魔獸も無数に存在するが、さすがに喰らった物を短時間で完全消化する無茶苦茶な生物は存在しない。

 するはずが無い。

 常識を破壊されるのを拒む精神衛生上の理由から誰もがそう思っていた。

 特にルディアなどはケイスが乗り込んでから同室で暮らしているが、手洗いに行った形跡が無かった事を思い出していたが、単にトイレが遠いだけだろうと無理矢理納得させていた。



「それよりだ。子グマ。今のセラの戦い方を見たな。弾幕で距離を取らせながら休ませず、私の接近を拒む。実によい戦い方だ。私の体力切れを狙うには最適だ。おかげで思っていたよりも早く体力を消費して勝てなかった。一度くらいは勝てると思ったが私もまだまだだな」



 スープの残りを一気に飲み干したケイスは手についたチーズをもったいなさそうになめながらラクトの方を向き直り、言葉だけを聞くなら素直に負けを認めて謙虚だが、なぜか勝ち誇ったような表情で告げる。

 今日はボイドやヴィオン。

 そしてセラの三人を相手にケイスは模擬戦闘を繰り返して、数日後には決闘を行うラクトの参考になるように自分の戦い方と、その勝ち方を見せていた。

 その結果はケイスの12連敗という一方的な物だ。

 ボイド相手には近接戦闘でのつばぜり合いの果てに、有効打をいれられず体力切れで敗退。

 ヴィオン相手には槍と魔術。近接と遠距離。空中と地上を上手く組合わせる変幻自在な回避をされ体力を消耗し敗退。

 セラに至っては一度も剣戟の距離に近づけず、回避し続けた末の体力切れという散々たる有様。

 どれも途中までは互角以上に進めながらも体力切れで負けるという、そんな負け方をしているのにケイスは何時もの通り傲岸不遜で傍若無人な雰囲気を損なわない。



「お前なんであんだけ負けてて嬉しそうなんだよ」



 勝ち気な目やその言動から負けず嫌いという印象を受けるケイスには似つかわしくない受け答えに、ラクトは油断させるための罠かと疑いたくなりつい尋ねる。

 ここで実力を隠して負けを見せておいて、決闘の際は本気を出すつもりだろうかと。

 


「うむ。ボイド達は下級とは言えど現役探索者だからな。私が策もなしに真正面からぶつかれば、先に体力切れになるのは目に見えているから敗退は当然の予測だ。そして鍛錬とは勝利よりも敗北から多く学ぶ物だと私は教わっている。今の身体状態と全力で動いた際の体力消費を再確認できた上によい勝負が出来て予想通りに負けた。満足して当然だぞ」 



 ケイスは何を当然の事を聞くんだときょとんとした表情を浮かべる。

 その邪気の無い表情を見ればケイスが嘘を言っていないのは一目瞭然。

 全力で戦い、自分の予想通りに負けたのだから、勝敗云々は気にしないという事らしい。



「一つ惜しむなら、ここがもう少し広ければ一対三のより実践的な稽古もできたのだが、さすがに甲板上は狭いし、船を壊しかねないからな。あとは治癒系の神術使いもいればこのような木剣やら妨害魔術だけじゃ無く、剣や攻撃魔術を用いた戦闘訓練が出来て良いのだがな。やはり切り傷ややけどの一つも無いと緊張感が足りんし、死ぬ気で動けない」


 

「それ稽古じゃ無くて実戦だろ」



 一対一でも勝てなかった相手に、逆に一対三での戦いを望む。

 しかもその内容も、稽古とは名ばかりの本物の剣と攻撃魔術を使ったもの。

 外見そのままの無邪気な子供のように食事を楽しんでいた先ほどまでの表情のまま、やたらと物騒な事を言い放つケイスにラクトも引き気味だ。



「謙虚なんだか傲慢なんだかはっきりしなさいよ。あんたはほんとに……あのセラさん。この子おかしいんで。そういうことですからあまり落ち込まずに。その勝ったんですし」



「そうそう。お嬢だけだろ。ケイスの攻撃一度も喰らって無いのは」



 隣に座るうちひしがれ肩をがっくと落として沈黙していたセラの様子にさすがに見かねたルディアが気落ちしないでくれと慰め、その反対隣のヴィオンも軽いながらフォローをいれた。



「簡単に言わないでよ。奥の手まで回避されて最終的には相手のお腹すいたんで勝ちましたって……その上に消費した触媒が塵積で馬鹿にならないし」



「魔術師が触媒を惜しんでどうする。値段の相場は知らんがそう高い物ではあるまい。金銭を気にするよりも私に勝てた名誉を誇れ。それに稽古に付き合ってくれた礼だ。必要ならばここの所、集めていた転血石を分けてやるぞ。子グマの使う魔具を買えば火急の予定も無いしな」



 魔術師として自信喪失しかけているのか、それとも出費にうちひしがれているのか判らないセラの発言にケイスが空気を読まない返答を返す。  

 ラクトに魔具を買い与えるためにここの所、狩りをしていたケイスだが、その目標金額を余裕で上回るほどの成果をすでに二日前に得ている。

 普通ならば特別区に出現するモンスターは最低位で、その肉体や血は金銭的にも物質的にも魔術触媒としても価値は低く、売ってもそれほどの儲けにはならない。

 だがケイスの場合は、極稀に取得できる迷宮モンスターの血に宿る魔力が物質化してできた天然の転血石を大量に集めるという、反則的な結果をたたき出している。

 ケイスがここ数週間で集めた天然転血石は、近年人工転血石の大量加工技術が確立された事で価値は激減しているが、それでも一年は遊んで暮らせるほどの金銭価値はあるだろう。



「ルディアお願いだから。この子にお金の大切さを言い聞かせてよ」

 


 気前が良いを通り越して無頓着な癖に異常な金運を持つケイスが、ここの所の出費で胃が痛いセラには不倶戴天の敵にみえたのか、血涙でもこぼしそうな形相でルディアに迫る。



「一応言ってみますけど…………あんた。もう少しお金は大切にしなさいよ。そのうち苦労するわよ。無いと困るでしょ」

 


 ケイスには常識は通じないのは判っているが、ここまですがりつくように頼まれると元来の世話好きというか人の良さが出るルディアは、ため息をつきつつ一般常識を説く。



「ん。そうか? お金があれば美味しい物が食べられるから好きだ。だが無いなら自分でご飯を狩れば良いから困らんぞ。剣などは困るが狩りのついでに稼げるから特に困った事なんてないな」



 予想通りというかなんと評すべきか、動物的な食欲と戦闘欲しかない発言をケイスは返す。 

 腰まで伸びた黒髪と幼いながらも整った顔立ちも相まって、深窓の令嬢然とした見た目で、中身は野生生物なのだから質が悪い。

 この金銭感覚の無さは、王侯貴族の無頓着さなのか、それとも野生生物の価値観の違いなのか。

 未だ氏素性不明で不審すぎるケイスの過去は多少気になるが、砂船が次の街につくまでの付き合いだと割り切り、肩をすくめたルディアは処置無しと首を横に振り諦めた。

 ここ数週間の付き合いだけで精神的な疲労が膨大なのだから、これ以上は胃と精神が持たないというのがルディアの正直な感想だ。



「なんだ。言いたい事があるなら……ん?」



 何ともらしい発言に呆れたり苦笑を浮かべていた周囲の視線にケイスは不機嫌そうにむっと眉をしかめていたが、不意に何かに気づいたのか立ち上がって、舞い上がった砂に分厚く覆われる漆黒の空を見据えた。



「空気が変わったな。外気の気配だ。出口が近いのか? だが目的地であるカンナビスまであと3日ほど有るんだろ」


 

 スンスンと鼻孔を動かし舳先を見つめたケイスが尋ねる。

 トライセルが進む現在位置は周囲を緩やかな砂山に囲まれ峡谷となった底の部分。

 位置を把握するための灯台の輝きも直接は見えないのに、ケイスは何らかの変化を感じ取ったのだろう。



「それは一昨日の情報だな。ほれ一昨日の夜は風が強かっただろ。あれで山脈級の砂山が一つ消えてな。進行予定ルートが大幅に変わっていて、今日の夜には外部に出る予定に繰り上げになってる。今はここら辺だな」



 懐から地図を取り出したヴィオンが甲板の上に広げて、現在位置を指し示す。

 手書きの地図は一晩で地形ががらっと変わるのもザラの砂漠に合わせてか何度も書き直した手書きの修正が加えられていた。

 この航路を見ると大きく迂回していく予定だった部分をほぼ一直線に突き抜けるルートが出来たらしく、かなりの距離と時間を短縮できたようだ。



「うげ。そんな早くなってんの? まじい。ルディア姉ちゃんまだ……」



 地図を見たラクトがなぜか声を上げルディアの方を見たが、振り返った不審げなケイスの視線に気づいて慌てて口を閉じた。

 明らかに怪しげなラクトの言動にその顔とルディアを交互に見てから、しばし考え込んだケイスが嬉しそうに頷く。



「うむ。ルディの協力ならば薬か? ふむいい手だな。剣先に麻痺薬でも良いし、食事に毒を混ぜても良いな。ルディの薬ならば私にもそこそこ効くかもしれないな。格上の者から勝利を得るためにはあらゆる努力を惜しまない。それでこそ私の決闘相手だな」



 普通ならば卑怯だなんだと指摘されそうな手も、ケイスには許容できるらしい。

 むしろ自分の実力を正当に評価してくれているとうれしがっている素振りすらも見える。

 懐が広いと言うべきか、単なる馬鹿なのか。

 どうにも予想外の反応を返し続ける美少女風怪物への返答を思いつく者はこの集団の中には存在しなかった。



















「本当にカンナビスで網を張ってて良いのですか? 見失ったのラズファンと伺っています。常識で考えるなら北リトラセ砂漠を迂回するルートを探した方が良いと思いますが」



 ほっそりとした弓のような印象を受ける女性は、フードに隠れた相貌で眼下に広がる切り立った崖下に作られたカンナビスの巨大な陸上港を見据える。

山岳都市カンナビスは迷宮未完『北リトラセ砂漠』迷宮群に隣接する拠点都市の一つだ。 

大陸中央部への玄関口でもあるカンナビスは物流と情報の拠点でもあり、砂漠に接して出入りする砂船を迎える港湾部と、吹き込む砂と砂漠から迷い込むモンスターを避ける為に山の中腹部に作られた都市部の上下二層に別れている。 

 その山間の空中でたたずむ女性の背中には巨大なコウモリのような翼が一対姿を見せている。

 魔力を受け僅かに輝く翼が彼女の身体を支え、足元に広がる魔法陣に込められた術式が他者からの認識を阻害し地上からはその姿を隠す。

 彼女は『草』と呼ばれる集団の一人。

 かつてあった暗黒時代にトランド大陸全土に広がった戦線を支えるために情報収集と伝達を行っていた者達の末裔の一人だ。

 先祖達からの使命を受け継ぐ彼女は、カンナビス周辺を根拠地として中級迷宮に挑む中級探索者でありながら、正式には探索者管理協会に属さない隠れ探索者の一人。

 定時通信を行うために人の目など存在しない空へと駆け上がるのは彼女の日課だった。

 普段なら他愛も無い報告と世間話で済ませられる通信も、ここ数ヶ月はある事情から情報量のやり取りが増え、長時間に及んでいる。



『お袋の予想だ。あの馬鹿の事だから基本は自分が決めたルートをいくはずだ。なんか気に食わない事やら巻き込まれたら大きく道を逸れやがるが、ここ数週間じゃあいつが関わったらしき事件は報告に上がってない……外界じゃな。そうなると徒歩でリトラセに突っ込みやがった可能性が強い』 



 上役である男性の声が魔法陣から響く。

 ここ数週間ほど不眠不休で動き回って疲れ切っているのか声には力が無い。

 何せ目下の所、『草』が総力を挙げてその動向を監視している最重要ターゲットが彼らが想定していたルートから姿を消してすでに数週間が経っている。

 敵対勢力にターゲットの存在そのものを気づかれないように極秘裏に捜索中だが、世間的にはまだ幼い年齢や人目を引く外見に合わせて、異常な言動が多い故に悪目立ちしそうなその人物はラズファンの市場を最後に目撃は報告されていなかった。



「他の草からの報告書で知っていましたが、そうまで思い通りにならない御仁のようですね」



『ったく毎回毎回あの馬鹿娘はどうしてこっちの予想をことごとく外しやがるんだ。こっちの動き気づいてるとかならまだいいが、完全無意識だからな。フラフラあちらこちら放浪しやがって。予定上じゃ高速船の一等船室で大人しくしているはずが、持ち金はたいて剣を買ったんで金が無くなったからなんて理由でキャンセルするなんて予想できるか』



 ストレスが溜まっているのか漏れ出した愚痴は実に恨めしい雰囲気を纏う。

 情報収集に特化している彼らの捜索網からさえも、予想外の行動でターゲットが姿を消した回数はすでに両手の指でも余るほどだ。

 どういう経緯かは不明だが、元貴族の仇討ちに付き合って姿をくらましたかと思えば、いつの間にやら国中を巻き込んだ革命騒ぎのど真ん中にいた。

 途中で立ち寄った貧しい山村で家畜を奪う山賊の噂を聞き、一人残らず駆逐するまで一月以上も雪が積もる冬山に潜んでいた。

 報告書には目を疑いたくなる事情や理由が多かったが、この程度なら義侠心に駆られたとまだ理解できなくもないからまだ良い。

 山間で休憩中に釣りをしていたはずのターゲットがなぜか急に激流に飛び込んで姿を消した時の理由が、川魚に飽きて海魚を食べたくなり海まで泳いでいたと書かれた報告書を読んだときは、自分の正気を疑いたくなった。

 一事が万事この調子である。

 気まぐれかつ思うままに動いているその化け物に、心身ともに強靱な者が選ばれる草の幾人もが、精神的に潰されたという噂も、あながち嘘ではあるまい。

 彼女はまだ担当地区が違ったので人ごとだったからよかったが、最初期からその動向を追いかけていて、ターゲットを幼少の頃から知るはずの上司も、精神的には限界に来ているのかもしれない。

 今回も彼らの息が掛かった砂船にターゲットを上手く誘導して、ほぼ成功とまでいっていたはずが、運賃が足り無くなったとキャンセルしたうえにラズファンからも姿を消していたらしい。



『ガキの頃からアレだったが、トランドに渡ってからはさらに輪をかけて突き抜けやがって。個人的には、ほっといても死ぬような玉じゃ無いから、時折確認するだけ良いと思うんだが、あいつの詳しい動向が不明じゃオジキが黙ってないからな。下手すりゃ後先考えず近衛騎士団を動かしかねない。正当な理由も無しで騎士団を動かしたらルクセだけじゃ無くて、世界規模で戦乱を招きかねないってのにあの親ばかは……』



「大陸規模の異常事態。暗黒時代の再来を防ぐのが我らの使命です。そしてあの方はその鍵を握るかも知れない。だからこそ早急にあの方を探す必要があるのでは」



 鬱屈している物が溜まり込んでいたのかしばらく愚痴を続けていた上司だったが、女性の指摘に我に返り、わざとらしい咳払いを一つして話を元に戻す。



『……とにかくだ。あいつは基本的に騒動の中心にいるか、騒動があいつの方によってくる特異体質だ。将来的に英雄になるか魔王になるのか判らないが神に選ばれた者っていうのは伊達じゃ無い。しばらくは出入りする砂船の監視と騒ぎが起きたら最優先で報告を頼む』



「了解しました。情報を集めるようにしておきます。弟たちが数日後には帰ってくる予定ですが、新種のサンドワームと遭遇したようなので、それらしい話も見聞きしたかもしれません。それとなく探っておきます。ではお昼休みがそろそろ終わりますので戻らせていただきます」



 通信を打ち切って足元の魔法陣を纏ったまま彼女は背中の翼を振るわせ一気に降下を始める。

 定時通信を終えれば、また草の名にふさわしく市井へと紛れ込む事になる。

 知人や友人はもちろん、家族にすらもその存在を隠し、ただ今ある大陸の平和を維持するために。

 厳しめだった表情を、柔和な表情に変え意識を切り替える。

 無名の草から柔和な笑顔で老若男女に御好評なミノトス管理協会カンナビス支部受付嬢へと。

 普段の顔に戻ったスオリー・セントスは、今日もお昼ご飯を食べ損ねた事を残念に思いながら、近日中に街に帰ってくる弟と幼なじみ兄妹でも誘って何か食べに行こうかとこの時までは暢気に考えていた。

 迫り来る化け物が纏う嵐にその三人がすでに巻き込まれている事も知らずに。

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